ヴォルギフの謀略
王の崩御から二年の月日が流れていた。
トリス・ディン・ゲアルカンは名君だった。
彼は国家に尽力し、自国に大きな恵みをもたらしただけでなく、
他国に対しても、援助を乞われれば快く救いの手を差し伸べた。
そのため、彼の人望は国内外に知れ渡ることとなり、
その名を歴史に深く残すこととなる。
―――享年四十三。若すぎる死であった。
彼の葬儀には多くの人間が駆けつけて、
偉大なる王の死を悼み、、、、そして憂いた。
今後のゲアルカンの行く末を・・・誰もが案じていたのだ。
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「どういうことだ。ソリードン。」
王都ゲアルカンの中枢、アルヴァ城の玉座の間で、
若き王は声に怒気を孕ませた。
怒りに満ちた碧眼の双眸はただ一点を見据えて、放さない。
「高齢者の医療費免除、貧困層への給付金、富裕層の特別税策定。
これら全てが貴公の独断であるのは相違ないか。」
「・・・・はっ。」
短く答えた初老の男は頭を垂れ片膝をつき、
君主の顔をうかがうことは出来ない。
しかし、鋭い視線が自分に降りかかっていることを
その痩身で感じ取っていた。
だが、解せない。
いつ自分が王の不興を買ったのか身に覚えがない。
税制は先王の時代から一任されており、君主が不利益を被るような事は
未だかつてしていないからだ。現に先刻、君主が上げ連ねた税制についても
誤謬は見当たらない。
「なぜ黙っていた。」
「・・・・・・。」
王の理不尽で、静かな糾弾は続く。
玉座の間には、王と初老の男以外に、
近衛兵四名と宮女四名が玉座を境に対称的に並んでいるのだがいずれも俯き、
自分が叱責を受けているように小さくなっており、天井に穿たれた採光窓からの
光を一身に浴びるその様は、さながら神に死刑を宣告された咎人のようだ。
「政治全般を貴公に任せてはいるが、重要な案件は予と話し合い、解決する。
それがここゲアルカンの不文律と学んだのだが、あれは虚構か。ソリードン。」
「いえ。そのようなことは・・・・。」
初老ソリードンの歯切れの悪い様子に、王はついに玉座から立ち上がり、
抑えていた激情を爆発させた。
「税は最も重要な案件ではないかッ。何故一言も相談がないのだ。
予を信頼していない証ではないかッ。」
王の怒号にびくっと、ソリードンの肩が震えた。
冷え切った空気は一瞬燃え上がった後、
残響を残して沈静し、またすぐに玉座の間を沈黙が占有する。
ソリードンは激しく打つ鼓動を抑えつつ、
同時に王の意図を汲み取れたことに安堵し、そして失望した。
論点がずれていたのだ。
税制についてではなく、これは単純に忠義を問われているのだ。
ソリードンにとっては難癖もいいところだ。
先王の時代に税制を一任されたのは強い信頼関係が為し得るもので、
先王が亡くなり二年たった今もこの関係を維持できているのは、
現王にも同等の信頼があるからだと自負してきた。
それが今、目の前で瓦解した。
ソリードンは恭しく顔を上げ、虚ろな瞳を暗君に向け、言上する。
「恐れながら陛下。先王の・・。」
「父の話はよいッ。」
ドンッと、玉座の腕を叩き、若王は声を張り上げる。
それは偉大なる先王との対比を拒絶する確固たる意志だ。
「申し訳ございません。」
ソリードンは謝辞を述べ、
失望のあまりタブーを口にしてしまったことを自戒した。
背筋を嫌な汗が流れる。
崇敬された偉大な王の後釜に、
暖炉のまきの如くくべられたこの若王はその双肩に
背負いきれない重荷を担っているのだ。
父への羨望は嫉妬に、嫉妬は転じて憎悪に。
歪曲した若王の心を忖度し、
ソリードンは自分の身に降りかかる災いを察知した。
若王は玉座に座り直し、顔に凄惨な笑みを張り付け歌うように呟く。
「なあ、ソリードンよ。貴公は父と協力し陰ながら父を支え、
国家に尽力してきた。
その手腕と忠誠心は予も高く評価している。」
そして、邪悪な微笑みにすっと血管を浮かび上がらせ、
「しかしッ。此度、貴公は君主と戮力することを忘れ、
独裁的な悪漢に成り下がったッ。」
雷が落ちたような災いに、ソリードンは頭を上げ懸命に弁解する。
「お待ちください。全ては陛下の恩為に・・・。」
「もうよい。二度と顔を見せるな。本来なら、
国家反逆罪で死罪となるところだが、
貴公の過去の功績に免じて取り止める。感謝せい。」
「・・・・・御意。」
ソリードンは生気の抜かれたようにゆらゆらと直立し、不恰好な礼をする。
豪華絢爛な金銀珠玉の調度品たちが整然と立ち並ぶ中を、
初老のソリードンは逃げるように赤い絨毯の先へと退散した。
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「ソリードン卿。」
凛とした声に、ソリードンは背後を振り返った。
茶色の短髪に、赤いつり目の双眸、鼻は高く、
精悍な顔立ちの青年は、意外にも貴族風の出で立ちがよく似合っている。
ただ、今はその精悍な顔立ちは、思いつめたように力がない。
「どうした、ヴォルギフ。」
「それはこちらの台詞です。」
返す刀で答えると、ヴォルギフは周囲を見回し、
ソリードンの口元に耳を寄せた。
「場所を移しましょう。」
確かに、中庭に面した回廊であるここは、人目に付きすぎた。
こうしているだけでも、
何人もの従者とすれ違う。ソリードンは彼の誘導に従い、
回廊を後にした。
案内されたウォルギフの自室は簡素だった。
全く物を置かない主義なのか、
空間を大事にする意匠の持ち主なのかは分からないが、
どちらにせよ彼の部屋には、
横に長い机と二つの黒い座椅子を部屋の中心として、
右手前の壁際にある粗末なベッドと
両端にびっしりと本が敷き詰められた棚しかなかった。
「何にもないでしょう。」
ソリードンの視線を追って、ウォルギフは忖度した。
心を読まれて気恥ずかしくなったソリードンは微笑を浮かべて
適当な疑問を口にする。
「・・・本を読むのだな。」
「ええ・・・。」
ウォルギフは軽く笑うと椅子に腰を下ろし、
ソリードンにも対面の椅子に座るように促した。
「父が本の虫でしてね。幼い頃から本に囲まれた生活を送ってきましたよ。
そして、身体が大きくなるにつれ、体を動かすことに喜びを感じた私は
両方とも好きになったわけです。」
「成程。知も武も両方秀でた名将はこうして誕生したわけだな。」
若き名将ウォルギフの名は、
二年前のタランテウス戦役に於いて諸外国に轟いた。
圧倒的なまでの武力と、柔和な頭脳が編み出す策に翻弄されたタランテウス王国は、
瞬く間に亡びを迎えることとなった。
「いえいえ、自分などとても将の器ではございません。私は、自分の正義に忠実な
だけで、部下を慈しむことを知りません。部下を慰撫できない者は、
本来人の上に立つべきではないのです。」
と、ウォルギフが意味ありげな視線をこちらに向けてくる。
彼の瞳の奥に移ったものを理解し、ソリードンは観念したように声を絞り出した。
「耳の早いやつだな。」
「恐縮です。」
「・・・・・それで。」
ソリードンはそこで漸く確信に迫った。
ウォルギフとは今まで直に会話したのは三度ほどで、親密な間柄というわけではない。
その彼が、宰相を罷免させられた自分を呼ぶ理由とは、如何ほどのものか。
ソリードンは一度、唾を飲み下してから言葉を発する。
「それで、この老いぼれに何の用かな。」
「やって頂きたいことがあります。」
弩を放つかのようにウォルギフは即答し、続ける。
「先王は予てより、諸外国、とりわけ隣国との融和を強調し友好な関係を
築いてきました。それは先王の人となりがあってこそ、
成し遂げられる偉業であって、
他の誰でもない彼だからこそ成立する和平だったのです。」
「そうだ。」
熱っぽく語るウォルギフにソリードンは思わず相槌を打った。
先王の話を聞くと自分の
ことのように嬉しくなる童心のソリードンがそこにはいた。
「しかし、先王亡き今、均衡は崩れ去りました。表面上は平和を望んでいるものの、
水面下では隣国同士の探り合いが始まっています。
特に、大国フォルテポルカにおいては
物騒な噂が絶えません。
何でも、恒久的平和を掲げ第二のトリス・ディン・ゲアルカンに
成り変わることでそれを実現するというものです。
実際は、民草を誑して煽動し、国々を内側から
瓦解させ支配下に置く、傀儡国家とすることが目的でしょう。
そして行く行くは世界統一までも目論むという、大それた思想です。」
「馬鹿馬鹿しいッ。」
ソリードンは咆哮とともに拳を叩きつけた。
机が割れんばかりに軋み、嫌な音をあげ、剣呑な
空気をまき散らす。水を打ったような静けさの後で、
はっと我に返ったソリードンは、済まないと低頭し、先程の話の疑問点を述べる。
「しかし、ウォルギフよ。
一昨日の会議の席ではそんな話は一度も出なかったではないか。
それほど重要な話、何故黙っていた。」
「それが、一昨日には分かっていなかったのですよ。実際に情報を掴んだのが昨日。
すぐに緊急の軍法会議が開かれ、我々騎士団と陛下のみで行われました。
ソリードン卿が知らないのも無理はありません。」
ソリードンは目を丸くした。
そんな大事な案件が、騎士団と王のみの会議で行われる理由が分からない。
首をかしげて思案しているところへ、ヴォルギフが水を向けてきた。
「分かりませんか。陛下は、ソリードン卿に話を聞かせたくなかったんです。」
「どういうことだ。」
ウォルギフは声音を下げ、秘匿されている筈の案件を惜しむことなく暴露する。
「陛下は、大国フォルテポルカへの対策として、
第二王女ルーフ・ディン・ゲアルカンの婚姻政策による同盟を
検討しています。」
「馬鹿なッ。」
ソリードンは胃が底に押しやられるような深い衝撃を受けた。
ゲアルカンに於いて王の遺書は絶対とされている。
先王トリスも、書きかけの遺言状を残しており、
その内容の中の一つとして『第二王女ルーフの安寧と、幸福を。』なるものがあった。
妾の子であり、義兄と義姉に苛められているルーフを慮っての配慮で、
現王はその遺書を
叶える責務があるのだが、どうやらウォルギフの話を聞けば、反故するつもりのようだ。
眦を決して、ソリードンは王に対する不信感を口にする。
「何故、陛下はそのようなことを・・・。」
「よければ話していただけませんか。」
対してウォルギフは、自身の推測の是非を確認するため、ソリードンに尋ねた。
最重要機密を飄々と漏らしたウォルギフに、ソリードンの口はしかし軽かった。
それは自分を罷免し、先王の意思を黙殺する君主への少なからずの復讐があったからだ。
「陛下の遺言状を知る者は少ない。私はそんな数少ない中の一人だ。
陛下の遺言状には、ルーフ王女の身の安全を切望する記述があった。」
「そういうことですか。」
ウォルギフは口の端に笑みを浮かべ、得心が言ったように納得すると眼前の初老に
自説を展開する。
「陛下は、遺言状を知るソリードン卿を避けたかった。
なぜなら、会議の席でルーフ殿下を婚姻政策として
利用すると言えば、必ずソリードン卿が反発するからです。
ですから、ソリードン卿には席を外して頂いた。」
「なぜ陛下は、ルーフ殿下に固執するのだ。
二つ年上のルティア殿下がいらっしゃるではないか。
ルティア様こそ妥当だろう。」
「それと同じ質問を私は陛下にしましたよ。
陛下曰く、ルティア様は持病をお持ちだそうです。
彼女を嫁がせた場合、相手国に迷惑がかかるようで話にならないとか。
でも、私は見たことがないんですよ。
ルティア様が病気で苦しんでいるような様を。」
ソリードンも、ルティア様について同意見だった。
ルーフ王女を辱め、罵ることを愉悦としている彼女は病弱な儚さとは
はっきり言って無縁だ。
ウォルギフは話を本筋に戻す。
「しかし、ソリードン卿を退けたとして、卿の耳に話が伝わるのは時間の問題です。
そこで今日の緊急招集ですよ。
尤もらしい理由で卿を罷免することが出来れば話は終わるわけです。
ところが、ソリードン卿は模範的なまでに国家に忠誠を誓った身。
卿の弱みなど無きに等しいものです。無いものから作ることは出来ませんから、
有るものででっちあげなければなりません。
ソリードン卿は古参の廷臣です。先王との関係は密接です。
先王にあって自分にないもの。
つまり、王たる自分への忠誠心の欠如を糾弾することで、
卿を罷免したのではないでしょうか。」
「そうだ。」
ソリードンは内心で舌を巻いた。
相手の心情を絡め取るように推し量る若い将に、畏怖と敬意の念を抱くしかない。
――只者ではない。
ソリードンはウォルギフの自説を聞く内に、皮肉にも彼に対して警戒心を強めた。
タランテウスを籠絡したのもうなずける。
そして、ウォルギフはついに王の胸に刃を突き立てた。
「陛下は先王を尊敬し、憧れていました。
しかし、高すぎる目標はその人を滅ぼします。
理想と現実のギャップに苦しんだ陛下は、
憧憬を憎悪に変えることで自我を保ちました。
今の陛下は先王と、先王に密接に関連するものを憎んでいます。
それはつまり、先王の愛でた者に対する憎悪で、ルーフ殿下への憎しみです。
ルーフ殿下を婚姻政策に持ち出したのは、国を思ってのことではありません。
ただの、私怨です。」
「若すぎるのだな。」
ウォルギフの指摘は正鵠を射ていた。齢二十四の若者に玉座は早すぎたのだ。
しかも、偉大な先王の後釜として入ったことが災いし、王の心は濁ってしまわれた。
若き王の懊悩に気づかず、打開策を打たなかった自分はやはり宰相失格だと、
ソリードンは諦観に満ちた想いとともに目を閉じた。
「長い話になってしまいましたね。約束を覚えてますか。」
ウォルギフの問いに、ソリードンは首肯する。
確か、頼みたいことがあると言っていた。
「この役職もない老いぼれに出来ることなど、もうないと思うのだが。」
「いえ、ソリードン卿、あなたにしか出来ないことがあるんですよ。」
ウォルギフの瞳はあくまで真剣だ。
猜疑心にかられたソリードンは思わず目を背ける。
そして、ウォルギフは赤い瞳を悪戯っぽく輝かせ、胸の内を吐露した。
「私は先王の意志を蔑にするフォルテポルカを許すことができないので、
正面から対峙するつもりでいます。
しかし、平和ボケした諸侯らは皆、口をそろへて王の意見に同意しました。
フォルテポルカは必ずや、我がゲアルカンを支配下に置き、世界統一の礎とするでしょう。
そこで、それを防ぐべくソリードン卿、あなたにしていただくことは、簡単です。」
たっぷりとためを作り、ヴォルギフは罪を宣告する裁判官のように口を開く。
「ルーフ・ディン・ゲアルカン王女の誘拐です。」