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魂奏士の仕事

サウスペルの森へ向かったプレストの任務、死者の暗殺とは。

サウスペルの森は暗い。

自身を湾曲させた木々が枝を目一杯伸ばし、光を遮ってしまうからだ。

初冬の時期、生物の姿はなく、また余程の物好きでもなければ、

夜半に好んで歩むものもいない。


―――プレストは、両手を口元に寄せ、はぁ、と息を吹きかけた。

赤々とした手に白い息がほんのりとした温かさを伝え、思わず身震いする。

あれから数刻、歩を進めたが未だなにも見当たらない。

冷気は時間を追うごとに激しさを増し、

踏み込んだ足の関節が軋むのを感じ取れるほど、

プレストの身体は冷え切っていた。

地には腐植土と落ち葉が混ざり合い踏み込む度に音を立て、

木々の合間を縫うように差した月光は、

生者を死地へと誘う魅惑のしるべのように思えた。


元々、気乗りのしなかった強行軍だ。もう少しマシな準備が出来たらと、

プレストは自身の薄着の服装に目を流し、後悔した。

漆黒のゆったりとした外套は全身を漏れなく包括しているが、

その実、風に関しては無関心で、

微小に緩和された冷気が肌を突き刺す。


はぁ、とプレストはもう一度手に息を吹きかけた。

かじかんだ手を開閉させ、

多少なりとも暖を取ろうと努力したその時だった。

瞬間、悪寒が走った。それが外気によるものではないと理解したのは、

彼女の腰に帯びた愛剣の鞘がゆったりと白色の明滅を繰り返したからだ。

剣の明滅は、魂奏術の使用を促すもので、来たるべき時が

訪れたことを意味している。すなわち、任務を遂行するべき時だ。

全身を戦慄が駆け巡る。

「クレヴァンテ。ありがとう。」

プレストはすでに光を失した愛剣に礼を述べると、外套をはためかせ、

左足を一歩引き、剣の柄に右手を添えた。

そして、腰を低くし身構える。

凍えてしまったと思っていた身体は存外に動いた。自然、彼女の表情に

安堵が浮かぶ。服装における不備を払拭し、万全の臨戦態勢は整った。


纏わりつくような風は一瞬のうちに身を潜め、

月光は分厚い雲に切り取られ光を失い、

完全なる沈黙と闇が森を支配する。

森は今、来訪者を閉じ込める暗黒の牢獄へと姿を変えた。


まるで、世界に唯一の存在であるかのような孤独感が

プレストの心に揺さぶりをかける。

だが、プレストは動じない。

この状況で平静を保っていられるのは過去の経験からだろう。

森の沈黙が仮初であることを、プレストは知っていた。


やがて、沈黙は間遠な耳鳴りにより破られる。

同時に、忍び寄ってくる形容しがたい何かの気配をプレストは感じた。

生物の細胞分裂のごとく、その気配は徐々に大きくなっていく。

呼応するように、

耳鳴りも鼓膜にはっきりと不快感を刻み続ける程度になってきた。


――ドクン。

と、次に聞こえたのは鼓動だった。何かが蠢く胎動の音。

不気味なほど大きな音に、しかしプレストは既視感を覚えた。


―――ドクン、ドクン。

と、何かはその心拍数を徐々に上げていく。

自身の鼓動が著しく阻害されるのを気で制しつつ、

プレストは憶測が確信に変わるのを感じた。


――アアアアアアアアアアアアア。

それは悲鳴だった。悲運な死を遂げた女の慟哭だった。

未練を残した男の怨嗟だった。

戦場で切り殺されたものの断末魔だった。

鳴動は地を爆ぜ、周囲を震撼させる。

あらゆる負の感情で満たされたそれらは、空間を裂くように忽然と姿を現し、

漆黒の渦となって具現化した。

それは、人間の内に巣食う闇が、ありありとおぞましさを伴って現界し、

蠢動しゅんどうする瞬間だ。

「クラスタ・・。」

救われず、報われない彼らの呼称をプレストは絞り出すように口にした。

まともな人間なら、これらと相対した瞬間、自我を喪失する。

莫大な負の感情の渦が流れ込み、心が耐えられないからだ。

自己同一性の欠如により魂は身体から切り離され、

クラスタの一部となり本体の増大を助長する。クラスタが肥大化する原因の一つだ。

プレスト自身、魂奏士に成りたての頃は見る度に嘔吐した。


魂奏士には魂がない。


そのため、自我が剥落し魂が分離することは無かったものの、

それに近い状態に陥ったことは幾度となくあった。

しかし、今なお慣れることはない。悍ましい気を浴びて、

プレストの心は確実に蝕まれていく。


プレストは、再度明滅を始めた愛剣を引き抜く。

それは不憫な魂を解放するというより、

自我を繋留するために行われた苦肉の策のようにも見えた。

苦悶の表情を浮かべ、青ざめた唇で唱える。

『邪悪な魂に救済と、安寧と、転生を。』

矢継ぎ早の詠唱に、プレストの愛剣の刀身が煌々と白く輝きを増し、

聖なる光の如く周囲を照らしだした。

慈悲深い暖かな光がプレストを中心に同心円状に広がっていく。

その光を拒むように、禍々しいそれが全貌を露わにした。

それは、漆黒の深淵だった。光に切り取られるような漆黒の渦の中は、

底知れぬ闇が蔓延はびこっていて、

足を踏み入れれば二度と戻ってはこれまい。

渦の縁は飛沫のような微小の液体で覆われ、

それは触れた所を、じゅう、と酸のように溶かし、

大量の赤黒い泡を作っている。

もし、飛沫の一滴一滴が彼らの想いであったなら、

世界の意志はそれを拒絶したのだ。

許容できないものとして、この世から切り離したのだ。

居場所のない彼らはあまりにも不憫で―――――プレストは、思考を遮断する。

余計な感情はかえって邪魔だ。経験がそう言っている。

過去にそうして来たように、彼女は感情を排除し、

ガランドウの心で眼前の深淵に挑む。


プレストは袈裟切りに剣を振り下ろした。

感情の剥落した無情の一閃は・・・・・正確にクラスタを捉え、

真っ二つに深淵を切り裂いた――――。

============================================


クラスタは消え、断末魔の残響だけが耳に残る。


理由なき行動と、鼓膜にこびりついた怨嗟の声は、

プレストの身体に倦怠感をもたらした。

彼女は脱力し、釈然としない想いを胸に秘め、任務完了の達成感に浸ることはない。

それからしばらく、彼女は佇むことになった。

罪科を背負った囚人の如く・・・。




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