通過儀礼
通過儀礼
空住 正浩
通過儀礼と言うものがある。通常は、人が一生のうちに経験する、誕生・入学・成年・結婚・死亡などの重要な節目にあたって行われる儀礼を指すが、子供から大人になると言う本当の意味での通過儀礼を、私は二十五歳の頃に行った。
私の実家の在る徳島県には、東西に流れる吉野川と言う有名な川がある。その河口には吉野川橋と言う古い巨大な鉄橋が架けられている。大正から昭和初期にかけて建設されたもので、長さが一キロを超し、当時としては、東洋一の長大橋であり、徳島の母なる山の眉山を背景にワーレントラス構造の美しいアーチがいくつも連なって織り成す姿は荘厳で美しく、全国から多くの人が見学に訪れたそうだ。謂わば、徳島を代表する風景である。
私の実家はその橋の近所にあった為、それは大変身近なものであった。子供の頃は、兄と私は父に連れられ橋の上から釣りをし、中学生の頃は、毎日橋を渡って通学し、高校生になると、橋の袂で彼女とデートした。私にとって、吉野川橋とその周辺の景色は、原風景であり、青春の背景であった。
私が幼少の頃、父と一緒に風呂に入っていたのだが、湯に浸かっている時彼に幾度も聞かされた話があった。
「吉野川橋知っているな?私は若い頃あの橋の下の川を水泳で横断したんじゃ。徳島に住む男子にとって、それは夢であり目標じゃ。お前もいつの日か挑戦しな。」
そして、父は自分が挑戦した時の自慢話を事細かに語り出した。幼い私にとって、その話は神話の世界のおとぎ話のようであり、父は英雄そのものに想え、わくわくと胸を躍らせ、またはらはらと手に汗を握りながら聞き入ったものだ。
父の度重なる話と、毎日嫌でも眼に入る風景を繋げないわけにはゆかず、私がその広大な川を雄雄しく泳ぎ進んでゆく姿のイメージが、幼い頃から頭の片隅に存在していた。
十八になると、私は家を出て県外の大学に入学し、初めての一人暮らしを始めた。そして四年間をそこで過ごした後、就職は故郷の徳島でする事にした。
地元の印刷会社の営業職として働き始めたのだが、なんと三か月で退職してしまう。それから俗に言うフリーターとしてアルバイトを転々とする。この頃私はこのままではいけないと自己分析を始めた。なぜ、人様のように一つの仕事を続けられないのか?親元から通っていると言う安心感があるからか?社会を甘く見ているからか?いろいろと考えてゆくうちに一つの結論に達する。
つまり、自分を追い込めないからだ。今までの人生で必死で一つの事に打ち込んでやり遂げた事はなかった。それは極端な話、命を賭けてまで何かをする動機がなかったからだ。だから受験にしてもろくに勉強もせず、自分の学力で合格できる大学を選び、就職も特に何かがやりたかった訳でなく、ただ入れる会社を選んでいた。
私はそれでも何とか自分を変えたいと思っていた。ただ、自分を変える事は並大抵ではない。それまで自分が歩んできた二十数年間と対決して打ち勝たなくてはならないからだ。自己革命と呼べるくらいの強烈な事でないと不可能だ。
そして、私が決意した事。それはある種自然で、他方突拍子もない事であった。
吉野川橋下の河口を泳いで横断する事!それは幼少の頃より私の心の奥底に徐々に忍び寄って来る静かな強迫観念であった。地元徳島で暮らす限り逃れる事が出来ないものだった。誰に勧められた訳でもない。それをやる事によって、物理的な得もない。ただその時の私は、「やるなら今しかない。今を逃せば一生出来ない。」と強く感じていた。
私はその決意を誰にも話さなかった。一般的な常識からはかけ離れている事であり、家族に話せば心配され、友人・知人に話すと変人扱いされる。また、私はそれをたった一人の力で命を賭けてやり遂げたかったのだ。誰かに付き添ってもらうと言う事は、もし途中で危なくなれば救助してもらえる事を意味する。私はそう言った保険は絶対に排除したかった。もしそれで達成しても、値打ちがなくなるからだ。
それから私は、準備にとりかかった。まず、距離を測る。車で橋を渡り、距離計で確かめると、公示通り一キロちょっと。ただし、川の左右の流れがかなりきついので、実際に泳ぐ距離は斜め方向の距離になり、計算すると、一・五キロ弱。その頃私はサーフィンをしていたので、泳ぎには多少なりとも自信があったが、それほどの距離を連続して泳いだ事はない。休み休み泳ぐにしても、プールとは違い、足が底に全くつかないので、不安がこみ上げてくる。そこで水面に浮かびながら休憩する技術が重要になって来る。水面で仰向けに横たわり漂う練習を始めた。河口の塩分濃度は海とほとんど変わらないほどであったので、体が水に良く浮くし、サーフィンの経験から塩水を漂う感覚を体で覚えていたので、すぐに上達した。それから長距離を泳ぐため、少ない疲れで泳ぐ方法を考えた。流れや波に逆らわず、力を抜き、小さな呼吸でゆっくりと泳ぐ。それでも疲れたなら、慌てず仰向けになり休む。これの繰り返しだ。時期は夏であったので、私はこの二つの練習を人知れずほぼ毎日行った。
決行の日の前夜。私には様々な思いが渦巻いていた。いよいよ明日私は男になる。成し遂げたら、私の人生は劇的に変わる。しかし、下手したら死ぬかも知れない。誰にも話していない為、人知れず海の底に沈んだまま発見されないかも知れない。不安だ。怖い・・・。しかし、ここまできたら絶対やってやる。恐怖・不安と向き合い打ち勝つのが人間の偉大さだ。古今東西勇気ある事を成し遂げた人は、今の私のように皆怖かったんだ。私も必ず勝つ!自分自身に!
運命の日。空は朝から晴れ渡っており、前の晩意外にも良く眠れた為か、気分も体調も良い。朝御飯を食べ、家族には何も告げず、水着だけを手にふらりと家を出る。自転車で数分漕ぐともうそこは橋だ。
橋の下の原っぱで水着に着替える。早朝の為、人影はない。軽い準備体操を始める。この時私は不思議に恐怖心や緊張感がなかった。あまり深く考えないようにしていたのか、なるようになると言う一種の悟りの境地に達していたのかは分からない。
準備体操を終えると、サンダルを脱ぎ、ゆっくりと足元から川に浸かり出す。夏と言えど朝の水温は冷たい。膝、太腿まで来ると、水を両手ですくって、胸や顔を洗い流すようにかける。冷たさに慣れる為だ。そして、膝を曲げしゃがみこむようにして首まで浸かると、数秒後に一旦立ち上がる。準備完了だ。対岸を見つめる。近くにも見えるし遠くにも見える。私は恐怖心が襲ってくる前に早く始めようと思い、川の中を背が立たなくなる所まで歩いてゆくと、ためらいもなく泳ぎ始める。顔を上げたままの体勢のクロールの泳法だ。余分な体力を消耗しないようにゆっくりと静かにマイペースで。さあこれから長い戦いだ。慌てず冷静にいこう。深く考えるな。泳ぎを楽しもう。私は水と友達だ。自然と一体だ。
五十米ほど泳ぐと、大して疲れてはいなかったが、私は進むのを停止し、仰向けに横たわり、しばし休息する。練習通りだ。爽やかな朝の日差しが顔面に当たる。ゆらゆらと水面に漂いながら何回かゆっくりと深呼吸すると、再び泳ぎ始める。川の流れは私の体を左から右に寄せてゆくが、体力の消耗を避けるために、抵抗はせずに流れに身を任せ進んでゆく。そして、ある程度泳ぐと再び仰向けに横たわる。
何度も何度もこの繰り返しを行うと、川の半分程の地点まで到達していた。体力はそこそこ消耗している。私はその時初めて不安を感じる。進むも引き返すも同じ距離である為、覚悟を決めないとならないからだ。しかし精神的に不安を感じていると体力面にも影響するので、なるたけ頭の中を空にするよう努める。橋の上は、朝の通勤の車が増え始めていた。岸には犬を散歩させる人、ジョギングの人の姿が見える。当然ながら私の存在に気付く人はいないようだ。生きるか死ぬかの勝負をしている人間の周囲の景色はあまりにも日常的であった。
七合目辺りまで進んだ時、私の周囲を無数の魚が飛び跳ねる。岸から見れば何でもない光景だろうが、その時の私にとっては、ひどく恐ろしかった。今まで釣りあげてきた魚たちの怨念が、今彼らのフィールドにいる私を殺そうとしているなどと言う馬鹿な妄想さえ浮かんで来た。私は恐怖と戦いながら、祈るような思いで進んだ。
八合目辺りまで来る頃には、疲労が重なり、休憩するペースがかなり小刻みになっていた。仰向けに横たわり、ゼーゼーと息を吐く。自分に言い聞かす。あと少しだ。どうって事はない。気合いなどいらない。邪魔なだけだ。冷静に淡々とゆけば良い。だが油断はするな。最後の最後まで・・・。
九合目辺りまで来た時、疲労はピークであったが、もう大丈夫と言う安心感が芽生えた。岸まで百米程であり、目と鼻の先に見える。興奮を抑えながら最後の仕上げに入る。少し泳いでは休憩の小刻みな繰り返しで徐々に岸へと近づいてゆく。
岸から二十米位の距離まで来ると泳ぐのを止め、足を下ろしてみる。足が水底につく!私の胸に興奮が沸き起こる!岸までゆっくりと歩いてゆき、ついに岸に辿り着くと、砂地に倒れるように横になる。
しばしの時間が過ぎ、私はようやく起き上がる。その時私はかつてない魂の震えを味わいながら、偉業を成し遂げた事を自覚する。私は天に向かって雄叫びをあげた。それから後に私に沸き起こってきた感情は意外なものであった。自我の中で、己の力だけで生きていると信じてきた馬鹿な私は、家族を初めとした先祖・親戚・友人・知人・恩師など私を取り巻くすべての人たちや、海・山・川・植物・動物などの自然の恵み、人類の作り出した文明・発明など私を生かしてくれているすべてのものへの感謝であった。私はその場に立ち尽くし、限りなく澄み切った空間に浸っていた。




