キズナ様
ネットの片隅に、それはひっそりと書かれていた。
「志望校に合格したいやつ、ギスナ様に頼め。やり方は簡単。信じるやつだけ、来い。」
匿名掲示板に立ったスレッドはすぐに消されたらしい。
だが、まとめサイトにはスクリーンショットが残り、噂は高校生たちの間に広まっていった。
スクリーンショットには、こう書かれていた。
「○○高校の文化祭、旧校舎の空き教室に、ギスナ様がいるらしいよ。」
「願い、叶ったやつもいるって。」
本当にそんなこと、あるわけない。
でも——
私はその夜、スマホを握りしめながら、行くことを決めていた。
――――――
文化祭初日。
賑やかだった校舎のざわめきも、もう遠い。
人気のない旧校舎に、私はひとりで向かっていた。
道案内も、掲示もない。
ただ、配られた「噂のスクショ」には、こうだけ書かれていた。
——『三階、東側いちばん奥の部屋』
鍵は、なぜか開いていた。
ドアを押し開けると、薄暗い室内にぽつんとテーブルが置かれ、その上には白い紙と黒い箱。
昼間とは思えないほどその教室はひんやりと静まり返っていた。
そこにひとりの女の人が立っていた。文化祭のスタッフだろうか。
年齢はわからない。高校生にも見えるし、大人にも見える。
「あっ、来たんだね。」
女の人は、満面の笑みでそう言った。
「ギスナ様、知ってるよね? じゃあ、これ。」
彼女は、私に小さな束を手渡した。
それは……数本の、誰かの髪の毛だった。
「これ、願いを書いた紙と一緒に入れてね。
それから——唱えて。『ギスナ様、よろしくお願いします』って、三回。」
女の人は、にこにこしながら言った。
その目は、どこかうつろだった。
(違う。スクショには、“自分の髪の毛”を使えって——)
私は一瞬だけ迷った。
でも、断ることもできず、渡された髪を受け取った。
テーブルの前に立つと、白い紙とペンが置かれていた。
(願いごと……)
私は、震える手でペンを握った。
——「第一志望、合格できますように。」
書き終えると、女の人にもらった髪の毛を、そっと紙に挟んだ。
黒い箱の蓋をそっと開け、紙を中に入れる。
そして、スクショで見た通り、小声で唱えた。
「……ギスナ様、よろしくお願いします。」
「ギスナ様、よろしくお願いします。」
「ギスナ様、よろしくお願いします。」
言い終えた瞬間、箱の中から、かすかな音が聞こえた気がした。
「おつかれさま。」
女の人はにっこりと笑った。
私はぎこちなく頭を下げ、部屋を出た。
ドアを閉めるとき、ちらりと振り返る。
女の人は、まだ同じ場所でこちらを見ていた。
何かを、じっと待っているかのように。
――――――
文化祭は、そのまま何事もなく終わった。
私は、安堵した気持ちで、帰宅してスマホを開いた。
そして、ふと、まとめサイトを覗いてしまった。
「ギスナ様」のスクリーンショットが更新されていた。
(そんなの、最初は書かれてなかった……)
私は目を疑った。
しかし、スクリーンショットの投稿日時は、私が儀式をした”直後”になっていた。
スマホを握る手が、冷たく震える。
画面の下に、さらに書き込みが続いていた。
——「髪の毛を渡してきた女の人に、もう一度会ったら、終わり。」
私は、慌ててスマホを閉じた。
閉じた瞬間、背後から、ドアノブを回す音が聞こえた。
カチャ。
(まさか、そんな——)
振り返ると、ドアのすき間から、誰かが、こちらを覗いていた。
にこり、と。
あの時と、同じ笑顔で。