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「刑務所部屋」に閉じ込められた6日間

2022年6月30日の夜。僕は急遽「こころの病院」に入院することになった。

かなり古い病院だと聞いていた。僕は頭の中で、まるでお化け屋敷のような、黒く湿った建物を想像していた。でも実際は、とても清潔な病院だった。

僕は、自分の意思で入院する「任意入院」ではなく、「保護入院」という形でやって来た。つまり、本人の同意ではなく、家族(僕の場合、母親)の同意による入院だ。言い方が非常に難しいが、要するに入院“させられる”ということだ。

夏に差し掛かった日の夜で、生温かい空気が肌にまとわりつく感覚…

ここから、僕の1ヶ月間にわたる「こころの病院」での生活が始まった。


~ 1 ~

病院に行くとまず、問診が始まった。症状(どんなことが辛いのか、どういう辛さなのか、など)についていろいろ聞かれ、僕は25年間の自分の人生を遡っていった。

思えば僕は、ずっと前から「辛い」と感じていたはずだった。よく「何が辛いの?」って聞かれるけど、正直自分でもよくわからなかった。ただただ、生きることに対して漠然と辛さを感じていて、いちいち辛いと思ってたらやっていけないから、生存本能として次第に「辛い」という感情に対して鈍感になり、「そっちの方が生きやすいんだから」っていう勘違いをしていたのだ。

心の奥底にしまっていた「辛い」という感情たちを、僕は頑張って引っ張り出した。そして、それを頑張って言語化し、1つずつ丁寧に先生に届けた。50代~60代くらいと見える男性の先生だ。先生は「うんうん」「なるほどね」と言いながら僕の話を聞いていた。

一通り問診を終えて、改めて「うつ病」という診断をされた。当然だ。そして、正式に入院することが決まり、ある個室に入れられることになった。医者は母親に、「もし息子さんが入院中に危険な行動をした場合、ベルトで拘束するので、予めご了承ください」と説明していた。つまりは“強制的自殺防止措置”を取る可能性に言及したということだ。僕は「自分のメンタルの壊れ方って、そこまでのレベルなんだな」と改めて認識させられた。でも、逆に冷静に、「これからしっかり病気と向き合わなきゃいけないな」と思うことができた。



~ 2 ~

30代半ばと見える男性の看護師に連れられて、僕は薄暗く不気味な階段を下っていき、これから入院生活を送る部屋へ移動していった。移動中には、その看護師さんが話し相手になってくれた。

「生きるのが辛いって思うくらい、これまで頑張ってきたってことだよね」

「よく頑張ったね」

看護師から発せられたその言葉たちは、僕の心をじんわりと優しく温めて直してくれた。3年経った今でも、その看護師のことと、そのときの心の温かさは忘れていない。

階段を下ると、食堂らしきスペースを突っ切り、その先は長い長い廊下だった。廊下を歩くと、アパートのようにいくつもの部屋がある。ただ、アパートと違う点が2つあり、1つは、部屋の扉が鉄製でかなり重量感があること。そしてもう1つは、部屋に窓が無くて、代わりに廊下に面する壁一面が、ライトブラウンの太い木の格子になっている。つまり、部屋の中が廊下から丸見えなのだ。

そんな、刑務所と見間違えるような部屋がいくつも並んでいたのだが、そのうちの1つに、僕は閉じ込められた。広さは4畳半ほど。中にあるものは、布団とトイレのみ。部屋の半分ほどはフローリングで、もう半分は畳が敷いてある。まるで、学校の武道場をものすごくコンパクトにしたような感じだ。

スマホは没収され、手持ち品は何も持ち込むことができなかった。スマホを奪われた現代人は、何もできなくなる。外から施錠され、僕はただただ、部屋の中に存在し続けるということしかできなかった。

15分ほど(体感的には1時間ほど)が経って、看護師さんが食事を持って来てくれた。

そういえばこの日、僕は昼ごはんを食べていなかった。10時間以上は何も食べていない。だけど、食欲は皆無だ。

食事のメニューはうろ覚えだが、確かご飯、お茶、ブリの照り焼き、白菜の漬物、油揚げと大根の味噌汁、といった感じだったと思う。正直、彩りが無くて、あまり食欲がそそられる見た目ではなかった。まぁでも、病院食にしては及第点か。

半分くらいは食べられたのだが、それ以上食べる気にはなれず、たくさん残してしまった。

そして、ご飯を飲み込む度に、喉元には痛みが走った。首の外側だけではなく、内側にもダメージを受けていたのだ。



~ 3 ~

ご飯から少し時間が経ち、部屋の明かりが一斉に切られた。どうやら、9時には全部屋を消灯するという決まりらしい。でも、明かりが消されたからといって、気持ちよく寝られるということではない。その日は流石に、ほとんど寝られなかった。

何も無い部屋で、孤独の恐怖と共に過ごす。部屋の真ん中にポツンと座り、「どうしてこうなっちゃったのかなぁ…」って、ずっと考えていた。

色々ありながらも、自分の人生は、表面上は上手く行っていた。大学での成績は良い方だったし、落とした単位は1つもない。友達にも恵まれ、就活もすんなりと進んだ。

きっと他人から見て、僕の人生が不幸なものには見えないはずだ。僕自身も、そう思っていた。自分の人生は上手く行っているって信じていた。いや、そう信じたくて、ずっと表面を取り繕ってきただけなのか…

考えたところで、何も答えは出ない。だけど、夜が明けるまで考え続けるしかなかった。ぐちゃぐちゃになっている感情を整理しようと試みるが、整理の仕方がわからない。だから結局、ぐちゃぐちゃのまま。

25年生きてても、自分の感情との付き合い方がまるでわかっていなかったのだ。こういう、どうにかしたいけどどうにもならないっていう感覚をわかってくれる人って、どこかに居てくれるのかなぁ…



~ 4 ~

朝6時になり、部屋の明かりが灯った。なるほど、この病院は9時消灯で6時起床というルールのようだ。

明かりが灯って30分ほど経ち、看護師が体温を計りに来た。当時は、コロナ禍の真っ只中。患者の体調管理に病院側はかなり神経を使っている様子だった。

体温測定後、僕はまたしばらくの間、部屋の中に放置された。考え過ぎて疲れたのか、この日は悩むというよりも、ボーッとしているような感覚が強かった。

体温測定から朝食が運ばれてくるまで、割と長い時間があった。1時間以上は経っていた。

そのとき僕は少しだけ、空腹感を感じることができていた。病んでいてもお腹は空くものだ。看護師が、朝食の乗ったお盆を、ダンボール製の簡易的なミニテーブルに乗せてくれる。

朝食のメニューは覚えていないが、この日はおかずや味噌汁は完食することができた。しかし、ご飯を食べるとやはり喉が痛む。だから、おかずは食べることができても、ご飯だけは少ししか食べることができない。

食べ終わった朝食を回収しに来た若い男性の看護師に「ご飯食べないんですか?」と聞かれたので、飲み込むときに喉が痛いんだ、ということを伝えた。

「あ、そういうことですね。わかりました」

そのやり取りは、どこか業務的で、冷たい印象もあった。もう少し心のこもった話し方をしてくれても良いんじゃないかな、と感じた。ちなみに、その男性看護師の名前は粟野さんと言う。

だけど、3年経った今、この文章を書きながら振り返ると、粟野さんの話し方は至って普通だ。冷たくなんてない。

それを「冷たいな」と捉えてしまうその感覚こそが、うつ病の培養液となっていたんだと思う。

つまりは、自分で自分のことを大切に思えないので、他人が自分のことを常に大切に扱ってくれないと、自分の存在価値を見いだせなくなってしまうのだ。自分の寂しさを埋める役割を、他人に押し付けておきながら、そんな自分を正当化している…

でも、当時の僕にはそういうことが理解できなかった。



~ 5 ~

朝食後はまた、ボーッとするだけの時間を過ごした。部屋の中から、廊下に掛けてある時計が見えるのだが、時々そこに目を向けても、ほんの僅かの時間しか経過していない。体感的には1時間くらい経ったつもりなのに、実際には10分か15分しか経っていなくて、本当にただただ、ポツンとその部屋に存在しているだけ。今まで体験したことのないような時間の過ごし方だった。

すると突然、白衣を着た30代くらいの男性が部屋に入ってきた。マスクをしている分、凛とした眉毛とキリッとした目が印象的だ。

「山口さん、初めまして。山口さんを担当することになりました、精神科医の田嶋です」

僕はてっきり、最初に病院に来たときに問診してくれたおじさんが担当医なんだと思っていたのだが、違うようだ。そのおじさんは、たまたま夜勤に入っていたから対応してくれただけだった。

「大まかな話は、お母様からうかがっています」

田嶋先生は屈んで、僕に目線を合わせるようにして話し始めた。

「体調はどんなですか?」

「……そうですね……体調ぅ……は、…………良い……と思います」

ここ2週間くらい、つまりうつ症状が重くなってからということだが、僕は頭の回転が極端に悪くなっていた。そのため、話そうと思ったことを言葉にするまでに、通常の倍以上の時間を要した。それでも、そんな僕の話を、田嶋先生は真摯に受け止めてくれた。

「しんどくないですか?」

「……今…は………全然大丈夫です」

「薬は飲まれましたか?」

そういえば、夕食後にいつも飲んでいる抗うつ薬を、昨日は飲んでいなかったような気がする。そりゃそうだ。病院に薬は持ってきていないのだから。

この病院に入院する前、僕は別の精神科にお世話になっていて、そこで処方された薬を毎日飲んでいたのだ。しかし、薬を飲んでいながら、結局病状は悪化していた。

「もし良かったら、薬の種類を変えてみますか?」

「……変えた方が……良いんですか?」

「そうですね、もしかしたら、今飲まれている薬よりも、別の薬の方が山口さんの体に合うかもしれません」

「……じゃぁ……それでお願いします」

うつ病歴が長い人だったら薬に詳しかったりもするのだが、僕はまだ、最初にうつ病と診断されてから1ヶ月も経っていない。薬の知識なんて全く無いから、そこは先生の判断にお任せするしかない。

「ところで山口さん、趣味はあるんですか?」

「……そうですね………家では……カープを観たりしていました」

「あぁ、それは良いですね!野球見るの楽しいですよね」

そんな他愛もない会話を少ししてから、田嶋先生は部屋を出て行った。感じの良さそうな先生で、僕は少し安心した。



~ 6 ~

先生が部屋を出てから30分くらい経ち、今度は男性看護師さんが入ってきた。粟野さんとは別の人だ。

「山口さん、ご飯が食べづらいようなので、おかゆにしてみましょうか?」

なるほど、確かにおかゆの方が食べやすいのは間違いない。その日の昼食から、ご飯をおかゆに変えてもらうことになった。

味のない、素のおかゆ。正直、あまり美味しいものではないのだが、その気づかいがなんか嬉しくて、この病院に来て初めて、完食することができた。喉の痛みも多少だが、軽減された。

でも、決して食事が楽しみ、というわけではない。ただ、生きるために食べているというだけだ。やはり病院食ということだから、当然寿司やステーキなんて出てこない。非常に質素な、体に優しそうな食事ばかりだ。

食事が終わるとまた、部屋の中に放置されているだけの時間がやって来る。1時間か2時間に1度、看護師が見回りに来るのだが、大した話はしない。僕はずっと考え事をし、感情を整理しようと試み、そしてそれに失敗し続けていた。

このときの主な悩み事は、「どうしてこうなったんだろう」ということだった。一体僕はどの段階で人生を間違えてしまったのだろう…そもそも、「生きるのが辛い」って、いつから感じてたんだっけ。

そんなことを漠然と考え、ぐちゃぐちゃの感情の中を浮遊していた。



~ 7 ~

考え事をしているうちに、非常にゆっくりとではあるが時間が過ぎてゆき、廊下の窓の外はすっかり暗くなっていた。

夜になって、考え事の主題が少し変わって、仕事のことを考えるようになっていった。僕はうつ病発症のため、1ヶ月ほど前から休職させてもらっていた。その仕事を続けた方が良いのか、辞めた方が良いのか…

職場自体は好きだ。けれども、仕事内容が自分に合っていないんじゃないか、というのは、薄々感じてはいる。ただし、それが仕事を辞める理由として相応しいものなのか?というのが、よくわからなかった。

仕事内容が合っていないと感じるのは、単に自分のスキル不足が原因で、これから経験値を増やしていってスキルを上げれば、自信がついて仕事が苦にならなくなるんじゃないか、という気もした。なんせ、これまで2年以上、僕はこの仕事を頑張ってきたのだ。ここまで頑張ってきたものを捨てるのは、勿体ないと思う。

だけど、やっぱりこういう状態になってしまった以上、同じ仕事を続けるのはしんどいような気もする。

その両方の正義が、振り子のように揺らいでいた。

辞めた方が良いという方と、辞めなくて良いという方と、1時間のうちにその振り子は何度も心の中で揺れていく。

正直、入院中にその答えを出すことはできなかった。だけど最終的には、元の職場に復帰することになった。振り子が「辞めた方が良い」という方向に100%振り切れるまでは、頑張ってみても良いんじゃないかな、と思った。結局僕は、退院から8ヶ月後に職場復帰し、自分なりに頑張って仕事をし、でもやっぱりしんどくて、振り子が100%「辞めた方が良い」の方に振れたタイミングで、退職を決意した。



~ 8 ~

病院に来て2日経ったが、一向に病院での生活に慣れる気配は無い。なんせ、4畳半の刑務所同然の部屋だ。何も無いこの部屋での過ごし方の正解が、僕にはわからなかった。

それは、3日目も4日目も変わらなかった。ボーッと考え事をしたり、感情の迷路の中を進んでいったり。それしかやることがなかった。

でも、考えているうちにどうでも良くなってきた感もあり、少し心が楽になっていく感覚もあった。背負っている荷物が、次第に軽くなっていった。

ただ、暇の局地に置かれ続けるのはやはり、しんどいものだ。途中、50代くらいのベテランの看護師さんが、「暇じゃろ?これ、読んでおきなよ」と言って、ジャンプを持ってきてくれたりもした。普段は一切、漫画は読まないのだが、暇だし少し読んでみようと思い、ページをめくる。しかし、あれだけ分厚い雑誌の中に、興味を引くようなページはほとんどなかった。唯一、「すごいスマホ」という漫画だけは面白いなぁ、と思った。

ジャンプはすぐに、僕の暇を潰すという任務を果たせなくなり、部屋の置物と化した。結局、今、僕にできることは、ただただその部屋の中に大人しく存在し続けるということだけだった。

心が多少軽くなって、それ自体は良いことなのだが、弊害も出始めた。今まで別のことを考えていたから気がつかなかったのだが、「なんでこんな部屋に入れられなきゃいけないんだ」という理不尽さに目が向いてしまったのだ。

ふと、今までの快適な生活を思い出す。仕事を休職してから実家に帰り、母が作ってくれるご飯を食べて、飼い犬と遊んで、ダラダラとYouTubeを観て…

そんな暮らしが恋しいと思った。戻りたいと思った。

なんでこんな部屋に1人でポツンと座ってなきゃいけないんだろう。これで本当に病気が良くなるんだろうか。いつまでこの部屋で過ごさなきゃいけないのか…

そんな理不尽さに対する、行き場のない怒りのような感情が、どんどんと膨らんでいき、モンスター化していった。

自業自得と言えば、それまでだ。自分が助けを求めず、辛いのを我慢してたから今、こうなってしまっている。だけどやっぱり、どうも納得ができない。

そんなことを考えているところに、見回りの看護師さんがやって来た。宮本さんという、30代くらいの男性看護師だ。なかなか爽やかな見た目で、志尊淳を1ランク下に落としたような顔だ(褒めてるのか貶してるのかわかんないね)。

宮本さんが、体調を聞きに部屋に入ってきたので、少し宮本さんに気持ちを吐き出してみようと思った。

「体調はどんな?」

「…体調は悪くないです」

「何か困ってることある?」

「………えーっと、」

「いいよ、何でも言ってごらん?」

「……帰りたいなぁ」

「うんうん、そうだよね。わかるよ。でも、頑張ろうね。それじゃ!」

そう言って宮本さんはさっさと部屋を出て行ってしまった。その瞬間、「寂しい」という感情が、津波にように押し寄せる。「帰りたい」という言葉だけでは、全然足りない。僕の気持ちの1%くらいしか表すことができていない。だけど宮本さんは、「帰りたい」の一言しか、聞いてくれなかった。見捨てられたような気持ちになった。

本当はもっと、気持ちをぶつけたいと思っていた。でも、頭の回転の悪さに、言葉のボキャブラリーの無さも相まって、僕は「帰りたい」という言葉しか言えなかった。

結局、僕の気持ちをわかってくれる人はいないのだ。精神科の看護師さんでも、そこまでのことは考えてくれていないのだ。

まぁでも、怒ったところで、ここから出られるわけではない。怒る意味もよくわからない。

夜が深まると共に、僕の心の中のモンスターは、他の誰にも出会うことなく、しゅるしゅるしゅる、と自然消滅していった。



~ 9 ~

病院に来て5日目。7月4日の朝も、いつものように看護師が体温を測りに来た。体温は変わらず、平熱のままだ。

でも、この日は体温測定だけで終わらず、いつもと違う話をされた。「山口さん、別の部屋に移ってもらいたいんですけど、良いですか?」という内容だった。

今、僕が入っている部屋は、長い廊下にいくつも並んでいる部屋のうちの1つだが、それぞれ同じような部屋に見えても、実はちゃんと区分けがしてあるらしい。要するに、僕が入っていたのは「最も重い症状の人が入る部屋」だったのだが、それを1段階引き下げて、「やや重い人が入る部屋」に移って欲しいという話だ。特に問題行動もなく、大人しく過ごしていることから、症状が安定していると判断されたようだ。

とはいえ、部屋の作り自体はほとんど変わらない。4畳半の、布団とトイレしかない部屋。ただ、扉の重厚感は多少、和らいだような気もする。まぁ、どっちみち鍵はかけられるのだが…

部屋が変わることで1番変化することは、1日のうちで4~5回ほど、鍵が開き、部屋から外に出してもらえるということだ。今までずっと、刑務所同然の部屋に閉じ込められていた身からすると、かなり嬉しい規制緩和だ。

たちまち、朝食は元々いた部屋で食べたのだが、その後、新しい部屋に移動した。部屋が変わったところで景色は変わらないが、部屋から開放される時間というのが楽しみになってきた。



~ 10 ~

午前10時頃、田嶋先生が問診に訪れた。

「部屋変わって、良かったですね」

「そうですね。嬉しいです」

「体調どんなですか?」

「良いと思います」

「だいぶ会話がスムーズになってきましたね」

確かに、そうかもしれない。言葉につまる場面がだんだんと減ってきた。たぶん、先生が薬を変えてくれたおかげだと思う。先生と話していて、改めて自分の病状が少しずつではあるが、快方に向かっていると感じることができた。

「ではまた」

先生とは、だいたいいつも短い会話で終わるのだが、心の満たされ具合は、看護師と話したときのそれよりも遥かに高かった。もちろん、良い看護師さんもたくさんいる。だけど、やはり看護師は多忙で、夜勤なども多いので、いつも良い人でいることはできないのだろう。

昨晩しゅるしゅるしゅる、と小さくなったモンスターはその後、現れることはなくなり、「早く退院できるように頑張ろう」という気持ちが芽生え、その芽がすくすくと育ち始めた。スマホでSNSを見たりする時間が無い分、考え事ばかりしていたので、無意識のうちに多少は気持ちの整理がつき、徐々に気持ちが落ち着いてきたということか。やはり、SNSを見ていたって良いことはないんだな、と思う。

そうだ、スマホといえば、今頃僕のLINEはどうなっているんだろう。入院前はずっと積極的にSNSの発信をしていた。それが突然、途絶えてしまった状況だ。僕の病気を知っている人からすると、心配過ぎるような状況を作ってしまっている。

早くLINEを見たい。インスタにも、心はともかく、体は元気だっていうことを発信したい。そういう気持ちもこの頃から大きくなりつつあった。



~ 11 ~

ついに解放の時が来た。

「山口さん、食堂でお昼ご飯食べようか」

僕は看護師に連れられて、初めてこの病院に来た日に一瞬だけ通りかかったあの食堂に来た。念願の、部屋の外だ。今までずっと部屋の中で地べたに座っていたから、廊下を歩くという行動だけでももう、嬉しい。

食堂には既に、同じ病棟に入院している患者たちが、15人くらい待機していて、顔見知りらしく、楽しく会話をしている様子だった。僕と同じく、みんな普段は刑務所みたいな部屋に閉じ込められていて、こういうときだけ顔を合わせることができる。

指定された席に座ると、いつもは部屋まで運ばれてくる食事が、この日は食堂のテーブルに置かれていた。今までは布団の敷かれた畳に座ってご飯を食べていたから、椅子に座ってご飯を食べるのも久しぶりだった。

恐らく、周りの人たちは、それなりに入院歴が長い人だったと思う。おじさん、おばさんが主だが、20代、30代と見える若い人もいる。その中に、僕のことを、異物を見るような目で見てる人はいなかった。

みんなは普通のご飯だけど、僕だけおかゆ。そのことに特に疑問を持つような人もいなかった。たぶん、時々こういうこともあるから慣れっこなんだろう。

食堂には、テレビがついていた。高知県で線状降水帯が発生して大雨に見舞われている、というニュースがやっていた。

へぇ、外の世界は今、こうなっているんだ…病院外の情報に触れるも久しぶりだなぁ。

周りの人たちは、そのテレビを見ながら「チャンネル変えようよ〜」とか言って、楽しく会話をしながら食事をしている。

基本、悪い人は居なさそうだな、という印象を持った。しかしこの後、僕はショックを受けてしまった。

というのが、ある中年の女性が突然、箸ではなく手でご飯を食べ始めた。また、別の若い女性は急に立ち上がり、おもむろにダンスをし始める。そんな異様な光景が僕の目の前に広がった。

やはり精神科に入院しているだけのことはある。いろんな人がいるものだ。

この瞬間、僕が正直に思ったのは、「僕はこの人たちと同じなのか…?」ということだった。

何も、障害者差別がしたいというわけではない(いや、もしかしたら、心の奥底にはそういう意識を持ってしまっているのかもしれない)。ただ、自分はうつ病を患っていること以外は「正常」な人間であって、「異常」な行動を取るこの人たちと一緒のくくりに入れられていることに、強烈な違和感を覚えてしまった。

そういうショックを心に受けてしまって、部屋の外に出るのをあんなに楽しみにしていたはずなのに、僕はまた、部屋の中に閉じこもってしまった。夢は一瞬で終わった。




~ 12 ~

15時頃、部屋に看護師がやってきた。

「山口さん、自由時間ですよ〜」

そう言って看護師は、部屋の鍵を開けてくれた。でも僕は、部屋の外には出なかった。外に出る気にならなかった。

それは、ちょっとした怖さを感じていたからだ。人見知りというのもあるし、あの人たちの集団に自分が受け入れられるのか、という不安もあった。そういう不安を感じるくらいなら、1人で部屋に閉じ込められてボーッとしていた方が良いような気がした。

ボーッとしながら、「僕は何故、あの人たちと同じくくりなのか」ということを考えていた。

精神科に入院する人にも、いろんな種類の人がいる。その中には、僕と同じうつ病の人もいるし、その他にも、いろんな種類の病気が存在するということなのだろう。「精神に問題を抱えている」という点では、みんな一緒だ。そしてきっと、「周りからの愛が無いと生きていけない」というのもまた、みんな一緒だ。

ならば、やっぱりあの人たちと共に過ごすということは、受け入れなきゃいけないのだろう。でもやっぱり、僕とあの人たちとは、根本的に何かが違うような気もする…

そうやって考え事をしながらボーッとしていると、先日ジャンプを差し入れてくれたベテランの看護師さんが、何やらまた、荷物を持って部屋の中に入ってきた。

「山口さん、差し入れが来たよ!」

それは、母からの差し入れだった。わざわざ病院まで来てくれたらしい。差し入れの中身は、お菓子類と、ドラえもんの漫画だった。

ドラえもんはめちゃくちゃ嬉しい。ジャンプだと、「男子」が読んで楽しむような漫画ばかりで、人格的に「男子」とは少し違う僕にとっては退屈だったのだが、ドラえもんは、老若男女誰が読んだって楽しい。話が難しくなく、クスッと笑えるようなものが多い。

僕は、部屋にこもってドラえもんを読破した。特に、栗まんじゅうが増殖しすぎて宇宙へ持っていく話が面白かった。あの青いロボットの力は偉大だ。

結局僕は、退院までの約1ヶ月間で、この1冊のドラえもんの漫画を10周くらい読み、その度に心が癒された。



~ 13 ~

ドラえもんに元気をもらった僕は、少しだけ考え方が変わった。部屋に閉じこもっているままでは、何も前進しない。むしろ、退院が遠のいてしまうような気がする。

自由時間もできたとはいえ、まだ1日のうちの大半は、刑務所みたいな部屋に閉じ込められている状況だ。この状況を打破するためにも、部屋から出してもらえる時間は積極的に外に出て、元気な姿をアピールしておこう。

そう考えた僕は、次の日の朝ごはんを、食堂に出て食べることができた。昨日と同じメンバーで、今日は手でご飯を食べる人はいなかったが、踊りの大好きな女の子は昨日と同様、食事中に突然立ち上がって踊り始めた。僕はそれを、昨日よりも精神的に俯瞰して、楽しむような気持ちで見ていた。

食事が終わって部屋に戻ろうとすると、「昨日の夜は来んかったね?」と話しかけてくれる人がいた。40代から50代くらいの男性で、見た目の雰囲気は「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造のようだった。また、唇が分厚くて、それもすごく印象に残った。

「どしたん?具合悪かったん?」

「そういうわけではないんですけど…」

「あぁ、そうなん。じゃあ、良かったな」

そう言うと、その人はさっさと部屋の中に戻っていった。ちょっと強面で、まだその人がいい人なのかどうか見当がつかない。けれども、とりあえず、部屋の外に出て他の患者さんと会話ができたというのは、良いことなんだろうと思う。そのことがちょっぴり、甘味として僕の心の中に残った。



~ 14 ~

部屋に戻ってから1時間半ほどが経ち、看護師が僕の部屋にやってきた。

「山口さん、着替えが届いてるから、確認してもらっても良い?」

そう言って、僕をナースステーションへと連れて行く。そこには、スポーツバッグが置かれていて、中にはTシャツや短パン、下着などが入っていた。そのほとんど新品だったので、恐らく母がユニクロで買ってきてくれたのだろう。

「山口さん、そしたらね、今からお風呂行こうか」

唐突で驚いた。どうやら今から、お風呂に入れるらしい。これは嬉しい。

そういえば僕は、いつからお風呂に入っていないんだろう。入院前日の6月29日が、最後にお風呂に入った日。そして今日が7月5日。ということは、実に6日ぶりのお風呂だ。

刑務所部屋に入れられてからというもの、だんだんと頭が痒くなってきていて、不快だなと思っていた。入院している間、お風呂に入れるのかどうか?ということについての説明は全くされていなかったので、この部屋にいる間はお風呂に入れないんじゃないかと思っていた。

着替えを持ってナースステーションから出ると、他の患者さんたちも部屋から出てきて、お風呂へと向かっていた。その中には、あの喪黒福造も居た。喪黒はまた、僕に話しかけてきた。

「火曜日と金曜日の10時が、お風呂の時間なんよ」

「あ、そうなんですね」

知り合いができると、こうやっていろんな情報を教えてもらえるので、ありがたい。にしても、お風呂週2はちょっと、少なすぎやしないか…?

それはともかく、お風呂には、シャワーが15本ほどあって、真ん中には、人が10人入れるくらいの広さの浴槽があった。

シャワーの前に立って僕は驚いた。鏡に映る僕の首には、僕が生きる苦しみから逃げようとした跡が、くっきりと赤黒く残っていたからだ。

この病院に来てから、自分自身の姿を見たのは、このときが初めてだった。これまでも、洗面台で顔を洗ったり歯を磨いたりということはあったが、そこに鏡は無い。久しぶりに鏡を見て、今、自分はこんな姿になってしまったんだな、と、軽くショックを受けてしまった。確かに、ご飯を飲み込むときに喉が痛むくらいだから、見た目はどうなってるんだろうなぁ、とは思っていた。でも、ここまでくっきりと跡が着いているとは…

もしかしたら一生、この傷跡が残ってしまうのではないかな…そんな不安がよぎった(3年経った今、傷跡はほとんど消えている)。

頭と体をしっかりと洗う。6日ぶりのお風呂とあって、1度洗っただけでは汚れが残っているような気がして、2度全身を洗った。シャンプーをする感覚が、普段の倍は気持ちよく感じた。

そして、浴槽に浸かる。思わず「ふぅ」と声が漏れてしまうくらい、いい湯だった。体の疲れと共に、心の疲れも多少は、このお湯の中に流れ出てくれたような気がする。

お風呂から出ると、そこにはジャンプを持ってきてくれた看護師さんが立っていた。

「山口さん、お風呂、気持ち良かった?」

僕は笑顔で「気持ち良かったです」と答えた。



~ 15 ~

部屋に戻ってから1時間ほど過ごした後、お昼ご飯タイムがやって来て、部屋の鍵が開けられた。

食堂に行くと、また変わらないメンバーが集っている。僕はいつものように、味噌汁とおかずとおかゆを食べる。このところ、食事はちゃんと完食することができている。踊りの大好きな女の子は、このときは大人しく普通にご飯を食べていた。気分がハイのときと、そうでないときがあるということなのか。ここまで、喪黒だけはたまに僕に話しかけてくるのだが、その他の患者たちとの交流はまだない。

僕は食事を済ませ、特に会話をすることもなく、でも少しだけ「人が複数人いる」という空間の楽しさを味わってから、その後味を部屋へ持ち帰る。後味は、部屋に戻った後の孤独をほんの少しだけ、和らげてくれる。

しかし、時間と共に後味は薄くなり、やはり、やることがなくなってきてしまう。

すると突然、ドン、ドン、ドンと、大きな物音が鳴り響いた。

「開けろー!助けてくれー!」

どうやら、僕の隣の部屋のお爺さんが、扉を叩きながら叫んでいるようだ。このお爺さんは、ご飯の時間にも外に出てこない。部屋の中に食事を運んでもらって、1人で食べているらしい。食べているときと寝ているときは大人しいのだが、暇になると時々、こうやって騒ぎ始めることがあるのだ。

「いつまで閉じ込めとるんやー!助けてくれー!」

僕はこのお爺さんを「うるさい」ではなく「可哀想」と捉えていた。

大声を出せるくらい元気があるのは良いことだろう。そして、こんなに大声を出すということには、何か理由があるはずだ。

だから僕は、隣の部屋で騒がれても、それを「迷惑だ」と思うことはなかった。

それにしても、こんなに助けを求めているのに、看護師はいつまで放置しているのだろう。あの爺さん、もうかれこれ20分間くらいずっと騒いでるぞ。

ここでようやく、看護師が爺さんの部屋にやって来たようだ。どうやら、志尊淳似の宮本さんが対応しているらしい。壁で隔てられているので詳しい話は聞こえなかったが、爺さんは宮本さんが部屋に入った途端、大声を出すのをやめ、普通の声で会話をしているようだった。2、3ラリーの会話が続いた後、爺さんは完全に大人しくなり、無事解決ということになったらしい。なんだかんだで、宮本さんもプロの看護師ということか。流石、患者を落ち着かせるのが上手いんだな、と思ったりした。



~ 16 ~

午後3時。この時間になると部屋の鍵が開き、1時間ほどの自由時間がやって来る。自由時間と言えど、やることといえば廊下を散歩することくらいしかないのだが…

そう思っていたところ、この日はどうやら、いつもと違うイベントが行われるらしい。

いつもご飯を食べているスペースに集められた僕たちの前に現れたのは、作業療法士(いわゆるOT)の村山さん。僕と同世代と見える、若い女性の方だった。

その女性は、ラジカセと冊子を持ってやって来た。冊子の中には、アーティスト名と曲名がズラリと並んでいる。

これから行われるイベントというのが、その冊子の中から希望の曲をリクエストすると、ラジカセから音楽を流してくれる、というものだった。Bluetoothで、村山さんのiPodから音楽を転送できる仕組みになっているらしい。週2回ほどこのイベントがあり、みんな楽しみにしているようだった。

まず冊子を手に取ったのは喪黒。「ちょっと、紙貸して」と、リクエスト曲を書き込める仕様になっている紙を取り、何やら曲名を書き込んだようだ。

かかった曲は、鈴木雅之の「違う、そうじゃない」。「違う違う、そうじゃ、そうじゃな〜い」と、喪黒は軽くジェスチャーをつけながら口ずさんでいた。そして、「やっぱり、鈴木雅之が最高だわ」と、満足そうな顔をしている。なるほど、確かにこれはかなり楽しい時間だ。

マーチンが流れている間、今度は50代くらいと見えるおばちゃんが紙を書き込む。おばちゃんがリクエストしたのは、氷川きよしの「ズンドコ節」。やはり氷川きよしのおばちゃん人気は、凄まじいものがある。

「ズン、ズンズンズンドコ」と流れると、そのおばちゃんを含めた数人が「キヨシ!」とコールする。この曲もなかなか楽しいものだ。後でわかるのだが、そのおばちゃんは僕の隣の部屋の住人だった。ドンドンとドアを叩く爺さんとは反対側のお隣さんだ。

続いてのリクエスト曲は、King & Princeの「シンデレラガール」。これは、踊りが好きな女の子のリクエスト曲だ。彼女は、シンデレラガールに合わせて自由気ままに踊りを始めた。周りの人は、楽しそうに見ている人と、特に気に留めていない人が半々といったところか。僕は、「楽しそうに見ている」の方だ。

と、ここで、村上さんが僕に話しかけてきてくれた。

「山口さん、初めまして!村上です」

「あ、よろしくお願いします」

「山口さん、好きな曲とかありますか?よかったら、入れてみてください」

とても明るく、気さくに話しかけてくれて、僕は村上さんに好印象を持った。

しかし、僕の場合、「好きな曲は何か?」と聞かれると、困ってしまう。いろんなジャンルの曲に対して、それぞれの良さがあって良いなぁ、と思うので、曲どうしの比較をしないのだ。だから、特に「好きな曲」というのは存在しない。鈴木雅之も氷川きよしもキンプリも、全部好きである。

そこで僕は、「みんなが盛り上がりそうな曲」というテーマで選曲を始めた。冊子をめくり、サザンやB'z、モーニング娘など、いろいろと人気アーティストの名前を眺めてみる。

少し悩んだ後、僕が選んだのはSMAPの「がんばりましょう」。僕の中では、最も広い世代が一緒になって盛り上がれるアーティストの最適解はSMAPだった。

僕のリクエスト曲が流れると、期待通りに、みんな大いに盛り上がってくれた。

「あ、SMAPだ!」「これって、キムタクがあすなろやってる頃の曲だっけ?」「いや、あすなろより後でしょ?」「この曲の頃ってまだ、森くんがいたよね」

そんな会話が、40~50代を中心に繰り広げられたが、正直、20代の僕には何のこっちゃという感じだ。「がんばりましょう」自体は大好きな曲なのだが、僕が生まれるより前の曲なのだ。当時のSMAP事情なんて、知っているわけがない。

ただ、これが音楽の力というものだ。キンプリやSMAPのようなアイドルに対して、「アイツらかっこいいだけでチヤホヤされている」って、ひねくれた見方をする人も一部にはいるけれど、でもかっこよくてチヤホヤされているお陰で、こういうときにみんなで一緒にキンプリやSMAPを聴いて盛り上がることができるのだ。それは彼らが、アイドルという職業に全力を注いでくれているお陰だ。その努力が、こうやって多くの人の心の栄養となっている。

そういう歌の力を、あまり舐めない方が良いんじゃないかと思う。アイドルをバカにする人は結局、音楽の偉大さをわかっていないということになる。



~ 17 ~

音楽の時間の後は、中庭を散歩させてもらうことができた。村山さんと、看護師2名ほどの付き添いのもと、「音楽イベント会場」に来ていた10名ほどの患者は、中庭へと案内された。

食堂と廊下の中間に「開かずの自動ドア」があったのがずっと気になっていたのだが、そこの鍵が解錠され、自動ドアの先に進む。そこには、中庭への出口があった。

中庭と言っても、建物と建物の間の、そんなに広くはないスペースだ。だが、木や草が生えていて、そこから発せられる新鮮な酸素を肺いっぱいに吸い込むことができる。

何より、「外の空気を吸う」ということ自体、かなり久しぶりのことだった。お日様に当たるのも、非常に気持ちが良く、この草木たちと一緒に光合成ができそうな、そんな気持ちになった。

お風呂に入ったときも思ったが、「風呂に入る」とか「外の空気を吸う」とかって、今までは当たり前にできていたことだけど、実はそれが心の癒しになる大切な行動だったんだな、と気づかされる。当たり前が奪われて、初めてその「当たり前」のありがたさがわかるということだ。

そして、これが「作業療法」というものの一環である。さっきの音楽もそうだが、そうやって少しでも心が豊かになるようなことを、みんなで一緒に共有する。そのことが、確実に病気を良くすることに繋がってくる。

外を歩きながら、他の患者たちと話すことができた。

「お兄ちゃん、名前は?」

「山口です」

話しかけてくれたのは、さっき氷川きよしをリクエストしていた隣のおばちゃんだ。

「あんた、あれだね。大谷翔平に似てるよね?」

「そうですかね?(笑)でも、それはなんか、大谷翔平に申し訳ないです」

すると今度は、いつも突然ダンスをし始めるあの女の子が会話に入ってくる。

「いや、大谷みたいでカッコイイよ?」

「それは良かったです。嬉しいです」

「私、山本。名前似てるね!」

「山本と山口。確かに似てますね」

このとき僕は、初めてこの人たちと会ったときに「僕はこの人たちとは違う」って思ってしまったことを反省した。この人たちは、確かに時々変わった行動を取ることもある。でも、みんな心の病気を抱えて苦しんでいて、だからこそ他人に優しくすることができる人たちだ。決して「異常者」なんかではない。僕たちはみんな、一緒だ。

病名は人それぞれ違うけど、この病院にいる人たちはみんな、気持ちを理解し合える仲間なんだな…

そのことに初めて、気がついた。



~ 18 ~

「もしもし?」

電話の相手は母だ。

この病院に入ってからというもの、外の世界との接触は全く無かったのだが、ナースステーションの隣に緑色の公衆電話が置いてあった。そして、母からの差し入れの中にはテレフォンカードがあり、それを使うと、その公衆電話を使うことができるのだ。

僕は久しぶりに、母と電話で会話をした。電話の内容は正直、全く覚えていない。

ただ、覚えているのは、当時母に対しては「こんなことをしてしまって申し訳ない」という気持ちを持っていた、ということだ。「申し訳ない」という気持ちと、「でも、本当に生きるのがしんどかったんだから、仕方ないよね」という気持ちが半々くらいの割合で存在した。ちなみに今では、「仕方ないよね」の方が9割ほどを占めている。

どうしてこうなってしまったか、ということは、この病院に来てから散々考えてきたわけだが、明確に「これ」という理由は見つからなかった。理由がわかればまだ、対処のしようがあるのだが、何せ自分の辛さを自分で説明できないのだから、それによってどんどんと追い込まれていってしまっていたのだ。

もし、今の自分が当時の自分に会ったら、「考えすぎだよ」「もっと楽に生きていいよ」って言うことはできる。それを言うことは簡単だ。だけど、当時の頑張り屋さんの僕には、そんなことを言われたってできやしない。当時の僕は、人生の逃げ道を見つける方法を知らなかった。

でも、そういう経験があって今がある。だから、当時の自分を今の自分がしっかり肯定してあげないといけない。

僕は今までの人生でたくさんの失敗をしてきた。けれども、無駄なことは1つもない。全てが、その時その時を一生懸命生きてきた結果であり、今の自分を形作っている大切な要素だ。あの苦しみがあったからこそ、今、多少は他人の苦しさをわかってあげられるような人間でいられる。それは、今、「生きていて楽しい」という感覚を自然に持てているからこそ、過去の自分を全部、肯定してあげることができるのだ。

いつかこの「生きていて楽しい」という感覚がわかるまで、長い時間はかかるかもしれないが、同じ病気に今苦しんでいる人たちには、「自ら命を絶つ」という選択をせずに、とにかく生きていて欲しいな、と強く思う。



~ 19 ~

この日の夜ご飯の後、看護師の粟野さんに呼ばれて、ナースステーションへと向かった。最初の頃に会話をして「この人、冷たいな」と感じた、あの若い男性看護師だ。

「このところ、体調はどうですか?」

「だいぶ良くなったと思います」

「最近、食事もしっかり食べられてるよね。飲み込むとき、痛くない?」

「痛みはだいぶ、おさまりました」

「そしたら、ご飯とおかゆの中間くらいのものに変えることもできるんだけど、変えてみる?」

「あ、そうですね。お願いします」

「もしまた食べづらいようなら、気軽に言ってね」

「ありがとうございます」

やはりこの人は、冷たい人ではない。ちゃんと優しさを持った人だ。

これが、うつ病の人の特徴なのだ。相手の言動にちょっとでも「この人は僕のことを大切に思ってくれていないんじゃないか」と思わせる要素があると、「この人は冷たい人なんじゃないか」と疑ってしまいたくなる。自分で自分を癒せない分、他人に自分の心を常に癒して欲しい。その期待が大きすぎるのだ。

そういう期待値を少しずつ下げていけば、もっと世界は優しく見える。それが、生きやすさにも繋がっていくはずだ。

僕はこのやり取り以降、粟野さんに非常に好感を持つようになった。そして、晴れて「おかゆ卒業」ということになった。



~ 20 ~

7月6日。病院で過ごす、6回目の朝。流石に、この刑務所部屋で朝を迎えることにも慣れてきた。

眠りも、最初の頃と比べると格段に深くなった。夜中に2度ほど目が覚めてしまうのだが、これでもこの環境の中に置かれている身としては、落ち着いて寝られている方だと思う。

そんな朝だったが、ここで思わぬ吉報が僕の耳に飛び込んできた。

「山口さん、病状が安定しているみたいなので、大部屋の方に移ってみませんか?」

僕にそう言ってくれたのは、粟野さんだった。粟野さんいわく、「山口さんは、スタッフや他の患者さんとも問題なくコミュニケーションが取れているし、集団生活の方に移っても上手くやっていけると思います」とのこと。大部屋がある方の病棟に行けば、部屋に鍵はかけられない。テレビもいつだって観ることができる。僕は「是非、大部屋に移りたいです」と粟野さんの提案を承諾した。

「では、朝ご飯の後で、部屋に迎えに行くので、一緒に大部屋に行きましょう」

たちまちはこちらの病棟の食堂で、“最後の朝ご飯”を食べないといけない。

「あ、おはよーう!」

山下ちゃんは僕の姿を見つけるや否や、そう言って笑顔で挨拶をした。

「おはよう!」

僕も山下ちゃんに習って、笑顔で挨拶をする。

今日から食事はおかゆではなく、おかゆとご飯の中間の「やわらかご飯」だ。喉が痛まないかな?という不安もあり、恐る恐る飲み込んでみたが、全然平気だった。心の回復と比例するように喉の方も順調に回復しているようだ。

「僕ね、あっちの病棟に移ることになったよ」

「そうなんだ!良かったじゃん!」

「ありがとね」

山下ちゃんとは昨日知り合ったばかりなのだが、何故か、まるで幼なじみのように自然と会話をすることができた。この日の山下ちゃんは、食事中に踊り出すことはなかった。

食事を終えて、しばらく部屋の中で待機していると、粟野さんが迎えに来てくれた。

「では、行きましょう」

そう言うと粟野さんは僕を連れて、「開かずの自動ドア」を開き、中庭への出口も通り過ぎ、さらにその先の、大部屋がある方の病棟へと僕を通した。

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