エルフ、自らを釜茹での刑に処す
ついにわたしは釜茹での刑に処されようと、グツグツと油の煮たった黒光りな大釜の前で跪いていた。
あぁ、胡麻油のこんがり焼けた匂いがたまらない。
わたしはこれからこの香ばしい油で身体中を揚げられるのだ。
そしてこの何百年もわたしを苦しませた超低体温という忌まわしき体質に別れを告げる。
さらば、我が半生の宿痾の病。
「本当にこんがりとヤっちゃうケド、後悔しない? おじょーちゃん、エルフだから死なないと思うけど、絶ぇっ対痛いよ」
天ぷら屋の主人が脅しをかけてくる。
わたしの決断を覆したいのだろう。
まぁ、人というかエルフを焼きたくて料理人になったワケじゃないだろうし、気持ちはわかるけど。
わたしだって人間を焼き殺したくないし。
というか十万イェン貰ったからってよくエルフを釜茹でにする役を引き受けてくれたな。
ありがたいよ。
……生活厳しいんだろうか。
しばらく通おうカナ。
ハードな仕事、引き受けてくれたし。
「おじょーちゃん、ぼぉ~としてるけど、本当に大丈夫かい。おじょーちゃんの、その、超低体温の話は聞いたけどさ。大変だとは思うけどさ。釜茹でになる必要はねェんじゃないかな。熱くて痛い思いするだけだと思うんだが」
おっと、物思いに耽りすぎたようだ。
「心配してくれてありがとうございます。でもわたしは頑丈な身体をしているので、大丈夫ですよ。問題ありません。モーマンタイ、です」
「わかったよ。じゃあ、一思いにいくからな。死んじゃっても恨まないでくれよな。サン、ニィ──」
「わたしはエルフ、死にゃあしません。いざ、新たなる境地へ」
「イチ、ゼロ。おらァ」
おわ、一瞬でわたしの華奢な身体が天ぷら屋の頭上に。
軽々と持ち上げられた。
さすが料理人、鍛えられている。
そして思い切り釜に向かって。
ドッッボォォォン。
「ごばぁ、ゴホッゴホッ」
叩き付けられた。
まずっ、呑み込んじゃった。
気管が燃える。
「ゼェ、ゼェ。ハッハッ」
痛い。
熱い。
痛いって。
喉が裂ける。
苦しい。
「言わんこっちゃねぇ、早く掴まれっ」
目が見えない。
皮膚がおかしくなってる。
なにも感じないよ。
なにもわかんないよぉ。
「ぅおらぁぁぁッ」
うっ、わかんないけど腹まわりになにか噛みついてる?
引っ張られてるの。
ワニ、ワニなの。
美味しくないよ。
食べないでっ。
「ヴゥゥバァァ、ヴゥゥバァァ、すぅぅはぁぁ。はぁはぁ」
「うぉっ、真っ白に茹で揚がってたのに。もう薄ピンクの肌になってやがる。やっぱり、エルフはすげェなぁ」
銀色のなにかが腹に食いついてる……
これは鉄のワニ……
いやトングか。
わたし、揚げ物と同じ扱いかぁ。
「へへへ、スゴいもんでしょう。わたしたちは大自然の魔力が肉を持ったモノですからね。ココロが無事ならいくらでも再生できるんです。一瞬でチリにならなきゃですけど」
ふぅ、なんとか意識がはっきりしてきた。
うぉ、浴衣が肌に癒着しとる。
「へぇ、ならなんで自ら釜茹でになんてなろうとしたんだい。身体が再生するなら超低体温も直らないんじゃねぇか。仮に体質が変わったところで元に戻っちまうだろうし」
おっ、なかなか鋭い。
「ふふっ、わたしたちは、わたしたちが心の底で思っている本来の姿に戻ろうとするんです。ですからね、わたしはその心の奥底に無意識的に存在しているわたしのアーキタイプを変化させようと思ったんです」
「変化? 釜茹でにされることで? 一体どういうことなんだい」
「そう、昔は催眠術によってわたしを変えようと思っていたんですけど、わたしぜーんぜん催眠術にかからなかったんです。なんというか、人に心を開くことがニガテなんですね。ですからショック療法を試すことにしたんです。誰かに胸襟を開かなくていいですし」
「だからってなにも、沸騰する油のなかに入らんでも」
「いえ、一度で確実に決めたかったんですよ。……わたしは最高のショック、それは死だと思うんです。ですから釜茹でを選んだ。死に限りなく近い高熱で身を焼かれる。それによってわたしという存在が強い熱を持っているのだとわたしの深層心理に思い込ませる。そんな作戦だったんですけど」
なんだか肌寒くなってきている気がする。
あんな思いしたのにさぁ。
パリパリ。
うぅ、身体を動かすと浴衣が皮膚ごと剥がれていく。
痛いよぉ。
大釜の方に行きたいのに。
「おじょーちゃん、その表情は、その、駄目だったのかい」
あー、半泣きになってるか、わたし。くやしいなぁ。
「ヒック。あ゛ぁ、大丈夫でず。一発でうまぐいぐと思っでないですし」
鼻声だ。
みっともないな。
「あー、もう店開く時間だわ。俺そろそろカウンター行くわな。ほら、うちはお客さんの前で天ぷらを揚げる店だからよ。後で俺がここを片付けとくからさ。あー、なんだ、帰るときは裏口からよろしくな」
気ぃ使わせちゃったな。
あぁ、極寒の地より産まれた魔性であるのに我が身の寒さに堪えられぬこの不出来な身体が憎い。
いったい天はなぜわたしをこのような身体に創りたもうたのですか。
天は意思を持っておられぬ薄情なお方であるから、こんなことを思っても仕方がないのだけれど。
「はぁ、帰るか」
裏口に向かう。
ふふっ、日陰であるドアノブよりもわたしの手の方が冷たいな。
思わず苦笑を浮かべてしまう。
前より酷くなっているような。
熱い釜に入ったことで反って身体が冷たくなったとか……
「暖けぇなぁ」
初夏の日差しが暖かい。
きっとわたしが超低体温という体質を失ったらこの温もりは感じなくなるのだろう。
そんなことを思うと、ほんの少しだけこの暖かさを失ってしまうことにわたしは名残惜しさを感じるのだ。