クーラーになったエルフ
大抵エルフという高貴で美しい種族にはそれに格の見合みあった職業というものが存在するものだ。
このわたしにも勿論ある。
風流人たちが年々暑くなる夏を乗り越える手助けをすることである。
彼らがその贅を凝らしたお屋敷で快適に過ごせるように部屋を冷やす。
率直にいうとクーラーである。
万物の長であるエルフが人に使われるなど何事かとお叱りを受けることもしばしばある。
だが雪山生まれの雪ん子エルフであるのに寒さに弱いわたしにはこの程度が限度なのである。
悔しいけども。
まぁ、冷気を操り一瞬で魔物を凍らせるなんて芸当も出来なくはない。
でも氷点下を下回る冷気を操ると身体中が悴むわ、頭はズキズキ痛むわで余程のことがない限りしたくはないなぁ。
涼しい風をチロチロ垂れ流すだけが精一杯です。
そんなことを考えていたら、もう風流人センセのお屋敷前だ。
あー、イヤだなぁ。
でもこの体質を克服するため天ぷら屋に釜茹での準備をして貰うのに十万イェン、自宅のヒノキ風呂や竈の燃料代に月ウン十万イェン。
稼がなくっちゃな。
熱を吸収する裏起毛の漆黒ローブ、しっかりわたしを守ってくれよ。
「それじゃあ、お仕事始めますか」
リンゴーン。
熱々の呼び鈴。
あぁ、真夏の厳しい直射日光がわたしを焼いている。
石畳の道路も負けじと熱を放っている。
気持ちいいなぁ。
こんな時間が続けばなぁ。はぁ。
「エメルチュさん、ずっとお待ちしておりましたのよ。さぁお上がりになって」
カラカラと開いたドアの先に、見目麗しい雪女が佇んでいる。
「お久し振りです、アサツユさん。おじゃましまーす」
相変わらず綺麗な人だな。
肩までかかる黒髪は艶やかで、白磁のごとき素肌はなめらかで。
シュッとした輪郭と涼しげな瞳。
純白の着物はアサツユさんが着ているだけで銀色に光輝いているように見える。
ホント、素敵な方だな。
距離を感じさせない振る舞いもチャーミングだ。
「ふふふ、わたくしったら雪女ですのに。もうすっかり力が使えなくなってしまって。このところの暑さには参ってしまいますわ。エメルチュさんだけがわたくしの頼りですわ」
「アサツユさんに頼りにされるなんて…… 光栄です。このエメルチュ、アサツユさんに満足していただけるように誠心誠意でお部屋を冷まさせてもらいます」
リップサービス、リップサービス。
アサツユさんのことは嫌いではないけれど、寒いのは嫌いです。
ホントに。
「それじゃあ、お部屋の方よろしくお願いしますわね」
すっごい長い通路だったな。
やっと部屋に着いた。
床には畳が敷いてあって、壁は木で出来ている。
窓は内障子が嵌め込まれていて、生暖かい風が隙間から漏れている。
チリンと風鈴が鳴った。
こういうのが風流っていうのかな。
わたしにはわからないけど。
落ち着く空間で嫌いじゃない。
「りょーかいです。エメルチュ、冷房業務を始めます」
全身の毛穴や汗腺から冷気を放出する。
そんな自分をイメージする。
わたしはドライアイス。
身体中から凍える蒸気を立ち上らせる。
わたしはドライアイス。
あぁ、身体が冷えてきた。
辛いなぁ。
「わたくしが東の果ての瑞穂の国からここに来て、もう何百年にもなりますわね。同志たちと来たときはまだこの辺りには人っ子一人おりませんでしたのに。シアムも随分と賑やかになったものですわ」
「アサツユ──」
「仕事中は私語は慎むものですわ。それに今のエメルチュさんは冷房装置、わたくしになくてはならない親愛なる家具ですもの。家具が喋るなんてそんな話聞いたことありませんわ」
「うぇ」
えぇ、自分から語りかけてきておいて。
理不尽ですよ。
わたしに一体どうしろというのですか。
なんて本人には言えないけれど。
わたしは飽くまでも冷房装置、ただのモノであってアサツユさんは独り言を言っている、という体なのかな。
今日はそういう趣向なのね。
それならわたしは黒いローブを纏った魔法使いのオブジェ。
身体中から冷たい風を発する謎の置物。
「ふふふ、家具に話しかけるなんてわたくしも疲れているのかしら」
なぜかアサツユさんはニヤリと笑いながら近づいてくる。
おわっ、抱きついてくるなんて何事ですか、アサツユさん。
「この家具は本当に子猫さんみたいな顔をして、ちぃちゃくって可愛いわねぇ」
み、耳元でぇ……。
わたしの長耳ぃ、ピクピクするなぁ。
うぅ、肩甲骨の間から背中にかけて撫でられている。
ゾクゾクするぅ。
アサツユさんの手は冷たいのに、不思議と不快じゃない。
なんだか落ち着いて、リラックス出来て。
でも恥ずかしいよ。
「冷たくて心地良いですわ。いまはもう冷気を意のままに踊らせることなんてできませんけれども。わたくしも若い頃はもうあの銀の世界で縦横無尽に冷やし、凍らし、毎日悩みなんかなくって」
表情は変わらないけれど、何十年もお世話になっているからかな。
わたしにも考えていることがわかる気がする。
故郷のことを思い出しているんだよね。
……あってるよね、たぶん。
わたしも寒さに我慢ができなくなって、南に移住してから何十年も経っているから。
ときたま、ふるさとのことを思い出して、なんだか寂しいような悲しいような。
そんな気分に襲われることもある。
アサツユさんの故郷はここ、南方の交易都市であるシアムよりもずっと寒い地域なのだろう。
無表情だけれど寂しげなアサツユさんを見ていると一肌脱いでみたくなる。
全力でこの部屋を冷ます。
極寒の地にする。
アサツユさんの気を少しでも紛らわせたい。
わたしは氷嵐。
肌という肌からから突風と粉雪を巻き起こす。
ゴォォォと爆音が鳴り響く。
ミシミシと部屋が悲鳴をあげる。
パリィンと風鈴が砕け散った。
身体の感覚は鈍くなっているのに頭は万力と絞られているように痛い。
ジクジクとする。
痛いよ。
いつの間にかアサツユさんはわたしの身体から離れていた。
息苦しい。
もしかして、吹っ飛ばしちゃった?
「あはは、あはははは。そう、これですわっ! わたくしは竜巻となって狐や狸や湖を、男前な二枚目も、ひょうきんな三枚目も、みんな氷像にして──」
ぼんやりとアサツユさんが笑って躍り狂っている姿が見える。
でも涙声になっているような。
なんだか頭の痛みも薄れてきた。
いまはただただ眠い。
すこしだけ休もう。
黒いローブを抱き締めて。