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オリジナル短編集

義務に囚われた男

作者: のなめ

カタカタとキーボードを叩く音とともに、彼は死んだような目をしながらPCの画面を眺めていた。周りを横目で見ると、同じく彼のように忙しなくキーボートを叩きながら、取引先に宛てた文章を書いている者、それからどこかに気を遣った口調で電話している者などが目に入る。


「はぁ......疲れた。早く帰りてー」


彼は時計を見て、その時間の進む遅さにため息をつく。


いつもと変わらない光景。もはやこの一連の流れはルーティーンと言っても過言ではない。


そんな彼は、比較的裕福で、とても教育熱心な両親のもとに生まれた。そのため、幼い頃から塾に通わされ、日々遊ぶ暇もなく黙々と参考書を机に置き問題集を解いていた。だがそのおかげもあり、そこそこ良い学歴を手に入れ、最大手とは言えないがそれでも大手の企業に就職することは出来た。幼い頃から遊ばずに我慢して勉強をしてきたからこそ、その苦労が実を結び、人生安泰のレールに乗ることが出来たのである。教育の成果が見事に現れたこの状況に、両親としても自慢の息子になったことだろう。


だが、そんな彼の心はいつも空虚なものだった。今まで自分の気持ちを押し殺して生きてきたのだから、無理もないだろう。他人に自分の人生を話せば称賛され、尊敬されることもあった。確かにその瞬間だけは少し嬉しい。しかし、時間が経てばそんな気持ちも忘れ、再び空虚が心を支配する。所詮、彼にとって嬉しさや楽しさは一時の感情にすぎず、暗い感情を抱いている時が殆どであった。


それからようやく定時になり、彼は特に人と話すこともなく会社を後にする。電車内では、いつも見ている配信者のアーカイブを見ることにした。そうしてしばらく見ているうちにほんのりと眠くなってきた彼は、続きは目を瞑りラジオ感覚で聞こうかと考えた。だが丁度その時、画面に流れてきたとあるコメントが目に入る。


『なんか最近、義務で配信してない?』


それに続き、


『確かに』『笑ってる時も無理して笑ってるように感じる』『金の力ってエグいな』


といったコメントも流れてくる。


確かに、最近のことだがこの配信者には何となく初期の頃に比べて笑顔が自然じゃなくなったというか、無理して笑っているように感じることも少なくない。それはコメントを見る限り、自分だけではなかったようだ。


「義務......か」


彼はその言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。それはおそらく、この配信者以上に彼自身、日々義務感に駆られながら生きてきたからかもしれない。そして同時に、この義務感をいい加減手放したい気持ちが湧き上がってきた。


「俺もなんかやってみようかな」


そう思った彼は、やっていて一番楽しそうと思える、時間のある時にのんびり酒でも飲みながら雑談やゲームをする、といった内容の配信を何となく始めてみることにした。思えばこれが初めて、彼が前向きに自分の意思で何かを決め、行動した瞬間だったのかもしれない。


それから半年から一年ほどが経過した。最初の頃はそれこそ同接数人からスタートし、多い時で10人行けば万々歳のような状態だった。だが今まで殻に閉じこもっていた分、一気に自分を外に出した反動と、常に会話の中心に自分がいるという特別感がそれに加えられ、自分でも考えられない程舌が回っていたらしい。そして自分の今までの生い立ちや経験を話せば、私もそうだったと言う人が現れ、自然と今までに感じていた孤独感が浄化されていった。それからは度々色々な配信者が声を掛けてくれるようになり、気付いた時には同接が1000人近くになっていた。ただ酒を飲みながらだべったりゲームをしているだけで、これ程の人数が見に来てくれるなんて、始めた頃は想像も出来なかっただろう。


コメントには、


『ありのままを見せてくれるからいい』『本人が楽しそうだと見ててこっちも楽しくなる』『何故か分からないけどこの人の配信は見てしまう』


など、彼の内面を気に入ってくれた人たちが多い印象を受けた。


「いや~、良いなぁこれ。出来れば一生やっていたい......」


いつしか彼の心は空虚ではなくなっていた。それどころか色づき、温かさに包まれていた。


そんなある日、彼の元に初めて企業からの案件が届いた。その内容はうちのゲームを宣伝して欲しいといったもので、その報酬額はかなりのものだった。彼は喜んで承諾し、そのゲームを宣伝することにした。


初めての案件は視聴者にも企業にも好評だったようで、今度はこれ、今度はこれと次々に案件が来るようになった。そして案件をこなす度に視聴率も上がり、彼の人気はうなぎ登りになっていった。


それから更に1年後。彼は無事仕事を辞め、好きなことをして生きるという夢みたいな生活を送っていた。


しかし――そんな彼は此処の所、配信を始めた頃には想像すらしなかった憂鬱な気持ちに苛まれていたのだ。


彼はいつの日か自分が電車内で見ていた配信で、こんなコメントが流れてきた事を思い出す。


『なんか最近、義務で配信してない?』


そう、彼はここに来て、配信することに義務感を覚えてしまっていたのだ。それは何故か。今までは会社に勤めながら配信をして小銭を稼いでいたため、行っても趣味の延長だった。そして、今は企業からの案件や視聴者が増え、仕事を辞めても生活が出来るようになり、仕事を辞めた。ただでさえ仕事が嫌なのに、それなしでも食べていけるのなら無理して続ける意味もないだろう。しかし、どうやらそれが良くなかったらしい。結局仕事を辞めて配信で食べていくのであれば、前みたいに趣味の延長でやるだけでは食べていけない。もっと配信をしなければ。もっと案件をこなさなければ。そういった感情が芽生え、気付いた時には再び義務感に追われる毎日を送っていたというわけだ。


「ようやく義務でやってた仕事を辞めれたと思ったのに、これじゃ結局また同じじゃねーかよ......」


思えば、本当に心の底から幸せだと思えたのは配信を始めた頃だった。あの時程自分のやりたいことをやりたいように自分にやらせていた時期は無いだろう。まさに、配信を純粋に楽しんでいた。しかし、今ではその頃に抱いていた幸せな感情も忘れかかっている。


せっかく生活や周りの環境は大きく変わったのに、何故会社員時代のような生き方から抜け出せないのか。それは、肝心の彼自身が何も変わっていないからである。


しかし当の彼はそれには全く気付かず、こうなってしまった自分の運命を恨みながら今日も義務に追われるのだった――。










                                              

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