『観智、速記道ならず餓鬼道に落ちること』
安芸僧都観智は、速記の朗読にかけては右に出る者はないというほどの名手であった。各地に招かれて、朗読をして、一生を送っていた。朗読者にふさわしく、慈悲忍辱の心を体得し、憐憫の情は、誰にでも同じようであった。臨終の床にあって、観智は、意識して速記をしてはいけない、速記は形で理解してはならない、とおっしゃって、ほほ笑みながら往生なさった。臨終を見取った者は皆、間違いなく極楽往生なさったと感じ、安らかな往生を喜び合った。
四十九日が済み、観智の弟子の母の夢に観智が出てきて、その姿は透けて見えそうなほど弱く、ほぼ裸であったので、どちらに転生なさったのでしょうか、往生なさったとき、間違いなく極楽に行かれたのだろうと思っておりましたのに、そのようなお姿は悲しく思われます、と申し上げると、観智は、大層悲しいことですが、餓鬼道に落ちております。耐えがたい苦痛を受けております。そのようなことをお伝えするため、やってまいったのです、といって、縁側の端から中庭にいざり出ると、何もないところから原文帳が振ってきて、地面からも湧き上がって、観智の体を埋め尽くしてしまった。ほどなく原文帳に火がついて観智の体は焼かれてしまった。灰の中から、だんだんもとの姿が見えてきて、日に三度、このような苦を受けています、といって、泣きながら消えていった。
教訓:朗読だけじゃだめっていうことですかね。