神様と努力の物語
僕は神様だ。
現代社会において、他の人間たちと同じように肉体を得て、娯楽を享受し、時に神様らしく三大欲求を無視しながら生きる神様だ。
でも、そんな僕にも悩みはある。
神様であろうとも、人混みの中に溶け込んで、娯楽を求めてのらりくらりと歩いている以上、属する世界のルールに縛られることになる。
お金、行き先、楽しみ方。
いくら食事を取らずに歩き続けられたとしても、疲れることを知らない身体だったとしても、無い袖を振るうことができないのは自明の理。
「あーあ、おサイフが空っぽだぁ……。スマホの電池も切れたから、入れといた電子マネーも使えないし。はぁ、つまーんなーいの」
人通りの少ない、夜の路地でひとりつぶやく。
簡単に言えば、僕は金欠だった。
けれども、この生き方を何十年何百年も続けていた僕には、もはや日常茶飯事の出来事にも近かった。
それがゆえに、次の行動は決まっている。
「ねぇ、そこのおにーさん。僕を、養ってくれない?」
僕は、たまたま通りすがった若い男の人に声をかけた。
◆
僕は神様だ。
けど、他人から僕を見た時、その人の目には僕のことが小中学生ほどの男の子に見える。
これは別に元からそうだったとか、そう見えなきゃならない理由とかがあるわけじゃなくて、ただ僕がその姿を取っていたいからなだけ。
言ってしまえば、僕の趣味嗜好。それでしかない。
では、ここで問題だ。
街灯の明かりもわずかしかない、薄気味悪いとも言える路地の真ん中で、たったひとりたたずんでいた小さな男の子から「養ってくれ」と突然声をかけられた者の反応は、一体どうなるだろうか?
答えは、目の前で起きる状況から導き出してもらおうと思う。
「えっと……、迷子、かな? ちょっと行った先に交番があるから、一緒に……行く?」
若い男性は、周囲に一度、二度と視線を向けると、その言葉が自分に向けられていることを理解して、困惑した様子ながらも優しく僕の身を案じるように言葉を返してきた。
まぁ、困惑するのも無理はない。
今までだって、ある者はドッキリを疑い、ある者は挙動不審を隠せず、ある者は僕を危害を加えようとした。
この状況に対して、冷静に対処しようとして解決策を提示してきただけ、まだマシということだ。
ただ、この返しすらも僕にとってはやはり日常茶飯事。
「迷子じゃなくて、僕は神様。しばらく養ってくれるだけでいいんだ。もちろん、それ相応の対価はするつもりだからさ」
十秒、二十秒。
彼の動きが停止する。
慣れたこととはいえ、何度も何度も説明するのはくたびれる。
それに、この言葉を言ったところで、次に待っているのは困り果てた姿、あるいは動揺を隠し切れぬその動作、あるいは――。
「あっ、んん……その、お母さんとか、お父さんとか、いるのかな? 連絡先とか……覚えてる?」
変に暴言でも吐かれないだけいっか、と僕はひとりで安堵する。
今回はそこそこ当たりかもしれない、なんてことを思いつつ、先の質問に対しての返答となる行動を考える。
僕は知っている。
どの道、ここで言語を用いたやりとりを繰り返したところで、状態は好転しない。
だというのならば、それを使わずに相手に意図などを伝えればいい。
片や顔を見上げてにっこりと微笑みを見せる子供と、片や中腰で苦笑いを引っ込められない大人が視線を絡ませてしばしの時。
返答として音を発したのは、少年の口ではなく、男性のポケットに入れられた携帯端末の電子音だった。
流れる微妙な空気感の中で、切り裂くように鳴り続けるその音は、紛れもなくその男の人に対して誰かが呼びかけを行っている合図に他ならなかった。
「出なくていいの?」
見透かしたように言う僕の一言にハッとしたのか、彼は急いで電話を取った。
話の内容は僕の耳には届かなかった。
しかし、そのやり取りが生み出す結末を、僕は分かっている。
数回ほど小さくはいと相づちを打っていた彼だったが、やがて一言「本当ですか」と声を荒げて顔を上げた。
そのすぐ後に電話を切り、ポケットに再度しまいこむ彼に向けて、僕は得意気な表情をした。
「良かったね。それが努力の結果だよ」
結果から言えば、僕の『養ってほしい』という願いは、受け入れられたのだった。
◇
僕は神様だ。
今はとある男性のもとで、お金を受け取っては娯楽のために色々な場所へと出向く生活をしている。
そして僕は、受け取るお金の対価として、恩返しとでも、慈善活動とでも、はたまた人生のお手伝いとでも言えることを、先の男の人にしている。
あの時かかってきた電話は、なんでも就職活動でしていた努力が実を結んだ結果によるものなんだそうだ。
『どう? 僕が神様だってこと、信じてくれた? でも、これはあくまで僕を養ってくれた場合の対価。それに覚えておいて。僕は、努力で得られるはずだった対価を“ほんの少しだけ”豪華にすることしかできないから」
何十年も前に、夜の道で言ったことを頭の中で思い返す。
そう宣言したことを、今もしているだけに過ぎない。
あくまでこれは取引。僕が娯楽で楽しみを得ることを続けたいがためだけに行う、僕のエゴによる行動。
人間にとってはそれなりに長い時間が経った現在で、中年期も中頃にさしかかった『彼』を見て、娯楽の一つとする。
その彼はあれからも努力を重ね、その対価を僕がかさ増しすることで、最終的には成功した人物の一人と言っても差し支えないほどに大成した。
生活も一変し、過去質素の極みのような暮らしをしていた面影はどこにもなく、まるでメディアで伝えられるセレブのごとく金品に溢れ囲まれた身過ぎの人間がそこにはいた。
人間も、手を貸したとはいえ頑張ればこれほどにまで変わるのか、とある種のしみじみとした感情を抱きながらも僕はその日を過ごす。
が、またある時。
彼に転機が訪れた。
世界の経済で大きな恐慌が起こり、彼の勤めていた会社が不況のあおりを受けた。
もちろん彼がその影響を回避できるはずもなく、そして僕の“ほんの少しだけ”豪華な努力の成果では太刀打ちできるはずもなく、彼は職を失った。
それからしばらくして、彼はとても荒んだ人物となって日々を過ごしていた。
貯金はすでに底をつき、それでもなお続く対価として僕にお金を渡し続ける日が来る。
裕福で、当時豪勢な暮らしをしていた人物とは思えないほどに落ちぶれてしまっていた。
「駄目だ……駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ! どこも……どんなところも俺を受け入れてはくれない。このままじゃ、生活さえも成り立たなくなる!」
山のように積まれた不採用の通知書の前でたった一人、嘆いては頭を抱えてうずくまる人がいた。
若い頃に逆戻りしたかのような殺風景な部屋で、歳だけが逆戻りできなかった人が存在するその光景は、凋落の二文字がとてもよく似合っていた。
「ねー。今月分まーだー? 僕ー、そろそろ待ってられないんですけどー」
そんなのは知ったことじゃない、と意思表示するかのように僕は気だるげに投げかける。
しかしながら、当の本人は耳には入っていない様子で反応を返してくれることはなかった。
「ねー、ねー。僕今月ぴーんーちー。聞いてるのー?」
「うるさい、黙れ……! 元はと言えばお前のせいだろうが……! 俺は努力している。しているのに! お前が働いてくれないから、俺は手に職をつけることだってできないんだぞ!?」
僕が最新型のスマートフォンを充電しつついじっては文句を垂れていると、何度目か同じ言葉を言った辺りで猛烈に食いかかってきた。
が、僕はその様子に動じることなく、視線だけを画面から外す。
そんな様子を続けていると、業を煮やしたのが彼が胸ぐらを掴んで凄んできた。
「おい、聞いてんのかよ!? さっさとテメェも仕事しやがれ! 対価、払ってくれよ!」
よく見たら、髪の毛若干薄いなぁ。
近づいてきた彼に対してそんなことを思っていたら、身体を持ち上げられた衝撃で端末を落としてしまった。
拾おうにも体格差によって手が届かない。というよりも、状況的に拾わせてくれそうにもない。
――仕方ない。もうおしまいか……。
そう思った僕は、腕に見た目よりも遥かに強い力を込めて、その手を振り払って突き飛ばした。
「はぁ。勘違い、しないでもらえる? 僕はずっと言ってたよね? 努力の結果を“ほんの少しだけ”豪華にするって」
「その不採用だって、面接まで残ったじゃん。今の自分の顔、見てみなよ。そんな冴えない顔してさ、本来なら書類選考で落とされるってこと、分かんない?」
急な抵抗に遭って、呆気にとられる彼に対して言い放つ。
そんな彼をどこ吹く風のように捉えて、僕は更に二の句を継いだ。
「俺は努力してる、ねぇ? 努力ってさぁ、散財することじゃないよね。僕、ずっと見てきたんだよ?」
「必死に勉強して、必死に仕事して、それで掴んだ重役の立場。あの頃のことは努力と言ってもいいけどさ、その後は立場にずーっと甘えてただけじゃん」
僕が見つめる者の顔に、先ほどまでの怒気も威勢ももう残ってはいない。
「お金、もうくれないんだね?」
確認の文言に返答はない。
うなだれるしかできない相手に対して、僕は最後の一言を言い放った。
「ばいばい。これからも『努力』、しなよ?」
落ちたスマートフォンを拾い上げ、雑にポケットに突っ込む。
その場から立ち去る僕に彼は何か言ったようだったけど、特に気にはならなかった。
☆
僕は神様だ。
少し前まで、他人に相互援助しつつ娯楽に勤しんでいた、そこだけ切り取ってみれば他の人間と大差ないようなただの神様だ。
ただ、今はちょっと悩みを抱えている。
いくら神様とも言えど、そんな生活を続けていれば、いつかは困ってしまう日がやってくる。
神様であるがゆえに、睡眠とか、食事とか、人間にとってはなくてはならない要素を無視できたとしても、どうしても避けられない問題はあるもの。
「はー……。あー、充電器持ってくんの忘れたー。ちぇっ、お金もそろそろ無くなりそうだしなぁ。んんん……、どうしよっかなぁ……」
人の気配がまるでない、夜道の真ん中でボソッとつぶやく。
率直に言えば、僕は金欠だった。
そうやってひとり物思いにふけっていると、路地の向こうから一人、若い男の人が歩いてきた。
どうやら、すっかり日が落ちてしまった道を帰路として急いでいるようだった。
「これはこれは、いーや。これこそ、日常茶飯事ってやつだね?」
僕は軽く息を吐ききり、口角を上げる。
男の人が近づいてくる。
それに対して、僕が次にやることは決まっていた。
男の人が目の前に来たところで、僕は口を開いた。
「ねぇ、そこのおにーさん。僕を、養ってくれない?」