6話
どれほどの時間が経ったであろうか。
目を覚ましたところで、光の一つも入ってこないこの地下牢では、それが分かることはない。
それでも僕は、脳裏に浮かんだ三葉の姿に、勢いよく目を覚ました。
そして、起き上がると同時に僕を襲ったのは、激しい痛みであった。
...頭...?いや、顔...?
どこかよく分からないけど、もの凄く痛い。
あれ、僕は...何をして...。
鏡の一つもないこの場所では、自分の姿が一体どうなってしまってっているのか、触って確かめる他なかった。
目に見える範囲での身体には何の外傷もないが、顔に触れてみると、血でも出したのだろうか、鼻には詰め物と綿紗のような物が貼られていた。
何があったのかを思い出すのに、少し時間がかかったが、彼女のことを考えた瞬間に、まるで雷鳴に撃たれたかのように全てを思い出した。
そしてら僕はハッとして、勢いよく階段の方へと顔を向けると、そこには全身白い衣装に身を包んだ、一人の祈祷師の姿があった。
祈祷師は不自然なほどにいつも通りで、何をするわけでもなく、僕の方をじっと見つめていた。
「...彼女をどうしたの?」
僕がそう言うと、祈祷師はまるで何かの作業のように懐から木の棒を出し、躾をしようと牢屋に近づく。
しかし、僕はそんな祈祷師に構うことなく話し続けた。
「躾でも何でもしていいよ。だから、お願い。彼女がどうなったのか...三葉は無事なのかだけ教えて」
その言葉に祈祷師はピタリと歩みを止めた。
そして、木の棒を懐へと戻すと、再び元の位置に戻って僕の方を見つめた。
何も答えてくれるはずはなかった。
僕が話し掛けることを許されていないということもあったが、そうでなくとも祈祷師が口を開くことはなかった。
長い間ここにいたが、声一つ聞いたことがない。
特にこの三人目の不気味な祈祷師は、声どころか吐息一つ漏らしたことはない。
しかし、驚くべきことに、目の前の祈祷師が突然、僕に向かって口を開き始めたのだ。
「...あの少女はもうここには来ない」
「...っ...」
僕は心底驚いて、声にならない声が出た。
いや、驚きというよりも恐怖という感情の方が正しかったであろう。
それでも僕は彼女のことが知りたくて、なんとか声を絞り出した。
「ど、どうして?」
「...来ることができなくなるからです」
「三葉に何をしたの?」
「...『まだ』何も」
『まだ』
その言葉が僕の視界を暗くする。
ハッキリとしない祈祷師の口調では何も分からなかったが、彼女が危険だということだけは、その2文字から知ることができた。
「何で...何で彼女が...三葉は何もしてないじゃないか!」
「...えぇ、あの女の子は何もしていない」
「だったら...」
「...あなたが目を合わせたから、声を出したから、触れたから。あの女の子は呪われて、このような悲劇に見舞われ...」
「嘘だ!そんなの全部...僕は呪われてなんかいない!呪いなんて全部真っ赤な嘘だ!」
祈祷師の声を遮って僕は叫んだ。
のらりくらりとした話し方に、嘘に塗れた言葉に、彼女に手を上げた祈祷師に、腹が立って仕方がなかったから。
しかし、そんな憤る僕とは反対に、祈祷師は何故か再び満足そうな笑みを浮かべ、至って冷静かつ冷ややかな言葉を僕に向かって投げ掛けた。
「...呪いが偽りと言うのなら、何故あの女の子は今、命を脅かされているのでしょう?」
「...っ...」
「...全てはあなたのせいなのですよ。あなたが身の程もわきまえずに恋などするから。あなたが誰かを愛そうだなんて考えてはいけないのですよ。あなたは呪われているのです」
その言葉に握り込んでいた手の力が抜けた。
それと同時に暗くなっていた視界は完全なる闇へと変わり、僕は脱力するように地面に伏した。
“全ては僕のせい”
僕があの時、彼女を見なければ。
僕があの時、彼女を無視していれば。
僕があの時、彼女から離れていれば。
彼女は今も退屈でも美しいこの世界で笑っていたのではないか。
僕のせいで...。
後悔ばかりが頭の中をグルグルとし出す僕の姿を見て、祈祷師はとても満足した様子で階段の上へと去っていった。
静寂に包まれた冷たい牢屋が、思考を更に悪い方へと誘っていく。
真っ暗で何も見えない目からは、ポタポタと大粒の涙が溢れて止まらなかった。
三葉を拐ったのも、気絶させたのも、命を奪おうとしているのも、自分に関係がないことは分かっていた。
それでも祈祷師の言葉に、自分の呪いがそれらを招いてしまったのではないかと思えて仕方がなかった。
同時に、自分の無力さが悔しくてたまらなかった。
もっと強ければ、もっと力があれば、檻になんか入っていなければ、彼女を救えたのではないか。
そのような考えが浮かぶのも、僕が愚かで淡い希望を持っていたせいであろう。
たとえ檻に入っていなかったとしても、僕には彼女を救うことなんてできないのだ。
何故なら僕は頭のてっぺんからつま先まで、身体の全てが呪われているから。
どうして僕は呪われてしまったのだろう。
何か悪いことでもしてしまったのだろうか。
分からない、誰も教えてくれなかったから。
いや、自分で考えようとすればよかったのか。
それでもいくら考えても分からなかった。
せめてどんな罪を犯してしまったのか知ることができたら、償う方法だってあるはずなのに、僕にはそれを知ることはできなかった。
『自分以外の誰かが呪われていれば』
そんな考えは一切としてなかった。
僕だけが呪われていて、僕だけが耐えぬけばいいと思っていた。
それでもこうして身近な誰かが傷付くと、自身の呪いを恨む他なかった。
自分が呪われていなければ。
もっと強く彼女を押し返していれば。
彼女と出会っていなければ。
巡る思考がそんな“もしも”ばかり考えては、後悔だけが募っていった。
辛くて苦しくて悲しくてたまらなかった。
だから、躾を受ける時のように、涙で溢れる目をゆっくりと閉じて、とある記憶の彼方へと自分の意識を飛ばそうとした。
僕が唯一覚えている家族との記憶。
辛い現実から自分の心を守るための手段...そのはずだった。
ふと目を閉じると、いつも通り幸せそうに笑う男女と共に手を繋ぐ自分の姿が見えた。
しかし、いつもとは違って、僕らが歩く先にある夕焼けの中には、一人の女の子が立っていた。
可愛らしい桃色をした着物に、黄色の帯を何故か前で結んでいて、肩ほどの長髪が美しい女の子。
夕日の中でもよく分かる、クリクリとした黒い瞳が真っ直ぐとこちらを見つめていて、力強いその眼差しが僕だけを捉えていた。
女の子は僕の方をみながら、ゆっくりと手を挙げて振った。
そして、夕日よりも眩しい笑顔となって、口を開いた。
『焔』
その声に僕はハッとして目を開けた。
起きようとしている悪いこと全てを忘れ去ってしまおうと思って目を閉じたはずなのに、何故かいるはずのない彼女が姿を現したのだ。
それだけではない。
聞こえるはずのない彼女の声が僕の耳に、鮮明にハッキリと聞き残ったのだ。
再び蘇る辛い現実に涙が溢れる。
何度も目を閉じては幸せな記憶に浸ろうとしたが、浮かんでくるのは彼女のことばかりだった。
あぁ、そうか。
僕はこんなにも彼女のことを考えていたのか。
僕はこんなにも彼女ばかりを想っていたのか。
僕はこんなにも彼女を好きになってしまったのか。
...祈祷師の言う通りだ。
お母さんもお父さんも、きっと僕のせいでいなくなってしまったんだ。
僕は誰のことも好きになっちゃいけないんだ。
愛してはいけないんだ。
そうして僕はすっかり涙に溺れ、冷たい地面に顔をつけながら脱力していった。
思えば彼女が言っていたことだって、全て間違ったおとぎ話だったのではないだろうか。
本当はこの世界にそんな夢のような世界なんて実在しなくて、“機械”や“電子機器”なんてものもなかったのではないか。
退屈なこの村で彼女は特別になりたがっただけなのではないだろうか。
覚えてもいない過去の記憶を作り上げただけなのではないか。
実験なんて本当は存在しなくて、ただ優しい村人達と、それを守る祈祷師と、呪われた僕がいるだけなのではないだろうか。
そんな風に僕はこれ以上、希望などというものに心を壊されてしまわないようにと、大好きな彼女を頭の中で嘘つきにした。
そうする以外に、心を守る方法が思い浮かばなかったのだ。
もうとっくに心は壊れてしまっているというのに。




