2話
祈祷師が僕の手を引いて歩く。
それは親子のように手と手を繋ぎ合う形ではなく、僕の両手に縄を繋げて家畜のように引かれて歩く形であった。
僕に唯一触れてもよいとされている祈祷師でさえも、やはり好んで触れる者はいない。
いつも通りのことだ。
地上の檻から出て、村の中で一際大きな屋敷の中へと連れていかれる。
その中は他の家に比べると大層立派な造りをしているが、人っ子一人見たことがない。
恐らく僕が来る時には奥に隠れてしまっているのだろう。
屋敷の床にある扉を祈祷師が開くと、そこには地下へと続く薄暗い階段が続いていた。
気味の悪いその階段を、僕は縄で引かれて降りて行った。
灯りの少ない手すりもない階段。
縄を引かれて歩くと余計に降りづらい。
足元もよく見えず、あまりの降りにくさに、以前は何度も転げ落ちそうになった。
というか、実際に何度か転げ落ちた。
しかし、繰り返す内にコツを掴んできて、視界よりも感覚に頼るようになってからは、そんなこともなくなった。
今ではどれだけ上手に下まで降りられるかと遊び感覚で一人特訓をしていた。
そうして一番下まで降りると、心の中で喜ぶ僕とは反対に、至って冷静なままの祈祷師はいつも通り僕を牢屋へと押し込んで、直ぐに鍵を掛けた。
僕は押されたはずみで転けそうになったけど、なんとか耐えて直ぐに振り返り、両手を祈祷師の方へと差し出した。
すると、祈祷師が懐からナイフを取り出して、手の近くに突きつけてきたので、僕はそれに縄を擦りつけて解いた。
縄が取れると直ぐに祈祷師はナイフをしまって、一言も発することなく階段の方へと姿を消した。
僕はそれを見てホッと一息をついた。
今日の祈祷師さんは無口な人だったな。
あの人は全然こちらを見てくれないけど、歩く速さが一定で、縄を切る時も僕に合わせてくれる。
外も見ることができたし、階段もよろけず上手に降りられたし、今日はなんだかいいことが多いな。
そうして心を踊らせると、僕は手を合わせ上に向かって心の中で感謝の言葉を述べた。
『お山の神様、ありがとうございます』
木製の格子で囲まれた地下牢は地上の檻に比べると広い造りだ。
しかし、階段と同様に灯りが少なく、窓の一つもないので、朝か夜かも分からない。
掃除はされているが、そもそも物がないので、寝る時も床で適当に寝る他ない。
地上の檻とは違って毎日同じ景色なので、暇つぶしといえば格子の木目を数えるぐらいだった。
祈祷師はいつも同じ格好で、全身白の衣装に、顔も白い布で隠していて、目元が薄ら見えるぐらいで顔はほとんど分からない。
しかし、朝夕と食事を運んできたり、月に一度連れ出されたりする内に、同じ格好でも祈祷師が少なくとも三人はいることが分かった。
一人目は今日会った人。
いつも淡々としているが、縄を引く力や背を押す力が弱いため、僕は一番優しい人なんだと思っている。
主に移動の時や、食事の配膳の時に来ることが多く、躾には一度も来たことがない。
二人目は少し乱暴な人。
一番強く縄を引いて、僕が転けるほどの強い力で押しのける。
階段を降りる時も不規則で、僕が踏み外したりすると、布の奥の目がほくそ笑む。
縄を切る時も強引なので手が切れたこともしばしばある。
主に躾はこの人が来ることが多く、移動や食事の配膳に来ることは稀である。
三人目はよく分からない人。
一人目の人と同じく無口だけど、二人目の人よりも躾の激しい人だった。
以前に僕が階段から転けた時、一人目の人も二人目の人も止まってくれたが、三人目の人は構うことなく階段を降り続けた。
勿論、縄は繋がれたままだったので、僕は一番下まで全身を打ち付けられながら引きずられた。
しかし、僕が恐ろしく感じたのはそれではなく、縄を切る時のことで、三人目の人は目にも止まらぬ早さで縄をナイフで一刀両断するのだ。
寸分の狂いもなく、正確に。
滅多に来ることはないが、時折何をするわけでもなく、僕の方をじっと見つめに来ることがあった。
人ならざる技や訳の分からない行動に、僕は恐ろしさを感じていて、この人のことが少し苦手だった。
今まで出会ったのはこの三人だ。
他にもいるのかもしれないが、祈祷師は一人だけだと思っていたので、三人もいることに初めは少し驚いた。
それと同時に、僕の大層な呪いに対抗するのであれば、一人だけでは心もとないであろうと納得もした。
気づいた時には僕は檻の中に囚われていた。
生まれついた時から僕の身体は呪いを受けていて、それが発動したのは物心がついた頃かそれより前だと教えられた。
初めて聞かされた時はなんと恐ろしいことかと、恐怖で夜も眠れなかった。
しかし、時が経つにつれて自分の身体がそのような呪いを持っているということが信じられなくなっていった。
檻から見える子供達は僕と何ら変わりなく、大人達にもそれ以上のことは聞くことができなかったから。
それでも、僕のせいで災害が訪れてしまったことが何度かある。
村に嵐が来た時にお山に雷が落ちてきて、大火事になりかけたこと。
日照りが続いて作物が取れず、村全体が軽い飢餓に襲われたこと。
突如起きた地震によって、家の何軒かが崩れ落ちてしまったこと。
これらは僕が目にしたほんの一部に過ぎない。
他にも大人達から口づてに様々な厄災を招いたことを聞いた。
雷や地震を引き起こすほどの呪いなど到底信じられなかったが、実際目の辺りにすると、やはり自分は閉じ込められるべき人間なのかもしれないなと思った。
今ではそれについてなるべく考えないようにしている。
考えたところで答えが見つかるわけでもなければ、誰かが教えてくれるというわけでもない。
それよりも近づいてきた春の陽気に心を踊らせる方がよっぽど楽しかった。
今年は一体どんな作物が収穫できるのだろうか。
フキノトウに、セリに、タラの芽、ワラビ、ゼンマイ...考えるだけでもお腹が空くな。
お山の桜は今年も満開だろうか。
冬の白い着物を脱いで、春の緑と桃色の着物を着たお山は、見ていて気分が浮き足立つ。
そんなことを考えながら、床に寝転び天井を仰いでいると、誰かが階段を降りてくる音が聞こえてきた。
僕はその音に飛び起きて、慌てふためきながらも牢屋の真ん中で姿勢を正して座った。
呪いと穢れに満ちているとされたこの地下牢に来る人間は知れている。
それは勿論、僕の呪いに唯一対処ができる祈祷師であり、食事の時間でもなければ掃除も終えたばかりなのに来るということは、目的は一つしかない。
足音が徐々に近づき、姿を現したのは案の定、白い服を身にまとった一人の祈祷師だった。
彼は手に木でできた棒を持っていて、薄ら見える目が意地悪そうに微笑んでいる様子から伺うに、どうやら先程話した二人目の祈祷師のようだった。
あぁ、またか、嫌だな。
僕が声を上げてしまったのだから仕方がない。
せめて一人目の人が来てくれたらよかったのだが、この人は躾が長くて酷いんだ。
心の中で静かにそう嘆きながら、僕は祈祷師に指示されるがまま、腕を後ろに組んで下を向く。
振り上げられる棒がどれだけ強く身体を打ちつけようとも、声一つ上げてはいけない。
手を上げて頭や顔を守ることも許されない。
それがこれから僕が受ける躾というものだ。
僕はそんな辛い現実から逃げ出すかのように、ゆっくりと目を閉じて、とある記憶の彼方へと自分の意識を飛ばした。
それはずっとずっと昔の記憶。
人も景色もうろ覚えで、ぼやけて曖昧な記憶。
夢か幻にも思えるような不確かな記憶。
それでも確かに僕の中にある記憶。
優しそうに僕に笑いかける女の人と、明るく話し掛けてくる男の人。
そんな二人と手を繋ぎ、夕焼けに染まる河原の近くを歩きながら帰る風景。
聞こえてくるのは幸せに満ちた笑い声と肌を撫でる心地よい風と夏の香り、両の手から伝わる愛情と温もり、僕が唯一覚えている家族との思い出。
僕はその思い出に一人浸りながら、待ち受ける躾を静かに耐え抜いていた。




