余談
街から少しだけ離れた、鬱蒼とした森の奥。
地を腐らせ、木々を薙ぎ倒し突き進む怪物が一匹と、その後を必死に追いかける二人の男がいた。
「...はぁ...はぁ...これ...だいぶ無理があると思うんだけど...!?」
「何がだ?」
「...っ...人の足で...追いつく速さじゃないよ...!」
「追いつく必要はない。ポイントに誘い込めればいい」
「...はぁ...はぁ...だとしても...無理が...あるって...!」
「確かに予想より少し速いな...急ぐぞ」
怪物は黒い煙でできた大きな人型のような姿をしていて、地を這うように恐ろしい速さで進んでいた。
しかし、それを共に追う大柄な男も負けず劣らずの怪物で、私と同じように全力疾走をしているにも関わらず、息を切らすこともなく、変わらない仏頂面で会話をしていた。
「...クロコ...君...っ...本当に人間かい...?」
「当たり前だ」
「...ははっ...それはそれは...とんだ改造人間...だね...!」
「ふざけてる場合じゃないぞ。街が近い...このままでは被害が出る」
そう、私達は街へと進む怪物を止めるべく、とある作戦を実行してる真っ最中であった。
私とクロコで怪物を追い込んで誘い込み、その先に飛んでくる二人と共に挟み撃ちにするというものだ。
「...カラレスは...っ...大丈夫だろうか...?」
「安全圏からの瞬間移動だ、心配要らない。リドルにも奴をよく見ておくようにと頼んである」
「...いや...そういうことじゃ...なくて...」
私が言葉を濁すと、彼は少し険しい表情を見せた。
やはり誰も気がついてないのだろうか。
あの日から塞ぎ込んでいた彼が突然任務に行くなんて…。
作戦会議の時だって様子がスッキリしなかった。
いや、気づいていながらも言い出せなかったのか。
この作戦に彼は必要不可欠だし、いつまでも任務をしない訳にもいかない。
例え彼の様子が少しおかしくても、見て見ぬふりをするべき時なのだろう。
私はそうして自分を納得させるかのように言葉を飲み込んだ。
そして、後にそれを死ぬほど後悔することとなる。
怪物を誘い込むポイントまで、あとほんの少しとなった時に事件は起こった。
それはあまりに一瞬かつ予想外の出来事だった。
必死に走る私とクロコの目に突如映ったのは、たった一人で怪物の真隣に現れた白髪の男だった。
「「...なっ...!」」
私達が驚いたのも束の間、男は怪物目掛けて力を放った。
それは今まで見たことのない大きな力で、怪物の身体ごと周囲のもの全てを吹き飛ばした。
その凄まじい衝撃に巻き込まれそうになったが、クロコが瞬時にそれを察知し、抱き寄せて庇ってくれた。
私を抱えた彼の身体は遥か遠くの木々の中へと投げ飛ばされ、勢いよく地面に転がった。
「...っ...!...クロコ...!?」
私は直ぐに起き上がってクロコを呼び掛ける。
彼は息はあったが、あまりの衝撃に意識を失っていた。
あのクロコが意識を失うほどの衝撃。
私はその事実に少し冷や汗をかきながらも、通信機を取り出して事務への連絡を急いだ。
しかし、ふと向けた視線の先の光景に、私は唖然としてしまい、繋がった通信に無言で答えてしまった。
木々で生い茂る森の中、ポッカリと空いた穴。
それは遥か遠くの空まで見えるほど巨大で、まるで景色を切り抜いたかのように不自然なものだった。
木々を吹き飛ばし、腐った地面を抉りとり、先程までいた怪物までもがチリ一つ残さずその姿を消し、どれほどの力が放たれたのか想像もつかなかった。
「...っと...ガ....ラク...!...聞こえて...の...?!...応答...!」
通信機の奥から誰かが必死に呼びかけていたが、私の耳にそれが届くことはなく、私はただ力ない足取りで森の奥へと歩き出していた。
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抉られた地面が一本の道のように続いている。
木々も消え去り、起伏の激しい森の地面と比べると、まるで舗装されたかのように歩きやすくなっていた。
その道を私はフラフラと歩き続けていた。
そして、しばらくすると私の顔に段々と光が差し込んできた。
眩しい光にうつむいていた顔を上げてみると、そこには木々が円を描くように吹き飛ばされ、不自然に開けた荒野が拡がっていて、その中心には見覚えのある一人の男の姿があった。
辺りに漂う残り香のような黒い煙、それらは恐らくあの化け物の残骸であろう。
地面には見覚えのある黒い眼帯がちぎれ、落ちていて、彼は消えゆく煙を呆然と眺めながら、こちらに背を向け、ただ静かに佇んでいた。
「...カ...ラ...レス...?」
初めて見た静かな彼の姿に動揺して、自分でも驚くほど情けない声で呼び掛けてしまった。
その声にまるで返事をするかのように、彼はゆっくりとこちらに振り向いた。
そして、私は眼帯の取れた彼の瞳を見て言葉を失った。
いつも見ていたのは美しいガラス玉のような透明な瞳。
しかし、彼の眼帯の下に隠れた瞳は同じ色をしていなかった。
それは酷く胸を締め付けられるような、深く濃い色をした青い瞳だった。
私はその青を見て“あの人”の言葉を思い出した。
『...どの感情と呼応しているのかというのは色で分かる。黄色なら殺意、赤色なら怒り、青色なら悲しみ。色の濃さによって侵食度合いも変わってくる。まぁ、一つの指標に過ぎないのだかね』
いつか彼が見せてくれた酷く澄んだ青海原。
私はその瞳にあの日の海と感情を思い出した。
そして、彼が私と同じ...いや、それ以上の、深い悲しみと寂しさと後悔を抱えていることを知った。
一体いつからこんなことになっていたのだろう?
彼が眼帯をし始めた時だとすれば、私と会うよりもずっと前からだったのだろうか。
一体どれほどの悲しみを背負っていたのだろう?
あの瞳の深い青色からして一目瞭然か。
彼は無神経で無鉄砲で優しい男だった。
仲間のためなら自己犠牲もいとわない。
この醜い世界を本気で変えようとしていた。
その結果があの青い瞳だと言うのだろうか。
無気力に沈みきった彼を見て、私はどうしようもない感情にさいなまれた。
今にも雨が降りそうな彼の瞳に寄り添っていれば、もっと違う結果になっていたかもしれない。
しかし、この時の私はそんな非道なことはできなかった。
オルドに入り、任務を遂行し、沢山の人を見た。
この世界には私の想像を遥かに超えた者達がいた。
人ならざる力を得た者、それを悪用する者、己が利益しか見ぬ者、裁かれて然るべき者...私と同じ罪深き者達。
過去や名前を捨て去ることができても、人の業までは捨てることはできない。
背負うつもりはなくとも、私の犯した罪はいずれ裁かれる。
私が死ぬべき人間なのは変わらない。
だからこそ、彼に寄り添うなんて真似はできなかった。
私は長く生きられないし、するつもりもない。
『君を一人にはしないよ』
なんて無責任な言葉を彼の前では口が裂けても言えない。
私には蛇の姿をした友がいる。
彼と私は一心同体で、死ぬ時も一緒だ。
だが、目の前にいる彼はどうだろうか。
この先ずっと、たとえ一人になろうとも、抱え込んだものを持って歩き続けなくてはならないのか。
私には背負うなと...全てを捨てたらいいと言った彼は、全てを背負って今も尚、抗い続けている。
積み上げられた死体が『無駄にするな』と睨んでいる。
いつかの私と同じか、それ以上に過酷な道に、彼は立っているのだ。
あの純粋な青はこれからますます深く、汚れてしまうのだろうか。
それを彼自身は...“あの人”は...望んでいるのだろうか。
こんな醜い世界のために、美しい彼らが犠牲になるのは、正しいことだと言えるのだろうか。
自分の心が葛藤によって大きく波打つ。
しかし、私は彼にできることを精一杯考えた末に、それを彼に伝えることはしなかった。
だから、ただいつも通り微笑んで、彼に話し掛けた。
「...帰ろうか...カラレス...」
彼はそれを聞くと、返事もロクにすることもなく、こちらの方へと歩き出し、私の前を静かに進んで行った。
そんな彼の背中を見て私は誓った。
私を救ってくれた恩人を決して見離さないと、これ以上あの悲しみが深くならないように守ろうと、最後の最後まで彼と共にこの地獄を歩き続けると、私の死に目には絶対に合わせないと。
その瞬間、ふとあの日のことを思い出した。
暗闇で私が自分を見失いかけていた時に聞こえた声を。
初めは蛇の彼だと思っていたが、どうも違うらしい。
会ったことも聞いたこともない声だったが、私はあの声の主を確かに知っていた。
温かくて優しくてそっと心に寄り添うあの声を。
あれは私の作った幻想だったのだろうか。
はたまたどこか遠くに本当に存在する声なのか。
もし実在するのならば、彼にも聞こえたらよかったのにな。
あの冷たく寂しい心に火を灯してくれる人が、いつか現れるといいのにな。
ご覧戴き、ありがとうございました。
〜蛇念〜章
はこれにて完結です。
『Gehenna』はまだまだ続きます。




