12話
不思議な空間が煙となって消えていく。
あれほど望んだはずの外の世界は呆気なく姿を現して、凍てつく冬の寒さだけが私達を出迎えた。
そのあまりの寒さに、私は外に出られた感動よりも先にくしゃみが出た。
隣にいたカラレスは空間が閉じると、直ぐに携帯を取り出して、どこかに連絡をとっていた。
「あー、もしもし?俺、カラレスだけど。ブラックリストに載ってた呉屋って奴さ、本部に入れることにしたから、よろしくね。...はぁ?誰がって俺が決めたことだけど?...できませんじゃねぇよ!通せよ!いつでも人手不足のくせに選り好みしてんじゃねぇよ!」
電話越しにヤクザのように食ってかかるカラレス。
内容からして私のことで無理を言っているようだった。
電話先の相手には少し申し訳ないような気もしたが、私は彼に任せることにした。
ふと辺りを見回すと、学校の屋上にいたはずの私達は、何故か学校から遠く離れた広場に立っていて、時間も朝方で人気という人気がなくなっており、不思議なことに慣れてしまった自分に少し驚いた。
そして、元いた世界から現れた煙が全て消えると、そこには黒く小さな何かがポツリと残された。
私はそれを見て、咄嗟に駆け寄った。
見慣れたそれは確認するまでもなく、近づくとハッキリと悲しい現実が残っていた。
ボロボロに剥がれた黒い鱗と所々顕になった肌。
濁って弱々しい赤い瞳と力なく出る細い舌、口の中にあった牙は欠けて小さくなってしまっていた。
私が愛し、私を愛してくれた、たった一人の友。
もうほとんど動くことのできない彼を私は手に乗せて、小さくなった彼の頭を優しく撫でた。
私に拒まれたはずの彼は、それでも私のことを好いてくれているようで、撫でる私の手に嬉しそうに擦り寄った。
「...っ...君は...どこまで...」
健気な彼の姿に思わず涙がこぼれる。
ゴミ屋敷の中でかくれんぼをして遊んだ。
誰もいなくなった公園で遊具に乗ってはしゃいだ。
自販機の下に落ちた小銭を探し回った。
人気のない高台から遠くの小さな花火を眺めた。
彼と過ごした日々がまるで走馬灯のように蘇り、私の心がどれだけ彼で満たされていたかを思い出させる。
別れの言葉を述べる絶好の機会であったが、私はそれをグッと飲み込んだ。
すると、ようやく電話を終えたカラレスが、苛立った様子で私の方へと歩み寄った。
「ったく、マジで使えねぇなウチの事務は!」
「やぁ...電話はもう終わったのかい?」
「お前それ...」
「大丈夫だよ。もう、ほとんど動けない。こうなる前から彼は弱っていたし...潮時さ」
「...」
「彼には沢山辛い思いをさせてしまった。助けてもらってばかりで、何もしてあげられなかったというのに」
「...こいつはお前を守るためにドリームワールドを開いた。そう簡単に開けるようなものじゃない。自分の命を懸けてまでもお前を守ろうとしたんだったら、何もしてあげられなかったってことはないんじゃねぇの?」
「...そう...なのかな...」
「さぁな、俺の知ったことじゃねぇけど、お前になら分かるだろ?」
「...うん...そうだね...」
私の心ない返事に、カラレスは少し気まずそうに頭を搔いた。
そして、何かを言いかけた彼だったが、再び鳴り響く携帯に口を閉ざし、再び苛立ちの表情を浮かべた。
「チッ...本当にめんどくせぇ連中だな...。感傷に浸ってるとこ悪いけど、呼ばれたから行くわ。お前は後から迎えに行くから準備でもしとけよ」
「...分かったよ...」
「本当はダメなんだけど...そいつお前の好きにしていいから。埋めるなりなんなりしてやれよ」
その言葉に私は思わず驚いて、カラレスの方を見た。
無神経なはずの彼は慣れない気遣いに顔をしかめていたが、私はそんな彼に涙を浮かべて感謝を述べる。
「...恩に着るよ、カラレス。ありがとう」
「...気持ち悪!じゃ!もう行くからな!」
そう言ってカラレスは足早に去って行き、私はようやく長年の友と二人きりになった。
早朝の広場のど真ん中。
いくら人気がないからと言っても、誰か来たら流石に怪しまれると思った私は、彼を手に乗せたまま、ゆっくりと立ち上がると、フラフラと裏路地へ向かって歩き出した。
ゴミや汚水にまみれた裏路地は、虫やネズミがはびこっていて、いつの日かのゴミ捨て場を思い出させた。
「...君と別れる時はいつもこんな感じで申し訳ないな...」
そう呟くと、手の平の彼はまるで笑うかのように目を閉じ、
『気にしなくてもいいよ』
とでも言うかのように小さく舌を出した。
私はそんな彼を見て、思わず歩みを止めた。
そして、辺りに人が完全にいないことを確認すると、誰にも聞かれないようにと彼の傍に顔を近づけて話をした。
「...ねぇ、このまま死んでしまうのかい?もう私の傍にはいてくれないのかい?君なしでどう生きていけばいいんだい?君のいない世界なんて変えてたところで価値もない。...私はもうやめにするよ、彼の言う通り。もう何も我慢しないし、諦めもしない...全部好きにする。君を諦めることも絶対にしたくない。だから、これからすることは私のエゴだ」
私はそう言って、ゆっくりと彼を乗せた手を、自分の顔の上へと持ち上げた。
「望まないのなら、今度は君が私を拒めばいい。私は君と混ざり合って、一つになってしまいたい」
そう言って、私は彼をそのまま口の中へと滑り込ませた。
...ズル...ズル...ゴ...クン...。
艶かしい挿入音と共に私の喉に流れる異物感。
独特の感触と長物の通る苦しさに息が止まりそうになったが、それと同時に愛する彼と一つになれる快楽に溺れてしまいそうだった。
喉を通り、腹の奥へと招かれる彼。
尾の先までもが中に入ったのを感じると、私はその感覚に思わずビクンと身を拗らせた。
そして、溢れそうになる声を閉ざすかのように口を抑え、上を向いたまま、しばらく喉に残る彼の感触に浸っていた。
君がどちらを選ぼうと私は構わない。
ただ私にはやはりどうしてもできないのだよ。
一時の感情で君を手放すことはできても、こうして再び愛されてしまえば、欲さずにはいられない。
愛に飢えた醜い私をどうか許して欲しい。
大切なものを失ってから気づくなんてことはもうしたくないんだ。
君と離れるぐらいなら...。
「...っ...!」
突如、私は身体に大きな違和感を覚えた。
感じたことのない苦しさと吐き気が込み上げてきて、身体の中で何かよくないことが起きていることが瞬時に分かった。
しかし、私はそれを懸命に飲み込み受け入れた。
自分の身体の変化が何によるものかを理解していたから。
痛みの過ぎ去った私の身体の中からは、どこからか風の吹き抜けるような鋭い音が聞こえてきた。
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カラレスに連れられて私はオルドに入った。
面倒な手続きやら何やらで忙しかったが、それもようやく落ち着いてきて、部屋の案内をしてもらうため、長い廊下を彼と共に歩いていた。
「...それであそこが使えない奴らの巣窟」
「事務室って書いてあるけど?」
「そう!融通聞かねぇ奴らの住処だよ!」
「そんなに毛嫌いしなくても...」
「あいつらマジで全員取っ替えてやる!」
「あらら」
足音を大きく鳴らして激怒する彼の隣を、私はただ静かに歩いていた。
背丈が似ているからか、こんなに歩幅のリズムが合う人は初めてだ。
そんなことを考えてながら、私は思わずクスリと笑った。
すると、楽しそうな雰囲気を感じ取ったのか、私の袖元から黒い何かが姿を見せる。
私は少し慌ててそれを袖本に隠したが、隣を歩く男が見逃すはずもなく、驚いた表情と共に思わず歩みを止めた。
「...お前...それ...」
「え?何が?」
「いや、今完全に見えたわ!何でそいつがいんだよ!」
「さぁ?何を言ってるのかさっぱりだな」
私はそう言って、少し足早に廊下を歩き去る。
彼はそんな私を苛ついた様子で追いかけて来た。
こうして、慌ただしい日々は始まったのである。




