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Gehenna-ゲヘナ-  作者: Filmrêve(フィルムレーヴ)
蛇念
88/104

10話

暗闇を打ち砕き、私の手を取ったのは、顔を見れば憎たらしくて、口を開けば鬱陶しくて、まるで旧知の友のように不思議と背を預けることのできる、白髪に眼帯をした、透明の瞳を持つ男カラレスだった。


割れた世界の破片が煌めき、その中で眩しいほど清々しい笑みを浮かべる男。

私はその美しさに思わず目を見開いて、安堵と感動の涙を流してしまいそうになった。


しかし、引っ張られた拍子に私の身体はバランスを崩し、彼の身体を押し潰すような形で倒れ込んでしまあ、その衝撃で涙も引っ込んだ。


「...っうげ...!」

「...っぶ...!」


彼はまるで蛙が潰れたような情けない声を上げ、私は彼の身体に顔を強打して口を押さえた。


「痛ってぇな!ふざけんなよ!」

「相変わらず騒がしいな...私だって顔を打ったんだけど?」

「お前重いんだよ!このデブが!」

「はぁ!?誰がデブだって!?というか、君が無理矢理引っ張ったせいだろう!」

「お?何だ?今までで一番の食い付きだな?ぷっ!もしかしてお前、体重気にしてんの〜?」


そう言って馬鹿にするように笑う男に、私は思い切り威勢のいい平手を食らわしてやった。


「痛った!痛った!暴力反対!」

「っ本当にうるさい!少しは黙れ!」

「はぁ!?それが助けてやった奴にすることかよ!」

「随分遅い救いの手だったね!どうもありがとう!」


再び始まる不毛な言い争い。

これもしばらくとなると、なんだか少し懐かしい気がした。

男は不満そうに頭を搔くと、私を押しのけ立ち上がった。


「はいはい、すみませんねぇ!遅くなりまして!お前なんか置いてさっさと出ちまおうと思ったんだけど、そうもいかなくなったから、わざわざ来てやったんだよ!」

「はぁ?」

「このドリームワールドを開いてる奴が分かった」

「へぇ、ようやく本領発揮かい?」

「チッ...!いちいち突っかかって来んなよ!」

「それはこっちのセリフだ。で?その犯人はどこにいるのかな?」

「ここ」


彼はそう言って私に向けて手の平を見せた。

一瞬、何を言っているのかさっぱりだったが、その仕草に覚えがあり、私は咄嗟に顔を逸らした。


次の瞬間、男の手から謎の力が放たれた。

その力は私の顔の僅か横にあった髪を掠め取り、白い世界の遥か彼方で衝撃音を鳴らした。

私の反応があと数秒遅れていたらと思うと、恐怖よりも先に怒りが湧いてきた。


「...っ危ないな!何するんだ!」

「そいつが犯人だよ」


そう言って彼は地面に落ちた髪の束を指差した。

再び彼の言葉に困惑しかけた私だったが、よく見るとそれはただの髪の束などではなかった。


突然それは動きだし、曲がりくねったかと思うと、見る見るうちに肥大化していき、あっという間に恐ろしい大蛇へと姿を変えた。


「...っ...!」

「うっわ、マジかよ...これ思ったよりヤバいやつじゃん」


男がそう言ってため息をついたのも束の間、大蛇は鋭い威嚇音を発しながら、彼に向かって襲いかかった。

しかし、彼は瞬きのように一瞬で姿をくらまし、見たこともない大蛇相手に優位に立ち回った。


「ははっ!犯人探ししながら戦うのは骨が折れたけど、目の前にいるならこっちのもんだ!お前だけに集中できる!最強のコンディションだ!」


その言葉通り、男は今までになく冴えた動きで、大蛇を翻弄し、蹴り飛ばし、踏み潰し、攻撃した。

気づけば大蛇の身体はボロボロとなり、まるで苦しみ悶えるかのように暴れ回っていた。


私はその姿を見ながら、何度も叫ぼうとしていた。

しかし、上手く言葉が出てこなかった。

何故か喉の奥が締め付けられるような苦しさと、全身が殴られるような痛みに襲われていたのだ。

それはまるで大蛇と繋がっているかのように。


「...っ...やめてくれ!!」


男の拳が大蛇の目に当たる寸前に、何とか叫ぶことができた。

彼はピタリと動きを止めると、鋭い目付きでこちらを見た。

そして、私の姿を見て、焦りの表情を浮かべた。


「...頼む...もう...っ...やめてくれ....!」

「お前、その目...蛇の...」

「彼は...何も悪くないんだ...私が...私が全て...っ...」

「おい!しっかりしろ!混ざってんじゃ...」


男がそう言いかけると、大蛇はその隙を狙って彼に向かって尾を打ち付けた。

宙に浮いていた男はそれによって地面へと叩き落とされたが、なんとか潰されずに、透明の盾のようなもので身を守っていた。


「......ぁ....ぐっ...」

「っ...カイ!聞け!お前の飼ってる蛇は普通の蛇じゃねぇ!あの赤い目...恐らくキラーノヴァの一種だ!」

「...彼...は...ペットじゃ...ない...」

「今そこどっちでもよくない!?...とにかく!お前はこいつと共鳴し過ぎた!お前がその感情を...こいつを!捨てないと呑まれるぞ!」

「...彼を...捨て...る...?」

「こいつは今、お前の感情を、命を吸い取って力を得ている!お前が拒まない限り、暴走し続ける!だから!今すぐこいつのことを...」

「ダメだ!...それ...だけは...できない...!!」


潰れそうな喉を押えながら、私は叫んだ。

全身が刺すように痛くて、心臓は悲鳴を上げていて、今にでも意識が飛びそうなほどの苦痛が身体中を襲っていた。

しかし、それでも私にはできなかった。


いつも私を助けてくれた心優しい彼を、ずっと私と一緒にいてくれた彼を、この世で唯一、変わることのない愛をくれた彼を...見捨てて自分一人生き残るぐらいなら、死んでしまった方がマシだと思った。


ふと苦痛が和らぎ、死が目前に差し迫った時、私の心臓が激しく脈打った。

胸の辺りが燃えるように熱く、まるで炎が灯ったかのように。

その熱に私はハッとして、暗闇の中で聞いた声を思い出した。


『彼の言葉が分かるのなら、彼が何を望んでいるか分かるはずだよ』


そうだ...あの日も彼は...。


父の死を知ったあの日、私はそのまま海に身を投じた。

ゆっくりと海に向かって歩いて行ったはずなのに、気がつくと浜辺の方へと戻されていて、何度繰り返しても同じことが起こった。

そうして仕方なく私は帰ったのだが、思い返すと、海の中で誰かが何度も私を浜辺へと戻していった記憶があった。

そしてそれは、紛れもなく彼のしたことであっただろう。


寒いのが苦手な彼が、泳ぎも知らないはずの彼が、必死になって私を助けようとしていた。

そんな彼が私のことを傷つけたいだなんて思うだろうか。

私のことを殺したいだなんて思うだろうか。

...そんな訳あるはずがない。


私のために片時も傍から離れなかった彼。

私のために怒ってくれた彼。

私のために手を染めてくれた彼。

彼は今、苦しんでいる。

守りたい心と暴れる力がせめぎ合い、身も心も蝕まれている。

私は彼にもらってばかりだった。

今、最後に私が彼にできることはきっと...これぐらいしかないのだろう。


「...ごめんね...私が間違ってたよ...。君がそんなこと望むはずもないのに...苦しませてしまったね。ありがとう...感謝してもしきれないけど...言わせて欲しい。私が君にできることはこれしか残ってないから...」


私はそう言って暴走する彼に躊躇なく近づくと、真珠のような赤い瞳を真っ直ぐ見つめて呟いた。


「...君を手放すよ」


その言葉を聞くと彼は目を見開き、一瞬満たされたような、安心したかのような表情を見せ、黒い煙を発しながら崩れ落ちていった。


大蛇に潰されかけていた男は疲労から、痛みと緊張と不安に襲われていた私は安堵から、二人仲良くそのまま地面へと倒れ込んだ。

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