10話
暗闇を打ち砕き、私の手を取ったのは、顔を見れば憎たらしくて、口を開けば鬱陶しくて、まるで旧知の友のように不思議と背を預けることのできる、白髪に眼帯をした、透明の瞳を持つ男カラレスだった。
割れた世界の破片が煌めき、その中で眩しいほど清々しい笑みを浮かべる男。
私はその美しさに思わず目を見開いて、安堵と感動の涙を流してしまいそうになった。
しかし、引っ張られた拍子に私の身体はバランスを崩し、彼の身体を押し潰すような形で倒れ込んでしまあ、その衝撃で涙も引っ込んだ。
「...っうげ...!」
「...っぶ...!」
彼はまるで蛙が潰れたような情けない声を上げ、私は彼の身体に顔を強打して口を押さえた。
「痛ってぇな!ふざけんなよ!」
「相変わらず騒がしいな...私だって顔を打ったんだけど?」
「お前重いんだよ!このデブが!」
「はぁ!?誰がデブだって!?というか、君が無理矢理引っ張ったせいだろう!」
「お?何だ?今までで一番の食い付きだな?ぷっ!もしかしてお前、体重気にしてんの〜?」
そう言って馬鹿にするように笑う男に、私は思い切り威勢のいい平手を食らわしてやった。
「痛った!痛った!暴力反対!」
「っ本当にうるさい!少しは黙れ!」
「はぁ!?それが助けてやった奴にすることかよ!」
「随分遅い救いの手だったね!どうもありがとう!」
再び始まる不毛な言い争い。
これもしばらくとなると、なんだか少し懐かしい気がした。
男は不満そうに頭を搔くと、私を押しのけ立ち上がった。
「はいはい、すみませんねぇ!遅くなりまして!お前なんか置いてさっさと出ちまおうと思ったんだけど、そうもいかなくなったから、わざわざ来てやったんだよ!」
「はぁ?」
「このドリームワールドを開いてる奴が分かった」
「へぇ、ようやく本領発揮かい?」
「チッ...!いちいち突っかかって来んなよ!」
「それはこっちのセリフだ。で?その犯人はどこにいるのかな?」
「ここ」
彼はそう言って私に向けて手の平を見せた。
一瞬、何を言っているのかさっぱりだったが、その仕草に覚えがあり、私は咄嗟に顔を逸らした。
次の瞬間、男の手から謎の力が放たれた。
その力は私の顔の僅か横にあった髪を掠め取り、白い世界の遥か彼方で衝撃音を鳴らした。
私の反応があと数秒遅れていたらと思うと、恐怖よりも先に怒りが湧いてきた。
「...っ危ないな!何するんだ!」
「そいつが犯人だよ」
そう言って彼は地面に落ちた髪の束を指差した。
再び彼の言葉に困惑しかけた私だったが、よく見るとそれはただの髪の束などではなかった。
突然それは動きだし、曲がりくねったかと思うと、見る見るうちに肥大化していき、あっという間に恐ろしい大蛇へと姿を変えた。
「...っ...!」
「うっわ、マジかよ...これ思ったよりヤバいやつじゃん」
男がそう言ってため息をついたのも束の間、大蛇は鋭い威嚇音を発しながら、彼に向かって襲いかかった。
しかし、彼は瞬きのように一瞬で姿をくらまし、見たこともない大蛇相手に優位に立ち回った。
「ははっ!犯人探ししながら戦うのは骨が折れたけど、目の前にいるならこっちのもんだ!お前だけに集中できる!最強のコンディションだ!」
その言葉通り、男は今までになく冴えた動きで、大蛇を翻弄し、蹴り飛ばし、踏み潰し、攻撃した。
気づけば大蛇の身体はボロボロとなり、まるで苦しみ悶えるかのように暴れ回っていた。
私はその姿を見ながら、何度も叫ぼうとしていた。
しかし、上手く言葉が出てこなかった。
何故か喉の奥が締め付けられるような苦しさと、全身が殴られるような痛みに襲われていたのだ。
それはまるで大蛇と繋がっているかのように。
「...っ...やめてくれ!!」
男の拳が大蛇の目に当たる寸前に、何とか叫ぶことができた。
彼はピタリと動きを止めると、鋭い目付きでこちらを見た。
そして、私の姿を見て、焦りの表情を浮かべた。
「...頼む...もう...っ...やめてくれ....!」
「お前、その目...蛇の...」
「彼は...何も悪くないんだ...私が...私が全て...っ...」
「おい!しっかりしろ!混ざってんじゃ...」
男がそう言いかけると、大蛇はその隙を狙って彼に向かって尾を打ち付けた。
宙に浮いていた男はそれによって地面へと叩き落とされたが、なんとか潰されずに、透明の盾のようなもので身を守っていた。
「......ぁ....ぐっ...」
「っ...カイ!聞け!お前の飼ってる蛇は普通の蛇じゃねぇ!あの赤い目...恐らくキラーノヴァの一種だ!」
「...彼...は...ペットじゃ...ない...」
「今そこどっちでもよくない!?...とにかく!お前はこいつと共鳴し過ぎた!お前がその感情を...こいつを!捨てないと呑まれるぞ!」
「...彼を...捨て...る...?」
「こいつは今、お前の感情を、命を吸い取って力を得ている!お前が拒まない限り、暴走し続ける!だから!今すぐこいつのことを...」
「ダメだ!...それ...だけは...できない...!!」
潰れそうな喉を押えながら、私は叫んだ。
全身が刺すように痛くて、心臓は悲鳴を上げていて、今にでも意識が飛びそうなほどの苦痛が身体中を襲っていた。
しかし、それでも私にはできなかった。
いつも私を助けてくれた心優しい彼を、ずっと私と一緒にいてくれた彼を、この世で唯一、変わることのない愛をくれた彼を...見捨てて自分一人生き残るぐらいなら、死んでしまった方がマシだと思った。
ふと苦痛が和らぎ、死が目前に差し迫った時、私の心臓が激しく脈打った。
胸の辺りが燃えるように熱く、まるで炎が灯ったかのように。
その熱に私はハッとして、暗闇の中で聞いた声を思い出した。
『彼の言葉が分かるのなら、彼が何を望んでいるか分かるはずだよ』
そうだ...あの日も彼は...。
父の死を知ったあの日、私はそのまま海に身を投じた。
ゆっくりと海に向かって歩いて行ったはずなのに、気がつくと浜辺の方へと戻されていて、何度繰り返しても同じことが起こった。
そうして仕方なく私は帰ったのだが、思い返すと、海の中で誰かが何度も私を浜辺へと戻していった記憶があった。
そしてそれは、紛れもなく彼のしたことであっただろう。
寒いのが苦手な彼が、泳ぎも知らないはずの彼が、必死になって私を助けようとしていた。
そんな彼が私のことを傷つけたいだなんて思うだろうか。
私のことを殺したいだなんて思うだろうか。
...そんな訳あるはずがない。
私のために片時も傍から離れなかった彼。
私のために怒ってくれた彼。
私のために手を染めてくれた彼。
彼は今、苦しんでいる。
守りたい心と暴れる力がせめぎ合い、身も心も蝕まれている。
私は彼にもらってばかりだった。
今、最後に私が彼にできることはきっと...これぐらいしかないのだろう。
「...ごめんね...私が間違ってたよ...。君がそんなこと望むはずもないのに...苦しませてしまったね。ありがとう...感謝してもしきれないけど...言わせて欲しい。私が君にできることはこれしか残ってないから...」
私はそう言って暴走する彼に躊躇なく近づくと、真珠のような赤い瞳を真っ直ぐ見つめて呟いた。
「...君を手放すよ」
その言葉を聞くと彼は目を見開き、一瞬満たされたような、安心したかのような表情を見せ、黒い煙を発しながら崩れ落ちていった。
大蛇に潰されかけていた男は疲労から、痛みと緊張と不安に襲われていた私は安堵から、二人仲良くそのまま地面へと倒れ込んだ。




