6話
電飾とピンク色の看板で溢れるビル街。
夜になれば、眠らない街がギラギラと輝き出し、女達の甲高い声がよく聞こえる艶やかな世界が広がる。
そこから少しだけ離れた...といっても、それほど遠くない場所には、そんな騒がしさを一切感じさせない閑静な住宅街があった。
栄えた様子もなければ賑やかな様子もない、ありふれた穏やかな住宅街には、学校や商店街などが静かに佇んでいて、昔懐かしの趣深い雰囲気が漂っていた。
そんな住宅街にポツンと置かれた公園では、数人の子供達が仲睦まじく遊んでいた。
私はそれを遠目に見ながら、よく公園の片すみで一人遊んでいた。
砂に文字を書いたり、花を観察したりと、子供ながら随分寂しい時間を過ごしていた。
夕暮れ時になり、辺りが少しずつ暗くなってくると、子供達は一斉に帰り出し、あちこちから別れの言葉が聞こえてくる。
少し名残惜しそうな声色の彼らには、きっとその帰りを今か今かと待ち侘びる者達がいるのだろう。
子供達の消えた公園に、私は一人残っていた。
いつ家に帰ったところで変わらない。
好きなだけ遊んでいていいし、好きなだけ公園にいられる。
それは私にとって、少し寂しいことだった。
住宅街の片すみに建つ小さな一軒家に、日が沈み切ってからようやく帰る。
薄暗い家の中に人の気配はなく、電気をつけると物で散乱した部屋が目の当たりとなった。
私はここで母と二人で暮らしていた。
とはいっても、母は朝から晩まで家にいなかったので、実質一人暮らしのようなものだった。
散らばった本や衣服をかき分けて、その中に埋まった食料を探し出す。
見つかったのは賞味期限切れの菓子パンと、お湯の出ない家には似つかわしいカップ麺だった。
私はそれを一切の迷いなく食べ始める。
味の落ちたパンもそのままのカップ麺も慣れたもので、運が悪ければ体調を崩すが、お腹が空いていては仕方がない。
ガリガリと音を立てながら食べていると、固定電話に留守電が入っていることに気がついた。
聞いてみると学校からの連絡で、いつも通りの内容に私は少し申し訳なさを覚えながらも、母の手をわずらわせてはいけないとその留守電を削除した。
もう何ヶ月学校に行ってないだろうか。
給食費もロクに用意できず、服がいつも汚れていて、周りに迷惑ばかりをかけていたから、私は学校に行くのをやめてしまった。
それはそれで迷惑をかけているような気がしたが、どうしても行く気にはなれなかった。
しかし、勉強にはついていかないといけない。
立派な大人になって、母に楽をさせてあげたかったのだ。
散らばったチラシや雑誌を拾い集め、その文章を読んだり、文字をなぞったりして勉強をする。
他にも父が残してくれた本がいくつかあって、一人で過ごす時間も少しだけ有意義に感じられた。
自分で言うのもおかしな話だが、私は他の子に比べて、特別『聞き分けのいい』子だった。
貧しい生活に文句も言わず、腹を立てることもしなかった。
食事や衣服もまともに与えてくれなかった母を、私は心の底から愛していたのだ。
朝から晩まで働く母を尊敬していた。
たまに見かける美しい衣服を着た母が誇らしかった。
そして、私は母に愛されていると思っていた。
母は私のためにどんなに疲れていても働いてくれている。
だから、少しでも邪魔にならないように、少しでも楽ができるようにと、私はいい子であり続けた。
ようやく帰ってきた母が直ぐに布団で眠ってしまっても、なるべく静かにして毛布を掛けた。
体調を崩した時も、迷惑をかけまいと平気なフリをした。
プレゼントを受け取ってもらえなくても、毎年用意し続けた。
どれだけ無視されようと虐げられようと、私は決して母を見捨てず、愛していたのだ。
『努力はいつか必ず報われる』
『世界はきっと優しさで溢れている』
そういつでも心に言い聞かせていた。
だから、いつだって努力を怠らなかった。
人に優しくあろうとした。
母が自慢と思ってくれる息子になれるように、いつか父に会えた時に胸を張っていられるように。
薄暗い部屋で私はこっそり隠した写真を取り出す。
そこにはお腹に私を宿した母と共に笑う、父の姿があった。
母は父の話をすると機嫌を悪くする。
だから、この写真を見つけた時、慌てて隠したのだ。
他にも、父の姿は写っていないが、恐らく彼が撮ったであろう写真も数枚見つかって、私はその写真の美しさにいつも惚れ惚れとしていた。
輝く太陽に負けないぐらいの笑顔を浮かべる母。
砂浜に書かれた二人の名前と相合傘。
そして、どこまでも果てしなく美しい広い海。
私はこの海に強い憧れを持っていた。
いつかお金を貯めて絶対にこの海を見に行きたい。
きっとここに父もいるはずだ。
母も連れて皆でこの海に行ってもう一度遊ぶんだ。
そんな小さな夢を持っていた。
そんな風にして愛おしく写真を眺めていると、突然家の扉を誰かが叩いた。
私は全身で反応して驚き、咄嗟に写真を隠したが、声の主が母ではないことに気がついて少しだけ安堵した。
「おーい、カイくん。いないのかな?」
優しげに話し掛けてくる男の声。
私は慌てて玄関に向かうと、パッと明るい笑顔で出迎えた。
「佐藤さん、こんばんは」
「こんばんは、カイくん。今日も可愛いね」
「ありがとうございます。すみません、今日も母はいなくて...」
「そっか。でも、カイくんに会えたから嬉しいよ」
男は以前、母のお客さんだと言っていた。
しかし、私と初めて会った時から、母のいない時間にばかり訪ねてくるようになった。
「僕も佐藤さんに会えて嬉しいです」
「...カイくんは本当に可愛いね。そうだ、お腹空いてない?今から何か食べに行こうよ」
「え、でも、母が帰ってくるかもしれないですし...」
「お母さんには俺から連絡しておくから大丈夫」
「でも...」
「一人で食べるのは味気ないんだ。お願い」
「...分かりました」
彼は優しく寂しい人だった。
最近一緒に住んでいた両親を亡くして、独り身で子供もおらず、私と同じく家に帰っても誰もいない。
孤独で可哀想な人。
「それでさ、終わったら...この前みたいに“お泊まり会”しよう」
「お泊まり...会...」
「そう、ほら、あの綺麗な街の方でさ」
「...」
正直言って気乗りしない話だった。
ビル街には沢山の女性達がいて、話し掛けてきたり、お菓子をくれたりする。
子供が来るところではないから珍しいのだろうが、際どい服装をした彼女達を前に、私はどうしたらいいのか分からなくなってしまうのだ。
それに彼女達は少々強引な所があって、私の要望の大半は甲高い声と共に掻き消され、気づいた時にはビル街の一棟に引きずり込まれている。
その中で私の身体は言うことを聞かなくされてしまう。
触られ、舐められ、挟まれ、食べられる。
それは私にとって恐怖でしかなかったが、彼女達のことを嫌うなんて酷いことを、この時の私には絶対にできなかった。
彼の言う“お泊まり会”も同様のことをされるのだが、恐怖も嫌悪感も桁違いのものであった。
触れられた場所からは鳥肌が立ち、舐められた場所からは背筋が凍りつく恐怖が上り詰め、身体中が悲鳴をあげたその先には、鉛のように重たい痛みだけが待ち構えている。
あの時の恐怖を思い出せば、今すぐにでも逃げ出してしまいたい状況であったが、私は目の前の男に笑顔で頷いてしまった。
それを見て男はこちらと同じように笑顔を浮かべ、少し痛いほど強引に私の腕を掴むと、夜の町へと歩き出した。
幼い私が誰かを拒むことなんて簡単なはずだった。
一度大声を上げれば、たちまち人が飛んできて、大きな騒ぎになっていたことだろう。
しかし、私は決してそんなことはしなかった。
彼も彼女達も皆、寂しくて悲しい人だと思っていたから。
私が寄り添ってあげなくてはいけないと思っていたから。
優しくあれば、優しくしてもらえると信じていたから。




