5話
道端にひっそりと咲くツタバウンラン。
多年草のどこにでもある花で、決して珍しくもなければ、目を引くほど美しい訳でもなかったが、私はそれを母にプレゼントしたことがある。
誕生日に渡すものとしてはあまりに粗末なものだったが、金のない当時の私にとっては精一杯の贈り物だった。
彼女の好きな色をした小さな花。
家に散らばった包装紙の中で一番マシなもので包み、下手くそなリボンを結んで手紙を添えて渡した。
あの日、母はどんな顔をしていただろうか...。
いつかの道草と同じ紫色をした空の下、私はまだこのおかしな世界から抜け出せずにいた。
ネオン街を抜けた先、化け物達が溢れる学校で、追い詰められた私を救ったのは、謎めいた白髪の男カラレスだった。
一体何が起きたのか理解が追いつかなかった私だったが、
『集中したからできた』
という軽薄な男の一言に呆れて聞く気が失せた。
...いや、そうではないか。
聞かなかったんじゃなくて、聞けなかったのだ。
化け物を一掃し、校舎を練り歩いた末に見つけた扉。
そこに入るとまた別の空間が広がっていて、そこでもまた異様な形をした化け物達が襲ってきた。
逃げて蹴散らして扉を見つけてはまた逃げる...。
抜けても抜けてもあるのは不思議な空間ばかりで、いつまで経っても出口は見つからない。
隣を走る男への不信感も忘れてしまうほど、精神的にも身体的にも限界を迎えていた。
...ドガァンッ...ガラガラ...ガッシャーン...!!
激しい物音と共に崩れゆく建物。
どこか懐かしい住宅街を二人の男が駆け抜ける。
そして、その直ぐ後ろを大きな化け物が、建物を壊しながら追い掛けていた。
それは全裸の中年男性のような見た目をしていて、ブクブクと太った体付きに謎の液体を垂れ流しており、吐き気がするような悪臭を漂よわせていた。
そして、今までと同様にその頭は人間のものではなく、大きく汚い口が乗っかった正に化け物であった。
私は相変わらず口の減らない男と、もはや旧知の友なのではないかと思えてくるほど、慣れた口調で言い争いをしながら、全力でその化け物から逃げていた。
「何だよこのデブ!今までで一番のキモさだな!」
「本当に文句の多い奴だな!」
「うるせぇ!キモイもんはキモイんだよ!じゃあてめぇあのデブとでもヤッてこいよ!」
「どうしてそんな話になるんだ!?」
なんとも下品な会話。
しかし、こんな言い争いにも状況にも随分慣れたもので、私達は漫才のような言い争いをしながらも、なんの相談もなく、息ぴったりに動き出した。
家、塀、電柱...阻む全てを破壊し、追いかけてくる化け物。
辺りにはそれらの残骸が飛び散り、閑静な住宅街が荒れ果てた戦地へと変わりゆく。
転がった建物の破片、私はそれを一つ拾い上げると、化け物に目掛けて思い切り投げつけた。
その瞬間、隣を走っていた男は曲がり角に滑り込み、化け物の視界には私だけが残った。
「こっちだ!ついて来い!この豚野郎!」
そう叫ぶと、化け物は汚い雄叫びを上げて、先程よりも勢いを増して追いかけてきた。
私はそれに吐き気を催すような嫌悪感を抱きながら、負けず劣らずの全力疾走で逃げる。
これまでの奴らもそうだったが、今回の化け物は桁違いに気持ちが悪い。
見た目もあるが、なんだろう。
この背中を這うような嫌悪感と恐怖は...。
そんなことを考えながら、ふと後ろを確認すると、想像よりも遥かに早く追いかけて来ていた化け物が、直ぐ後ろに差し迫っていたことに気がついて、驚きと共に死が頭に過った。
それと同時に背後の空が一瞬、星空のように輝いた。
そして、瞬きする間もなく衝撃音が響き渡り、同時に化け物の巨体に無数の斬撃と穴が空いて、猛牛のような勢いはあっという間に静かになった。
目の前に倒れ込んだ化け物に、嫌悪の表情を浮かべていると、頭なのか目なのかよく分からなかった口が、珍しく本来の役割を果たし出した。
「...ぅゔ...あ"...が...ゔぃ...ぐ....ん"....」
「...え?」
驚きのあまり思わず声が漏れた。
それは、この化け物が話し出したことでも、その声のあまりの汚さに対してでもなかった。
私はそれを確認するため、化け物に近づこうとしたが、正面から向かってきた男に気がついて、伸ばした手をそっと引いた。
「よし!囮作戦成功!」
「...」
「おい、折角倒したってのになんだよその顔」
「...別に、なんでもないよ。というか、もう少し早く倒せなかったのか?」
「はぁ!?何で文句言われなきゃなんねーんだよ!」
「もう少しで捕まるところだった。私が命懸けで引きつけているというのに、君は安全地帯から攻撃してるだけなんて、公平さに欠けるとは思わないか?」
「集中しないと撃てないんだからしょうがねぇだろ!」
「なら常に集中しておけばいいだろう?くだらない文句や戯言ばかり吐いてないで」
「文句言ってんのはテメェの方だろうが!」
互いに罵り合い、睨み合う。
こんなことを続けていたら本当に気が触れてしまいそうだ。
「はぁ...一体いつになったら出られるんだ?」
「出口見つけるまでに決まってんだろ、馬鹿かよ」
「...君、本当にここから出る方法知ってるのかい?」
「方法は知ってる。でも、場所は知らねぇ」
「どういう意味だい?」
「ドリームワールドから出る方法は大きく二つ。ここを開いた奴を見つけ出して閉じさせる。もしくは、力の弱まっている場所を見つけて出る。どちらにせよ突っ立ってたら見つからない。だからこうして歩き回ってんだよ」
「閉じさせるって...どうやって?」
その質問に男が答えることはなかった。
彼は話すことをやめると再び歩き出し、私はそれに黙ってついていく他なかった。
しばらく歩くと、道の真ん中に佇む扉を見つけた。
私達はそゆな扉に慣れた様子で入っていくと、中にはまた別の空間が拡がっていた。
端の見えないほど広い部屋。
その中はまるで迷路のように物で埋め尽くされていて、高く積み上げられた本や足元に散らばる服など、良く言えば骨董品店を思わせる場所であったが、いわゆるゴミ屋敷であった。
そこは珍しくあやめ色の空もなく、その広さからして、まるでどこかの屋敷の中のようにも思えた。
「何だここ?」
「今までとは雰囲気が違うね」
「うぇ〜、何か色んな匂いするんだけど」
「そうだね、タンスの中って感じだ」
そんな会話をしながら私達は奥に進んだ。
『ここにも化け物がいるんじゃないか』
と緊張していたのは初めだけで、どうやらここには何もいないようだった。
不気味なほどの静けさにもすぐに慣れていった。
本に服、チラシやアクセサリー、寝具や家電と、価値のあるものからないものまで様々あって、私はそれらの全てに妙な違和感を感じていた。
何だろうか...どこかで見たことあるような気がする。
まぁ、どれも一般家庭にありそうなものだし、そんな気がするのも当然か。
そんなことを考えながら歩いていると、一つの姿見の前を通り過ぎた。
勿論それはただの鏡で、写るのは歩き過ぎ去る私だけのはずだったが、ふと視界の隅に写った光景に驚いて、私は思わず鏡の前に戻って立ち止まった。
「...え...?」
そこに映っていたのは幼い頃の私だった。
伸ばしっぱなしの髪と、身体のあちこちに怪我をしていて、ボロ雑巾のような汚らしい服に身を包んだ...あの頃の私。
うつむいて顔がよく見えなかったが、それは動揺し固まる私の方へゆっくりと顔を上げ始めた。
それと同時に固まる私の元へ、少し遠くにいた男の声が耳に入ってきた。
「マジでここやばいな、“ガラクタ”ばっかじゃん」
“その言葉”が私の脳裏に響き渡った。
それと共に鏡の中の少年がようやくこちらに顔を見せる。
彼の顔には耳まで裂けた口と鋭い蛇の眼光が輝いていた。
...ピシ...ピキピキ...パリィィイインッ...!
大きな音と共に割れゆく鏡。
その破片は凄まじい勢いで部屋中に飛び散り、その弾みで積み上げやれた物達が一斉に雪崩れ落ちてきて、あっという間に私達はそれに飲まれてしまった。
そうだ...思い出した。
あの日、花は母に受け取ってもらえなかったんだ。




