11話
事務所に帰る途中の車内、私は自分の命がそう長くは残されていないことを覚悟していた。
ヴァレリオ家のたった一人のドン。
その命を守ることこそが私の仕事であり、命綱と言っても過言ではない。
しかし、ドンは毒を盛られて倒れてしまった。
命に別状はないとしても、責任の所在は問われることだろう。
絶体絶命。
そんな状況だったのに、何故か私の心は冷静で、ただ静かに手の中にあるロケットを見つめていた。
そして、後部座席にいた青年もとても静かで、流れる景色を一心に眺め続けていた。
彼は一体何を考えていたのか、この時の私はそんなこと気にすることもなかった。
事務所に着き車から降りると、異様な空気感が私を襲った。
辺りは不気味なほどに静かで風一つも吹いていない。
そんな静寂の中、暗闇に顔を隠した数名の男達が、事務所の玄関前を塞ぐように立っている。
男達は不自然なほどに自然で、とても裏社会の人間には見えず、恐ろしいほどに隙がなかった。
疑心で首を傾げる私に一人の男が話し掛ける。
「社交パーティはいかがでしたかな?」
その声を聞いて私の体は凍りついた。
先程まで感じなかったはずの死の恐怖が全身を襲い、身体中から汗が湧き出て、震えが止まらなくなった。
低めの優しいその声色は、決して恐ろしいものではなかったはずなのに、全身の細胞の全てが彼を恐れた方がいいと警告をする。
そして、暗がりから男が姿を現すと、私はそれが誰なのかようやく理解した。
私のようなその場しのぎの仮なんかじゃない。
本家より代々受け継がれし優秀な者だけがその役に就くことを許される、本家ヴァレリオ家の顧問だ。
...まぁ、私が偽物という訳でもないのだが...。
やはり本家の人間は格が違う、雰囲気からして常人とはかけ離れている。
まさか顧問直々に殺しにくるとは...私は贅沢者だな。
頭の中でそんな皮肉めいた考えをしたのも束の間、男の一挙手一投足に、私の体は敏感に反応した。
彼は私の元に近づくと、己の胸元へと手を伸ばす。
銃を取り出す気であろうと思った私は、せめて無様に目を開いた死体とならぬようにと目を閉じた。
しかし、いつまで経っても銃声は聞こえなかった。
何かがおかしいと気づいた私がゆっくりと目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
胸に手を当て忠誠を示し、私の足元でひざまづく男。
彼は恐れ多い様子でこちらに深々と頭を垂れ、そっと口を開いた。
「お待ちしておりました、顧問」
「...え?」
男の言葉に私は思わず聞き返す。
彼は顔色一つ変えることなく、困惑する私を宥めるかのように再び話し出した。
「ローレンス様が先程、意識を取り戻しました。先に本家でお待ちです、参りましょう」
「...え、いや、待って下さい。理解が追いついていない。えっと...その...顧問はあなたでは?」
「はい、つい先日までは私でした」
「...先日?」
「ローレンス様からのご指名です。本家の顧問をフェデリコ様に、若頭をマリポーサ様にと」
その言葉に私だけでなく、傍に居いた構成員達も、目を見開いて驚いていた。
「...何も聞いてないのですが...」
「はい、我々も先程聞いたばかりなので」
「...そんな急な話が納得できるものなのですか...?」
「ローレンス様のご命令ですから。ドンの命令は絶対、我が家の掟でございます」
「...」
「フライトの時間が迫っております。どうぞ、お車へ」
男のその言葉に私は従う他なかった。
そんな私を構成員達は不安げな表情で見つめていて、私は彼らに残す言葉に少し迷った。
「...後で連絡する」
不器用にそれだけを残して私は車に乗った。
車と飛行機を乗り継ぎ、本家に向かう。
その間、私達への対応は特別なものばかりで、あまりの優遇に戸惑いを隠せずにいたが、同じように対応されたマリポーサは、慣れた様子で彼らのもてなしを受けていた。
いや、慣れたというか、されるがままというか。
このありえないような状況にも、彼は上の空で、ただ黙って外の景色を眺めていた。
そんな彼に少し違和感を覚え始めた頃、本家の大きな屋敷が見えてきた。
家紋の描かれた立派な門。
その奥には豊かな緑溢れる庭が広がっていて、権威ある大きな彫像や、噴水などもあり、豪邸という言葉がふさわしいほどの屋敷であった。
見たこともない豪勢な建物を見て呆気に取られていたが、そんな私に目もくれず、男達は急かすように中へと案内した。
中に入るとこれまた豪華な創りで、壁に飾られた元ヴァレリオ家のドンの絵画が私達を出迎え、その鋭い眼光に少し入るのを躊躇いそうになったが、男達に流されるまま奥と進んだ。
「マリポーサ様はローレンス様がお呼びですので、階段上にある奥の部屋へとご案内致します。フェデリコ様は引き継ぎなどのお話がありますので、私共とこちらへ」
「...え、ドンとはお会いできないのですか?」
「申し訳ありません、ローレンス様より、マリポーサ以外入れるなと言われておりますので」
「...そうですか...」
「それとフェデリコ様、我々に敬語は不要ですよ」
「...あ...あぁ...」
私の曖昧な返事に男は優しく微笑むと、部下らしき者に視線で合図を送った。
すると、マリポーサはその者に連れられて、階段の上にある部屋へと姿を消してしまった。
私はそんな彼を見て少し不安を覚えながらも、男に案内されるがまま奥へと進んだ。
少し歩くと、ある一室の前で男が止まった。
彼がその部屋の扉を開けると、そこには広々とした部屋に、これでもかというほどの男達が綺麗に列を成していた。
彼らは私を見ると直ぐに深々と頭を下げた。
「...これは...」
「あなたの部下となる構成員でございます」
「...やはり話が急すぎでは...?」
「と言いますと?」
「...いくらドンの命令とはいえ、私はあなたとお会いしたこともない。配下組織の中でも端くれの...しがない幹部の一人だ」
「えぇ、存じ上げております」
「...だったら...」
「ですが、ローレンス様の言葉は絶対。あのお方があなたを指名なされたのならば、今はあなたが本家の顧問。あのお方が黒と言えば白も黒なのです」
そう言って男はひざまづくと、胸元からバッチを外して、私の方へと差し出した。
それはヴァレリオ家の紋が入った特別なもので、本家の人間、特に上の者だけがつけること許された、顧問の証ともいえるバッチだった。
私は困惑の表情を浮かべ、受け取ることをためらったが、跪いた男が一瞬だけ向けた鋭い視線を見て、咄嗟にそのバッチを手に取った。
すると、男は直ぐに先程の優しげな表情へと戻り、立ち上がって少し縒れたスーツを直した。
そして、部下の方へと向き直ると、ドスの効いた声を響かせた。
「さぁ、新しい顧問の誕生だ...貴様ら役立たずの命を握る御方だ!彼への無礼も裏切りもこの私が許さんぞ!全身全霊を賭けて彼に尽くすのだ!全てはヴァレリオ家のために!」
「「Sì, capo」」
男の言葉に声をそろえて答える部下達。
整った身なりに統率の取れた返事、顔色一つ変えることのない肝の座り方。
その様子はうちの部下達とは天地ほどの差があった。




