8話
ヴァレリオ家の秘密が裏社会に流れて数日、少しばかり慌ただしい日が続いた。
ジャコモ家のように直接乗り込んでくるような組織はいなくなったが、他組織が用意したであろう殺し屋が現れたり、様々な罠を仕掛けられたりと、忙しない処理の数々に追われていた。
しかし、攻め込んできた多くの者達は、ドンの姿を正しく認識することができなかった。
彼に辿り着く前に返り討ちにあったり、とある青年をドンと見間違えたりして...。
日を追う事にマリポーサは成長を重ねた。
銃やナイフだけでなく、爆破物や薬の知識も学び、護身術から武術まで様々な分野で才能を開花させた。
ドンはそんな彼を見て感心した様子だったが、やはり信用も信頼もしてないようで、彼が構成員を庇い怪我をした時には、
『お前は誰の影武者として生かされてる?まともに仕事もできない馬鹿は嫌いだ。死ぬ時は俺のために死ね』
と言って舌打ちを鳴らしていた。
歳の近い青年、影武者として傍にいることも多く、二人きりで楽しそうに話をする姿も何度か見たが、やはり彼は変わらぬようだ。
冷徹無慈悲、誰のことも信じず、情け容赦ないマフィアの頭、ローレンス・ヴァレリオ...。
「...はぁ...」
思わずため息がこぼれる。
多忙な日々のせいで最近はろくに眠ることもできず、いつ誰が狙ってくるか分からないため、常に警戒し続けなければならない。
身体的にも精神的にも疲労困憊していた。
しかし、こんな状況でもドンは変わらず、気に食わない者がいれば迷わず葬る。
そのため人員不足にも手を回さなくてはならない。
過労で死ぬか、殺し屋に殺られるか、ドンの逆鱗に触れて殺されるか。
万が一にも失敗の許されない緊張感...なんとも給料に見合いしない仕事だ。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、曲がり角から何やら楽しげな話し声が聞こえてきた。
その珍しい声に私は少し警戒しながらも、ゆっくりと顔を覗かせた。
すると、そこには見るも恐ろしい大柄な男と、爽やかな笑顔を浮かべる青年が窓辺の椅子に座って仲良く語らう姿があった。
...あれはマリポーサとクレメンテか。
二人で何をしてるんだ?
ファミリーネーム、クレメンテは構成員の一人。
大きな体に傷だらけの顔はさながら化け物のようで、無口で何を考えているかよく分からない彼を、他の部下は恐れて距離をとっていた。
そのため、いつも一人でいることが多かったのだが、どうやら今日はそうではないらしい。
まるで獣とそれに食われる獲物。
そんなチグハグな二人を、私は物珍しさからしばらく黙って見ていた。
「これはどういう意味だ?」
「coccolone、甘えん坊と言う意味です」
「こっこ?」
「コッコローネです」
「じゃあ、これは?」
「mameluke、馬鹿とか間抜けとか...ですかね」
「...ママルーク」
「あんまりいい意味ではありませんね」
「そうなのか」
見ていると、どうやら二人はイタリア語の勉強をしているようだった。
普段は一言も発さないクレメンテが熱心に質問しているのにも驚いたが、それに顔色一つ変えることなく返答するマリポーサにも驚きというか...やはり気味が悪い。
あの日、私は理不尽に彼を怒鳴りつけてしまった。
思い返せばなんとも大人気なくて自分が恥ずかしい。
ドンに告げ口の一つでもしてくれていたら、謝罪の機会もあっただろうが、彼はそうしなかった。
翌日、彼は何事もなかったかのように私の前に現れ、仕事を学び、技を磨き、ドンを守る...いつも通りの生活を続けた。
私もそんな彼に流されるようにして過ごしてしまい、今でもこうしてあの日の謝罪をできずにいるのだ。
...あれからもう数日が経った。
時が流れるにつれて謝罪しづらくなっている...。
大の大人が子供相手に情けないことをしたんだ...謝罪の一つも述べないというのは無礼極まりない...。
そう思い悩んでいると、いつの間にか勉強会は終了していたようで、不思議そうな顔を浮かべた青年が、首を傾げてこちらを見つめていた。
「あの、何かありましたか?」
「...っ...いや、特にはないが...」
「そうですか」
先程いたはずのクレメンテはどこかに消え、突然訪れた二人きりの空間。
私がそれに少し戸惑っていると、そんなこと露ほども知らないマリポーサは、空いた椅子を私に向かって勧めてきた。
私はそれに再び流されるようにして従った。
「...何をしていたんだ?」
「イタリア語の勉強です。クレメンテさんがドンの言葉を理解したいと仰っていたので、そのお手伝いを」
「...クレメンテが?」
「はい」
...驚いた、奴がそんなことを言うなんて...。
やはり無口な奴は何を考えているか分からんな。
まぁ、無口でなくとも、何を考えているか分からん奴もいるが...。
「...熱心な奴だな...」
「ここに来てから沢山の人を見ることができました。とても勉強になります」
「...勉強?」
「クレメンテさんは銃よりも小鳥と戯れる方が好きで、誰よりも優しい心を持った方でした。マルコさんは好戦的で少し無謀な所もありますが、考えるよりも先に動くことのできる熱い方...。裏社会のことは何一つ知らなかったですが、思いやりのあるいい人達が沢山いるんですね」
「...」
その言葉に私は戸惑いを隠せなかった。
彼の口から出てきた男達は、長年私の部下として働いてきた者達のはずなのに、全く別人のことを聞かされているようだった。
そうしてしばらく私が押し黙っていると、青年はこちらの顔を覗き込むようにして再び話し出した。
「フェデリコさんは平和主義な方ですよね。争い事や厄介事、新しいこととかも苦手な保守派。でも、ドンのためなら躊躇しない強い方だ」
「...お前は人間観察が趣味なのか?」
「あはは、そうかもしれません」
そう言って彼は笑った。
その笑顔は爽やかで明るく『上手な』笑顔で、やはりどこか人間味に欠けていた。
しかし、笑顔を向けられて悪い気をする者もおらず、私も彼と同様に思わず笑みをこぼした。
二人の間でしばらく続いた沈黙の時間。
そこにはあの日の謝罪をしなければなどという自責の念は既になく、いつの間にか彼への気まずさも消えていた。
そして、ふと私は気になったことを思い出して、閉じていた口を開いた。
「...気になっていたんだが、お前はどこの国の...」
私がそう言いかけた時だった。
座っていたすぐ側にあった窓ガラスが突然勢いよく割れ、二人の間に置かれた机の上に何かが転がった。
咄嗟に視線を向けると、そこには円盤の形をした何かに30秒と書かれた数字が刻まれており、それは刻一刻と数を減らしていった。
たわいもない会話の最中に、時限爆弾が投げ込まれる事態など、一体誰が想像できたであろうか。
呆気に取られ固まる私...それとは裏腹に、目の前に座っていた青年は直ぐに動いた。
彼は腰元から工具を取り出すと、光の速さで機械を解体し始めたのだ。
それは本当にあっという間の出来事だった。
これがもし映画やテレビなら観客から罵声を浴びせられたであろう。
彼は飛び込んできた爆弾を意図も容易く解除して、窓の下を覗き込んだ。
「投げ込んだ方がまだいるかもしれませんので、確認してきますね」
ただそう言い残すと青年は、まるで何事もなかったかのように目の前から去って行き、いまだに状況を理解することができない私だけが取り残された。
...やっぱり...得体の知れないガキだ...。




