12話
赤い空が広がる不思議な世界、私はその世界にある森の中を何日も暴れ回っていた。
ここがどこで、自分は何者か、いまだに思い出すことができず、湧き上がる怒りに任せて暴れ続けていた。
初めは人間の姿をしていた私の身体は大きく歪な形となり、牙や爪は鋭く禍々しく、頭には二本の巨大な角を生やして、身体中に無数の恐ろしい目を持った化け物と成り果てていた。
我を忘れ、自我を失いかけていたその時、私の前に男が立ちはだかった。
真っ黒な鎧に身を包んだ男は、化け物の姿となった私からすれば小さく、片手の大きな剣もまるで玩具のようだった。
しかし、私はその男の前に立った瞬間、全身に悪寒が走り、身動きが取れなくなった。
ただ目の前に立つ存在に対し、恐怖ばかりが湧き上がってくる。
『逆らってはいけない』
私の全身にそんな命令が出されて、瞬き一つも許されない。
そうして黙っていると、鎧の男はそっと口を開く。
「自我はまだあるようだな。なら、こちらの質問に答えてもらおう。最近この辺りを荒らす悪魔は貴様だな?」
「...ぅう...っ...」
「人の身と共に言葉まで失ったか...仕方ない。話ができないのなら殺すしか...」
「...ち...がう...」
「何?」
「...わ...た...しは...に...人間...だ...」
私の言葉に鎧の男は黙り込んだ。
そして、片手にあった剣を本の形に変えて、こちらに近づき、その本を私の額に当ててきた。
「グリモアによって汝に命じる。その湧き上がる魔力を封じ、人の身を得よ」
男がそう唱えると、身体の奥で鎖に縛られるような感覚がした。
それと同時に私の身体はみるみる縮んでいき、‘’人間のような”姿となった。
「ん?おかしいな、完全な人の姿にしたはずだが...余程魔力が有り余っているのだな」
男はそう言って、胸元から小さな手鏡を取り出し、私の前に差し出した。
そこには仏頂面に目付きが悪く、頭に二本の角が生えた自分の姿が写っていた。
その姿にどこか見覚えがあったような気がしたが、やはり何も思い出せることはなかった。
「そろそろ話はできそうか?」
「...はい」
「自分が何者かは分かるか?」
「...いいえ」
「そうか、なら無理に思い出さない方がいいかもな」
「...それは、どういう...」
「まず第一に、君は悪魔となった。神に背き、罪を犯した者として死に、この悪魔界に堕ちたんだ」
私の言葉を遮って鎧の男はそう言った。
そのあまりにも突拍子な話に私は驚く事などなく、むしろこのおかしな世界に納得がいった。
「...あなたも悪魔なんですか?」
「あぁ、そうだ。ここには悪魔しかいない」
「...私を殺しに来たんですか?」
「何故そう思う?」
「...先程の話からなんとなく...それに剣を持って現れた辺りから殺す気だということは直ぐに分かりますよ」
「そうか」
男はそう言って、再び本を剣の姿へと変えた。
そして、その切っ先を私の方へと向ける。
私はそれを見て叫ぶことも暴れることもせず、姿勢を正すようにして座り直した。
「抵抗しないのか?」
「...私は化け物に成り果てました。混乱していたとはいえ、暴れ回り、多くの方々に迷惑をかけてしまいました。殺されて当然です」
「そうか」
「...それにあなたは強そうだ。抵抗したところで無駄でしょう」
「実に賢明な判断だ」
男はそう言うと、剣を大きく上にかざし、私の首に目掛けて振り下ろすかのように構えた。
私はそれを見てゆっくりと目を閉じた。
「もう一つだけ聞いてもいいか?」
「...はい」
「君は先程自分を人間だと言った。何も覚えていないはずなのに、何故自分が人間だったということを知っている?」
「...自分でもよく分かりません。ただ...自分が人間であったということに違和感がなかったのです。あのように暴れておいておかしな話ですが...」
私がそう言うと、男は黙ったまま、かざした剣を思い切り振り下ろした。
...ザクッ...!
重い鉄の刃が突き刺さる音が響く。
しかし、それは私の首を落とすことなく、まるで鞘にしまわれるかのように地面に深く刺さっていた。
驚いて鎧の男の方を見ると、彼は剣から手を離し、その手をこちらに向かって差し出してきた。
「俺と一緒に来ないか?」
「...え?」
「君のように話ができる悪魔はそういない。俺と来れば君は死なずに済む」
「...何を言って...」
「確かに俺はここで暴れる悪魔を討伐しに来た。だが、君は俺に言った、『自分は人間だ』と...」
「...」
「今の君の身体は確かに悪魔だ。魔力に満ち、人をたやすく殺せる力を持った、恐ろしい存在となった。だが、君が君自身を人間だと...そう言うのなら、俺は君の言葉を信じる。君を人として、殺さずに生かしてやりたいんだ」
男の言葉に私の目からは思わず涙が溢れてきた。
それは覚えていないはずの自分が、何よりも欲した言葉を彼が私にくれたからだった。
『君の言葉を信じる』
見ず知らずの私を信じて、救おうとしてくれている。
目の前の恐ろしい鎧の悪魔は、その瞬間、私にとっての希望の光となったのだ。
「...はい...!」
私は涙ぐみながら精一杯返事をした。
鎧の悪魔はその返事を聞いて、満足そうに頷くと、パチンと指を一つ鳴らした。
すると、悪魔の黒い鎧はたちまち姿を消して、中からスーツ姿の男が現れた。
金髪の髪に赤い瞳を持つ男は、誰もが見惚れるほど美しくたくましい姿をしていて、私は驚いてポカンと口を開けてしまった。
「改めて、俺の名前はカザミ。悪魔課の代表を務めている、本部...オルドの者だ」
「...オルド?」
「オルドとは世界の秩序を保つ秘密機関。人間界だけでなく悪魔界や天界までもを管理して守る裏組織だ。君にはオルドに従属してもらう」
「...何か危なそうに聞こえますけど...」
「そうだな、危険を伴う場所ではあるが、衣食住は勿論、仕事に見合った給料も出るぞ」
「...それは少し魅力的に見えてきますね...」
「ふっ、そうか、それは良かった」
男がそう言って微笑むと、私はその表情に再び怒りが湧いてきて、気づくと男の顔面目掛けて拳を突きつけていた。
「痛っ!!な、何で殴ったんだ!?」
「...あ、すみません、ついうっかり...」
「うっかりで人の顔を殴ってはいけない!」
「...あなた人じゃないでしょう?」
「そういう問題じゃない!」
男はそう叫んで私に説教をしてきたが、私は彼の傷があっという間に治る姿を見て、やはり悪魔なのだなと感心ばかりしていて、彼の言葉は何一つ聞いてはいなかった。
「はぁ...とりあえず君のコードネームを考えよう」
「...コードネーム?」
「そうだ、本部ではコードネームを使う。特に記憶のない君には、何か呼び名がないとこれから不便だろう...何か希望はあるか?」
「...いえ、特には...」
私がそう言うと、男は困った顔を浮かべたが、直ぐに剣を本の姿へと変えて、ペラペラと中を捲った。
「では、少し安直ではあるが、君の見た目から俺が名前をつけよう。気に入らなければ後にでも変えたらいい」
「...分かりました」
「よし、じゃあ...」
男はそう言って、ふとあるページで手を止めた。
そして、私の方を真っ直ぐと見つめて、ある名前を私に与えてくれた。
「君は今日からドウメキと名乗りなさい」
「...ドウメキ?」
「日本に存在する鬼の名だ。鬼のように厳しく俺を支えてくれ」
「...分かりました」
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そうして私は本部に入った。
悪魔課の事務ドウメキとして、平凡とは程遠い生活を送っている。
...いや、私はいつ平凡なんて望んだんだ?
何か大切なことを忘れているような...。
...まぁ、いいか...カザミさんの言う通り、今はこのぽっかりと空いた記憶に見て見ぬふりをしよう。
何故だかそれが一番穏やかな気がするから。




