8話
木々の隙間から零れる日差しに、煩わしさを感じて私は目を開ける。
終業式を終えて帰った時に見た空は青くまだ日も高かったはずだが、気づけば辺りは茜色に染っていた。
どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだった。
...あれ...私は一体...何をしてたんだ...?
頭にモヤがかかっていて、意識がハッキリせず、何をしていたのかよく覚えていない。
眉間にシワを寄せながら考えてみるが、思い出せるのは朧気な記憶ばかり。
確か...カイと話をしていたような...?
私はハッとして隣を見るが、そこには誰もおらず、自分の持っていたカバンもなくなっていた。
...カイが持って行ってくれたのか...。
私を置いて...先に帰った?
いや、彼のことだ。
起こすのは忍びないと思ったのだろう。
先に帰って母に話してくれているのかもしれない。
それなら私も早く帰らないと。
そう思い少し足元がふらつきつつも、私は家路を急いだ。
この時の私は、頭がボーッとするのも足元がふらつくのも、暑い中眠り込んでしまったせいだと思っていて、眠る前にしたカイとのやり取りを完全に忘れていた。
家に近づくと、ふとある違和感に気がついた。
それは家の隣に建つ神代さんという、私の幼なじみの女性が住む家のことだった。
いつもなら騒がしい声が外まで聞こえてくるというのに、今日は物音一つ聞こえない。
どこかに出掛けてでもいるのだろうか?
そんな小さな疑問を抱きつつも、私は裏口から家に帰宅した。
「...ただいま」
そう言って部屋の中に入ったが、私の声に反応する者は一人もいなかった。
いつもなら夕飯の匂いと共に、母がひょっこり顔を出して、『おかえり』と言ってくれるはずなのだが、部屋の中は不気味なほどの静寂に包まれていた。
隣の家に比べれば我が家は静かな方ではあるが、これは流石に静か過ぎる。
私はその違和感に直ぐに気がついて、声を掛けながらゆっくりと部屋に入っていく。
「...母さん?父さん?カイ?」
家族一人一人の名前を呼びながら、居間の方へ向かうと、電気もついていない暗がりの部屋の中、誰かが佇んでいるのが見えた。
部屋の真ん中に立つ人影、その足元には何か大きなものが二つ転がっていた。
「...え?」
ゆっくりと近づいて目が暗さに慣れた頃、転がっていた二つのものが、紛れもない自分の両親であることに気がついた。
背中を真っ赤に染めて床に伏せる父、首から血を流し目を見開いて倒れている母。そして、そんな二人の真ん中にいたのは、全身血だらけで片手に包丁を持った弟の姿だった。
...ミーン...ミンミンミンミン...ミーン...。
蝉の声がやけに耳につく。
私は状況が呑み込めず、立ち尽くしていた。
世界がまるで遅くなったかのように思考が鈍り、泣くことも喚くこともできなかった。
「...母さん...父さん...?」
ようやく声を絞り出したが、その声に二人が反応することなどなく、目の前に立つ弟も私のことを見るばかりで何も返しては来ない。
....ガタンッ...ガチャガチャ...。
突然、物音が響いた。
動けずにいた私もその音に驚いて、ようやく体がビクリと動いた。
そして、音のした玄関の方に視線を動かした。
それはほんの一瞬目を離しただけだった。
私は直ぐに視線を弟の方へと戻したが、そこにいたはずの姿は突如として消え、彼がいた場所には包丁だけが残されていた。
目を擦りもう一度確認するが、やはり彼はいない。
ゆっくりと近づいて包丁を取り上げると、それは柄の部分まで血に染っていて、その血が誰のものなのかは考えずとも分かった。
段々と状況を理解してきた私は、胸を引き裂かれるような悲しみと腸が煮えくり返るような怒りでいっぱいになっていた。
どうして彼が両親を殺したのか。
本当に彼は二人を殺したのか。
最早そんな冷静な疑問などこの時の私の頭にはなく、愛する家族を奪われた憎しみばかりが私の心を埋めつくし、拾い上げた包丁を握る手が強くなった。
そんな私の元に足音が近づいてきた。
先程玄関から聞こえたであろう物音は、誰かが家に入ってきた音だったようで、それはゆっくりと居間の方へと向かってきた。
そして、居間の扉が開き現れたのは、白い綺麗な制服を着たカイの姿であった。
「...え...兄さん...?」
彼は私の姿と倒れる両親を見て、先程の私と同様、理解ができずに固まっていた。
しかし、私はその様子に違和感を抱く余裕もなく、気がつくと、我を忘れ、持っていた包丁を片手に、カイに襲いかかっていた。
荒々しく胸ぐらに掴みかかり、その勢いのまま彼を床に叩きつけ、片手の包丁を思い切り振りかざす。
彼はそれを咄嗟に手で止めて、必死に抵抗した。
「...っ...兄...さん!...やめ...て...!」
刃を掴むカイの手からは血が滲んでいて、その痛みに耐えるかのように苦しそうな声でこちらに訴えかけ抵抗するが、私の耳には何も入っては来なかった。
『目の前の人間を殺さなくては』
まるで何かの使命かのように感じられた。
私はただ無言で力をかけ続け、彼に向かって包丁をゆっくりと近づけた。
そして、刃先が彼の喉元に触れかけたその瞬間、突然私の身体に誰かが思い切り体当たりをした。その弾みで私の身体は勢いよく壁の方へと飛ばされた。
「何をやってるんだっ!!」
「え、ちょ、ちょっと!堂角さん!堂角さん!」
「キャーッ!誰か!誰か、警察!!」
そう言って騒がしく部屋の中に入ってきたのは、向かいの家の住人達であった。
私はその中にいた数人の男達によってあっという間に羽交い締めにされてしまった。
カイは血まみれの手を女性達に心配されながら、私の方を恐怖の眼差しで見つめていた。
慌ただしく動き回る人達は、倒れた両親を何とか助けようと必死に蘇生作業を繰り返していたが、二人はただ人形のように転がっているだけで、誰もが口々に言った。
「...手遅れだ...もう助からない...」
私はその言葉を聞いて、静かに涙を零し始めた。
『2人はもう生きていない』
その事実をようやく理解してしまったからだ。
数分後、私は呼ばれた警察官数名に手錠をかけられ、連行された。
そして、私の悪夢のような夏休みが始まったのである。




