6話
午前6時の薄暗い部屋の中。
明かりといえば小さな電球ぐらいで、窓一つもないこの部屋では外の光も感じない。
しかし、その小さな電球も突如として消え、部屋にスンと電気が途絶える音がした。
少し暗さの増した部屋で、明かりは扉の隙間から零れる小さな光だけとなった。
そして、その扉の奥から重い靴を履いた、鈍い足音が段々と近づいて来る。
足音は丁度扉の前で止まると、何やら鎖のような音を騒がしく鳴らしている。
...ガチャ。
初めて聞く、開かずの扉の開く音。
長らく閉じていたせいか錆びついていて、耳障りな音を鳴らしながらゆっくりと開いていく。
開いた扉の先の景色、そこには男が一人立っていた。
細く繊細な線でありながらしっかりとした体付き、目を凝らすと薄く赤染みの着いたよれた白い服、病気のようにやつれた顔に伸びっぱなしで酷く毛色の悪い、白髪頭の男が。
男は手に大きな包丁のようなものと鎖を持っていて、薄暗い部屋の中を虚ろ眼で睨みつけていた。
そんな彼の視線の先には、女のような格好をした一人の少年が立っていた。
その少年は怖がる様子も抗う様子もなく、ただ静かに無表情で男を見ている。
「...レイ」
パパ...いや、男は確かめるように私の名前を呼ぶ。
私はその声を聞いて心の中で深呼吸をすると、ニッコリと笑って返事をした。
「なぁに?パパ」
「...どうして笑っているんだ」
「嬉しいからよ、パパにやっと会えて」
男は少し不思議そうに首を傾げてこちらを見ていた。
私はそんな男に向かってすかさず話を続ける。
「パパって想像通りね、優しそうで男らしいわ」
「...男らしい?」
「私ね、ずっとパパのこと考えてたの。さっきは混乱してたけど、パパは愛していたのよねママのこと」
「...っ...!」
「酷いこと言ってごめんなさい。パパは愛する人を失って深く傷ついたはずなのに、私を育ててくれた...愛してくれた...なのに...」
そう言って私は男を見つめながら静かに涙をこぼした。
その涙からは哀れみ、慈しみ、申し訳なさや感謝などが感じられたことであろう。
男は鋭かった視線を和らげ、いつも通りの優しく落ち着いた口調で話し始めた。
「...あぁ...レイ...分かってくれるんだね」
「えぇ、もちろんよ。パパ」
「...僕のことを愛している?」
「世界中の誰よりも愛してるわ」
私の言葉に男は静かに涙を流した。
そして、ニッコリと笑いながら私の方を愛おしげに見つめた。
「...僕がお前を食べると言っても?」
その言葉に私は一瞬、呼吸が乱れてしまいそうになった。
しかし、彼がそれを確かめていることに気がついて、何とか平然を保った。
「大好きなパパに食べられるのなら、私幸せよ」
「....レイ」
男は私の名前を嬉しそうに呼び、部屋の中に入って来た。
そして、持っていた鎖を床に落とし、こちらに手を伸ばしてくる男。
それと同じように私も男に向かって片手を伸ばす。
彼は私の手を取ると、自分の胸に抱き寄せてギュッと優しく抱き締めた。
そして、持っていた包丁を片手で大きく振りかざすと、それを私に向けて振り下ろそうとした...その時だった。
「...っぐ...!」
突然、男の苦しむ声が部屋に響く。
彼は包丁を振りかぶったまま、ゆっくりと私から離れるように後退りをした。
すると、その胸には真っ赤な刺傷ができており、白い服が段々と血で赤く染め上げられていった。
男は勢いよくこちらを見ると、私の手を見て酷く驚いていた。
そこにはガラス片のような鋭い刃物が握られており、持ち手もなく剥き出しになった刃は私の手も深く切りつけていた。
しかし、私はそんな痛みなど感じている余裕もなく、すかさず男に向かって再び刃物を突き付けた。
「っぐあ!!」
男はあまりの激痛に持っていた包丁を落とす。
私はチャンスだと言わんばかりにそれを蹴り飛ばして、部屋の奥に転がした。
そして、再び男の腹を刃物で刺す。
「っあ゛あ゛!!」
男が悲痛な叫び声を上げる。
しかし、そんな苦しむ声など気にも留めず、私は何度も....何度も何度も何度も何度も何度も男の腹を刺し続けた。
「...レ...ィ....」
男の声が段々と薄れていく。
それでも私は続けて何度も刺した。
「....」
気づけば男は虫の息となっていたが、私はそれすらも恐ろしくてたまらなかった。
ハッと何かに気がついて、私は男の元を離れ、部屋の奥へと駆け出す。
そして、先程蹴飛ばして部屋に転がった大きな包丁を手に取ると、男の首に向かって思い切り振り降ろした。
ーーゴチャッ!
鈍い音と共に液体が飛び出るような音がして、男の小さな呼吸音が聞こえなくなった。
「...はぁ...はぁ...はぁ...はぁ...!」
荒い呼吸を整える間もなく、私は大急ぎで部屋から駆け出した。
部屋の外にはまだ沢山の部屋があったが、そんなものには目もくれず、私は玄関らしき扉を見つけると、勢いよく飛び出した。
「...え....?」
家から出て見えたのは、白だった。
一面の雪景色。
恐らく初めて見るであろう本物の空も灰色の雲で覆われ、さらに雪を降り積もらせていた。
周りには家など一軒も立っておらず、遠くに目を凝らしても何も無い。
あるのは白、白、白、白、あの男と同じ白...。
私はその場で崩れ落ちた。
いや、落ち着いて、まだ大丈夫よ。
ここがどこだか知らないけど、電話や車があるはず。
気は進まないけど...家の中を探してみましょう。
そう決心して立ち上がると、私は再び家の中へと戻った。
リビング、寝室、シャワールーム、書斎に、私の部屋...。
まずは一通り見て回ってみようと思ったが、先に自分の部屋だけは扉を閉めておいた。
少しだけ悩んだ末にある一つの部屋が頭の中に浮かんだ。
それは男がいつも去っていった右の通路にある部屋。
キッチンだ。
中に入ると、そこは薄暗くてとても静かだった。
どの部屋も電気はついていなくて、カーテンも全て閉まっていたものだから、薄暗くてなんだかとても不気味だった。
キッチンに入ると直ぐに冷蔵庫が目に入った。
昨日の夜から何も食べていなくて、冷静になると少しお腹が空いてきた。
しかし、冷蔵庫を開けると中に食べ物など一つもなく、代わりに人の頭が丸々凍って入っていた。
「っひ!!」
私は直ぐに冷蔵庫を閉めて離れた。
そして、少し離れた先にあった机にぶつかり、何かが音を立てて落ちた。
それは男の日記のようなものだった。
私はそれを拾い上げて中身を見た。
中の内容はおぞましいもので、思わず見ることをやめてしまいそうになるものばかりであった。
人の調理の仕方や食レポのようなもの。
そこに書かれた全てにあの男の狂気が滲み出てていた。
気分が悪くなって閉じようと思ったその時、ある日の内容に手が止まる。
『アルバが死んだ。部屋の窓ガラスを割って首を切っていた。何故だ?どうしてだ?君は絶対に自殺だけはしないと思っていたのに。ソフィアを食べたことを後悔したのか?どうしてそんなことで死んでしまうんだ』
私はどんどんページをめくる。
『レイは私のことを愛してくれる。食べるのはやめて育ててみようか、私と同じように』
『レイが美味しそうでたまらない。このままでは食べてしまいそうだったから、部屋に閉じ込めた。これで安心』
気味の悪い料理ノートがどんどん、私との日々で埋まっていく。
何故だか読む手が止まらなくなってしまい、どんどん読み進めていくと、最近のページまでたどり着いた。
『レイにアルバのことがバレた。きっと好奇心旺盛な彼は直ぐに真実に辿り着く。何と言ったらいいのだろう』
『レイに私の好きな肉を食べさせてみた。ダメだった。彼もやはり私と同じにはなれない。私は誰とも分かり合えないんだ。私はこのまま一生孤独なのだ。やはり彼も食べよう。そして私も死のう。ブレーカーも電話も壊して、車も捨ててこよう。そうすれば後戻りもできない。決心がつく。さぁ、彼をどう調理しようか』
私はそれを読み終えると再び走り出した。
そして、壊れたブレーカーとゴミ箱に入った携帯電話の残骸を見つけた。




