10話
何が起きたのかしばらく理解ができなかった。
俺の全身には真っ赤な液体が飛び散り、目の前には首のない恩師の姿。
俺の手を掴んでいたはずの彼の手は段々と冷たくなっていき、力なく地面へと落ちてしまった。
「.....ぇ.....?」
思考の追いつかない状況に出た声は、消え入りそうなほど小さかった。
そうして固まって動けずにいると、寺の中を誰かが歩いて来る音が聞こえてきた。
木の板の上を上等な革靴で歩くような重厚な足音は、重い音を鳴らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、閉じられた襖が静かに開き出した。
「ん?もう一人いる?」
そう言って姿を現したのは、聞こえた通りの高そうな革靴に、折り目正しい綺麗な黒い色をしたスーツ、ネクタイや手袋が紳士的で、金色の装飾と緑色の宝石のついた馬の形をしたブローチを胸元に着けた、一人の男だった。
見るからに裕福そうなその男は首から上以外は完璧であった。
しかし、俺はその男を見て恐怖で息が止まりそうになった。
男の頭には包帯がぐるぐる巻きにされていて、目や鼻や口までもが包帯で隠されていて、首から下の完璧さとは相反する姿に、おかしな違和感と恐怖を覚えた。
「...っ...!」
「どうも、お前は...一体誰だ?そこに転がっている死体と何か関係のある者か?」
「...ぁ....え....」
「うーん、話はできなさそうだな...」
化け物のような男に怯えてしまい、言葉の詰まる俺を見て、男は考える素振りを見せると小さな声で呟いた。
「面倒だな...殺すか....」
「...え...?」
「一つだけ、お前の名前を聞いてもいいか?」
「...な...まえ...」
「そう、名前だ。それを聞いたら我は直ぐに立ち去ろう」
男はそう言って包帯頭をズイとこちらに近づけた。
口も顔も見えないはずなのに、俺の脳内には何故かその男の不敵な笑みが浮かんできた。
「...お...お...れは...」
全身に伝わるほどの震えと恐怖。
それらから逃れたい一心で俺は自分の名前を口にしようとしていた...その時だった。
「おい、クソ悪魔。勝手に何をしている?」
ドスの効いた低い男の人の声。
驚いて視線を向けると、壁に寄りかかるもう一人の男の姿があった。
体つきが良くて、包帯男と同じ大層立派な黒いスーツを着た、暗い紫色の髪に、整った顔立ち、タバコを吹かすその姿はガラが悪く、いかにも反社会的な存在のように見えた。
「僕の許可なく人を殺そうだなんていい度胸じゃないか。そんなに死にたいのか?」
「...チッ...」
「あ"?」
「いえ、そんな滅相もない。ただあなたの手間を省こうとしたまでです」
包帯頭の男はそう言って胸に手を当て、忠誠を示すかのようにお辞儀をした。
しかし、そんな男の忠誠心をガラの悪い男は蹴飛ばすように嘲笑い、包帯頭の男のネクタイを掴んで顔を近づけた。
「自分の首についているものも忘れたのか?あんまり舐めた真似ばかりしていると、 首から焼くからな?覚えておけ」
「....申し訳ありません」
「はぁ...人手不足でなければ、お前のようなクズを使いはしなかったのにな。まったく...上も何を考えているのやら」
ガラの悪い男はそう言って、仕方なさそうにため息をこぼした。
ネクタイを乱された男は黙り込み、静かにネクタイを直していた。
よく見ると、その首元には機械でできた首輪のようなものがつけられて、小さく赤いランプが不気味に光っていた。
おかしな状況にまだ追いつけない俺は、呆然とそんな二人を見ることしかできなかったが、そんな俺にようやく気がついたのか、ガラの悪い男が話し掛けてきた。
「おい、お前は何だ?」
「...え...?」
「だから、お前は一体誰だ?」
「...あ...えっと...その...」
「ハッキリしない奴は嫌いだ。さっさと答えないとお前も死体にするぞ」
その言葉に俺は怯えて、直ぐに名前を答えようとしたが、先程よりも冷静になった思考がそれを止める。
そして、先生の言っていたことを思い出して、咄嗟に別の名前を口走った。
「...ど...ドク...です...」
「は?」
「あ、えっと、ドクって言います!」
「...本当にそれがお前の名前か?」
「え、あ、その、は、はい!」
俺は言われた通りハッキリと答えるが、男は腑に落ちないような顔をしていて、鋭い目付きで俺のことを睨み続けていた。
すると、突然ガラの悪い男は包帯頭の男に無言のまま何やら合図をすると、それに応じて包帯頭の男は突如、指を鳴らした。
しかし、当たり前のことだが、指を鳴らしただけでは何かが起こるわけもなく、静寂の続く状況に俺は思わず首を傾げた。
「ほう、僕に嘘をつくか...中々見所があるな」
「...えっと...どういう...」
質問をしようとした俺の顔面に突然強い痛みが走る。
それはガラの悪い男が俺の顔面に向かって思い切り蹴りをいれてきたことによる痛みだった。
俺はあまりの衝撃に言葉も発することなく、部屋の中央へと吹っ飛んだ。
「この死体にそう名乗れと言われたのか?」
「...っ...!」
「“ドク”という名前はこの男のコードネームだ。お前、これとどういう関係だ?」
男は続けて俺に質問をしてくるが、蹴られた顔の痛みで俺は話すことができなかった。
しかし、そんな俺に向かって男は再び容赦なく蹴りを入れ続けた。
「...うぐっ...!」
「おい、僕が質問をしているだろう?さっさと答えろ」
「...うっ...かはっ...!」
「あぁ、また虚偽の情報を伝えたら、殺すからな?これ以上答えるのが遅くても殺すがな」
「...せ...先生!」
このままでは本当に殺される。
そう感じた俺は痛みを堪えて必死に叫んだ。
すると、男は蹴ることをやめ、俺のことを不思議そうに見つめた。
「何?」
「その人は...俺の先生...です」
「...こいつが...先生...?」
俺はその疑問の声に必死にうなずいて返事をした。
それを見て男は突然、清々しく笑い出した。
「ふっ!はははははっ!そうか!あの“ドク”が?教え子を作ったというのか!」
「...っ...え...?」
「...ふふっ...悪くないな...面白そうだ。よし。お前、僕について来い」
「...へ...?」
「お前は今日から本部の人間だ」
「...ほ、本部?」
「本部とは我らオルドの秘密機関のことだ。オルドとは世界の秩序を保つために存在する裏組織」
「...裏組織...」
「あぁ、そうだ。お前には本部に来てもらう。勿論だが拒否権はない。逃げ出せばそこにある死体と同じことになるから覚悟しておけ」
「...っ...!」
「“ドク”の教えた男なんだ...期待できる。お前が何日生き残れるか、どれほど役に立つ人材か...楽しみだな」
ガラの悪い男はそう言って不敵に笑った。
俺はこの時、先生との恐怖の暮らしが可愛げのあったものに思えて、なんだかとても恋しくなった。
「僕の名前はローズ。オルド、AI課の上官だ。そして、このクソはバンデージ、悪魔だ」
「...どうも、よろしくお願い...」
「さぁ、自己紹介も済んだことだし行くぞ」
そう言って、ガラの悪い男は包帯頭の男の言葉を遮って外へと歩き出す。
包帯男は仕方なさそうな仕草をして男の後を追った。
俺はそんな彼らについて行くしかなかった。




