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Gehenna-ゲヘナ-  作者: Filmrêve(フィルムレーヴ)
雨垂レ師ヲウガツ
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7話

胸の中心にできた手術痕のような縫い目。

一体いつからあったのか。

服を脱ぐ機会は何度かあったが、こうして鏡を見るまで気がつかなかった。


何の手術痕なのか、そもそも本当に手術痕なのか。

様々な想像が膨れ上がって、それが恐怖と変わり、俺は鏡を見て絶句していた。


そして、記憶を巡らせて、この手術痕が少なくともあの事件が起きる日までなかったことに気が付き、そこから直ぐに先生の顔が頭に浮かんだ。


恐らくと言うより、確実に先生の仕業だ。

先生が俺に何かをしたに違いない。

でも、一体何を?

...まさか爆弾でも仕込んだのか?


あらゆる恐怖が込み上げてきて、俺の心臓は激しく脈打つ。

そして、ふとある違和感に気がついて、思わず自分の胸に手に当てた。


ドクドクと激しく脈打つ心音。

それは少し触れただけの手に、しっかりと伝わってくるほど力強かった。


どうしてこんなに激しく脈打っているというのに少しも苦しくないのだろうか...?

そう言えば、最近激しく動くことがあっても、ここが痛むことは一度もなかった。

今日だって山を昇って、猪と一戦して、思い切り走ったりもしたというのに...。


そうして思考を巡らせる内に、俺はある考えに辿り着く。

家族といた時には夢のように聞こえた、俺には到底縁のない、“心臓移植”という言葉。


もし、このような状況でなければ、俺は飛び上がって喜んでいたことだろう。

涙を流し歓喜に打ち震えていたことだろう。

しかし、それは俺の中に残る疑問によって、遮られてしまっていた。


俺は直ぐに風呂場から飛び出し、寺の中を駆け抜けた。

そして、本棚の前に立つ先生を見つけると、そのままの勢いで思い切り先生に抱きついた。


「...おっと、どうしたんだい?そんな格好でうろつくと風邪を引いてしまうよ」

「....な...の?」

「ん?ごめんね、もう一度言ってくれるかい?」

「...これ...誰の心臓なの?」


以前、聞いたことがあった。


心臓移植は金だけの問題じゃないと、沢山の順番待ちの患者がいて、順番が回ってくるのは金持ちの人間ばかりなのだと。

それに加えて手術自体も容易ではなく、子供の心臓となれば更に困難なものになるのだと。

しかし、治安の悪い裏地区には腕のいい闇医者がいて、移植用の心臓を持ち込めば破格の値段で手術を請け負ってくれるという。


ここは決して裕福な場所ではない。

今はこうして2人だが、子供達が大勢いた時は皆で協力して、なんとか生活を食い繋いでいたぐらいだ。

正規の方法で心臓移植を受けられるほどの金がないというのは明白だった。


もし、できるとするならば闇医者に頼むしか方法はないはず。


「...ねぇ...先生...答えてよ」

「聞かなくても、もう分かっているんだろう?」

「...」

「僕は君に一つ嘘をついた。実は生き残ったのは君だけじゃないんだよ」

「...え?」

小鈴(シャオリン)だよ。彼女はまだあの時、生きていたんだ」

「...どういうこと?」

「えーと、つまり、それは彼女の心臓だよ」


言葉の意味を理解しない俺に先生は戸惑うかのようにそう言った。

しかし、俺はとっくにその言葉を理解していて、ただそれを受け入れられずにいただけだった。


「...何で俺なの?」

「ん?」

「...何でリンじゃなくて俺を生かしたの?」


(リン)はとてもしっかりした女の子だった。

面倒見がよくて頼りがいのある子で、先生や俺や他の子供達が困っている時は、厳しい言葉を言いながらも絶対に助けてくれた。


俺みたいな役立たずの“能無し”とは違って、皆から慕われて必要とされてた。

それなのに...どうして...。


「うーん、『なんとなく』かな」

「...ぇ...?」


先生はその言葉だけ言うと口を閉ざし、不敵な笑みでただ俺のことを見下ろしていた。

俺はその笑顔に初めて恐怖を抱くことができたが、気づくと俺の顔は引きつったような笑みを浮かべてしまっていた。


...狂っている。

この人の気まぐれでリンは死んだのか?

俺は『なんとなく』で生き残ったのか?

『なんとなく』って...何なんだよ。


悲しみ、憎しみ、怒り、恐怖...様々な感情が込み上げてきて、俺は笑顔を浮かべながら涙を流した。


先生は狂っている。

そして、俺自身も狂っている。

そうでなければ...どうして俺は笑っているんだ?

家族として迎え入れてくれた友達は、俺のせいで死んだようなものじゃないか。

それなのにどうして笑っている?

どうして目の前に立つ男を殺さない?

どうして俺は...


泣きながら笑う俺を見て、先生は穏やかで不気味な笑顔を浮かべながら俺の頭をそっと撫でた。


「さぁ、小静。風邪を引く前に体を温めておいで」

「...はい...先生...」


俺は小さな声でそう返事をした。

そして、恐怖で引きつった笑顔を戻せないまま、先程の風呂場へと力なく戻っていった。


先生は紛うことなき怪物だ。

今すぐにでも逃げなきゃ殺される。

でも、どうやって逃げる?

いくら走れる体になったとはいえ、あの先生から本当に逃げ切ることなんてできるのだろうか?

...いや、絶対に無理だ。

なら俺は一生このままあの人と暮らすのか?


未来への絶望感ばかりが募り、足元すら覚束無い俺の脳内に、ふとある考えが思いついた。

それは逃げるよりも到底不可能な考えだったが、精神的に追い詰められた俺の思考は、それの他に方法はないと思い込んでしまった。


このままでは近い将来、確実に俺も殺される。

それなら...逃げる方法は一つだ...。


「...殺される前に...殺すんだ...」


震える声でそう呟いた。

今考えれば無謀にも程がある。

しかし、この時の俺にはその考えしか浮かばなかった。


あの優しげな瞳から、物音一つ立てずに迫ってくる怪物から、逃げ切れる自信なんてなく、追いつかれた時の恐怖を考えるだけで、今でも足が竦んでしまう。


それならば先手を打つ他ない、そう思ってしまったのだ。

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