1話
俺の世界は沢山の人で溢れていた。
父と母、祖父と祖母、それから沢山の兄弟達...。
名前を覚えるのもひと苦労するほど、俺には沢山の家族がいた。
皆それぞれ役割があって、内仕事や外仕事、どれも家族のために必要で大切な仕事ばかりだ。
勿論、俺にも仕事はあった。
家の決まりで男は大抵外に出稼ぎに行くのだが、持病のせいで体力のなかった俺は家族の中で唯一、男なのに内仕事をしていた。
しかし、そこはやはり手馴れた女達の仕事場で、不慣れな俺は失敗ばかりを繰り返して、結局ここでも仕事の邪魔となってしまった。
稼ぐことも家事をすることもできない。
おまけに持病のせいで金もかかり、妹や弟の面倒すらまともに見ることもできない俺は、家族の全員から疎まれた。
『役立たず』『厄介者』『疫病神』
様々な名前で俺は呼ばれた。
特に“能無し”とはよく呼ばれたもので、俺はそう言われる度に泣くことしかできなかった。
そんなある日、母が俺を連れ出した。
「遊園地に行こう」
そう言われて俺は大はしゃぎでついて行った。
いつもは誰よりも俺にキツく当たる母だったが、その日はとても穏やかな笑顔を向けてくれた。
行きのバスでは沢山の話を聞いてくれて、常に忙しい母を独り占めすることのできる優越感に浸っていた。
しかし、辿り着いたのは遊園地などではなかった。
山奥に不気味に建つ廃墟のような寺屋敷。
何の冗談かと母の方を見上げると、そこにはいつも通り、冷徹な眼差しで俺を見下す母の姿があった。
母は俺を見るなり勢いよく突き飛ばし、派手に倒れる俺を背に走り去っていってしまった。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
俺は追うことも呼び止めることもできず、呆然と消えゆく母の背中を、見つめることしかできなかった。
空が灰色に染まり、黒い雲から雷鳴が轟き出して、パラパラと雨が降ってきた。
一人になると森の不気味さは一層増して、寒くて心細くて、泣き出しそうになったその時だった。
「大丈夫?」
突然、背後から声が聞こえた。
足音一つ出すことなく現れたその声に、俺は驚いて勢いよく振り返る。
そこには一人の男が立っていた。
おんぼろ傘を片手に持って、ピンク色のふざけたサングラスに、片耳のピアス、結った長髪に風車が刺さっている、全体的におかしな格好をした人だった。
俺が怯えた目をして見つめていると、男は優しそうに笑って、手を差し出してきた。
「やぁ、ずぶ濡れの子犬ちゃん。こんな所で寒くないのかい?」
「...っ...ぅ...ぅう...」
その優しい声に俺は思わず泣き出した。
男はそんな俺を見て慌てることも慰めることもせず、ただ静かに笑っていた。
そして、座り込む俺を突然抱き上げて、おんぼろ傘に一緒に入れて歩き出した。
「おいで、今日からここが君のお家だよ」
「...ぐすっ...っ...お家...?」
「そう、君は親に捨てられたんだ。ここはそういう子がよく連れて来られるんだよ」
「...っ...うぅ...」
「こういう言い方をすると、少し寂しいね。でも、きっと君も気に入るよ。なんたってここには沢山の友達がいるからね」
男に抱き上げられ、俺は寺の中へと入っていった。
すると、中には俺の家族よりも沢山の、年齢も人種もバラバラな子供達がいた。
彼らは俺を見ると目を輝かせて、一斉に駆け寄ってきた。
「こんにちは、初めまして!」
「やったー!男の子だ!ねぇ、コマ好き?」
「うわぁ!濡れてるよ!タオル持ってきて〜!」
「私より年下?年上?ねぇ、何歳なの?」
「泣いてるよ、大丈夫?」
「先生〜!その子、何て名前なの?」
俺はそのあまりに沢山の子供達に圧倒され、少し恥ずかしくなってしまい、男の服にしがみつく。
しかし、男はそんな俺を気にすることもなく、子供達の群がる所へ俺を下ろした。
「さぁ、ここが今日から君の家だ。そして、この子達が君の家族だよ」
「...家族?」
「そう、仲良くするんだよ」
そう言われて俺が恐るおそる子供達のいる方を見ると、彼らは優しく笑いかけてくれた。
その笑顔に俺はこれからの恐怖など忘れ、むしろ彼らとの生活に希望の光が見えたような気がした。
「人が多いから名前を覚えるのも一苦労だけど、まぁ、頑張ってね」
「先生も頑張ってよ〜!」
「え?」
「いっつも私達の名前間違えるくせに!頑張れなんて言えた立場じゃないでしょ!」
「う、う〜ん、手厳しい...」
「あはは!確かに!この前、俺のこと全然違う名前で呼んだよね!」
「そうだっけ?いや〜、覚えてないな」
「先生もうボケが始まってんじゃないの?」
「失礼な!まだそんな歳じゃありません」
「じゃあ、先生何歳なの?」
「えーと...20歳は超えてたと思うけど...」
「ダメだこりゃ」
そう言って子供達は一斉に笑い出した。
男は困り顔で頭を搔いていたが、子供達の陽気な笑いにつられたようで、笑みをこぼしていた。
俺もそんな楽しい光景に思わず一緒に笑い出す。
すると、一人の男の子がそんな俺を見て肩を組み、顔を合わせて笑いかけてくれた。
俺はその距離がなんだかとても嬉しくなって、同じように笑顔を返した。
誰からこのような笑顔を向けられたのは生まれて初めてのことだった。
心配されることも、皆で笑い合うことも、家族といた時にはただの一度もなかった。
「よかった、仲良くできそうだね」
「...うん」
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕のことは先生と呼んでくれたらいいよ。皆は...多いからゆっくり聞いていってくれ」
「...先生?」
「そう。名前じゃないから覚えやすいだろう?お父さんとかお兄ちゃんとかでもいいけど、何か変だろう?」
「...う〜ん...」
「あれ、そうでもないかな?まぁいいさ、好きに呼んでくれたら」
「うん」
「じゃあ、君の名前は?」
その問い掛けに皆が俺のことを見つめる。
俺は少し戸惑いながらも、皆の期待の眼差しに答えるかのように言った。
「...ジン...静!」
「よろしくね、静」




