4話
レジェスとの会話に俺は思わず時間を忘れてしまい、気づくと辺りは薄暗くなってしまっていた。
さすがに暗くなってきたな。
そろそろ帰らないと母が心配して迎えに来るかもしれない。
そうなったら少し面倒だ。
「悪い、俺そろそろ帰らないと...」
「しっ!」
突然、レジェスはそう言って、俺の口を塞いだ。
俺は驚いて彼の方を睨みつける。
「っ何だよ!」
「あれ、あそこ見て!」
ヒソヒソと二人で声をひそめて話す。
俺が言われた通りレジェスの指差す方を見てみると、一匹の蝶がヒラヒラと宙を舞っていた。
見たこともない世にも不思議な紫色をしたその蝶は、感嘆の息がこぼれるほど美しかった。
「あの蝶を探していたんだ、綺麗だろう?」
「...おぉ」
「中々見られるものじゃないよ?君は運がいいね」
「運ね...」
その言葉に俺は既視感を覚えたが、真剣な彼の眼差しの方が気になった。
「...あれ、捕りたいのか?」
「あぁ...でも、飛ぶのがとても速いんだ。僕らに気づいたら、きっとすぐに飛んで行ってしまう」
レジェスはそう言って少し悲し気な表情を浮かべる。
そんな彼を見て俺はニッコリ笑うと、近くにあった花を手に取った。
「ここで待ってろ」
「あ、ちょっと!」
俺は制止する彼の言葉を無視してゆっくりと蝶に近づく。
そして、持っていた花を蝶に向かって差し出した。
「そんなもので...」
レジェスはそう言って一瞬呆れ顔を浮かべたが、不思議なことに蝶は優雅にはためいて、俺の持つ花に引き寄せられるようにとまった。
「...そんなもので?」
俺は少し小馬鹿にするようにそう言って、蝶の羽根を掴んで捕えると、呆気に取られた彼の元まで近づけた。
「ほら、要らねぇのか?」
「...君、すごいね!」
「あ?あぁ、まあな」
以前にも言ったように、俺は何かと運がいい。
いつもなら望まないことであったが、どうやら今回に関しては役に立ったようだ。
まぁ、俺が選んだ花がたまたまこの蝶の気に入るものだった...というだけであると思うが。
「あ、ちょっとこれ持ってろ」
ふと、俺は思い出したことがあり、レジェスに蝶を預けた。
彼はそれを受け取ると、輝いた目で見つめていた。
確かこの辺にあったはずなんだが...あ、あった。
探しに行ったのは農具などがしまってある荷物箱だった。
俺はそこに入った植物の種を入れておくための瓶を見つけると、それを手に取って彼の元へ駆け寄る。
「おーい、これに入れて持って帰れよ...」
そう言ってレジェスがいる方に近づくと、蝶は羽根も掴んでもいないのに、彼の手の中で静かにとまっていた。
それもそのはずだった。
その胴体には小さな針が刺さっていて、蝶は既に息絶えていたしまっていたのだ。
「...え?」
「あぁ、ヨハネ、ありがとう。でもこのまま持ち帰れるから大丈夫だよ。君の物を借りるのも悪いしね」
「...お前何してんの?」
「何って...下準備だよ。持ち帰って標本にするのさ」
彼は死んだ蝶をウットリと眺め、薄気味悪い笑顔を浮かべた。
「...俺もう帰るわ」
「え、そうなの?」
「おぉ、もう暗くなるし田舎町に街灯はねぇから、お前もとっとと帰れよ」
「...あぁ」
俺が荷物を持ってそさくさと帰ろうとしたその時、背後から小さな囁き声が聞こえた。
「...これだから平民は...」
「あ?」
「おっと、耳がいいんだね」
レジェスはそう言って細く笑んだかと思うと、恐ろしい悪魔のような瞳でこちらを睨んだ。
「君のような人間には分からないさ、こんなへんぴな田舎しか知らない君には。永遠に美しさを閉じ込めることのできる、この行為の素晴らしさなんて」
「何言って...」
「あ、それともキリスト信者には受け入れられないのかな?」
その言葉に俺は驚きの表情を浮かべ、黙り込んでしまった。
「君、あの森の近くの家の子だろう?『頭のおかしいキリスト信者が住んでる』っていう噂の」
「...何で...」
「名前を聞いて直ぐに分かったよ。使徒の名前を付けるなんて...よっぽどだね」
「...」
「それで、君は僕に祈りでも捧げてくれるのかな?おぉ、神よ!哀れな少年に慈悲を!...なんてね。あははっ!」
彼はそう言って馬鹿にするように笑った。
「こんな田舎町、父に連れられてなかったら絶対に来なかったけど...欲しいものは手に入るし、面白いものは見れるし、案外悪くないね」
「...満足したかよ」
俺の言葉にレジェスは一瞬、わざとらしくとぼけた顔をしてから、嫌味に満ちた笑顔を浮かべた。
「あぁ!君はなんて可哀想なんだろうね!こんな僻地で迫害されて居場所もなくて、なんて哀れで可哀想なんだろうね!」
そう言う彼の言葉には哀れみなどというものは一切なく、ニタニタと意地の悪い笑顔ばかりが癪に触った。
自分勝手に可哀想なんて位置づけて悦に浸ってんじゃねぇよ!
てめぇなんかにそんなこと言われる筋合い、これっぽっちもねぇんだよ!
そう言い返せば良かったのに、何故か上手く言葉が出なかった。
初めてできた友達、楽しかった時間、それら全てを否定され、 裏切られた感覚になったのだと思う。
俺にしては随分可愛らしいものだ。
唇を噛み締めて、目の前で笑う彼を睨みつけ、今すぐにでも殴りかかってやろうと思ったその時だった。
「ヨハネ」
聞き慣れた声がした。
優しくて美しい川のせせらぎのような声。
振り返るとそこには、いつも通り微笑む母の姿があった。




