3話
今日は朝早くから家を出た。
地獄の勉強会の後から、母とは一言も話していない。
夕飯の時も、風呂の時も、寝る時も...何だか気まづくていつも以上に家にいづらかった。
だから、今日は母と顔を合わせることもなく、早めに家を出たのだ。
早朝の町はとても静かでいつものうるさい女共も少年達も、まだ眠りについているようだった。
この時間に起きるのはダルいが、陰口を背に歩かなくていいのは気が楽だな。
今度からこの時間に来るか。
俺が伸びをしながら歩いていると、道の真ん中に光る何かが落ちていた。
近づいて見てみると、それは朝日に照らされて、美しく光り輝く宝石のブローチだった。
誰が見ても分かる高価な...。
俺はすぐさまそれを拾い上げて自分のポケットに突っ込んだ。
よっしゃ、お宝ゲット!
こんなデカい宝石がついてたら、一体いくらになるんだ?
早起きも悪いもんじゃねぇな。
そんなことを考えながら、容器に口笛を吹き出すと、前方を歩いている同い年ぐらいの少年がいることに気がついた。
小柄に洒落た服を着て、ふんわりとした髪をした女の子みたいな少年。
見るからに裕福そうで、手には図鑑のような分厚い本を持っている。
俺は直ぐにあいつがブローチの持ち主だと悟った。
あんな奴ここら辺にいたか?引っ越してきたのか?
これ...あいつのだよな...。
いや、でも落として気づいてねえってことは、それほど大事なもんじゃねぇんだろ。
裕福な坊ちゃんならパパに強請ってまた新しいものを買ってもらえるだろうし。
うん、よし、落とす方が悪いな。
そう自分に言い聞かせて、そっと立ち去ろうとした時だった。
『汝、盗むなかれ』
突如として頭の中で声が聞こえたような気がした。
それは母に何度も聞かされた聖書の教え、モーセの十戒だった。
その声に立ち去ろうとした足が止まり、葛藤が手の震えへと変わる。
「...チッ...何だよ...クソが...」
何も知らずに悠々と歩いていく少年...の肩を俺は突然叩いた。
彼は驚いてこちらに振り返り、俺を見て間の抜けた顔を浮かべた。
「えっと、何かな?」
「...れ...」
「え?ごめん、何だって?」
「...っ...これ!落としたぞ!」
俺はそう言って勢いよくブローチを差し出す。
彼はそれを見ると驚いた様子で自分の胸元を確認し、そこに何もないことに気がつくと、再びブローチに目をやって、それを受け取った。
「ありがとう。良かった、落としたことに気がつかなかったみたいだ」
「...みたいだな」
俺はふてくされた声色でそう言う。
身なりのいい少年はブローチを胸元につけ直すと、満足気に頷いて、再びこちらの方を見た。
「本当にありがとう。とても大切なものだったから助かったよ」
「はっ、大事ならもっとちゃんと見とけよ。そんな高そうな物、直ぐ盗まれちまうぞ」
「そうだね...君が拾ってくれて良かったよ」
俺の皮肉に彼は気づかずに、むしろこちらに好意的な態度をとった。
俺はそれがなんだか慣れず、少し照れくさいような気になった。
「...じゃあな」
「あ、待って、僕ここに来たばかりなんだ。よければ少し教えてくれないかな?」
「こんなとこ...教えるほど何もねぇよ」
「じゃあ...君は今からどこに行くの?」
「畑仕事だよ、この先にある...」
「畑!僕も行ってもいいかな?」
「は?」
「僕ねこの本に書いてある蝶を探しているんだ。畑なら虫が沢山いそうだし...いいかな?」
彼はそう言って輝いた目をこちらに向けた。
母以外からこのような目を向けられたのは初めてだったため、俺は少し戸惑ったが悪い気はせず、むしろ嬉しかった。
「...そりゃ虫なんて馬鹿みてぇにいるけど...邪魔すんなよ?」
「勿論、邪魔はしないよ」
「...それだったら...別に...好きにしろよ」
「ありがとう」
彼はお礼を言うと、手をこちらに差し出した。
「僕はレジェス、君の名前は?」
「...ヨハネだ」
俺は差し出された手に一瞬どうすればいいかと迷ったが、自信なさげに同じく手を差し出した。
すると、彼はそれを見て細く笑み、俺の手を掴んで握手をした。
「よろしく、ヨハネ。面白い名前だね」
「...お前もな、レジェス」
レジェスは俺の言葉に笑った。
そして、一緒に畑に向かって歩き出した。
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畑に着くと俺はいつも通り、仕事に取り掛かった。
育てた野菜の世話と収穫、終わったら冬備えのための薪割り。
いつもと違うのは、少し離れたところで野菜に紛れる虫を探すレジェスの存在だった。
彼は先程言った通り邪魔をすることもなく、ただ静かに図鑑を片手に虫を見ていた。
俺は人がいることになんだか慣れなくて、チラチラと何度もレジェスの姿を確認する。
そんな様子に気がついたのか、突然彼は吹き出した。
「あはは!君、こっちを見過ぎだよ」
「は!?別に見てねぇよ!」
「ふふ、そっか。なら僕の勘違いかな?」
レジェスはそう言いながらもクスクスと笑い続けていた。
「ねぇ、話しかけるのは邪魔になるのかな?」
「...もう話しかけてんじゃねぇか」
「一応の確認だよ」
「別に...動かすのは手なんだから、口は暇だよ」
その言葉にまた笑い出し、俺は恥ずかし気味に舌打ちを鳴らした。
「君は毎日それをやっているの?」
「あ?まぁ、そうだけど?」
「へぇ...大変そうだね」
「慣れたもんさ、力仕事は得意だしな」
「ご両親は?」
その言葉に俺の薪を割る手が止まった。
忘れかけてた母のことを思い出したからである。
「...母と二人だ、父はいねぇ」
「そっか」
「お前は?」
「え?」
「お前のことも聞かせろよ」
話題を替えたくて咄嗟に聞く。
まぁ、それ以前にレジェスという男について知りたいというのもあったが。
「僕は父の仕事の関係でここに来たんだ。 越してきたわけじゃないよ」
「それがいい、こんな田舎町住まない方が絶対いい」
「あはは...」
その皮肉に彼は少し顔を曇らせたが、俺はそんなことに気づくことなく、会話を続けた。
誰かというより、同じ男で同い年の...母以外の人と、こんなに長く話すのは初めてだ。
皆、母と同様に俺を気味悪がって近づいてはこないのに、こんなにも俺に興味を持ってくれる人がいる。
『頭のおかしい宗教女の息子』
そんなレッテルを貼ることなく、話し掛けてくれる。
俺はそれがとても嬉しかった。




