2話
時計の針が進む音だけか響く。
そんな静かな部屋で俺は緊張に包まれながら母を見つめた。
「...うん、全問正解!」
「よっしゃ!」
「流石ね、もうマタイ伝を覚えるなんて。あなたはやっぱり主に認められているんだわ」
「あぁ、うん...」
俺は目を逸らして口ごもるように返事をした。
しかし、母はそんな俺の様子に気づくことなく、嬉しそうにおやつの用意をしていた。
危なかった...あそこやっぱり、『満たされる』じゃなかったんだな...。
見直しておいて正解だった。
「はい、今日のおやつよ。よく頑張ったわね、偉いわヨハネ」
母はそう言って俺の前にホットケーキを差し出した。
さて、このまま直ぐに手をつけたらどうなるだろうか。
たちまちホットケーキは聖書に変わり、地獄の勉強会が再開されるだろう。
つまりせっかくの満点が水の泡だ。
「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、私達の心と体を支える糧としてください。父と子と聖霊の名によって、アーメン」
俺が手を合わせてそう唱えると、母は満足したかのように頷いた。
それを見て俺はほっとして、ようやく用意されたおやつに手をつけて、三口ほどでそれを食べ切った。
「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。あなたの慈しみを忘れず、全ての人の幸せを祈りながら。父と子と聖霊の名によって、アーメン」
「もう、ヨハネはせっかちね」
「ご馳走様、じゃあ...もう行ってもいい?」
「いいわよ」
俺は母から許可をもらうと、すぐさまテーブルから離れて、家の裏にある森の方へと走り出した。
別に森を駆け回ることが好きな野生児でもなかったが、家にいると息が詰まる。
それにこの森には色々なお宝が眠っているのだ。
少し周りを気にしながら、森の中を縫うように歩いて行く。
そして、ある一本の木の前で止まると、俺は腕を捲って登り始めた。
登っていくと木の上の方には缶の箱が置いてあった。
中を開けてみると、そこには数枚のコインや指輪、マッチと煙草が入っていた。
これらは全て俺が集めたものだ。
森には沢山のものが落ちていて、こうしてお宝を発見することもある。
しかし、どれも母の嫌うようなものばかりだったため、家には持って帰らずにここに隠してあるのだ。
俺は缶の中身を確認して再び木の上に隠した。
見たこともない動物の描かれたコイン、不思議な色の宝石が付いた指輪。
どれも貴重で値段も高そうで、盗まれてもおかしくない代物だったため、俺は毎日確認しに来ていた。
さて、今日も宝探しに行ってみるか。
向こうの岩場であの指輪は見つけたが、最近は何も落ちていなかったから、今度は川辺の方を見てみよう。
そう考えると俺は早速歩き出した。
森は足場が悪くて迷いやすい場所だが、子供の頃から一人で遊んできた俺は慣れた足つきで迷うことなく突き進むことができた。
しばらく歩いていくと川辺に辿り着いた。
ここにはたまに何かしらの物が落ちていたりするが、そのほとんどがガラクタで、ロクな物がない。
しかし、ここに来られずにはいられない俺がいる。
と言うのも、先日ここでマッチと煙草を見つけたのだ。
中には数本しか入っておらず、勿体なくてまだ一本も吸っていない。
いつか吸ってやろうとは思うが、数が惜しい。
また落ちていたらという希望を抱いて、何度もここへ足を運んでいるのだ。
「はぁ...やっぱ何もねぇか...」
そう言って俺はふてくされたように川に向かって石切りをした。
石は水面に3回ほど跳ねてから沈んだ。
長いこと探し回ったが収穫はなし。
日も随分傾いてきていたので、俺は仕方なく家の方角に向かって歩き出した。
石蹴りをしながら家の方に近づくと玄関の前に数人の男の姿があった。
扉を開けた母と和気あいあいと何かを話している。
男達は体格も良くて一人は身なりがとても整っている。
この田舎町にあんな人達はいなかったはずだ。
よく見ると男達の手には母がいつも配っている聖書が握られており、どうやら布教をされているみたいだ。
俺はそれを見ると直ぐに走って近づいた。
そして、男達をかき分けて母との間に割り込んだ。
「おい!てめぇらここに何しに来た!」
そうして突然怒鳴り声を上げる俺を見て、男達は一瞬睨みつけてきたが、身なりのいい男が手を上げると、先程母に向けたような笑顔へと直ぐに戻った。
「...随分な口を聞くね。君は彼女が話していたお子さんかな?」
「ウチに金なんてねぇよ!強盗なら他当たんな!」
「私達はそんなことをしに来たわけじゃないよ?」
「はっ!誰が信じるかよ!」
紳士服を着たその男は困り顔で溜息をついていたが、俺は引くことなく男達を罵った。
「俺はな、てめぇらみたいなクズが大嫌いなんだよ!迫害されて立場弱い人間につけ込んで、理解者みたいな顔して騙すようなゴミみてぇなことしやがるクズがよ!」
「酷いこと言うね...私達はただ...」
「うるせぇ!とっとと消えねぇと俺がぶち殺すぞ!」
俺がそう叫ぶと、身なりのいい男でもガタイのいい男達でもなく、背にいた母が俺の頬を思い切り叩いた。
驚いて母の方を見ると、母は見たこともない顔をして怒っていた。
「なんてことを言うの...主の教えに反するような言葉を口にしてはなりません!」
「はぁ!?あんた見えねぇのか!?こいつら聖書を片手で雑に持ってやがるんだぜ?端から宗教なんて興味ねぇよ!」
「黙りなさい!ヨハネ!」
初めて聞く母の怒鳴り声に、俺は驚いて思わず黙る。
そんな様子を男達はただ見つめているだけだった。
「ごめんなさい、失礼なことばかり...」
「いえ、お気になさらないでください。突然訪問した我々も悪いですから」
「いえ、そんなことないですわ。是非いつでも聞きに来てください。主はきっとあなた方を認めてくださりますわ」
「はい、ありがとうございます」
男達はそう言って去っていた。
彼らに手を振って笑顔で見送る母とは反対に、俺は牽制するような目付きで男達を睨み続けた。
「...部屋に戻りなさい、もう一度聖書を読み直すわよ」
冷ややかで怒りがこもった声で母にそう言われ、俺は黙ったまま部屋の中へと入っていく。
叩かれた頬は熱を帯びて痛かった。
そして何故か、何もされていないはずの目もじんわりと熱くなっていた。




