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Gehenna-ゲヘナ-  作者: Filmrêve(フィルムレーヴ)
神のひとり子
31/104

1話

オルドの記録書

コードネーム:ヨハネ

天から俺達がよく見える日。

雨続きだったのが嘘のように晴れ渡り、鳥のさえずりがまるで祝福の歌に聞こえたそうだ。


その日、母は俺を産んだ。


田舎町には似合わないほどの美しさを持った母は、聖母マリアのような慈愛に満ちた目をして、生まれたばかりの俺を見つめ...容赦なく川へと沈めた。


勿論、生後間もない赤子が泳げるわけもなく、ましてや俺はただの人間で魚じゃない。

当然溺れて死にかけた。


しかし、もう息が止まるかと思ったその瞬間、母は川から勢いよく抱き上げて、高らかと天に向かって赤子を掲げながら叫んだ。


「ハレルヤ!」


俺はこの時、『この女は馬鹿なのか』と赤子ながら思ったことを覚えている。


重度のキリスト信者。

暇さえあれば神へのお祈りに時間を使い、優しさと言っておかしな教えを周りに強いる。

小さな田舎町で大層な美人だと言うのに、誰も母に近づこうとはしなかった。


母は神を信じていた。

神を主と呼んで敬い、慕っていた。


『唯一主以外を信仰してはならない。主の姿を偶像してはならない。主の名を乱りに唱えてはならない。主のために日々を捧げなくてはならない。汝の父母を敬わなくてはならない。決して殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。嘘をついてはならない。他人のものを欲しがってはならない』


何かにつけて十戒を唱え、他にも沢山の神の教えを俺に説いた。

聖書はすみからすみまで覚えさせられたし、神々の伝承も全て頭に叩き込まれた。


『主はいつだって私達を見守ってくださっているのよ』

『主を信じて敬えばきっと救いが現れるわ』

『自己犠牲と他人への優しさは美徳よ、主はあなたを認めてくださるはずだわ』


異常なまでに神にすがりつく母を不気味に感じたこともあったが、それ以外は心優しい母だったから、大人しく言うことを聞いていた。


母には旦那がおらず、男手は俺だけだったため、毎朝の薪割りと畑仕事が俺の日課だった。

父のことは見たこともないし、母から聞いたこともなかったが、なんとなくいない理由は察していた。


「母さん、行ってくるよ」

「あぁ!待って待って!」


母が慌ててキッチンから向かってくる。

その手には小瓶を持っていて、中に入った葡萄酒をオリーブの葉につけて、俺に向かって数滴振りかけた。

そして、目を閉じ手を合わせて唱える。


「主の御加護があらんことを」

「...行ってきます」

「行ってらっしゃい、気をつけてね、ヨハネ」


母は眩しいほどの笑顔で俺を見送った。


このおかしな宗教思考さえなければ、母との暮らしに何一つ不満はないのだが...。


畑は家から少し離れた場所にあり、薪割りもそこで行う。

畑と山と家しかない田舎町なので、一本道を歩けばすぐに着くから不便ではないが、その途中にある町がどうにも面倒くさい。


俺が一人で歩いて来ると、そこに住む洒脱さのない老けた女達がヒソヒソと話し出す。


「見て、また来たわよあの子」

「あの頭のおかしい女の子供でしょ?」

「まぁ、野蛮そうな目付きだこと」

「布教活動でもしに来たのかしら?」

「母親が赤ん坊の頃に無理やり洗礼したそうよ」

「自分の子供を殺そうとしたってこと?」


わざとなのだろうか、会話の内容はしっかり俺に聞こえていて、すべからく俺と母の悪口だった。

気分のいいものではなかったが、半分は俺も思ったいたことだし害もないので、俺は聞こえないフリをして通り過ぎた。


あんな陰口不細工女達よりも厄介な奴らがここにはいる。


「あ、見ろよ!ヨハネだ!」

「本当だ!おい!止まれ!」


そう言って同い歳ぐらいの少年達が走ってきて、瞬く間に俺を囲んだ。


「こいつまた服にぶどう酒つけてるよ」

「神様のお声は聞こえたのか〜?」

「お前の変人母さんがまた家に来たぞ」

「もうここの道は通るなって言ったよな?」


こいつらの頭はあの女達よりも悪い。

田舎町には常に誰かを袋叩きにしなさい、なんてルールでもあるのだろうか?


俺は分かりやすく大きなため息を一つこぼし、少年達の言葉を無視してそのまま歩き出した。


「おい!無視してんじゃねーよ!」

「あ、やめとけって...」


数人が止めようとする中、一人の少年が俺の肩に掴みかかった。

すると突然、そいつの頭に向かって鳥が石を落としてきた。


...コンッ


中身の詰まってない胡桃のような音がして、俺は思わず吹き出す。


「っぶ...くくくっ...」

「...いっ...てぇ!何が...おい!笑ってんじゃねぇよ!」


笑う俺に腹を立てたのか、石の当たった少年は顔を真っ赤にして、殴りかかろうとしてきた。

すると、また今度は大量の石が少年達に向かってバラバラと落ちてきた。


「痛っ!何だこれ!」

「だから、止めろって言ったのに!」

「イテテッ!早く行くぞ!」


そう言って少年達は捨て台詞を吐きながら、どこかの物語の小悪党のように逃げ去っていった。


...チッ...またか。


俺は昔から何かと運が良かった。

外に出た途端に雨が止んだり、暴走した馬が目の前で進路を変えたり、今のように誰かに危害を加えられそうになると逆にそいつに危害が加わるなど...。


母は洗礼のお陰だと泣いて喜んでいたが、俺は単なる偶然だと思っていたし、そもそも運の良さなんて一つも望んでなかった。


他の子よりもガタイはよく、殴る蹴るは得意だった。

いや、むしろそのような喧嘩には少しだが、憧れさえあった。

しかし、何故だか手を出そうとすると、俺よりも先にいつも何かが相手を退ける。


まぁ、面倒事が勝手に片付いてくれることに、越したことはないのだけど。

なんかこう...少しつまらない。


母は絶対に暴力反対で、『右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい』と聖書の教えを説く。

だから、誰かを殴ったり蹴ったりなんてしたこともなければ、それを考えることすらはばかられた。


俺の力仕事と言えばこのだだっ広い畑と、割っても割っても終わらない薪割りだけだ。


畑に着いた俺は早速、仕事に取り掛かった。

育てた野菜の世話と収穫、終わったら冬備えのための薪割り。


退屈と言えば退屈だが、家に帰ってする聖書の勉強に比べたらよっぽどマシだ。

帰ったら母の出すテストのようなものを行い、それで満点を取らなければ一日中、本を読まされる。


文字が読めるようになってから始まった地獄の勉強会。

それが開催されるようになってから、宗教に無関心だった俺も、死にものぐるいで聖書に喰らいついた。


そして、この畑仕事の合間に、母に教えこまれたものを復習する。


『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは...』


なんだっけな....あ〜と、『満たされる』だっけ?

やばいな、後で見とかねぇと。


これが俺の日常。

クソ田舎のこの暮らしが俺の世界だった。

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