9話
サンネの不思議な瞳がいつものように俺を捉える。
俺もそれに答えるかのように真っ直ぐと彼女を見つめた。
「...お花を踏まないでって言ったのに」
「どうやった?」
「爆弾のこと?あなたの部屋に行った時に箱の中から盗ったの。勝手に使ってごめんなさい」
「何故こんなことを...」
「私のお友達の話をしたでしょう?あの子がこの人達に捕まってしまっていたの。手伝えば解放すると約束されてそれで...いいえ、違うわ...全て決まっていたこと。私はそれに従っただけ」
「...」
「あなたのお友達は気の毒だけど、それも全て決まっていたことよ。命は全て宿り木に帰り輪廻する。きっと次は戦争のない時代に生まれるわ」
「...」
彼女の訳の分からない話に、いつもなら懲りることなく耳を傾けていたが、今はそんな疑問を聞く余裕などなかった。
「...どうして花のことを伝えた?」
「どうしてって?」
「...あれは遠回しに地雷のことを教えていたんだろう?『お花を踏まないで』と」
「...人間って矛盾ばかりよね」
「どういう意味だ?」
「命の尊さを知っていながらそれを奪う。人殺しは罪だと言うのに戦場ではそれも許される」
「...」
「未来は全て決まっていて変えられない、そんなこと私が一番理解しているはずなのに、気がついたらあなたに忠告をしていた...。あなた以前に言ったわよね?
『羽根のない天使はただの人間じゃないのか』って」
「...あぁ、言った」
「その通りなのかもしれないわ。空も知らない矛盾だらけな私はきっと天使じゃない。人間なのよ、あなたと同じ」
俺と...同じ...。
「俺は本当に人間だろうか?」
ふと、彼女にそう問い掛けた。
数々の死線をくぐり抜けて来た中で、多くの者が俺を見て言った。
“怪物”
戦場という無慈悲な場所で、俺の心はそれに成り果ててしまったのではないか。
いや、本当はもっと前から...家族を失ったあの日から、変わり果てた弟の一部を抱えたあの日から、俺は人間ではなくなってしまったのかもしれない。
奪って奪って奪って奪って...奪うことに慣れてしまったのではないだろうか?
それはまるであの日の黒い鳥のように。
あの日のことを忘れまいと誓い、奴への憎しみを込めてこの名を付けた。
だが、俺は戦場で駆け抜けてきた中で、その名前の通りに成り果ててしまったのではないだろうか?
自信なくうつむく俺にサンネは近づいてきて、背伸びをして俺の顔に手を添えた。
「あなたは“怪物”なんかじゃない、人間よ。銃で撃たれても爆弾を食らっても、それでも尚、あなたは必死に生きようとしている。誰よりも人間の魂を持っているわ」
「...人間の魂...」
「そうよ。必死に生きようとし続ける限り、あなた達の魂は何よりも美しく光り輝くの。それに“怪物”は家族を失って嘆いたりしないわ」
俺はその言葉に驚きながらも、口元を綻ばせた。
「...やっぱり過去も見られるんじゃないか」
「嘘ばかりでごめんなさい」
相変わらず無表情なサンネだったが、何故かこの時、俺には彼女が笑っているように見えた。
サンネは俺の表情が明るくなるのを見て、手を離した。
そして、彼女は背伸びをやめて俺から離れると、こちらに背を向けてゆっくりと歩き出した。
その先には空と海が広がる、見晴らしのいい断崖があった。
「...おい、危ないぞ」
「私にも羽根があれば...あの空を知ることができたのかしら?この力がなければ...生きることを素晴らしいと思えたのかしら?」
「何を言って...」
「あなたはもうすぐ別の世界に足を踏み入れる。そこであなたは再び自分を見失いそうになる...でも、大丈夫。あなたの元に一人の男が現れる。背が高くて、白髪に美しい透明の瞳を持つ男よ」
そう話しながら、彼女はゆっくりと崖の方に向かって進んでいく。
「その男の言動に多少怒りを感じるだろうけど、彼の目指すものこそあなたが望む世界よ。信じて力を貸してあげて。そうすればきっと彼がこの世界を変えてくれるわ」
「...おい、それ以上行くな!」
俺の言葉にサンネの足は断崖ギリギリで止まった。
そして、クルリとこちらに向き直って、不思議な色をした瞳で真っ直ぐ俺を見た。
「これも全て、ずっと前から決まっていたこと、これがシナリオ通りの正しい未来。どうか悲しまないで。あなたには他に守るべきものがある」
「...サンネっ!」
「さよなら、バートラム。お花が好きな優しい軍人さん」
そう言って彼女は身を任せるように後ろへ倒れ、断崖から落ちていった。
俺は直ぐに駆け出して彼女の手を掴もうとしたが、その瞬間、俺の中に迷いが生じた。
本当に彼女の手を掴んでいいのか?
そう思ってしまったのは、飛び降りる際に彼女の見せた笑顔が、まるで呪縛から解放されたかのように穏やかで美しいものだったせいかもしれない。
しかし、その一瞬の迷いが落ちていく彼女の手を掴み損ねた。
俺の手のほんの僅か先に彼女の手はあったのに、俺はその手を掴むことができなかった。
...ザァーン...ザァーン....ザァーン...
波の音だけが無情に響き渡る。
サンネの姿はその波によって消えてしまい、俺の視線の先にはどこまでも深い海だけが残った。




