9話
魔女。
超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、又は妖術を行使する者のこと。
魔女とは悪魔に従属する人間であり、悪霊との契約および性的交わりによって、後天的に力を得る者のことを指す。
アタシの母は悪魔と契約した。
手に入れたのは永遠の美貌でも、世界中の富でも、強大な力でもなく、一人の赤ん坊だった。
殺し屋として生きてきた彼女は、幼い頃に同業者だった父親に子供の産めない体にされたらしい。
仕事の邪魔にならないようにと。
しかし、彼女は誰よりも子供を望んでいた。
殺し屋にとって命取りともなる邪魔な子供を。
孤独な殺し屋の世界で、たった一人でいいから血の繋がった子供が...可愛い我が子が欲しかったそうだ。
そして、悪魔の力によって彼女は自らのお腹に赤ん坊を授かり、玉のように美しい男の子を産んだ。
悪魔の力によって、生まれた...それがアタシ。
コードネーム“魔女”だ。
「...っ...!」
「動けないし話せないわよ?アタシが許可しない限りね」
アタシは血が溢れる腹部を抑えながら立ち上がり、動けなくなっ悪魔の方へゆっくりと近づく。
「もう彼女は死んでいるわ、だからその身体返してくれるかしら?」
「...うっ....っ!」
「無理に話すと喉が潰れるわ。あなたとの契約に彼女の身体は関係ないはずよ」
悪魔は答えられない代わりに、反抗的な目でこちらを睨みつけた。
「...本当に諦めの悪い男ね」
アタシは悪魔の目の前に立ち、額に指を当てて命令した。
「悪魔ブネ、あなたの名前を持って命じる。彼女の身体を解き放ち、今すぐここから立ち去りなさい」
そう言うと、足元に魔法陣が現れて光り出し、悪魔は耳を塞ぎたくなるような断末魔を上げて苦しみだした。
アタシはそれを冷ややかな目で見つめながら、ポツリと悪魔に向かって呟いた。
「...Go back to hell, Dad」
その言葉に悪魔がハッとしてこちらを見る。
「...お前は...まさか...Ve」
何かを言いかけた悪魔だったが、その瞬間、魔法陣が大きな光を発して彼女の体から悪魔を引き剥がして吸い込み、物凄い勢いで閉じた。
アタシは魔法陣が閉じた勢いで、再び思い切り遠くに飛ばされた。
しかし、今度は飛ばされた方角には何もなく、甲板から凍てつく海へと落ちていった。
あぁ、これは流石に死ぬわね...。
殺し屋にとって死は隣合わせ。
殺されることは覚悟してたけど、こんな死に方もありなのかもね。
そんなことを考えながら、アタシは目を瞑り、自身の死を受け入れた...その時だった。
...ダンッ!
誰かがアタシの手を掴み、船先のギリギリで体がぶら下がった。
驚いて見上げてみると、苦しそうな顔を浮かべ、片手でアタシの手を掴むクロコの姿が目に入った。
彼はまだ毒が残っているのか左手が動かず、足も少し震えていた。
「あなたやっぱり化け物ね」
「...とっとと手を掴め!」
「あなたも落ちるわよ...離して」
「...まだ手に力が入らん...早くしろ...!」
「もういいってば!」
アタシは彼に向かって叫んだ。
「疲れたのよ...色々と...。殺し屋に悔いの残らない死はない。アタシもあんな風に...醜い...怪物に...そんなの嫌。アタシはこのまま...美しいまま終わりたいの」
少し涙ぐんでそう言うと、クロコは更に強く手を掴み、引き上げようと震える足を踏ん張る。
「...人の話聞きなさいよ!」
「お前こそ聞け!」
彼の怒鳴り声に驚いた。
彼は不器用だけど、そんな乱暴な呼び方というか、アタシに向かってお前なんて言ったことなかったというのに、それほど焦っているのだろうか?
「お前は...君は...怪物なんかじゃない。君も俺も人間だ」
「...言い直したわね」
「見た目の美しさなど関係ない。泥まみれでも必死に生きてこそ人の魂は光り輝く」
真っ直ぐな瞳で彼はそう言う。
アタシはその言葉に思わず笑ってしまった。
「アタシの生きる目的はそれだけなのに...否定しないでよ」
「...なら、俺に惚れろ!」
「は?」
もう腕が限界なのか、クロコはまたより一層声を大きくしてそう言った。
焦って思考が回ってないのか、どうやら意味の分からないことを口走っていることに気がついていないようだった。
「初めに言っていただろう、タイプだと!」
「言ったけど...だからって何でそうなるのよ?」
困惑してそう問い掛けると、彼は少し苦しげな声で答えた。
「...今すぐ死ねないようにだ!俺を残しては死ねないと思わせてやる!だから、俺の手を掴め!」
「...っ...!」
その言葉にアタシの身体は咄嗟に彼の手を掴んでいた。
すると、毒に身体を蝕まれているとは思えない力で引き上げられ、アタシはあっという間に彼の身体に抱き寄せられた。
腕の中に納まったアタシを見て、彼は安堵したかのような、苛立っているような、そんな顔で甲板の上で大の字になった。
アタシは直ぐに彼の上から退いて、少し海の方へ身体を向けてから、一呼吸して彼の方に向き直った。
「...あなたって馬鹿なんじゃないの?」
「助けた相手に言う言葉がそれか?」
「あなたこそ、言葉はもう少し慎重に選ぶべきよ」
「...慎重に選んだ結果だ」
彼は起き上がって座り込み、同じくアタシの方に向き直る。
「俺と共に生きろ」
その真っ直ぐな言葉にアタシの頬が思わず赤らむ。
でもそれは、春先の風が冷たかったせいで、別に照れていたわけじゃない...。
「なんてストレートで強引な口説き方かしら...でも、嫌いじゃないわ」
そう言うと彼は手を差し出してきた。
「改めて、クロコだ」
アタシはその手を取って言った。
「アタシは...」




