1話
オルドの記録書
コードネーム:フラワー
私の世界は一つの部屋だった。
質素なベッドに小さな机、本が詰まった棚に机の上の写真立て。
そして、小窓のついた開かない扉。
決して広くはないけど不便に思うこともなかった。
部屋には小さいけどバスルームもあったし、窓は無かったけど、毎日同じ時間に点く明かりのお陰で大体の時間は分かった。
退屈になれば沢山の本で時間も潰せるし、粗末だけどパソコンもあった。
しかし、それと同時に疑問に思うことも沢山あった。
本を覗いても、パソコンを開いてみても、分からないようなことが。
そんな時は部屋の扉を数回ノックする。
すると、ゆっくりと奥の方から足音が聞こえてきて、開かない扉の前でピタリと止まる。
「...何かあったかな?」
突如響く落ち着いた低めの男の声。
私はその声に臆することなく問い掛ける。
「どうしてこの扉は開かないの?」
「...お前を守るためだよ」
「何から守ってるの?」
「...僕からだよ」
「どうして?」
「...お前を食べてしまうからだよ」
「っあはは!」
「...おかしいかい?」
「うん、おかしいわ!」
「...外に出たいのかい?」
楽しげに話していた男の声が、少し悲しそうな声に変わった。
それを聞いて私は咄嗟に答えた。
「ううん、私はここにいるわ。外に出たらパパに食べられちゃうでしょ?」
「...ありがとう、レイ」
そう言って男は小窓から食事を差し出す。
真っ白なお皿に乗った肉のソテー。
私はそれをナイフで細かく切って食べた。
私の世界はこの一つの部屋。
パパの声と私、二人だけの世界。
ここにはいくつかのルールがある。
朝の6時に起きて21時には寝ること。
食事は毎日三食、残さず食べること。
パパの声には必ず返事をすること。
どれも私を思ってパパが決めたルールだ。
パパはいつも食事と着替えを持ってきてくれる。
ほとんどの時間をこの扉の前で過ごし、私と沢山の話をしてくれる。
扉の前に居ない時でもノックをすれば、直ぐに来てくれるから寂しくもない。
パパの姿は見たことがない。
でも、その声色と優しい性格からとてもかっこよくて、ハンサムな人なのだと想像がつく。
そうでなければ、こんなに綺麗で素晴らしい女性と結婚できるわけがない。
そう思いながら私は机の上に置かれた写真立てを愛おしく撫でた。
短い髪をふんわり巻いて、真っ赤なリップが良く似合う。
豪華な服に身を包み、大きな帽子を被っている女性。
素敵な花束を持って舞台で笑うその女性は、どんなモデルよりも美しく光り輝いていた。
私の自慢のママ。
食べ終えた食器を小窓に出しながら、私はパパに尋ねてみる。
「ねぇ、ママは会いに来てくれないの?」
「...レイ、前にも言っただろう?ママはとても重い病気なんだ。お前に伝染ったりしたら大変だ」
「わかってるわ。でも、一度でいいから会いたいの」
「...お前は本当にママが好きだね」
「うん!私ね、ママみたいになりたいの!素敵な舞台女優さんに!」
「...お前は男だから女優とは言わないんだよ」
「違うの、私は女優さんになりたいの!素敵なドレスと綺麗なヒールを履いて、大きな舞台で素敵な役を演じるの!」
「...素敵な夢だね、応援してるよ」
ご機嫌に夢を語る私とは反対に、パパはなんだか不機嫌そうにそう言った。
しかし、私はそんなこと気にもせず、膨らむ夢を語り続けた。
「お化粧もしたいわ!ママみたいな真っ赤なリップがいい!」
「...きっと似合うだろうね」
「それでね!初めての舞台の特等席にはね!絶対にパパを招待するの!」
「...僕を?」
「そうよ!本当はママも来て欲しいけど、病気ならテレビで見てもらうわ。でも、パパは絶対に舞台に見に来てもらう!一番良い席を用意するからね!来なかったら承知しないんだから!」
「...わかったよ、ありがとう」
私がそう言うと、空返事だったパパが少し嬉しそうになって、照れくさそうに感謝を述べた。
「...レイはママに似てるよ」
「本当?」
「...ああ。自信家なところとか、お洒落が好きなところとか」
「優しいところとか?」
「...そうだね」
「パパとはどこが似てる?」
「...勉強熱心なところかな」
「そうかしら?」
「...僕が知らないことだって知ってるじゃないか」
「パソコンで調べただけよ、誰にだってできるわ」
「...そうか」
パパはそう静かに返事をすると、食器を持って扉の前から去っていった。
小さい頃はよくパパが扉の前から離れると、寂しくて怖くて泣きじゃくっていたけど、私ももういい年頃で、今は一人の時間を楽しんでる。
お気に入りの本を読み直したり、パソコンで好みの男の子を探してみたりと。
しかし、そんな日々が毎日続くと、どれも直ぐに飽きてしまう。
ベッドに寝転がり、ため息混じりに天井を見上げる。
するとそこには昨日...というかほぼ毎日見慣れた景色だけが広がっていた。
そう言えばはぐらかしていたけど、結局この扉はどうして開かないのだろう?
物心ついてた時からここにいたけど、赤子の時はどうしてたのだろうか?
大きくなってから疑問に思うことが増えた。
当たり前であったこの世界への疑問。
そして、その大半を占めるのがこの扉だ。
鍵もないのに開かない扉。
ドアノブはビクともしないし、木の扉のように見えるけど、それにしてはかなり重厚。
普通なら部屋から出られないなんて、おかしなことなのよね。
何とかして出る方法を探したり、最悪の場合は警察とかに助けを求めたり、そういう対処をするべきなのよね。
でも、私はここから出ようとしたことは無い。
きっとパパには何か事情があるのだと思うから。
そして、それはきっと私のための事情だと思うから。
パパに扉のことを聞くといつも冗談を言う。
『お前を食べてしまうから』
と。
だから私も嘘をつくの。
『外なんか行きたくない』
と。




