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恋は当たって砕けろ?

 退屈な授業なんて聞かずに、僕は1人の女の子の背中をぼんやりと眺めていた。

 その女の子の名は、菊池 愛花(きくち あいか)。僕の想い人である。

 な菊池さんは、おとなしく、あまり目立つタイプではない。だがその立ち振る舞いからは、そこはかとないおしとやかさと可憐さが感じられる。菊池さんは大学内で隠れファンも多い。

 僕も菊池さんのセミロングのふわふわとした髪と、可愛らしい笑顔が好きだった。

 僕はどこまでいっても普通のようで、好きな人まで普通のタイプだった。




「オタクのくせに他のオタクを馬鹿にしている奴が一番痛い」


 隣の圭吾(けいご)は声を潜めることもなく、そんなことを僕に言った。かれこれ5分ほど、この話である。

 昨日、圭吾のサークルの横の特撮研究会がひたすらオタク批判をしていたらしく、圭吾は大層御立腹であった。

 僕から見たら、圭吾もよくオタクを馬鹿にしており、正直五十歩百歩だ。しかし、圭吾には自分なりの理論が確立されているため、どうしても許せないようだ。

 ゼミ生の一部から「陰キャのカリスマ」として崇拝されている圭吾は、凝り固まった頭で世界を斜めに見ていた。僕などは圭吾の謎理論を面白く拝見しているが、その理論に心を奪われる人がいる。そのことが不思議でたまらないが、きっと僕とは関係のない人たちだと、適切な距離をとっていた。


「何がムカつくって、あいらに女子部員が結構いることだよな」


 だんだん話がおかしな方向に変化してきた。圭吾がいろいろ御託を並べても、ただの僻みなのかもしれない。

 今の僕の悩みも似たようなものだ。菊池愛花。僕の想い人に関するものである。


「なぁ圭吾。友達と話してたら、女子に話しかける一番の方法って何かという話題になったんだけど、圭吾はどう思う?」


 僕は少しだけごまかして聞いた。正直、聞く相手を間違えてる気しかしないが、とりあえず、誰の意見でもいいから聞いてみたかった。


「はぁー、そんなこともわかんねぇのかよ。てか、今更いちいちぼやかさなくて良いよ。お前が菊池に話しかけたいってことだろ」


 圭吾は観察力があり、変なところで鋭いようで、僕の考えは全てお見通しのようだ。


「別にいいだろ。それでどんな方法があるんだ?」


「いいか、女子が一番好きなもの、それはズバリ運命だ。デステニーとも言う。女子は運命的なものに弱いんだよ」

 

 圭吾が分かるような分からないようなことを言った。その圭吾の断言する歯切れのいい口調と、溢れ出す自信を目の前にすると、いかにも正しい気がしてくるから不思議だ。


「運命ったって、具体的にどうするんだよ?」


「それこそ沢山あるだろ。ギャルゲの教養もないのか、お前は。ベタなやつだと、ぶつかってしまってすいませんってやつだな。食パンを加えているとなお良し」


 ギャルゲというか、古い少女漫画みたいな例を圭吾が示す。

 

「おっ、これいいじゃん。お前菊池の軽いストーカーになって、どこかのタイミングで自然とぶつかってこい。それも一回だとダメだ。ただの事故で終わるからな。短期間に連続しないと効果がない。絶対わざとってバレるなよ。下手したら警察沙汰だぞ」


 圭吾は自分のアイデアを自分で褒めた。それもよほど気に入ったようで、一人でずっと盛り上がっている。

 僕には何がいいのかさっぱりだ。ストーカーは犯罪という常識を残しつつも、圭吾の倫理観は壊れているらしい。

 呆れている僕を尻目に、圭吾は、ぶつかるにはどのタイミングが良いか、数パターンをシミュレーションし始めた。今まさに話している、菊池さんがトイレから出た直後のタイミングなどは、僕には悪ふざけとしか思えない。


 すると、圭吾は突然何も言わず席を離れ、授業を抜け出した。


 一人になって落ち着いて考えても、僕はこの作戦に乗り気ではない。圭吾にからかわれているだけの気がしてならないのだ。それでも他に当てもない僕は、こんな作戦でも何もしないよりかはマシかもなと思ってしまった。

 僕と菊池さんの大学での共通点、接点は、同学年で同学部ということだけだ。必然、大学構内でいえば、一緒に受けている2つの授業しか、菊池さんと定期的に会えるチャンスがない。会うといっても、両方とも大教室での必修の授業なので、すれ違うくらいが精々である。

 今はその貴重な一緒の授業の授業中なのである。僕の視界からは、菊池さんの姿が遠くに見えている。




「はいこれ、お前に奢ってやる。戦勝祈願だ。この授業が終わったら、まずは1回目。これを咥えて上手くやれよ」


 教室に戻ってきた圭吾から、購買で買ってきたであろう菓子パンが渡された。

 圭吾が「本当は食パンが良かった」と謎のこだわりをみせたが、問題はそんなところではない。これを咥えながら女子にぶつかりにいったらただの不審者である。流石に超えてはいけない一線がそこにはあった。




 鐘がなり、教授が授業の終わりを宣言する。

 授業を放棄して行った熟考の末、僕は圭吾の口車に乗せられることを既に決めてある。

 いよいよ作戦開始だ。

 ただ菓子パンだけは丁重にお断りした。




 菊池さんが席を立ち上がる。それを確認し、僕と圭吾も立ち上がった。 

 この時の僕は冷静ではなかった。冷静さをかなぐり捨てれば、新しい僕になれる気がしていた。この閉塞感に満ちた現状を変えたかった。

 しかし、半ば意図的に狂ったとしても焦りは禁物だ。まだその時ではない。退出のための列ができている狭い教室内でのぶつかりは論外だ。そんなことしたら、最悪の場合、人のドミノ倒しになる恐れすらある。

 勝負は次の教室までの移動時間。 

 既に作戦が開始されている僕たちだが、そこには大きな問題があった。失敗に即つながる、欠陥が。菊池さんの次の授業が何か分からないのだ。つまり、どこでぶつかるべきか前もってシミュレーション出来ていない。僕たちに残っているのは、出たとこ勝負だけだった。僕は自分の淡い恋心の発露を、蛮勇とも呼べるその時の勢いに託した。




 教室を出ると、菊池さんは右に曲がった。どうやら階段に向かっているようだ。

 この大学は生徒数が多いいわゆるマンモス校で、移動時間の階段は混むし、絶対に人を追い抜くことなどできない。つまり、このままではいつまで経っても菊池さんに追いつけない。

 開始早々、僕たちの作戦は座礁に乗り上げたかに思えた。


「俺が菊池を追いかけるから、お前はダッシュで裏の階段に回れ。行き先はスマホで連絡するから、ちゃんと確認しとけよ」


 諦める口実ができて、冷静さを取り戻し掛けていた僕に、圭吾がそう耳打ちした。なぜか圭吾の方が僕よりも真剣になっていた。

 その言葉を受けて、僕は混んでいる中の階段ではなく、あまり人が使わない外付けの階段に急行する。距離的にいうと明らかな遠回りだが、このルートなら走ることができ、菊池さんを先回りするためには、この方法しかなかった。




 久しぶりの全力疾走で僕の呼吸が苦しくなってきた頃、圭吾から報告が来た。

 菊池さんの行き先は3階のようで、それも、今まさに僕が走っている階段がある方向に向かっているとのことだ。幸運にもここまでの全てが僕の都合が良い方向に動いていた。


 僕も3階に着く。この廊下を急いで進めば、ちょうど教室に入る前の菊池さんが逆側から来るはずだ。あれだけ無謀と思えたこの作戦の成功条件が、奇跡的に揃っていた。

 だがここにきて僕に迷いが生じる。足は動いているが、覚悟は決まっていない。いざぶつかるとなると不安は増すばかりだ。 


 そこに菊池さんの姿が見えてきた。走ってきた分の息もまだ整っていないなか、僕は未知の緊張感に襲われる。今から普通ではないことをするのだ。手が震えているのが分かる。このままのルートではダメだ。ぶつかれない。普通にすれ違ってしまう。軌道修正しなければ、それも自然に。




 結局、精一杯の勇気を振り絞っても、僕にできたのは肩と肩をぶつけることだけだった。計画段階では深く考えなかったが、こんな見通しの良い廊下で、対抗者と正面衝突などできるはずもなかった。


「あっ、すいません。大丈夫ですか?」


 見知らぬ人なら無視したであろう程度の接触で、僕が菊池さんに声をかける。


「全然平気です。こちらこそすいません」


 菊池さんが申し訳なさそうな顔になり、丁寧に頭まで下げる。

 時間にして僅か数秒。文字にすると僅か数十文字。ここまでやって、交わすことができた僕と菊池さんの会話の全てだ。自らぶつかりに行って、相手を謝らせるという最低な結果だった。

 菊池さんが頭を上げ、前を向き直して歩き始める姿を、僕は呆然と見ている。周りの音が消え、その姿がやけにスローに見えた。菊池さんが少し先の教室に入るのを確認した後、後悔が押し寄せてくる。


「お前本当にやりやがったな」


 そこに圭吾がやってきた。

 その声はなぜか非常に興奮したものだ。


「俺がけしかけたんだけど、まさか本当にやるとはな。まあ想定していたのは、お互いが倒れるくらいの衝突だけど、肩ぶつけただけでもすげーよ」


 僕と圭吾のテンションの差は広がるばかり。


「圭吾、これ本当に意味あるのか? 結果として菊池さんに迷惑をかけただけだし。むしろ僕の印象悪くなってないか?」


 僕はそこまで言って、大きくため息をついた。


「お前は本当に何も分かってないな。よく聞けよ。相手に認識もされていないお前の印象が、これ以上悪くなることなんてない! どんな形であれ、相手にお前のことを意識させることが大事なんだよ」


 圭吾がそう断言した。

 分かってはいたことだが、「相手に認識もされていない」と圭吾に面と向かって指摘されると、改めて現実を突きつけられた気がした。


「そう言う意味では、これくらいの会話でも作戦成功なんだよ。こういうのは継続が大事だ。相手の場所にお前から出向いて、なんとか会話に持ち込め。イベントを起こすんだ。選択肢が出るのはそこからだ」


 ゲーム脳ここに極まれりと圭吾を批判しようかとも思ったが、直前で言葉を飲み込んだ。既に圭吾の案に乗せられている僕に、今更そんな資格はない気がしたのだ。

 ここまで来たら圭吾を信じるしかない。泥舟に乗ってしまったような感覚を必死に振り払い、やれるだけやってみようと自分を鼓舞する。こんな惨めな結果でも、少しずつ前に進めているはずだ。

 なんて、柄にもなく自分で自分を励ました。

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