20180528_南伊豆09
30分ほどたって血抜きも終わったと、おニイさんがカンダイ入り魚籠をぶら下げて釣り座まで戻ってきました。特に力を入れる様子もなく、片手で胸まで持ち上げブラブラさせている。
15㎏超え。5㎏の米袋3つ以上の重さですよ。あたしだと力を込めないとブラブラさせるのは難しい。強い人です。
放血している間に表面に粘液が大量に吹き出していました。新聞紙を1枚丸々使って拭ったけれど、このカンダイの粘液は落としきれませんでした。もう少し新聞を買っておくべきだったかもしれません。あたしにも同等のカンダイが釣れたら困ります。夕刊2紙しか買わなかったのは失敗でした。
とらぬ狸の皮算用? 釣り師とはこういうものです。
モンスターカンダイをマットへと横たえ、頭蓋の横に開けた穴から径1.5㎜のワイヤーを突き入れます。脊髄に到達。
反射で魚が跳ねたらおニイさんもビクっとしました。
可愛い。・・・ではなく、悔しい。
・・・そう、大きなクチジロとカンダイを釣ったおニイさんが妬ましいのです。
深呼吸で息を整え、死後硬直を遅らせる為に脊髄を掃除。ゴシゴシ擦ってからワイヤーを抜き出しました。ワイヤーをウエットティッシュできっちりと拭い、ビニールパイプへ戻しました。
立ち上がり、体高厚みとも尋常ではないモンスターを見下ろす。
一番大きなビニール袋が必要ですね。
これは釣果用じゃなくて、万が一にも落水した際、濡れた服を入れるために持ってきた物です。半透明のいわゆるポリ袋、つまりゴミ袋。まあ、念のために5枚ほど用意してあるから釣果に使っても構いません。
おニイさんと協力してカンダイをポリ袋へ封じ込め、口を縛るのはおニイさんに任せます。あたしは75リットルのクーラーの蓋を開け、先に入っていたクチジロなどを脇に避けた。
おニイさんが割りと大雑把にモンスター入りポリ袋を収めました。
わあ、尻尾が曲がる。斜めにしないと収まりきらない。
「なんじゃこりゃ」
貴方が釣ったのよ。
横目におニイさんを見ると、目を見開いた顔が猫科の猛獣のようです。そのままこちらを向く。
ちょっ、微笑まないで。
猛獣な笑顔から眼を背けました。
10時30分。ほぼ干潮。
あ、また5メートルもずれた。
沖のシモリへと投げた仕掛けが、ポイントの右斜め前に着水しました。竿を左へ傾けて、ポイントへと引きずるためにリールを巻く。
もっと真剣に。針と金属の塊をかなりの速度で投げているのだから。
自分でも釣り方が荒くなっていると分かっています。投げ損ないばかり。
これは、という当たりと引き。目一杯の力で合わせて底から引き上げなければいけないのに、簡単に根に潜られる始末。つまり、岩の隙間か岩と岩の間に逃げ込まれたのです。イシガキダイか本イシか。出るまで待つと根比べを覚悟したら、突如、手応えがなくなりました。
バレたか。
てっきり針が上手く刺さっていなくて外れたのだと思いました。ところがリールを巻いてみると、一切重みがない。そう、高切れ、つまり道糸が切れたのです。
歯を食い縛り、リール直前の糸を竿を支える手のひらから伸ばした指で摘まみます。糸だるみが出来ないように巻き取りました。
ここも少し擦れています。
巻き取る途中で、リールから50mくらい先で道糸の傷を見つけました。そこで一度手を止め、竿を上げる。手元に近づいた道糸を掴み、竿置きに戻しました。リールのクラッチを切って、逆に道糸を引き出す。傷のあった箇所が手元にまで来たら、小物入れからニッパーを出して、傷の手前で切り落とした。
そこから先の糸は、両手を使って巻き取ります。すぐ終わり残りは12~13メートルだったでしょうか。最先端まで糸を寄せると、スパッとした切り口ではなく、伸ばされて千切れていました。
良い引きでしたから。根に潜った魚に粘られてこうなったのです。
逃がした魚は大きいと言いますけれど、あの手応えとこの千切れ方から、決して小さくはなかったと推測出来ます。
使い物にならなくなった道糸は、腰からぶら下げたゴミ袋に放り込みます。
底物釣りでも宙釣りや近場に落とす釣法では、岩肌で擦れても切れないよう、背擦れワイヤーというものを結ぶことが多い。だけれどあたしのような遠投釣法だと、遠くに仕掛けが落ちる分、道糸の角度が浅くなって、どこら辺で擦れるかわからない。だから、背擦れは道糸をしっかり確認することで避けなければいけないのです。
普段なら意識せずともやっていること。こんな初心者みたいな失敗、最近では記憶にありません。
それから更に失敗を繰り返す。
二度も焦って合わせ損ね、すっぽ抜けました。師匠から合わせが遅いと叱られるあたしなのに、気ばかり焦ってすっぽ抜け。一度なんて、勢い余って足を崖から落とし、おかしな体勢のまま、手応えのなくなった仕掛けを巻き取りました。
気合いが抜けすぎです。大好きな底物釣りに来ているのに。お付き合いでシロギスの投げ釣りに来ているのではないのです。混みすぎた乗り合い船に押し込まれ、タイラバに来ているのではないのです。
自分で自分が信じられない。
なぜだろう? 気がつくとおニイさんを見ている。
自分の気持ちがわからない。
おニイさんと視線が合う度に目の周りが熱くなる。
らしくねえじゃん。猛犬注意のヒトミちゃんだら。
なんだよ、これ。
こんなんじゃ餌、余らせちまうじゃん。
自棄になり、ベテラン竿の餌の付け替えで、赤貝を7匹まとめて数珠がけすることを思い付きました。貝の固い部分をウニ通しで次々と貫き、ウニ通しのお尻にワイヤーハリスを引っ掻け、一息に引っ張ります。赤貝の串焼きがあったら、こんな感じかもしれません。
これなら小さい魚が突っついて千切れまくっても、撒き餌代わりになるでしょう。本当は餌取りを増やすだけにしかならないかも。でも、気合いを入れ直すには何か釣らないと。
それにしても付けすぎでしょうか。大きな18号石鯛針がすっぽり隠れて、ゴム菅がエサストッパーになりません。針の穴まで赤貝で隠れています。ゴム管はワイヤーの飾りと化しています。
赤貝を羊の小腸で縛って、投げても着水しても少々ついばまれても外れないように固定。
もう考えるのをやめます。馬鹿の考えやすしを煮たりというじゃありませんか。
後方確認よし。左右よし。糸の状態よし。風は少し強いか。
両手で竿を掲げて構え、肘をためて、後ろにねじる身体のうねりを竿の振りかぶりに統合する。おニイさんが見ている。膝を曲げ、重心を変えつつ更に深く身体をねじる。ねじった反動に全身全霊のパワーを乗せて、振り切った。竿のしなりにもっとも力が乗った瞬間。
ア゛ア゛ッ。
仕掛けを放つ。もちろん、竿先をビタ止めして穂先を折るような無様な姿は晒さない。
キャスト競技のような勢いで射出された80号オモリを先頭に、仕掛けがものすごい速さで飛んで行きます。
って、これ、投げすぎ。
完全な大遠投。投擲速度のままに道糸が出て行くリールのスプールが高速回転しています。気付いてすぐ、サミングを掛け、遠心ブレーキの力も借りて、スプールが回転し過ぎての糸絡みを防ぐ。
着水。
遠投カゴ釣りと違い大きなカゴやウキが目印にならない。投げ釣りのように天秤に色がついていたりもしない。
それでも自分が投げた仕掛けの着水地点は見逃しません。
遠い。カウンターを見ると、135。糸のフケを考慮しても、120メートルは離れています。
こんな20号の太糸で、ここまでの飛距離って。
腕が上がった?
違うでしょ。
完全に高根を飛び越して、向こうの深みに沈んでいっています。
高根の向こうの底取りなんてしていない。回収だけを目的に何度も竿をシャクって底へ沈まないようにし、頑張ってリールのハンドルを回します。
無理かな。さっきの様に岩、いや高根そのものに道糸が擦れるかもしれません。高根の部分は水深はないし、オモリは80号で沈下速度は速い。いいえ、高根の駆け上がりかどこかで根掛かりする可能性も大きいです。
ポケットのラインブレーカーに意識が少し取られる。
巻き取る途中で、長いナイロン糸越しに何か感じました。
反射的に目一杯に背を反らして、竿をアオり、合わせ・・・。
ガツンと身体ごと持ってかれそうな強い引き。
なんだらぁ。
思わず三河弁が出ます。
ジーーーーーっとドラグが悲鳴を上げ続ける。
実家は遠江の三ヶ日なのだけれど、高校が三河の豊橋市で方言がうつりました。まあ、高校の頃に周りの東三河の友人に合わせ、冗談めいた会話で方言を使っていただけでした。でも、癖になってしまい、いまだに出てきます。
故郷、浜松市北区三ヶ日町○○は静岡県と愛知県の境。本来、三河弁気味の遠州弁地域なのです。まあ、小学校や中学校で聞いた話では、方言を使う人は減ったそうです。しかも、集落住民の先祖は、横浜の貿易会社従業員が少なくない。以後に移ってきた人や、嫁や婿として混ざる人も、本社がある豊橋市(東三河)とか、その通勤圏内(西三河)。あと、3つの本社所在地でないのに一番従業員数が多い名古屋(尾張)の出身者ばかり。だから、集落の方言は古い横浜弁と三河弁と尾張弁が混じる感じです。
あたしの口から出る方言は、祖父の横浜弁、祖母の江戸弁、高校で覚えた似非三河弁。尾張の血が濃い割りに尾張弁はよくわかりません。
母は名古屋生まれの名古屋育ちだけれど、母も祖母も他の親族たちも尾張弁を使わないから、そちらは聞き覚えがないのです。
と、引きに耐えながらボーッとしている場合じゃありません。
大物です。突っ走るけど、底に引きずり込まれる感じはしません。
もちろんイシダイの引きではありません。
が、先程までのどの魚より引きは強い。青物っぽいか? ヒラマサ?
竿がしなるしなる。ドラグをきつく締めていなかったから、糸がかなり走って行ってしまいました。
竿2本の内、こちらは古いほう。新品とは違う。上手く動きをいなさないと折られるかも。更に、使うリールも石鯛用としては弱め。
基本的に底物釣りではドラグを目一杯閉めます。きつい引きでも獲物を逃がさないために。道糸は太く、ハリスをワイヤーにしてまで強化する仕掛けです。
それなのにドラグを完全に締めていなかったのは、高校生の頃にメーターオーバーのカンパチを相手にして引きずり込まれたことがあったから。まあ、石が割れて踏ん張りが外れたんですけれど。水に浸かりながら釣り上げてやりました。
スタードラグをグリッと回し、ドラグを限界まで絞める。おニイさんと同じ大きなカンダイでしょうか? あのクラスが連続して掛かるとは思えないけれど。
まあ、腕力では全く問題ありません。道糸も問題ない。ただ、無理に対抗すると竿が折れるだけです。根掛かりで無理にシャクって外そうとすると折れたりするでしょう?
ずいぶん走る。
カンダイの引き方じゃないです。
キハダマグロの弾丸みたいな突っ走りとも違います。ヒラマサのスーパーダッシュとも違う感じでした。
横っ飛びに走られました。
うーん、横っ飛びって、エイ?
一応、竿と体重移動でいなすけれど、古い竿が折れないよう無理な抵抗はしない。底物釣りで前に折った内、2回は穂先が折れただけで無事交換できました。
でも、半ばから折れたら。一度そこまで折れると、釣り竿は大抵もう駄目です。
竿が大破した最初の1回は中学3年の時。底物を始めて1年くらいで15歳になったばかりの頃。
石鯛竿代わりに使っていた愛用の遠投カゴ釣り用5号磯竿を文字通りへし折られたのです。魚に。ものの見事に真ん中からバキンと。
折られた時から3年とちょっと前、最近と違って両軸用の遠投竿がそうは出ていない頃に買った磯竿でした。
お年玉貯金の残りを全額握りしめて、釣りに興味のない兄にお願いして、浜松市の大きな釣具屋さんへ連れて行ってもらいました。小学4年生、遠投カゴ釣りも投げ竿と釣り雑誌そのままの仕掛けを使っていた頃のこと。まだ実家のある三ヶ日地域が引佐郡の中にあり、ケの字が大きかった頃。浜松市に編入される前。2005年1月5日、冬休みが終わる日だったと思います。
確か、釣り友達が見せてくれたチラシを頼りに行ったような気がします。あたしにとってまだ、浜松駅周辺が都会、世界一の大都会が母や祖母の住む名古屋でした。都会でやっているセールだからお得に違いない。それくらいの浅い考えだったんでしょう。
一振りの竿に4万円を出そうという決意は、小学生にとっては大ごと。大人が家を買うようなものです。といっては大袈裟か。でも、高級バイクか四輪を買うような感じだと思います。4万あったら安い竿なら何本買えるか。
一大決心してと言いたいところですが、雑誌で遠投カゴ釣りに両軸リールを使っている写真を見て衝動買いに走ったというのが実際。カゴ釣り自体、投げ竿を使っていたのですから。子供が背伸びどころかジャンプしての遠投磯両軸竿を購入。今なら自分を止めますね。
両軸リールは船釣りで使ったことがあるだけで、遠投が難しいとは知りませんでした。
あの頃のバックラッシュの多さと来たら・・・。
チラシに載っていた「お正月特価 リールとセットで税込み4万円」コーナーに直行。2種類あって、1時間くらいは迷いました。今思うと、実売価格が安めの竿と高いリールの組み合わせだったのでしょう。本体価格38,096円。税込み40,000円。
日本最大メーカーS社の定価30,700円の「磯遠○EV」と「初代軽かった征服」400番の定価47,500円。合わせて定価で8万弱、通常6万くらいかな? それが4万のお買い得ということだったのではないかと思います。
あたしが選んだ竿は、D社(当時はブランド名でなく会社名)の前年秋に出たばかりの新製品でした。
ただ、あたしが選んだ竿は、本当は竿だけでも4万円では買えない品でした。4万円コーナーに6万5千円コーナーの竿が紛れ込んでいたのです。誰かが比べた後で戻し間違えたのかも知れませんけれど、小学生は気づきません。
本当の値段は定価64,800円。3割引でも4万では買えません。しかも、両軸カゴ釣り師の標準装備65○0CLとセットで「お正月特価! 改造不要! これだけで両軸下田デビュー!! 税込み65,000円」コーナーだったそうです。兄が覚えていました。
つまり、レジまで持っていって、10幾つかのお年玉袋を開けて、計4万円を出しても、店員さんを困らせるだけです。千円札が沢山。まだ野口英世が出たばかりで、ピン札でもほぼ夏目漱石だった気がします。
あたしも、10歳の女の子が目を輝かせていたら、無言になる自信があります。
これじゃ買えないと言われたら、レジ前で大泣きしていたかもしれません。
外側から見たら仏頂面の女の子が目だけキラキラ状態。内側では心フワフワ、身体ポカポカ状態。頭の中ではもう、格好よく遠くまでカゴを飛ばし、メートル級のスズキを釣り上げていました。あくまで想像の中でですけれど。成し遂げるのに何年かかったことやら。
実は、ポヤンポヤンしている馬鹿妹から兄が離れ、店員さんと何か囁きあっていたのは覚えています。でも、当時のあたしは何も気づきません。
包装紙を巻き付けられた竿の箱を両手で抱き抱え、リールの箱が入った手提げ紙袋を握りしめ、お兄ちゃんに襟首ひっ捕まれていないと空に浮かびかねない様子で帰宅しました。
実は兄が2万5千円足していてくれたのを知ったのは、随分後のことになります。もちろんセットでなく竿だけなら、もう少し安かったとは思います。だからこそのセット価格65,000円。リールはスウェーデンA社、いや、PF社傘下AG社の「大使650○CL」。チラシに大きく載っていた「初代軽かった征服」ではありませんが、釣り雑誌のおじさんが使っていたリールだったから、あたしは大満足。でも、ナイロン糸、カゴやウキを含めた遠投釣り仕掛けをおまけに付けさせたのは、流石ですお兄さ、ちゃん。
こういう兄がいたらブラコンにもなりますよね?
口下手で人見知りで感情が顔に出てくれない、ついでに考えなしな馬鹿妹を一番理解してくれている人が兄です。あたしは姉や弟とは喧嘩をしますが、兄に対しては反抗期の子供の駄々みたいにしかなりません。
チイッ、まだ走りやがる。
掛かった獲物の急降下に竿破損が怖いあたしはいなしきれず、また糸を持っていかれました。
・・・元は何の話でしたっけ?
そうそう。竿を折られたのは不意打ちによるものでした。
初心者だったので簡単に根に入られて、師匠の指示でそのまま耐え、やっと出てきた相手を引き上げようと巻き上げている最中、いきなり引きの重さが跳ね上がりました。咄嗟にしゃがみ込み竿を抱き抱えて抵抗したら、ラインと穂先が横を向き、半分くらいでバキン。
糸を手繰ってみたら、イシダイの頭だけが付いていました。
師匠である伯父が言うには、針先のイシダイに大物が食いついてきて、思いきりねじられたからだそう。非力なあの頃、咄嗟にいなすような力加減はできません。
ちなみに、釣った魚に他の魚が食いついて大変なことになる事態は、実はそんなに珍しくないことです。何回も経験しています。糸を切られ、本来の獲物を奪われ、あるいは奪い返す。
強奪犯に多いのはサメです。エイも多い。魚食い、フィッシュイーターの大型魚なら何でも可能性はあります。
だけれど、中3当時、12年以上釣りをやっていたのに、魚に竿を折られたのはそれが初めてだったのです。
転んで折ったのでも、好奇心で10㎏の米袋を吊り下げて折ったのでも、根掛かりを無理に外そうとして失敗して折ったのでもない。ついでに言えば、無理に大型カゴを投げようとして穂先が折れたわけでもない。
本命を奪い去る外道に完敗。
好調にイシダイを釣り上げる伯父の前では強がりました。残った石鯛竿で2尾の本イシを釣ってみせたくらいに。
その夜、伯父に送られ、名古屋の祖母の家に泊まっている間も我慢しました。
でも翌日、家に帰ってから涙があふれ出しました。中三になったばかりで、学校でいじめられていて、心が今よりずっと弱かったのです。
あたしが泣いていると弟から兄に連絡がいったらしい。夜に顔を出した兄が折れた竿を持っていきました。
そして、1月後には修理されて戻ってきたのです。兄が友人の伝を辿って詳しい人に修理の可能性を確認し、折れた3番の交換修理を依頼したとのこと。帰ってきた竿を見た時は、それはもう嬉しかったです。
おにーちゃん、ありがとー。
家の前で振り出した竿を両手に構え、クルクルクルクル回っていました。
怖くて底物代用品としては使わなくなったけれど、この磯竿は購入から13年たった今でも現役でいます。大事であまり使わないということもありますけれど。
また突っ込まれました。この竿では横の変化をいなすのに苦労します。特にここは足場が狭く、少し左右に動くだけでも危ない。根に突っ込まれる縦の変化なら石鯛竿は得意なのですがけれど。
走り続ける獲物を無理ない範囲でいなします。
元気すぎです。高根の上を自在に走り回られています。このままでは高根にある岩の出っ張りや割れ目で糸が切られる。
少し強引に魚の走る方向を修正していたら、全力で反抗され竿が大きく弧を描きました。
・・・イシダイ釣りで2度目の絶望的な竿の破損は6年前、高2終わりの春。
あたしの初めての石鯛竿「石竿1号」が、2軸と3軸の継ぎ目が割れて、折れた先が勢い良く岩へと落ちた拍子に穂先も壊れて、お亡くなりになった。
2012年、高校3年への進級決定に自分でも意外だと思っていた時。
掛かったイシダイを巻き上げている最中、前触れを感じる間もなく竿が割れました。
糸を手繰って引き上げたイシダイは、手応え通りの38㎝チビイシ。折れるほどの大物ではありません。落としたか何かで傷が入っていたことに気づいていなかったのです。
中古品だけど大切にしていました。D社の「父島母島があるところ」。中学の時、自分で買った初めての石鯛竿。「石竿1号」と名付けて大事にしていました。両軸遠投カゴ釣り竿「カゴ1号」の破損までと、その後は師匠から譲られた「石竿2号」とのコンビで活躍。
候補が2本あり、どちらにするか何日も何日も悩んだ末に買った石鯛竿です。2008年の入手当時は、継ぎ竿より振出竿のほうに慣れていて、こちらに決めました。「カゴ1号」と同じくD社の製品だったから、中古でも中学生にはきつい値段がしたのに。
兄に前に修理した方法を聞いて問い合わせしました。でも、振出竿で3つ軸が壊れたなら、修理そのものが難しいと言われてしまいました。無理に芯を入れて繋いでも使い物にならないとも。製造中止になってから、かなりたっていたモデルなので交換部品は正規では手に入らないと断言されました。別の中古を入手して、無理に5分の3を入れ換えるくらいなら、修理代で別の竿を買ったほうが安心して釣れる。修理カスタム店の人は電話口で優しく教えてくれました。
折れた「石竿1号」は、今でも戒めとして置いてあります。
あれはしばらくトラウマになった。
明らかな点検ミス。どう考えてもあたしが悪い。竿の前でずっと後悔し続けたり、他の釣りに壊れた竿も持参して竿に謝ったり。ひどい数日を過ごしました。あたしは愛着ある物とない物への感情移入の差が激しいのです。
その後の「石竿3号」という兄からのプレゼントがなかったら、その年は釣りにならなかったんじゃないでしょうか。
今握っているこの「石竿2号」も思い入れのある竿です。持っている石鯛竿の中で一番の古株。伯父が購入したのは2007年、11年も前。使用頻度の割に性能を保っているとは思うけれど、細かいすり傷は無数にあります。見えないカーボンの衰えもあるはずです。すでに微かに張りが落ちている気もしますし。
ガイドは2カ所交換しているけど、本格的なリフォームはしていない。リフォームは結構感触が変わると言われ、決心がついていません。折れてのリフォームと、ある程度の性能を保った時点でのリフォームでは、大きな差が出ると思います。
竿を守るために糸を切る選択が頭をかすめる。
「頑張れ。大物だぞ」
うん。おニイさんに応援されたからには、やれるだけやってみるか。
もう高根ではなく正面近くの深場のほうにまで来ています。水深があるからか、根に突っ込む気配がある。力をためている気配が。
最初よりも強くドカンと来た。
のされないように竿をある程度の角度で立てて耐えながら、ゆっくりと獲物の進行方向を曲げるように誘導。
オマツリ防止。おニイさんに頼んで遠投で投げ込んである新人竿を引き上げてもらいます。
やつの走りが緩む。巻く巻く巻く。走る。
近くに来る割には水深を下げていますね。岩に擦って糸を切るつもりか?
切られないように竿の弾力で進行方向を変えて、いなす。
足元に突っ込んでは来ません。ブリの習性とは違う。
スズキかヒラスズキ? 暴れ方が違う。
アコウ(キジハタ)のようなハタ類の根魚特有の引きずり込みとも違う。
エイにしては曲がりが鋭角で違う。
経験は青物だと決めつけます。でも、どんな青物?
寄せた。巻く巻く。
走る。あんた走り過ぎ。
あー、巻いた分が全部出た。やり直し。
カンパチやヒラマサとは違う。マグロだったらもっと速い。元気なカツオ? カジキは流石にないか。
おおもの、オオモノ、漢字で書くと御緒藻野、いや、大物。
・・・大物。他だとイソマグロ? スマ? こんな動きはしません。
GT(Giant trevally=ロウニンアジ)? 長い竿でギンガメアジ属を釣ったらこんな感じなのかしら? GTが下田沖にいないとは言い切れないけれど、無理筋かな。
巻いたと思ったら、また横に走られた。覚えがある感じなのだけれど。こういう引きをする魚は何だったろう?
とんでもなく引きの強い魚。GTの親戚、例えばギンガメアジだとこんななのかな? カッポレやオニヒラアジの大物だと、もう少し力ずくな感じ。
これがイシダイだったらな、と夢想している暇はない。
よし、竿上げて、巻き巻き巻き巻き。
諦めないなこいつ。そっちに飛んでいくな馬鹿。
・・・走りを止めない相手ですが、10分以上の格闘の末、どうやら勝ちが見えました。こいつのスタミナはすごい。
抵抗が緩んだ銀色の魚影が時々水面に透けて見えます。慎重に巻いて引き寄せる。ここでバラしたら間抜けです。
時折頭を水面から引きずり出して、空気を吸わせて弱らせる。エラ呼吸の魚は、空気中だと呼吸ができなくなります。
遠目だと顔が出てもわからない。口が尖っているように見えます。銀の魚体。やっぱりGT? だから、南伊豆にロウニンアジは居ませんて。その仲間で食べられないカスミアジ(ドクヒラアジ)にしては背ビレが短い。カッポレもこんなに短くない。ギンガメアジ属ではないか?
詳しそうに話しましたけれど、メッキ(ギンガメアジ属の幼魚から若魚)なら何度も釣ってきたけれど、大物と呼べる大きさは、さほど釣ったことがありません。ギンガメアジ属の大きい魚は、沖縄とか小笠原とかトカラとか、とにかく暖かい地方にしか居着かないと聞きます。実際、あたしが釣ったのもパラオです。
やっぱりブリ属? 大きさからしてヒラマサ?
またも暴れる。水面下に潜って行こうと力強い引き。
顔がやけに長い。ヒレに黄色が見える気がする。
やっぱり違う。シルエットがブリの仲間じゃない。ブリやヒラマサ、カンパチなら数多く釣ってきました。仲間のYellowtail amberjackも何回か。
強すぎる引き。フエフキダイの仲間に銀色の種がいたでしょうか。いや、尾が細長いし、大きすぎるか。
本気で何?
水面付近での誘導が3分も続いたでしょうか。やっと元気がなくなってきました。
あたしのタモで入るかしら? 足元のタモへ視線を落とすと、視界の左側から大型のタモ網が近付いてきました。
おニイさんが彼のタモをすでに海面に寄せてくれていてくれたんです。
親切です。
入りました。
彼の太い腕が玉の柄を手早く縮め、網を引き寄せます。
腹部の銀色が美しい魚でした。尾の手前にゼイゴがあります。
ゼイゴ? アジ?
ヒレの先端に黄色が見える。GTもアジといえばアジだから、もちろんゼイゴはあるけれど、平べったい魚です。これも胴に丸みが少なく、身が上下で広い。でも、平べったい感じでもありません。
エラ蓋にある黒班、すごく見覚えがあります。口吻を縮めて膨れ上がった比率を直すと・・・。
・・・嘘、シマアジ?
大きな大きなシマアジだ。シマアジに見えない長さだけど、重みはシマアジとかけ離れているけれど。
「すごいじゃないですか。オオカミですよ」
・・・よくバレなかったじゃん。
シマアジは唇が薄くて切れやすいから、引きの強い大型、いえこれに比べると小型でも、バレることが多いのだけれど。
ああ、なるほど。完全に針を飲んでいます。赤貝を何かと間違えて吸い込んだのかな?
かなり奥まで飲み込んでいる。愛用のプライヤーでは上手く外せそうもありません。魚体をぶら下げ、ハリスもその先のオモリも道糸も引きずったまま、ロッドケースのポケットを探る。予備のハサミやプライヤーと一緒にまとめていた針外しを抜き取り、魚に正対します。
この針外しは30㎝近くあり、滅多に使いません。ウツボやサメなど、噛まれると大ケガする大型魚が針を飲み込んだ場合だけ使っています。今日のウツボは口に針が刺さったのでプライヤーでこと足りたのですが。なお、ホシガレイやマアジ、イサキが針を飲んだなら、3分の1サイズの通常の針外しを使います。
ワイヤーハリスに針外しの先端を引っ掛けて、奥、胃に程近い所まで滑らせる。グイと押し込むと太い石鯛針が抜けました。どうせ殺すなら抜かなくても良いだろうと、友人から言われるのですけれど。幾度も幾度も、さばいた魚から針を取り除いてきたから、死ぬ時まで異物を飲み込んだままというのが嫌で。偽善ですらない、性分、でしょうか。
なお、針を飲んで内臓を傷つけられた魚は弱ります。特に大きな針を乱暴に外されると。catch&releaseされたであろう死骸が波止場の際を漂っているのを見かけます。
メジャーで測ってみると本当にメーターオーバー。110㎝ありました。自分記録どころではなく雑誌に乗るレベル。先ほどのカンダイより軽いけれど、持った感じでは優に10㎏を超えるでしょう。まさしくオオカミです。
人生初のオオカミ。最初で最後かもしれない。外道でも嬉しい。
嬉しいけれど、何でこのタックルと餌で釣れるの? 底物釣りに来て青物の大物。つまりは大外れ。喜んで良いのやら悪いのやら。
大体、オオカミは船釣りで出るものなのでしょう? 大島や神津島辺りから流れてきた?
天然シマアジでこれだけの大物は、いや養殖物ですら見たことがありません。まあ、養殖でここまで育てるわけがありませんけれど。美味しい大きさというものがあります。
それは、シマアジという魚は長年釣ってきました。シマアジを狙って船を出したこともあります。シマアジを狙いに磯に来たことだって何回もあります。この下田沖においても、ここではない大きな岩に渡ってシマアジ狙いのカゴ釣りをし、60㎝越えを2本の他、軽く2桁釣りました。実は密かな自慢でした。
でも、こんな強烈な引きではなかったのです。60㎝のシマアジとこれでは、強さも速さも別の魚としか思えません。いや、思い返せば、動きそのものはシマアジでした。
同じ大きさの物と比較すれば、ブリやヒラマサより引きが強いと思います。まあ、磯で大物を釣ることは少なくて、大概は船なので竿もリールも全く別。だから、釣っている感覚は異なりますけれど、10㎏程度のブリやヒラマサとは力が別物です。
これはそう、カンパチ並みの引きだと思います。カンパチはブリの仲間の中では力が強い。よく、ヒラマサが一番だと言われますけれど、あたしの中ではカンパチです。強烈な思い出がありますから。
陸っぱりからのカンパチには最初の頃、よくハリスごと活き餌を持っていかれ、糸を切られたものです。大物を狙って船で釣った時は、電動リールじゃないと力負けしました。
以前、八丈島の地磯でカンパチのメーターオーバーとやりあった時は、海に引きずり落とされたことすらあります。あの思い出は色あせません。
あれと同等の引きでした。重さで言うと向こうが倍近いし、長さも20㎝ほど長い。だから本当は向こうのほうが強いのはわかっています。でも、足場が全く違うので、この思い出も消えずに残りそうです。あたしもあれから鍛えたけれど、かなり疲れました。
オオカミって、こうなんですね。
ちなみにオオカミというのは地方名。関東からせいぜい静岡あたりまでしか通用しない名です。伊豆諸島で大きな個体のシマアジをこう呼んでいるのが始まりと聞きます。こいつのように老成したシマアジの顔が狼に似ているから、らしいです。
似ているか? 狼? 鋭い顔つきで可愛いけれど、あまり似ていないと思います。
ああ、オホーツク海やアラスカに棲むオオカミウオというギンポの親戚の魚とは関係がありません。写真では獰猛そうで可愛いらしい顔をしています。あれも釣ってみたい魚です。
身近にオオカミを釣った人はいません。知り合いの知り合いの話として聞くくらいでしょうか。ヒラメ釣りの先生が一度寸前で口切れしてバラしたと言っていましたね。神津島辺りの沖釣りで極たまに出るようなことを聞いたことがあります。
ここでオオカミが釣れるんだと話しながら記念撮影。おニイさんの真似をして片手で吊り下げ。
おう、暴れると顎が外れるよ。
できることなら、このオオカミは休ませて、身体中で枯渇したアデノシン三リン酸を増やしたい。シマアジは熟成よりも、新鮮な身のプリプリ感を味わうほうが好きだから。だけど、そろそろお昼。迎えが14時ですから、早めに処理しておいたほうが良いでしょう。天候の急変で緊急撤退もあり得なくはないです。このオオカミをこの場に置き去りにして逃げるはめになったら、泣く自信があります。
脳破壊の手鉤を構えてから、普通のシマアジに比べて顔が長く位置の比率が違い、脳の位置を特定するのに少し迷ってしまいました。修行が足りません。
それでもズドンと一発で脳まで貫通。十分にえぐってから鉤を抜き取る。
エラ奥の膜にナイフを入れ、スムーズに出血するよう奥の動脈をスッパリ。運動して上がった血圧が下がりきっていない。勢いよく血が流れ出した。
ああ、ちゃんと血が抜けてくれるかな? 毛細血管に回っている血が抜けないと更に味が・・・。ただでさえシマアジは大きいと味が落ちるのに。ここまで大きなシマアジは料理したことがないけれど。
楽しみでしかたがありません。これだけの大きさ、何品でも作れそうです。
死後硬直を遅らせる神経締めでも、戦いで疲れた魚の味は確実に落ちます。残念ながら美味しい料理のためには、数日間は熟成させないと駄目です。新鮮な刺身はもっと小さな物を釣った時にしましょう。
モンスターカンダイと同じ方法で血抜きします。魚が水中を漂うようにしないと身を壊すからです。潮の向きが満潮に向けて逆になったから、先程とは別方向へ流すようにします。万が一高波にさらわれても大丈夫なよう、ロープの余裕を二ひろから四ひろに増やし、スカリと言うかフロートを十分に沖へと流してから上に戻りました。
血抜きの間、正面80メートルのポイントで続けざまに二度、餌を食われました。サザエを半分食い千切られています。口の小さなチビイシ、あるいはイシガキダイでしょうか?
イシガキダイはもういりません。出来れば、伯父に報告しても問題ない大きさの本イシを釣りたい。妄想混じりに願うなら、銀ワサ本ワサ級の本イシを。
おニイさんのほうもかんばしくないようです。引き上げた餌を見て顔をしかめています。
さて、オオカミの残り処理。肩へと降ります。
血抜きの終わったオオカミの脊髄をゴシゴシと掃除して、例のゴミ袋もといポリ袋に入れ込んだ。
おニイさん、あたしのクーラー35リットルなんです。こんな巨大な魚が釣れるとは。あ、入れてくれますか? ありがとう。
流石にメートル級。対角線上に収めても余る。
今日は何だろう。楽しい。
釣りも楽しいし、作業しながらおニイさんと話すのも楽しい。
この話はフィクションです。
これを読んで釣りに行きたくなった方は、タイトルをもう一度お読みください。
念の為。