20180528_南伊豆08
ようやく釣り小説っぽくなってきたでしょうか。
恥ずかしい出来事を繰り返し悔やんで、餌取り雑魚や外道を釣っては逃がしていたら、いつの間にか2時間が過ぎていました。
どうして18号針に食らいつくのかな?
小さくて料理屋の水槽で飼えそうなチビイシを逃がした直後、視界の隅でお兄さんの戦いに気づきます。
大物かな?
見るともなしに視界に収めていた魚との戦いに終止符が打たれ、おニイさんがクチジロを釣り上げた。
でかい。すごい大物。遠目でもわかる大きさ。もしかすると80㎝超え? 最低でもあたしの釣った67㎝は超えている。そう、テレビか動画に出てきて数字を稼ぐ大きさです。
あれは見たい。近くで見たい。
すごい。大物です。おめでとう。
あ、と思った時には既におニイさんの側に駆け寄り声をかけていました。
これだから、お兄ちゃんから「キミはもう少し考えて動いたほうが良いよ」と言われるんです。
説明していなかったでしょうか? うちの一族は全員、「美」と書いてハル読みが付くので、頭の名前で呼ばれることが多いです。兄はマツ、姉はシズ、あたしはキミ、弟はチカ。叔母達もアキ、ユミ、トシ。従妹たちはトモ、キヨ、イサ。祖父をツネと呼ぶ人は、祖父の姪甥くらいでしょうか。父親は、・・・何だっけあの人の名前?
「口白か・・・」
おニイさんは外道だったことを残念がっている、か? わざわざ口に出すということは、残念なふり?
口白というのは、イシガキダイのオスの老成魚。老成すると身体の斑点が消えて口回りが白くなるからこう言います。さっき私が釣った魚のように、メスは大きくなっても斑点が残り、口白とは呼ばれません。イシダイの口黒と同じです。
もしかすると、さっきのあたしの失言を気にしているのでしょうか? ここは正直に誉めます。
誉めて誉めて誉める。
実際、ハチマル(80㎝)以上のクチジロなんて、滅多に見ないもの。たまに釣果記事に載っているような90㎝以上なんて、釣れたら一生自慢します。まあイシダイのナナマル(70㎝)超えなら、苦手なインターネットを使ってでも世界に発信するでしょうけれど。
こういう大きさのイシガキダイをポイ捨てするうちの師匠がおかしいだけです。
誉め続けていると、おニイさんの表情が笑みに緩みました。
猛獣が獲物を前に牙を剥き出しにしたような笑顔で、可愛らしくてこちらも笑顔になってしまいます。
彼にクチジロを持たせて彼のiPh○neで写真を連写。連写の方が良い写真を選びやすいです。文明の利器万歳。
おニイさんはメジャーを持ち歩かないそうなので、こっちで計らせてもらいました。重さはフィッシュグリップ兼用の計りで計測しているそうです。
クチジロ(イシガキダイ)81㎝7.8㎏。
本当にハチマルかよ。すげえな、おい。あたしは目測でだってクチジロのハチマルなんて上げたことはねえぞ。伊豆でこれを釣るかよ。
おや、口調が昔に戻ってしまいました。声に出さずに済んだから、自分の口下手さに感謝です。
あたしが釣ったイシガキダイが急に小さく思えました。
いや、人の釣果を羨んでいたらきりがないです。
だけど、この真下の崖下に、こんな大物が潜んでいたのか。何で狙わなかったのか、あたし。
いやいや、悔やんでも仕方ないです。
餌はガンガゼか。サザエよりウニを買っておけば。
いやいやいやいや。
ふと気づけば、おニイさんがクチジロを見て、海を見て、首を捻っていました。海には大きなオレンジのブイウキが波間に見えています。
よろしかったら、クチジロやストリンガーで流している魚も締めましょうか?
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
おニイさんが笑顔で礼を言ってきた。合っていたようです。
オレンジブイのストリンガーを引き寄せると魚が2尾付いていた。
まずは40㎝もあるアカハタ。
アカハタとはハタの一種。カサゴやメバル、あるいはこういうハタの仲間を根魚と言います。海の底、岩などの影に隠れている魚です。中には活発に泳ぎ回る種もいますけれど、根魚扱いはしない。底物釣りではお馴染みですね。
40㎝はアカハタとしては大きいのだけれど、隣の魚に比べると小さい。
もう1尾は、ちょっと見ない大きさのイサキ。
こちらは太りまくっていて、顔が小さく見えて、イサキを見慣れていないと種類がわからないかもしれないです。思いきり上物釣りの対象だけど、大きいのは深いところにいるから、たまに底物釣りでも掛かります。
ちょっと失礼して計らせてもらうと、58㎝。あたしの船での自分記録と一緒。イサキという魚は、40㎝あれば大物と呼べるのだけれど。
このおニイさん、大物釣りが得意なのでしょう。クチジロ、アカハタ、イサキ。どれも見事な型。羨ましい。
ちなみにアカハタは42㎝ありました。
ただ、このイサキでさえ、イシガキダイと並べるとひどく小さく見える。
今のアカハタは熟成させてカルパッチョが美味しいです。
呟いたら、おニイさんの目が光った。食いしん坊か?
イサキも熟成。大きいから・・・、一に塩焼き、二にアクアパッツァ。
生唾飲み込まないように。
この大物はクチジロ、つまりイシガキダイ。大きさは違っても作業の流れは自分のイシガキダイの時と変わらない。アカハタ、イサキの処理も慣れたもの。
食べると食中毒が怖いですよと、クチジロのエラ奥を切りながら話す。放血のためのバッカンに入れると尻尾が飛び出ていた。他の魚は収まっている。
大きいクーラーで良かったですね。あ、大きいビニール袋もありますよ。
脊髄を処理してアカハタとイサキ、イシガキダイをそれぞれビニール袋に入れ、おニイさんの大きいクーラーボックスに横たえます。イシガキダイは見映えが全くクーラーに負けていない。魚が小さく見えないのです。
羨ましい。
当たりが遠のき、食い気配すら来なくなってしまいました。でも、おニイさんはアオブダイを上げました。これも、そこそこ大きい。外道でも釣れるならそのほうが良いです。こちらは食いの気配が竿先まで伝わらず、いつの間にか餌が食われてしまっています。
餌取り名人、カワハギかウマヅラハギが集まってしまったのでしょうか。
ああ、つまらない。ことはない。
不思議です。
仕掛けや餌を交換する中で、おニイさんとの会話が続く。
おニイさんとポツポツ話す内に、おニイさんが自分と同じ新社会人だとわかりました。3月に湘南にある大学を卒業。現役だと1歳下ですか。
東京の団体にスポーツで入職したそうです。東京の世田谷にある舎宅住まいらしい。会社と言わなかったから、あの馬の元締めは特殊法人か何かかな? 母方の親族に馬術をやっている人がいて、その大会で世田谷に行くと聞いたことがあります。競馬場ではなくて、馬場があるのかもしれません。
普段は馬の世話をしているのかな?
うん、力がありそう。
動きを見ていると、全身筋肉の塊だと思えてきます。服装がゆったりしているので、太っていると誤解されるかもしれないですね。弟が80㎏近くあるのに190㎝超えだから痩せて見えるようなものかと思いました。
ラグビーとかアメフトでもやっているのか聞くと笑って答えてくれなかった。
「どちらにお勤めですか?」
逆に聞かれてしまいました。どうするか、まあ、会社くらいなら良いですか。
音叉のマークで有名な会社です。
「ああ楽器の。ピアノとか作っているのかな?」
これには苦笑が浮かぶ。友達の内、釣りしか関係していない人は、大体こちらの会社を出してきます。元親会社だし、女が音叉マークだと、そういう風に思うらしいです。というより、うちの会社を知らないのかもしれません。H社やS社だって車のメーカーという認識の人のほうが遥かに多いですし。
「違うんですか。するとバイクの?」
そうですよ。バイクとボートのです。本当は隣の市に本社や工場があるし、浜松市内にも事業所があるから、少し東へ上れば通えたんですよね。思わずアクセルを開く真似をしてしまう。
まあ、入社前研修で本社やあの辺の事業所に通って、バイクより車が良いと思い直しましたけれど。スーツを来て雨の中を走るものじゃありません。シャツとパンツスーツの上にレインウエアだけでは凍え死にます。
「中に何か着なさい」
あれ? お兄ちゃん? 空耳?
「袋井か浜松の人?」
磐田の隣の市だと言ってしまえばわかりますよね。
実家は三ヶ日。今は浜松市の外れです。住んでいるのは東京ですけれど。実家への引っ越しを半ば終えてから、配属先が東京事務所になってしまったんです。説明会では5年間は県内勤務のはずだったのに。
「実家から通うつもりが、東京の事業所に勤めることになった?」
うん。うなずくついでに、ため息がもれました。
すでに実家に運んでいた釣り道具や包丁、愛用の食器、一部の鍋、本の類いは慌てて東京に送り返すことになりました。来年大学を卒業する弟が住むかもしれないと、電化製品や家具を置いたままだったことが救いでしょうか。
止めていたガス水道を開くのはネット手続きで済みました。けれど、市役所と区役所で転出転入を逆の手順で繰り返し、結婚してすぐ離婚したみたいだと友達に爆笑されたものです。再引っ越し作業で配属先に出る前の土日がつぶれたし。
何のために大型バイクをドイツのB社から入社するY社製に買い換えたのでしょうか。通勤に使わないなら、自社製である必要はないと思いませんか? バイクを買ったのは自分じゃありませんけれども。
それに実家の祖父がいじけちゃって。
「ああ。孫娘が帰ってくると思っていたんだろうから」
わかるわかるとうなずいてくれました。就活や新人研修で知り合った同期からは「東京勤務で文句を言うな」と言われたけれど、こちらは地元静岡県の企業に就職したつもりでして。それは、面接では、世界のどこにでも行きます、とは宣言しましたけれど。
「上京したのは大学から?」
実は浪人して。兄に勉強を見てもらいました。
「大学は?」
三田です。1、2年は日吉。
調べるまで、あの大学は4年間の内の前半分を日吉校舎へ通うとは知りませんでした。というより、祖父が大学に受かれと言ったから、祖父と同じ学校を目標としただけです。高3時の夏まで大学には何の興味もなかったから、難しい大学だとも知りませんでした。有名大学なので、名前くらいはどこかで耳にしていたのでしょうけれど。
あたしには合わない大学でした。大学って、もっと勉強が好きな人が行くところだと思っていました。それに、本当のお金持ちが多くて、小金持ちの孫程度では馴染めません。友達も出来ませんでした。
あ、でも、1人だけ友達が同じ大学にいました。別の学部に、高校時代から参加している釣りサークルの仲間が入学していたのです。1つ下の子だけれど同じ年の入学でした。
日吉の校舎で偶然再会して、1年間だけは同じキャンパスだったから、一緒にお茶したり、釣行したりしましたね。あっちは6年間学習だから、まだ大学生。この前、再来月にある釣りサークルの釣り会にも誘われました。けれど、ブラックバス釣りだから、たぶん断ります。
大学で作った友達? いったい、にゃんにょのことでしゅか?
「おお、一万円札。1年浪人しただけでよく入れたな」
本当に。高校の卒業さえ無理だと言われたあたしが、1年間勉強しただけで大学に入れるなんて。
まあ、本音を言えば、あの夏まで進学そのものに興味がありませんでした。来年春の高校卒業は無理だろうと自覚していて、中退するか留年するかをぼんやり考える程度。釣りができてバイクを走らせられるなら、それで幸せな人生じゃないかと。18歳にもなって馬鹿一直線な人間でした。
就職に関しても真剣には考えていなかったというのが本当です。OGOBから様々な職業のことを聞いて、漠然とした不安を覚える程度。
水商売は愛想笑いと喋りのテクニックが必要。建設業は元請け中請けに媚びないと食べていけない。運送業は法令遵守だけど時間は守れ。世界のト○タでさえも専門知識がない工員を雇う余裕はない。第一、卒業できるかすらわからないから、学校の推薦状が出なくて、応募すらできない状態でした。
あたしは何がしたいんだろう。何ができるんだろう。
将来への方向性を完全に見失っていた時期でした。
1年半ほどさかのぼった高校1年の終わりの3月。2011年。
あの大災害が起きました。
ほんの少しでも何かできるならと、あたしら馬鹿高校の現役、卒業生を問わず、急遽集まって、お手伝いに北上。思いきり回り込まないと太平洋岸へ行くルートがなかった時期です。
最初は、バイクなら多少なりと物資を運べるだろう程度の考えで出発。すでに現地では、ご無事だった方、東北を故郷とする方々ばかりでなく、全国で多くのライダーが独自に動いていました。阪神淡路大震災を機に「レスキューサポートバイクネットワーク」という組織が組織されていることも初めて知ったくらいでした。
高校生のような未成年が混じっても邪魔なだけだったかもしれないけれど、それまでの災害でお手伝いの経験がある先輩ライダー達は、親切に教えてくれました。
でも、覚悟を決めていたはずのあたしらは、現地に到着して言葉を失いました。というより、向かう途中でさえ様々な事態で通れない道が多く、OBOGを含めて不安が増大していたところに「現実」が飛び込んできたのです。
生活が、社会が、世界が壊れていた。あまりの惨状を目の当たりにして、あたしらの人生観は変わらざるを得ませんでした。あたしみたないな勉強をしないで遊んでいる馬鹿達も、地元では街中で爆音を奏でて喜んでいる族の連中も。
最初にお手伝いに出発する時期はもう、テレビで現地の様子が繰り返し放送されていました。でも、テレビの中と現実の光景は違ったのです。画面の外の現実に打ちのめされて、何もできなくなってしまう仲間が出るくらい。
レスキューサポートの諸先輩方が導いてくださらなかったら、このヤンキーと元ヤンキー集団はただの邪魔物になっていたと思います。
せめて自分に可能なことをと、様々なお手伝いをさせていただきました。
避難所での住民の方々のお手伝い。医療や介護など専門職の方々のお手伝い。そして、葬儀職の方々のお手伝い。ご遺体を運んだり、荼毘に伏す際の雑用もしました。
当時乗っていたバイクが地元企業S社の400のオフローダー、D○ーZ400Sだったから、多少の凹凸は乗り越えられるので、少し離れた場所へのお使いも引き受けました。看護師さんを後ろに乗っけて運んだこともありましたね。
あ、免許を取って1年は2ケツ禁止ですよ。本当は。4月生まれで誕生日に中型二輪免許を取ったけれど、最初のお手伝い時点では、まだ16歳。取得1年未満。車なら若葉マーク付きです。
当時は本気の本気で、そんな法律があることを忘れていました。
第一次お手伝いでは、持ち込んだ自分達の食料が尽き、お手伝い用の炊き出しに混じるようになったころ、幾人もの仲間が限界を迎え、撤退しました。瓦礫の片付けというお手伝いに混じるようになったのは、第三次の時だったでしょうか。
ヤンキー中心のお手伝い隊は、幾つかのグループに別れて、交代したり再編成したりしながら、短ければ4日間、長いと3週間、幾度も訪れました。あたしも卒業までに、その内の13回に参加しました。
そんな一年と数カ月を過ごしておきながら、あたしは現実と向き合えていませんでした。自分の道を見つけ出せないでいました。
幼い頃は板前・・・、料理人になるつもりでいました。実際、中学の頃は、高校なんて板場に入れてもらうのに必要があんのか? と迷ったくらいです。
でも、高校生になって、ある評論家の言葉で思い知らされました。自分には新しい料理を作る才能がないと。例えどこかの板場で修行出来たとしても、自分にできるのは猿真似か中途半端な変化球だけ。上手い下手だけではプロになっても苦労するだけと、祖父に説得されたものです。負けず嫌いのせいで、1年間も足掻きましたけれど。
居酒屋のキッチン担当になりたいわけではありません。誰が来ても満足していただける料理が出せる一流になりたかった。料亭の板場を任される花板に。
日本中、世界中から、あたしの料理を食べに来てくれる。そんな板前に。
なれると信じていました。
祖母の実家である料亭が受け継いできた江戸の味を再現できます。
小学校から修行に出された幾つかの店の幾つかの料理も盗んできました。
母方の用事を中心に、海外料理を食べる機会が多く、美味しいと思った料理は本で調べたりして、自分で作れるように。
中学生の頃には、食べた料理は味も再現、いえ盗める様になっていました。全部ではありませんよ。当たり前ですけれど。
祖母に誉められて天狗になっていたと思います。
更に、和食の技術をフランス料理やスペイン料理、中国料理の幾つかに応用出来るようになっていました。逆に外国料理を和食へとアレンジできるようにも。
だから、あたしならやれると信じきっていました。世界で5本の指に入る料理人になれるという自信をもっていたんです。
中学3年に上がる前、料理の師匠でもある大好きな父方の祖母が急逝し、歪んだ自信過剰になることで、自分を保とうとしていたのかもしれません。
現実には、高校1年の時に料理評論家に天狗の鼻をへし折られました。それから1年、躍起になって努力を繰り返したけれど、オリジナリティーのなさを思い知るだけに終わったのです。
夢というより、突き進んでいた道が急に崩壊してしまったのです。
だから、高校3年に進級できてしまった頃には、何をしたら良いのかわからなくなっていました。
子供のころに抱いた夢はあります。「将来はアイドルになりたい」的な意味では、プロの釣り師を夢想したこともあります。でも、この口下手な人間に何が出来るのか。テレビに出ている名人達は、あの魚を釣りに行きたいと思わせます。この道具が欲しいと思わせます。セミプロのメーカー専属テスターになったとしても、欠点を指摘しつつ上手く製品を誉めることが出来ないでしょう。
趣味を生かすなら、釣具メーカーに就職か。営業で全国の釣具屋さんや問屋さんを回る。・・・口下手で仏頂面、特に釣りが上手いわけでもない営業ではノルマを果たすすのは無理。倉庫番くらいはできたでしょうか。
開発? あたしは機械音痴です。調理器具や釣り道具、バイクやボートの整備はできます。でも、痛んだから交換するだけ。構造を理解して整備しているのではありません。
バイクでいえば、オイルやブレーキ、チェーン、もちろんタイヤの交換はしています。でも、転けたせいで車体のバランスが崩れたら、どこをどう直せば良いか想像もできません。
そんな人間が、リールや竿の新規開発で方向性が示せるとでも? 新しい釣り針を産み出せるとでも? 糸に至っては、実はナイロン、フロロ、エステル、PEの特性は知っていても原料や作り方は理解していません。ルアー? 下手です。
でも、今はバイクも作っている会社に就職しているのだから、趣味を生かしたことになるのか。
大災害の後片付けのお手伝いで身体と心を疲れさせ、残った長い時間は趣味の釣りとバイクに向けて、将来から逃げていました。
学校? ・・・たまに。
そうやってお手伝いをしていると、色々な話が耳に飛び込んできます。あの大災害の際、祖父が首都圏の帰宅困難者にホテルを開放したり、レストランを使って大量の炊き出しをしたり、送る物資を手配したり、不況となった中で商業ビルの家賃を待ったり、そんな経営をしていると知りました。
それでも家督相続に関しては、進学以上に考えたこともありませんでした。兄や姉は拒みましたけれど、まあ、弟が継げば良いかと。
5、いや6年前か。高3の夏休み、祖父が夏風邪から体調を崩して入院していました。見舞った時、祖父は年を取ったのだと気付きました。あたしの中ではいつでも元気にチヌやキビレを釣り上げているイメージだったのに。
祖父は1923年、大正12年の生まれ。今年でもう95歳です。あの年には卒寿(数えで90歳)を祝いましたね。そんな年齢なのに、後継者に恵まれず、まだ現役社長でした。いえ、まだ現役社長です。
思わず言いました。
あたしが継ぐよ、と。
祖父にとってあたしは「馬鹿な子ほど可愛い」の孫版で、「お馬鹿な孫だけど可愛い」でした。だから、感激しながらも無理だと思って「大学くらい行けるようにならなければ無理だ」と条件を出してきました。
卒業を諦めているような孫には難しい条件です。
困った時の兄頼み。
お兄ちゃん、あたしを大学へ行かせて。
「え・・・・・・」
兄が絶句する姿、もしかすると一生に一度の現象だったのかもしれません。
相談したら、本当に卒業できるようにしてくれて、大学への合格へも導いてくれたのです。
本当に、うちの兄は天才なんです。
「天才か。会ってみたいな」
・・・家族に会いたい? どういうこと? まさか、あたしを・・・。
内心でそんなボケを考えていたら、おニイさんが訝しげな表情をしていた。
口に出さなくて良かった。たまに実際に口に出してしまい、周りから怒られます。誰かが言いました。「ヒトミのギャグは酔っぱらったおっさんが自分一人だけ笑うようなギャグだな」って。
さて、気まずくならない内に別の話題に。
「東京のどこに住んでいるの?」
先を越されました。
うん。高校を卒業して出てきた所。大田区の・・・。
「大田区? 俺が居る世田谷の隣だったっけ?」
うーん、羽田空港の近く。
「うるさくない?」
いいえ。そこまで近くはないんです。でも、海が近くて、ちょっとの距離に釣り場所があります。
「あ、近くで釣りができるんだ」
ちょっと羨ましそうに呟いた。世田谷区は川はあるけど東京湾には面していない。あの区は怖い。チョイとバイクで走っていると、迷路みたいな路地が多くて行き止まりに遭遇し、ヨチヨチ歩いて戻らされることが少なくない。
あたしのバイクは後退装置なんて付いていないっての。
田舎だと行き止まりでもターンすれば戻れるけれど、東京のアスファルトだと黒々とタイヤのマークが刻まれ、出す音も近所迷惑になります。
はい。怒られました。自分は田舎者だと思い知った苦い思い出。
釣りに話題を戻させてもらいましょう。
それにしても、大きなクーラーボックスですね。
「ええ。大小持っていますけど、この75リットルなら何でも入りますから」
クーラーボックスはこれと小さい物しか持っていないということなのでしょうか?
容量75リットル? 釣り道具は大は小を兼ねません。持ち歩くには大きいと思います。
苦笑しつつ、視界の隅に入った竿先へと振り返る。ベテランの「石竿2号」の穂先が揺れ、海面へと延びた。
来た。
高根を狙うベテランの竿の方にやっと来たと思ったら、手応えがない。重いのだけれど真っ当な「引き」がない。最初は暴れがあったのに、すぐに糸の先が重いだけになりました。
ゴミを引っ掻けたかと思ったら、ウツボでした。もっと深い所にいなさい。
暴れまわってくれたせいで、針から天秤からオモリから全部こんがらがって、大きい個体なのにでき損ないの知恵の輪みたいな塊になっている。
知恵の輪の端からオモリがブラブラ揺れています。仕掛けは全部駄目ですね。道糸のサルカン(連結金具)の上からニッパーで切り落とした。
仕掛けが絡まったまま更にウツボが暴れまわって、ボールへと変形するのを放置。根掛かりや糸切れ、そしてこういうことに備えて、仕掛けはいくつも予備があります。
新しい天秤仕掛けを結んで、餌付けもしっかりと投入。
さて、と。
放置していたウツボの塊に歩み寄りました。
鋭い歯が生えた口を大きく開けて、噛みついてやるとこちらを睨んでいます。
愛らしさに吹き出しそうになりました。
この愛嬌のある顔を凶悪な面相という人も多いんです。海のギャングと呼ぶ人もいると聞きます。でも、ダイビングをする人たちからすると、本当は大人しい魚らしいですよ。口を開いて威嚇してくるから、可愛いことが伝わらないのかもしれません。
・・・これは紋様や顎の形状からして、普通にウツボですね。最近、かなりの数のトラウツボを釣るようになったのだけれど、これはウナギ目ウツボ亜目ウツボ科ウツボ亜科ウツボ属ウツボになります。つまり、とことん普通のウツボです。
前に思いきり足を噛まれたから、大きい奴の歯は痛いことは知っているのだけれど、油断したら指が落ちる程度に過ぎません。
上顎を左手のプライヤーでしっかりと挟み押さえ、胴体を足先で踏んづける。
ライフジャケットから、締め用に使っている物とは違うナイフを取り出します。フォールディングナイフ、折りたたみのナイフです。ボタン1つで刃を振り出せるモデルもありますけれど、あたしのこれは違います。爪痕と呼ばれる凹みを噛み、ロックを外し、柄のほうを動かして刃を振り出す。
ウツボの頭の後ろにナイフを入れる。暴れまわろうとするけれど、仕掛けが絡んでいる上に二点で固定されていて自由になりません。一気に中骨まで刃を差し込み、骨回りの血管も切る。
首? を半ば切断しても動いています。
無視して押さえ続けるとウツボの動きが少し弱まったので、水汲みバッカンへと放り込む。そのまま出血させます。
ええ。もちろん食べます。
見た目と違って美味しい魚なのです。ウナギの仲間と言えば抵抗ないでしょう?
ウツボ料理というと、高知県や徳島県のタタキ、千葉県外房の干物とかが有名かな? 以前、釣り仲間が干物を食べてビックリしていました。味はウナギとは異なりますが蒲焼きもよく食べられます。自分で作るのは、蒲焼き、唐揚げ、叩き、湯引き。自分では唐揚げが好きです。
手間をかける料理を作ったことも幾度かあるけれど、頭を残したままの煮物は不評でした。
あと、ウナギ同様に血清毒があるから血抜きが甘い状態での生食は駄目です。いえ、大量に生き血を飲んでも苦しむ程度らしいです。けれど、血清毒が目に入ると結膜炎や痛みに襲われます。ウナギ屋さんでは知られた話です。
さすがにウツボを普通の神経締めにする度胸はありません。脳を破壊しても噛みついてきますから。
高根のほうウツボが大量に湧いていたら嫌だなと、何となくおニイさんを眺めていました。
「うおっ」おニイさんが野太い声を上げた。
慌てて竿に飛び付くおニイさん。強い引きと格闘しています。
またクチジロでしょうか。
あー、折れそう。ドラグの滑る音より、水面に引きずり込まれそうな曲がり方をしている竿が心配です。特に真下を向く穂先が気になります。
これだけ曲がりが大きいと、クエやサメかもしれない。でも、おニイさんに諦めるという選択はないようです。
戦う表情が厳つくて可愛い。
おニイさんの横顔や、穂先や、表情や、ラインの行方や、口許や、後ろ姿や、格好良い振る舞いをチラチラ見ていると、どうにか寄せるのに成功していました。
おニイさんが自分のタモに目をやっていたので、それを拾って海面に向けて目一杯伸ばす。この岩は切り立っている、というかあたし達がいるのは崖の上。波打ち際まで降りるには怖い。
魚影が赤っぽい。前頭部がボッコリ膨らんでいる。
なるほど、今度はカンダイ(コブダイ)を釣ったのですね。
正式和名はコブダイ(瘤鯛)。鯛と付いても鯛じゃない多くの魚の1つ。ベラの仲間です。冬が美味しくて寒鯛という通称がありますけれど、今時期でも料理しだいの魚。
大きいほうが味が良くなると言われています。日本ではこれを狙って釣る人を見たことがないけれど、アメリカに留学した際は「California sheephead」という近い種類の魚を何度か釣りました。
底物師にとっては、たまにかかる外道。まあ、大きくても40~50㎝。この南伊豆で、それほど大きいものは釣れない。
・・・おっきい。
はずなのですが。巨魚が釣れた話は聞かないけれど、今目の前にいるカンダイは別の魚みたいに迫力があります。
長さは・・・、メーターあるかないか。
おニイさんのタモ網は自分の物より一回り大きいため奥行きもあって長さは入る。だが、太い。そして重い。
一気に持ち上げると玉の柄にヒビでも入りそうで怖い。自分の玉の柄なら性能を知っているけれど、パッと見で人の使っている玉の柄の性能なんてわかりません。
体制を低くして、重心を残したまま崖から身を乗り出す。巨魚を収めたタモ網が遠い。少しずつ玉の柄を縮めて引き上げる。何度か柄を持ち替えて、ようやく網の枠を掴み引き上げることに成功しました。
後ろ向きに岩の凹凸を探ってジリジリと下がります。ここは崖の上。下手すると後ろ向きに落下です。なるべく平たい所に網を降ろしました。
岩の上にお化けがいます。あたしが今までに出会ったカンダイと一線をかくす獰猛さ。
いかにも相手を食い殺しそうで素敵。
すごい。あたしもこういうのと戦ってみたい。本命でも外道でも大物が釣れるかどうかは運の要素が強い。この人は大物への強運があるのだろう。良いな。
おニイさんが網の中を覗き込んでいます。汗を浮かべた彼の強面が笑顔で一杯になっていた。
「すみません。ありがとう」
おニイさんの笑顔が眩しい。眩しいから、グラス越しではなく見たい。偏光グラスを外して軽く会釈を返す。
おニイさんがフィッシュグリップで下顎を挟もうとして、あまりのしゃくれ具合に諦めた。上顎に引っ掻けて、片手で持ち上げる。
片手で?
秤付きのフィッシュグリップが衝突音を立てて延びきった。
「うわ、振り切れた」
ええと、あれは伯父さんも使っている奴だから、15㎏までしか計量できない。ということは15㎏以上か。並みのマハタやクエより重い。本当のお化けだ。
おニイさん、これは写真を撮らないと。差し出されたスマホを奪い取って、連写連写。ついでにメジャーで、・・・90と2㎝か。
今度はおニイさんが外道だとほらふくこともなかった。
ほらふく、ホラ吹くでしたっけ? ・・・嘯く。書けません。
92㎝。メーター級とは言えないけれど、頭部の太さが尋常じゃない。モンスタークラスです。こんなのが釣れるなんて船長から情報はありませんでした。
冬が旬だから、今時期は塩焼き、唐揚げ。大きいから味噌鍋も良い。バターでソテーしても。
呟いていると、おニイさんは生唾をのみ込んで期待の眼差しを向けてきた。
特にコブの中身のソテーは塩胡椒とワインと付け合わせだけでメインの皿に化ける。肉ではないけれど、それだけの味わいがあります。しかも魚類の脂。
前に作ったのは伯父の釣果でしたけれど、説得して持ち帰りました。それでも60㎝台半ばだったから、この化け物ならどれだけ取れるか。
少し夢想していただけなのに、おニイさんの視線が強くなっています。
はいはい。この大きさでも大丈夫ですよ。あたしは神経締めの準備に入った。
泳がせて落ち着かせたほうがATPが戻って味が良くなるのだけれど、2~3時間は欲しい。一晩活け越しなんてもちろん無理。残り時間から考えると、流している間に他の肉食漁にかじられるかもしれない。
本気で重いな。おい、暴れるな。
ちくせう。あたしのクーラーじゃ載せられない。
マットごと持ち上げて、おニイさんの巨大クーラーボックスへと移す。暴れて身を壊さないように眼を軍手でふさいで静める。
・・・静める。
・・・静まれ。
静まれや、コラ。
睨み付けたら、やっと魚が落ち着きました。
正面だと巨大なコブが邪魔になるから、横から鉤を叩き込んでグリグリと脳を壊し、エラ奥の膜と動脈を切り裂く。
これはバッカンに入りません。頭だけなら入りますけれど、十分な放血が出来ません。もちろん、岩の上に置いての放血も避けたい。かといって、ストリンガーでぶら下げたら、サメやウツボが寄って来て食い散らかされかねません。
磯によっては潮位が下がると潮だまり(タイドプール)が出来るのですが、この岩では期待できません。小さい水溜まりがせいぜいですね。
どうしようかな。
前に何度かやった手を使いましょうか。
ロッドケースのメインポケットを一番下まで開けると、内布同士の隙間にビニール袋が2つ縦に重なっていました。一番上に仕舞った神経締め用のウレタンマットは出しっぱなしですからありません。今は上になっている袋、こっちは予備のタモ網を取り出す。欲しいのはその下に突っ込んであるビニール袋。これを引っ張り出し、一度出した予備入りのビニール袋を戻して、メインポケットのファスナーを閉める。
一番下になっていたビニール袋の中身は、スカリとロープ、それに2つの大きいフロート、ハーケンとカラビナの予備。
スカリとは魚籠、釣果や活き餌を放り込んでおく網の篭です。冷凍餌を早く解凍させるために使うこともあります。
ロープは尻手ロープより太く滑りにくい。元は小さな漁船やボートなどでアンカーロープに使う物です。磯での緊急時用に登山ザイルとしても使うから、長さはそれなりにあります。尻手ロープと一番違うのは、両端に引っかけるための金具が付いていないこと。長さは途中を結んで調整します。
フロートはそのままウキ。弾力があって、フェンダー(船体の舷側を保護するもの)としても使います。
ハーケン、カラビナはわかりますよね? 後程使うので、あらかじめライフジャケットのポケットに仕舞っておきます。
スカリの直径はそれほど大きくありません。モンスター相手だと、子供に服を着せるように頭から被せ、網を手繰り上げねばならない程度です。網が魚体を擦らない様、気を付けます。こんな粘液まみれの魚でも、表面に傷が入ると痛むからです。こういう加減は、何回も失敗しないと上手くならないかもしれません。スカリの口の巾着紐を絞り、一度寝かせます。
まとめてあるロープを解き、二ひろ(約3m)くらい引き出します。フロートの4㎝の穴にロープを通し、巻き付けるようにもう一度穴を潜らせて、ロープの端とフロートまでの長さを調整。それをもう一度繰り返します。フロートが2つぶら下がったロープの端をスカリのフックにモヤイ結びでくくりつけました。
腰を伸ばして立ち上がる。ロープの余りを肩に掛け、スカリとフロートを左手で持ち上げました。使っているダンベルよりは軽いけれど、持ちにくいから負担んは大きい。
身体の向きを変えたら、おニイさんが手をワタワタさせています。何でしょう? まあ良いか。
出しっぱなしのハンマーをライフジャケットのポケットに入れて、注意深く足を踏み出しました。
魚を落とすと大変なので、慎重に高台から肩部分に降ります。
大分潮が引きましたね。
さて、まずは固定用のハーケンを打ち込みます。位置はある意味適当です。岩で擦れても簡単に切れるようなロープではありません。
ロープを肩から送り出し、スカリを東側、潮が少し渦巻く海面に下ろしました。崖から少し遠ざけることが必要です。波で崖に打ち付けられたら魚が痛んでしまいますから。
引き波に合わせ、ロープを繰り出す。スカリ入りの魚だけでは難しいのですが、大きいフロートが付いていると楽。
うん。怪物が海面下で波に揺られています。
後ろから降りてきたおニイさんが呟いた。
「良いな。モンスターか」
外道とは言え、このモンスターカンダイは自慢できる。流行っている写真SNS、何だっけ? インスタント? そこに上げれば同好の士が見てくれると思う。
あたしはSNSが苦手です。特にiPh○neのチャットで会話するやつ。返事をしながら釣り道具の手入れや仕掛け作り、料理なんかしていると、いつの間にか知らない話題になっている。人が魚をさばいて3品4品作るわずかな時間に。ついていけない。
バイクで2時間くらい走って、コーヒータイムと休みながら見ると、iPh○neに10回くらいメッセージが届いています。みんな、せっかち過ぎると思わないですか?
ロープの途中部分に輪を作ります。バタフライノットとか途中結びと呼ばれる結び方です。打ち込んだハーケンにはカラビナで取り付けました。
これだけ太いと放血に時間をかけたほうが良いだろう。腕時計で時間を確認した。
「何分くらいこうしておくんですか?」
聞いてきたおニイさんに30分程度と答え、おニイさんを促して、また高台に登ります。
前を行く大きなお尻、触ったら怒られるかな。
・・・スケベ親父ですか、あたしは。
大きくかぶりを振って、バッカンに放置しておいたウツボを見やると、完全に死んでいました。
ウツボをフィッシュグリップで挟み、バッカンから引き上げる。ウツボを寝かせ、血で汚れた水を一度捨てて、海水を汲み直しました。
ニッパーをハリスとウツボの身の間に差し込んで、ワイヤーハリスを切り外し、糸をまとめてゴミ袋へ。オモリと針は、再利用のため回収。噛まれて傷だらけになり使えなくなった針はちゃんと行きつけの釣具屋で引き取ってもらいます。
ウツボの血抜きは十分。死後硬直を押さえるため、ワイヤーでむき出しの中骨の中心、つまり脊髄を掃除した。
海水でウツボを洗って、伸ばしてメジャーで計測したら7割がた落ちた首をつなげて98㎝ありました。ウツボとしては長い。魚体を新聞紙でザッと擦って粘液を拭い、ビニール袋に封印してクーラーに納めた。
カンダイとウツボの粘液で汚れた軍手。雑巾で幾度も拭う。特にウツボはウナギ目。粘液にも弱い毒が含まれます。雑巾を二度すすいでやっと粘液が取れた。
軍手をその場で水洗いすると、ビショビショになって次の魚で使えなくなるから、拭うだけに止めています。次にカンダイを触る時は素手のほうが良いかしら?
自分の竿に戻るが両方当たりが来ない。餌取りもない。赤貝は大量にあるので3匹掛けから4匹掛けに変えてみようか。
右に置いたベテラン選手の竿を引き上げた。
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