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こんなに釣れません  作者: 咲多紅衣(さきたこうい)
6/12

20180528_南伊豆06

拙作にお付き合いくださり有難うございます。

 昨年、伯父やその仲間と長崎の男女群島(だんじょぐんとう)遠征へ同行した時は、底物師(そこものし)がどれだけおかしいか心底わかった。


 伯父の弟子というより便利係だったあたしが、紳士が釣り上げた魚が水面に浮くのをタモに入れました。不安定な足場に変な姿勢になりながら、玉の柄を縮めて引っ張りあげます。

 クエ、あるいはモロコ。ハタ科の高級魚でした。

 この群島では結構ポンポンとクエが釣れるらしいと聞いています。専門に狙う人はカニ(えさ)ではないのでしょうけれど。

 クエは魚食いのイメージが強いのですけれど、甲殻類も結構食べます。

 ・・・あれ? (はな)すのですか?

「10㎏程度の子供のモロコだからね」

 随分な深場を狙っていたみたいで、クエの腹が気圧差で膨張(ぼうちょう)しています。カサゴとかハタの仲間は特に、急に巻き上げると膨張しやすい。

 紳士はその(ふく)れてしまった浮き袋に空気抜きを刺して抜いていたのです。あたしは締めるまで生かしておくために空気抜きをすることが多いのですけれど、紳士は逃がすために。

 紳士の向こうから声がかかる。

「まあ、外道(げどう)でも楽しめたんじゃないですか?」

「いや、やはり大味(おおあじ)だよ」

 じゃなくて、クエじゃん。この九州でいうところのアラだよ。関東じゃモロコだよ。超高級魚じゃん。石鯛竿で釣ったじゃん。ライン切れも起こさずに上げたじゃん。

 おっと、地が出る。

 針も伸ばさず流石と思う腕でしたよ。あたしも何度か釣ったけれど、ずっと小さくても持ち帰って美味しくいただきました。

 心の中で色々言っているうちに、空気抜きが終わっていて紳士が道具を腰のバッグに戻すところでした。

 気付いた時には紳士の戦いは終わっていたから、よく分からないのですが、あれでしょう? 当たった時に見当をつけて、一気にクエを底から引き()がしたんでしょう? 本当は苦労して釣り上げたのでしょう?

 どうして写真の一枚も撮らないのこの人。10㎏程度って計測もしないし。

 クエ、アラ、モロコ、様々な名で呼ばれる高級魚は、紳士の手から海に帰りました。

 あたしは自分が釣った外道を泳がせているストリンガーのウキを遠目に見つめてしまいました。

 2人の若手(?)は「高級魚なのにもったいない」の意思が見える視線を向け、あたしは少し安心したものです。あたしの感覚はおかしくないと思いまして。

 でもまあ、ギリギリ、大物ではないクエを逃がすと言うのはまだ理解できます。

 だけど、頑固な底物師は、伯父はおかしい。

 伯父の自慢の石物竿が海中から化け物を釣り上げました。あたしが(たも)()を伸ばして魚を手早く網に拾う。弟子なので、この辺は()()()の呼吸があります。

 伯父の目の前に網を差し出すと、偏光グラスの下の表情を動かさず、白い口から針を外しました。

「さすが師匠。良い型じゃないですか」

 30代半ば、中年手前の男性が伯父に声を掛けてきました。

 伯父はここ数年、幾つかの釣りグループでイシダイ釣りに興味をもった若手に底物釣りを教えています。あたしが一番弟子だとして、知っているだけでも他に弟子が11人います。そう、年齢は15も上だけど、この県議はあたしの弟弟子。

「何がだね?」

 あたしがiPh○neで写真を撮った次の瞬間、伯父の指出しのない手袋が化け物のエラに差し込まれていました。

 え? 伯父さん? そのクチジロ、軽くハチマル超えの化け物、あ。

 簡単に海に投げやがったぜ。動画の主役になりそうなクチジロ(イシガキダイのオスの老成魚(ろうせいぎょ))をさ。

「イシ以外は要らん」

 おい、上場企業代表取締役。

 まるでウツボが上がったかのような伯父の行動には、クエをリリースした伯父の友人紳士も引いていた。

 後で写真を見直したら、伯父の手の大きさとの比較だけれど、あくまで推定だけれど、きちんと計測すればキュウマル(90㎝)に達していた可能性すらありました。タモですくった感じでは紳士のクエより重かったのも確かです。だから、10㎏超え。化け物なのです。

 周囲の視線に小揺るぎもせず、伯父は伸びてしまった針を見て、新しい仕掛けを出していました。

 こういう師匠です。

 ちなみに、この遠征には紳士達ご友人の奥さん達も同行していました。だから、あたしが連れ出されたのです。留学も大体終わりが見えて一時帰国。卒業年度に突入しているから、復学準備と単位外研修への参加準備で忙しいのに。


 就活は思ったより上手くいきませんでした。3月4月にも数回一時帰国して数社の説明会や筆記試験や面接に出たけれど、向こうの論文の締め切りとか色々あって、関心ある企業の半分しか出られずに終わってしまいました。入れたら良いなという静岡県、愛知県では有名な企業の内の一社は、説明会にすら行けませんでした。

 昨春はそれくらい忙しく過ごしました。

 まあ、この5月に伯父から電話があった前日には、外房に行って底物を釣っていましたが。

 だって、本命から内々定が出て就活は一段落しましたから。

 本来のエントリーシートの受付は来月の6月から。それなのに、今の会社のように協定を守らなかった数社は、もう内々定まで出していたようです。学生側も準備している人はしていましたし。上手く動けなかったと言っているあたしでさえ、エントリーシートはどこでも作れるから、昨年中には完成していたくらいです。

 本命から内々定をもらったのは確かでしたけれど、本命と考えていた企業は3社。その内の1社は、5月時点ではまだ説明会も開いていないから、もし受けたくなっても復学後で良いかと、準備だけはしていました。

 そこはバイクやボートの他に自動車も作っていて、その会社の軽トラやバイクやSUVが集落には大量に走っているから、馴染みが深かったのです。一応は市内の会社だし。結局受けなかったけれど、今の会社と天秤に掛けるくらいには本命に考えていました。

 ちなみに残りの1社は輸送機械製造ではなく、楽器やオーディオ機器の製造。地元の企業という理由で受け、説明会で(ひる)み、一次面接で落ちました。

 復学準備も残るは留学先の成績証明などを提出するばかり。単位にも評価にも(つな)がらないけれど、勉強になる学外研修に付いて行くことになっているからCalifornia(留学先)へ戻りますけれど。

 3月から4月は、日本とLA(エルエー)を行ったり来たりしました。今の会社の一次面接と二次面接の間に留学先での研究発表会などがあったから、ずっと日本にいるわけにもいかず、航空運賃だけでも大金が飛んで行ったのです。

 それで、5月。いわゆる黄金週間(GW)明け。

 内々定取り消しという悲劇を聞いたことがあったから、保険に近い意味で愛知県豊橋市企業の名古屋での説明会に出てきました。新幹線だと東京から名古屋は近いのです。静岡県内だとのぞみは止まらない。

 名古屋ついでに顔を出した時には、母方の祖母も変わりありませんでした。母はどこかに行っているみたいで会えなかったけれど、あの人のことだから元気でしょう。祖母宅、当主が代替わりしているから上の伯父宅と言ったほうが良いのかな? まあ、祖母の所で泊まらせてもらいました。説明会と説明会の間の日には、同じ名古屋市に住む仲良しの義理の伯母、まあ師匠の奥さんにも顔を見せてきました。

 一番の用事である説明会出席は2社とも問題ありませんでした。名古屋市の企業ではないけれど、なぜか名古屋で説明会。ただ、事前に調べた内容より転勤回数が多いみたいで、正直興味を失いました。だから、早出残業について実際の出退勤の様子を見に行くこともなくなり、翌日には名古屋を後にしました。

 で、こだまに乗って浜松市の実家へ。浜松駅まで行かず豊橋で降りて、祖父に帰りに拾ってもらいました。実家に泊まって、祖父が元気そうなことに安心。叔母、従妹、知人らの顔を見て回り、更に翌日には東京の家に帰りました。

 日程に余裕を持たせたけれど、スムーズに行きすぎて帰りの飛行機まで一週間も空いてしまったのです。

 まずは釣りへ。

 ではなく、しばらくぶりの愛馬で千葉へ。ドイツ製の世界一有名なオフロードバイクは半年乗らないくらいではビクともしません。

 ・・・本当は、車と2台の愛馬は月一くらいで兄に様子を見たもらっていたんですけれど。その兄のアパートは大学時代から変わらず、千葉の稲毛駅から歩きだと15分くらい。兄は往復汗をかかない程度に走っています。

 浪人時代に勉強を教わりに通った場所なので、駅から歩きよりバイクのほうが慣れています。

 いるかいないか確認しないで向かい、いなかったら千葉港で小魚でも釣ろうかと思ったら、アパートにいました。電話したら、兄は暇だったようです。もう27だというのに、彼女の1人もいないのでしょうか。

 キミは? とは聞かれたくないから言いませんでした。

 言わなくて良かった。

 少し寄り道して買い出し。昼御飯にsandwichを作り、最近の様子を色々聞かれて、夕飯に兄の好きな四川料理の炒飯と青椒肉絲(チンジャオロース)を作って食べて、帰宅。

 ちなみに兄のアパートには泊まれません。絶対にです。数珠もしめ縄も聖水もないから怖すぎます。

「大丈夫だよ、キミ。1階の奥の部屋にさえ行かなければ」

 どうして兄は、事故物件を3部屋も抱えるアパートに10年も住んだのでしょうか。まあ、兄の部屋こそ二重の事故物件だったのですけれど。

 翌日、姉に電話したら、撮影でどこだかの国へ行っていて不在でした。でも、パートナーさんとはお茶できました。

 もう一台の愛馬、250ccのオフロードバイクでパートナーさんの職場近くへ向かい、ファミレスで待ち合わせ。

 ファミレスなのでドリンクバーとケーキです。

 ちなみにあたしは着色剤と甘味料入り炭酸水や、レンチンするていどのジャンクフードも否定しません。開発企業がコストや安全性を考えて、ギリギリまで味を良くした食品を馬鹿に出来るわけがない。

 窓から外を眺めていたら、フルカウルのリッターバイクが駐車場に入ってきたのです。

 ヘルメットを小脇に抱え、パートナーさんが入店してきました。洗っただけの顔と髪。それでもウエイトレスさんたちの視線が集まります。

 この人はあたしよりずっと低いし、服を着ていると痩せてさえ見えます。中身は猛獣、いえ怪獣、とにかく、ひどい外見詐欺な人なのです。

 身にまとう覇気(はき)が人目を引くのでしょう。

 でも、その覇気が今日はひどく弱い。

 近くに来るとわかる濃い(くま)。青白い肌。いつもの修羅場のパートナーさんでした。

 信じられないかもしれませんけれど、職業はアニメーター。典型的な趣味を職業にした人です。他の得意分野を職業にしていたら、大っぴらには会えない人になっていたから、平和な道に進んだということで。

 でも、いつもの修羅場よりも覇気がない?

 頼んだコーヒーを一息に飲み干し、お代わりを頼んでいます。また熱いまま、砂糖も入れずに半分ほどを飲んでしまいました。

 以前にこれだけ弱ったこの人を見た時は、45秒の穴が開いて、そこを1人で描いたとかで死にかけていましたね。

 パートナーさんは絵を描くのがお仕事です。けれども、お人好しと言うのか、よく別の役割を背負って苦労しています。

 今度はしんこー役が新人さんで色々フォローしなければならず、遅れ気味な原画動画を外注先に発破をかけているそうでした。本来の原画描きの仕事の他に抱えたのか。

 いつ寝たの?

「心配すんな。一昨日には仮眠した」

 5杯目のコーヒーを流し込むパートナーさんに、1時間寝てくださいとその場で横にさせました。

 パートナーさんを膝枕で一時間ちょっと寝かせて、息抜きに食べられる骨煎餅を渡して別れました。大丈夫かなと思ったけれど、K社の○2のスーパーチャージ付きエンジンをを盛大に吹かしてすっ飛んでいったから、元気を取り戻したようです。


 身内の様子を見たら、あとは釣りでしょう? 日付が変わる前に出発して外房の先端近くへ。

 地磯夜釣りでヘダイ(平鯛)ほか。ヘダイは地元だとコキタイと呼ばれる魚で、割と沖合いに群れます。だったら遠くへ投げすぎだろうって? そうでもありません。磯や漁港からのウキ釣りでも上がります。

 この夜は一番大きいのがヘダイの42㎝で、持ち帰りの多くは尺(30.3㎝)程度でした。なお、一番多く釣れたのはフグ。

 自分ではさばかないから、フグは美味しい種類以外は、持ち帰ってプロに身欠(みが)きを頼むこともせず海に帰します。身欠くにはフグ免許がないと危ない。フグ免許は、まずは調理師免許が必要。あたしは規定年数料理屋や加工業に勤めていたわけでもないし、専門学校も出ていないから、調理師免許は取れません。つまり、フグ免許を取る資格なし。

 夜明け前の朝まずめからは底物釣り。カゴ釣り同様フグが多くて困ったけれど、51㎝の本命も釣れました。外房は大物は少ないけれど、そこそこの本イシが釣れます。

 この時は熟成で旨味を増やすより、新鮮な命を味わうと決めました。

 駐車場を出る前に弟へ電話。帰宅2時間後に来るよう言いつけます。少ない量で高蛋白の白身魚中心の夕食を食べさせて、兄やパートナーさんの近況を話し、送り出しました。

 明日は何を釣ろうかしら。

 そこに師匠、伯父からの呼び出しがあったわけです。明日から「男女群島」に同行しろと。


 男女群島とは長崎県に属す(はる)か沖合いの島々になります。底物釣りの友達ができたら挑戦しようと思っていた4つの釣り場の内の1つ。断る理由はないと思いました。思ってしまいました。伯父の理不尽さを知っているはずなのに。

 一泊二日の渡船(とせん)と言われてその気でいたら、全然違ったのです。

 羽田から飛行機に乗って2時間で福岡空港に着き、名古屋空港組の伯父らと合流。同じ便に乗っていたらしい4人の男女とも一緒になり、レンタカーで延々と佐賀県まで移動。夜中にチャーター船で港から遥か先の群島に出発。

 時間調整の停泊もあるのだろうけれど、明け方には磯に渡り、夕方まで釣りです。テントを展開できる島に磯替え(渡船で別の岩や島に移ること)して、野宿で一泊。翌朝から昼まで釣ったら、午後に向こうを出て夕方に帰港というスケジュールでした。

 陸に帰ったその日は温泉宿に泊まったから、実質三泊四日の旅行になります。師匠、夜間移動も一泊に含めて下さい。安いツアー旅行ですか。

 これ、長崎からの乗り合い船だと、午後に出発して夕方到着。そこから夜を徹して釣り。更に翌日も夕方まで釣って、その日は船か磯で一泊。翌朝に向こうを出発して昼に帰港するというハードスケジュールだそうです。

 釣り人って業が深い生き物だと思います。

 あたしは空港から幼稚園のバスみたいな車を運転して、佐賀県の港に到着した途端、現地のレンタル会社が持ち込んでいた各種機材のレクチャーを受けるはめに。もう夜だったから、レンタル会社の人も帰りたいよね。だから、向こうでの釣りポイントや各磯の説明、そして船や航路の説明はほとんど受けられませんでした。

 皆さんは出発まで一休みですか。お茶して優雅ですね。

 機材というのは、テントみたいな簡易トイレ、人数分の小型テント、同数の簡易ベッド、調理器具や食器類だ。運搬方法、組み立て方法、撤収方法のレクチャー。テントはともかく、簡易トイレを沖磯に持ち込むのは初めてでした。船上で寝れば良いのに、地面が良いというこだわりが誰かにあったようだ。船にはトイレがありますよ。

 奥様組のフォローに回った初日はイシダイを釣るどころではなく、3人の内2人は沖磯の経験が少ないということで、レクチャーやら狙い目やらアドバイスしている内に1日が終わりました。釣り種はショアキャスティング、つまりルアー釣り。あたしはルアーが得意でもないし、磯でのルアー釣りに関しては素人同然なのだけれど。

 4人もいるから仕方ないのかもしれないけれど、もう少し足場の良い岩に渡して欲しかった。転ばないか落水しないか、もう心配で。

 竿とリールの組み合わせも良くない。

 竿はオフショア、つまり船で使う大物用のキャスティングロッド。他の物で男女群島で使えそうなロッドは全部留学先でした。

 スピニングリールはニコイチのS社「双子力」の4000番XG。XG、つまりギア比が高い種類。大物にはローギアでドラグ力が高い物が必要なのです。一応、よく使う太いナイロンを巻いてありますけれど、20㎏以上の本当の大物が掛かったら、糸が出っぱなしになります。まあ、両軸じゃないからハイギアでもそれほど関係ないか。

 磯だからと、フロロカーボンを巻いてある30000番を避けたのは失敗。フロロは沈む糸なので、磯だと瀬擦れしまくります。

 だって、ルアーの道具は、底物釣りができずに暇だったら使うつもりで念の為に持ってきていたのです。

 まあ、結局あまり釣りができなかったから、これで正解なのかもしれません。

 救いは、奥様方が満足行く釣果を得られたこと。5月は時期から外れるというから心配していたのです。実際、昼まではコショウダイ、スマ、ウミヒゴイなど小型~中型ばかりで、青物は難しいと思っていた。けれど、午後は80㎝台のヒラマサが年長2人に掛かり、同クラスのヒレナガカンパチを若い奥様が釣り上げ、全員ゲット。

 男女群島だったらメーター以下は小さい? 底物以外は調べていないから知りません。

 あたしはといえば、散々。常に他の3人に気を配っていて、ヒットしたらアドバイスして取り込むまでフォロー。転ぶとか落ちるとか、最悪が無いように見守るばかり。本命のヒラマサはシーズン外ということもあって、かすりもせずに終了。

 釣れたコショウダイ、カッポレなども、勝手に針に掛かったというべきでしょう。あ、あと何かのサメが掛かりましたけれど、わざと適当な動きをしてバラシました。

 なお、コショウダイやカッポレはその日の晩御飯になりました。

 日が暮れて納竿。引き上げに来た渡船への乗船をフォローし、クーラーに釣果を詰め込むのを手伝い、オッサン連中を拾って平坦気味な島に移動。あ、奥様方が持ち帰る釣果は全部、神経締めして、エラや内臓を処理しておきました。

 拍手しないで下さい。これは処理であって芸ではないのです。

 宿泊できる大きさの島に移動してからも大変。各種機材を運搬、テントやトイレを組み立てて設置。夕飯の簡単な調理。調理の配膳を奥様方がお手伝いしてくれたから、まだ助かった。魚をさばくのは「手を出さないほうが良いわね」と見物されただけだとしても。

 で、皆様が就寝用意に入って、やっと自由時間。宿泊した島の隅に移動して、ポツポツいる夜釣り組に混じって遠投カゴ釣りで一夜を過ごす。餌は翌日用のオキアミとコマセを先にもらっておいた。

 この島での他の夜釣り組も連れが野宿している間の釣りだったようだ。暇潰しっぽくルアーを投げているだけの人もいたくらい。ここではクエ狙いはあまりしないみたいです。クエの夜釣りに向いた岩か島の地磯もあるのでしょう。あたしとルアー釣りの人以外は、全員オナガ(黒眼仁奈)狙いのようでした。

 イシダイは磯の王者であっても、釣り人の人口比は圧倒的にメジナの勝ち。

 翌日はまず、朝食作り。今日の女性陣はウキフカセ釣りで、あたしみたいな素人のフォローはなくても良い。足場も安定している。それでも万が一の落水時に掴まれるロープとブイを予め投げ込んでおきました。

 宿泊場所に戻りテント類を分解して、トイレの汚物もゴミも集めて、帰りに積み込めるように準備。実際の積み込みは人間が乗る時です。

 そして納竿まで男性陣の世話。やっと自由に底物を釣れると思ったら、オッサン連中、もとい底物師達のフォローも大変でした。完全に助手扱いはまだ良いけれど、4人いるのだから、もう少し遠慮があっても。あたしのような若い女の子、・・・女に色々やらせて。

 二十歳を過ぎてから「女の子」を名乗るのが辛くなりました。それはともかく、肉体労働要員じゃないのですよ。

 近場でのんびり釣りをと考えていた一時帰国者を、出発の前日に電話して詳しい日程も説明せず連行というのは、わがままが過ぎませんか伯父さん。

 船1隻貸し切りで夢の磯へ行けるのに、持っていけた竿は4本のみ。留学中は留守番だった石鯛竿を2本。同じく留守番の5号の遠投カゴ釣り竿を1本。修理に出していて留学に持っていけなかった中型用のキャスティングロッドを1本。

 リールはDブランドの石鯛用の両軸1個。遠投釣りに使っているスウェーデンA社の両軸リール「大使」の内、底物に使えなくもない物を1個。ルアー用にS社のスピニングリールを1個。ルアー用リールのみ号

数が違う替えスプール2個。糸はすでに巻いてある物をそのままで持ち込み。

 予備竿予備リール無しなのは、東京の部屋にこれしか残っていなかったから。留学なのにどれだけ釣り道具を持っていったんだか。

 お前が言うな? はい。

 偶然にも、全て兄が関わった竿とリールでした。プレゼントしてくれたり、プレゼントしてくれたり、代金不足分をこっそり出してくれて修理の手配もしてくれたり、遠方の知人からもらってきてくれたり、プレゼントしてくれたり、プレゼントしてくれたり、プレゼントしてくれたり。

 プレゼントばかりじゃないか。

 現地の天候を調べて、餌は現地用意のカニとガンガゼと聞いて、使えそうな仕掛けを用意するのがやっと。帰りの日は想定とずれましたけれど。

 持っていく服は祖母の家に置いてある高校時代のフルセットにしようとしたら、寄る余裕はないと告げられました。名古屋空港へ行くついでに拾ってきてという姪の頼みを断ったのです。この伯父。

 一時帰国中のあたしを連れ出すことを母親(祖母)や妻(義伯母)にばれるのを避けたようです。義伯母は、あたしも長崎へ行ったことを知らなかったらしく、渡米の直前に謝罪の電話がありました。

「毎度毎度、伯父さんのわがままに付き合わせてごめんなさい」

 埼玉の建築士の奥さんからぐるりと回ってきた情報を仕入れ、伯父を叱りつけたそうです。何度か思ったけれど、奥さんネットワークってすごい。どこで誰がつながっているやら。

 それはともかく、ライフジャケットは東京の部屋に残していた夏物。今日着ている奴ですね。ヒップガードは使い込んで端が擦り切れた古い物。カッパやシャツ、フィッシングパンツは貰い物や死蔵品でどうにか揃えた。フェルトスパイクのシューズだけは仕方なく、羽田に行く途中で買うしかありませんでした。

 師匠があたしを巻き込むのは珍しくないけれど、これだけの遠征に急に付き合わせるのは珍しいほうです。奥様方の内、2人は防波堤と地磯が主な釣り場で、沖磯に慣れていないと知って、急に不安なったのかもしれません。

 伯父は旦那さんに安請け合いしたと聞きました。

「それなら私の姪を連れて行きましょう」

 あたしが一時帰国していなかったらどうする気だったのでしょう? それに、4日間も予定がない寂しい女だと思われていたことに、今年のお正月になって気付き、ショックでした。

 遠投竿で夜釣りは出来ました。本当は大遠投しての大物釣りをしたかった。実際は電気ウキでのちょい投げカゴ釣り。準備が忙しくて、明るい内に良さげなポイントも釣り座も見つける暇がなかったから、大物がかかりそうな仕掛けは止めました。一人の夜釣りで落水したら死にます。

 電気ウキの大きさ、道糸の太さ、ハリスの太さ、針の大きさ、魚のいるタナの下調べ。全部が全部いい加減で、カゴの五目釣りになりました。

 57㎝、55㎝、51㎝のオナガ(正式名クロメジナ)が計3尾。45㎝、44㎝とクチブト(本メジナ)が2尾。尺程度のイサキ5尾。

 経験則だけで仕掛けを決め、ウキを流してポイントを決め、付け餌はオキアミ、コマセはアミ配合剤。それでこれだけのメジナが釣れるなら、全国からフカセ師が集まるはずです。

 周りが空いたから活き餌釣りに変更。58㎝のカツオ、81㎝と小さめのイソマグロ。夜釣りでカツオを釣ったのは初めてでした。

 活き餌にした物以外の小魚と38㎝のよく分からないオジサンの仲間は逃がしました。

 同行した弟弟子の県議は30代後半、奥様は20代後半くらい。子供は実家のジイジとバアバに取られて、奥様同行の釣りだそうです。伯父は愛知県人だけれど、このお二人はその向こうの三重県の人。県議が伯父の弟、あたしの叔父の知り合いということから弟子にしたと聞きました。

 この県議は釣り筏で奥様を釣ったらしい。何を釣りに行っているのやら。

 紳士は伯父と釣り場で鉢合わせている内に仲良くなった同年代の底物師。この人も上場企業の経営者、CEO。東京の人だけど、奥様は愛知の名家出身で、あたしの母、つまり伯父の妹の先輩らしい。たまに母とお茶するとか。これもあたしが呼び出された理由の一つだと思います。

 こちら奥様は、あたしからみれば女釣り師の大先輩だと知りました。釣りを始めて、既に50年だそうです。釣り好き同士ということで紹介されて結婚したそう。

 しかし、よくもまあ師匠も、弟だの妹だのの関係者に釣り場で知り合いになれるものだと思います。

 で、もう一組の友人夫婦は共に40前後だと思います。紳士のほうの弟弟子にあたる人と奥様になります。埼玉で建築事務所をやっていると聞きました。「海なし県で底物師を」と卑下気味な冗談を言ってくるから、あたしも静岡と愛知の県境の山の中の生まれだと返しておきました。奥様は昔、「ホテルおりかさ」の一つを設計したそうです。こちらのお子さんもジイジとバアバに以下略。

「私達、生まれ育ちはどちらも埼玉だけど、夫とは下田の先の弓ヶ浜の投げ釣りで知り合ったのよ」

 建築士さん、頑張って遠投しましたね。・・・ちょい投げだったりして。

 釣りと居住地はあまり関係がありません。知り合いには都心のど真ん中の高級マンション住まいで渓流釣り専門の人もいれば、中紀の名磯近くの生まれだけれど釣りをやったことがない人もいます。というか、猪鼻湖近くにいながら、実家で釣りを趣味にするのは、祖父とあたしだけです。

 建築士さんは、釣れた大物イシガキダイを放すのに伯父からシガテラ毒の話を聞かされる必要がありました。良かったですね、シガテラ毒の話だけで。あたしは何時間も色んな食中毒話を聞かされて食欲を失ったことがあります。上から下からの話を具体的に何時間も。

 死瞬気の女の子にする話ですか。違った。思春期の女の子に。『死瞬気』は姉の中学時代の詩集の題名でした。実家に遊びに来たパートナーさんに、家族のアルバムや姉の部屋を見せ、ついでに詩集を見せてあげたら、なぜか姉は1週間口をきいてくれなくなりました。

 だって、掃除をしていたら何冊も見つけたから、忘れ物だと思って。小学校の卒業アルバムとかと一緒に段ボールに移しておいたのです。押し入れと天袋の間の隠し棚に入れておくなんて大事なものなんでしょう?

 奥様方は底物師ではないけれど釣りは大好き。旦那に付き合って嫌々ではないから助かりました。

 県議の奥様のように、ほんの付き合いでやっていたのが、旦那さんに感化されて釣り女になった人がいます。

 建築士の奥様設計士さんのように、投げ釣り専門で趣味の一つだった人がマルチアングラーになった人も。

 紳士の奥様のように、幼少期から「女釣り○チ三平」だった人は例外です。

 紳士の奥様は、今でも毎年、イトウ釣りで北海道へ行くそうです。紳士いわく、アムール川ならともかく、国内には2m超えはいないと言っているのに聞かないそうで。

 この三組の釣り好き夫婦の様子に伯父は少し羨ましそうだったのを思い出します。義伯母は、魚料理なら出来ますけれど、という人ですから。

 女性陣はこの2日目、男性陣と同じ島の別の場所でメジナ釣りに興じることになりました。あたしの夜釣りの釣果に興奮し、オナガのロクマル(60㎝)を狙うそうな。皆さんウキ釣りも好きということで、楽しそうでした。

 ちなみにあたしの夜釣りの釣果は、朝になって餌を受け取る際、渡船に載せたクーラーに投げ込んできました。この助手状態では飛んで行って釣果を放り込み、餌をもらって帰って来る時間しか取れなかったのです。8人が使う餌、半日分でもクソ重かった。もう遠慮も何もない。場所を塞いでいる誰かのクーラーボックスを踏んづけて移動したものです。

 正直に言うと、おじさん主体のメンバーに女子大生が混じると、満足な釣りをするのは無理でした。色々とフォローに回るほうが忙しくて。

 フォローして釣り座に戻り、フォローして戻り、夜明け前から納竿までずっと大変でした。もちろん持ち込んだ設備(もはや装備ではない)の撤収も大変だったけれど。フエフキダイだとか、美味しいけれど掠りもしない外道を釣るのがせいぜい。


 底物師でもイシダイ以外は外道、餌取りにすぎないというのは主流ではないと思います。伯父はかたなくだけれど。

 ・・・・・・かたなく、かたなく。頑固の頑。・・・あ。

 伯父は(かたく)なだけれど。

 師匠と一緒だと、イシガキダイの大物を上げても「残念だったね」と慰められてしまうのです。内心万歳三唱していても、計測すらできずに放さざるを得ないという。

 あの時だって、今日釣れたイシガキダイと同じかそれ以上のクチジロが釣れたけれど、化け物クラスを気にせず海に帰した伯父の前では、すぐに放すしかありませんでした。写真一枚撮れやしません。

 この遠征では、やっと1尾、46㎝のイシダイを釣ったのみ。しかも、釣って喜んでいたら伯父に叱られたのです。

「そんな木っ端で喜ぶんじゃない」

 伯父が65㎝の大物他、型の良い3尾を仕留めた後だったから、何も言い返せません。

 ええ、皆さんが手元に残したイシダイの中で、一番小さいのがあたしの釣果でした。他の人は最低でも50㎝オーバーが数尾。伯父にいたっては納竿直前にもう1尾、62㎝のクチグロを上げていたくらいです。あたしは先に竿を上げて色々片付けを始めていたから、心底悔しくて悔しくて。

 あたしも大物と戦いたかった。

 底物を一緒に釣ってくれる友達か知り合いを作って、もう一度、男女群島に来る。固く決心しました。

 なお、80㎝超えのマダイを釣ったのはあたしです。先ほどの会話したのは伯父と紳士。

 また赤い。あー、もー。

 水面下に魚影を見た瞬間は、あたしもそう(うめ)きましたけれども。

 4尾目です。完全に狙い所を間違えているとはわかっています。でも、オッサンらを、・・・小父様(おじさま)たちをフォローするために釣り座はある程度近くに取らざるを得ません。

 一番魅力的なポイントは、当然、師匠と弟弟子の県議が持っていっています。同じ釣法ですから、狙いたい場所も大体同じ。

 紳士や建築士さんは深場狙いを好むようですけれど、こちらの2人も投げる釣法。

 つまり、オッサンどものせいで好みのポイントがほぼふさがっています。

 そんな中、あたし好みで、制限された釣り座から狙える場所は一つだけ。約130m沖合いの沈み根。あそこならイシモノの匂いがします。楽に座れもしない、悪い足場から精一杯に投げました。

 2本持ち込んだ石鯛竿の一方は大遠投向きではなく、慣れた両軸リールとの組み合わせでも、前後左右に外れました。

 潮の下流でも上流でも、いたのはマダイ。フエフキダイその他の外道。そして、チビイシにイシガキダイ。確かにイシモノだけれど、これは違うと、岩に八つ当たり。

 半日の間にあった当たりは、さすが離島という数です。合わせの失敗が少なく、釣り上げた尾数も紀東(きとう)や南伊豆とは段違い。ただし、外道かチビイシばかり。外道だけでも十回は放流しました。

 一段と師匠モードな伯父から、マダイ達も放せと言われるかもしれないと気が気ではありませんでした。

 マダイは美味しい。

 タイ科マダイ亜科マダイ属マダイ。魚の王者という人がいるくらいの白身魚。魚屋で見るのは30~40㎝が多いかな。養殖されていて結構安く手に入ります。

 でも、釣れたのは外海に育てられた天然物。不味く料理するほうが難しいくらいです。

 いつもなら師匠風をふかす時の伯父でも、マダイや幾種かの外道は見逃してくれます。

 いつだったか、一人で紀東へ釣行し、本命ボウズだったけれど、マダイや他の美味しい外道をお土産にして、伯父の家に立ち寄ったことがありました。家族全員分、伯父夫婦、従兄夫婦、孫ちゃんの分まで腕を振るったのです。あ、当時は上の従兄はまだ独身で、下の従兄がいたのだったかしら。

「外道なぞ持ち帰らんで良い」

 そんなことを言う伯父の目の前から、義伯母が料理を取り上げ、あたしたちだけで美味しく食べ始めたのです。伯父の前には青菜の煮浸しだけ。

 数分間は意地を張っていた伯父が、根負けして前言を翻したのは言うまでもありません。

 あの時の鯛めしは、我ながら珠玉の出来だったと思います。

 そして、この離島遠征の際もお持ち帰りを許されたのです。というか、特に何も言われませんでした。

 港に帰って、福岡空港まで走る途中で一泊。そこで食べたご飯はマダイ尽くし。

 刺身、炙りの松皮造り、兜煮、潮汁。洋風にカルパッチョ、ポワレ。また、中華蒸し香味油がけ。ヒレ酒、骨回り身蒸しの混ぜご飯の出汁茶漬け。

 あたしが作りました。

 ああ、80㎝以上の他に中型のマダイも3尾釣っていたので、8人で食べ尽くすには丁度良かったのです。ただ、ヒレ酒が一番受けていたのは納得いきません。あれは魚と地酒の功績なので。

 なぜ、客のあたしが調理をしたのか。

 伯父が宿の予約をする際、「釣りものを調理してほしいから肉料理はいらない」と言ったつもりが、「魚を料理するから」と言ってしまっていて、宿のほうもそう受け取っていたからです。

 伯父さん、素直に宿に謝って料理してもらえや。

「仁美、任せた」

 じゃない。

 4尾のマダイは全部料理に回しました。献立を考えるのも面倒だから、マダイ尽くしとしたのです。さすがに帰りの船の中で仮眠したとはいえ、疲れていましたから。

 大体、宿に確認の電話をしたのが、宅配便で道具や魚を送る手配をしている最中。他人様の前で伯父姪の喧嘩をするわけにもいかず、マダイの箱だけクール便から除外したのです。もう一つ、調理道具類を詰め込んだバッグも。

 遠征だから包丁類を少しと調味料は持って来ていましたけれど、流石に本格的な料理をする準備なんてしていません。米や水、油、昆布や香辛料などは宿に提供してもらいました。

 それでも足らず、途中で地酒とハーブ、山葵(わさび)生姜(しょうが)を買い込み、伯父の財布を軽くしてやりました。自腹を切ってたまるか。

 料理に使う分以外の酒類、ビールやワイン、ソフトドリンクは宿から買いましたよ。そこまで持ち込む無礼はできませんから。

 奥様方には名前呼びされるくらいになった、好評な遠征でした。

 紳士の奥様が少しだけ打ち明けてくれたのですけれど、普段家族で釣行すると、釣り以外の一切を任されて疲れるのに、今回は楽ができて美味しいものも食べられて嬉しかったということです。他の2人もうなずいていたから、皆さん亭主関白なのでしょう。

 翌朝、名古屋組の伯父と紳士夫妻、県議夫妻は元気に出立。あたしはそれを空港で見送りました。

 前日にクール便で東京に送ったのは、夜に釣ったメジナ類、カツオ、イソマグロ。午前中のイシダイ、外道のフエフキダイ。

 家に帰って1時間後にギリギリで受け取りました。福岡から羽田行きの出発が遅れたのです。紳士たちも少し焦っていました。実は午後から仕事だったようです。

 届いてすぐに下ごしらえ開始。夜には兄や姉、弟、姉のパートナーさんを呼んで腕を振るいました。

 で、料理した翌日、夕方の便で成田から渡米。飛行機の中で爆睡しましたとも。

 そういえば、男女群島に持ち込んだ石鯛竿って、自宅で留守番中の「石竿3号」と「石竿5号」でした。両エースなのに昨年5月には本命釣果が1尾だけ。今年2月はボウズ。去年の秋に大活躍したから忘れかけていました。


すみません。これで、やっと半分です。

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