20180528_南伊豆05
ちょっと書き足そうとしたら、3割ほど増えてしまいました。
お待たせしました。第5回です。
誕生日プレゼントといえば、去年の誕生日に関しても兄の策は狡猾でした。
去年の春は就職活動があったため、何度かSanta Monica・・・、サンタモニカと日本を行ったり来たりしていました。誕生日が4月15日なのですけれど、誕生日を待たず、4月上旬の面接をした後にすぐ戻りました。講義の都合、ではなく、兄や母や祖母からの誕生日攻勢を避けるためにです。
だから、昨年の誕生日は、みんなからテレビ電話(パソコン通信?)で祝ってもらえただけで終わったはずだったのです。
昨年ですら23歳です。もう親兄弟からプレゼントをもらう年齢ではありません。兄や姉や弟とゆっくり話せただけで十分満足していました。面接で一時帰国した時には、兄やパートナーさんへの誕生日プレゼントも渡していたし。
うちの兄弟は弟を除いて全員4月生まれです。兄が3日。あたしが15日で、姉が22日。他の身内にもいて、姉のパートナーさんが2日。この頃は知らなかったけれど、お義姉さんが12日。来年からは大変です。
留学が終わって帰国。就活は実は4月に内々定が出ていてすることなし。大学のほうは留学中の評価で予想以上の単位が取得できて、少しだけ心配していた留年の可能性はほとんどなくなって一安心。
あたしが通っていた大学は、3年の専門課程から校舎が変わるシステムです。この冬まで通っていた港区の校舎は、3年の6月から留学していたあたしには、あまり馴染みがありません。講義と講義の時間が空くと、何をすれば良いのか戸惑っていました。
友達もいないし。
だから、卒論以外は趣味に全力です。徒歩と電車でそんなにかからない校舎へ、バイクで通いました。ちゃんと校舎の近くの有料駐車場を使ってです。講義の時間が空くと卒論を見直したり、釣りや料理について考えたり、バイクで走っていました。
ただ、アルバイトがなかなか見つからず、その意味で暇でした。留学前にアルバイトしていた築地の場外市場は帰国翌年、つまり今年2018年の市場移転に向けて、フルタイム勤務しか雇えないと断られてしまいました。さすがに大学4年なので卒論に集中しないといけませんし、釣りへ行く時間もツーリングへ行く時間も料理を研究する時間も取れなくなるのは避けたいから、諦めました。
代わりに家の近くの羽田空港で案内役のアルバイトをしました。正確には派遣社員扱いだけれど、勤務時間は短くて時給が良かったです。ただ、来る人来る人、あたしを素通りして同僚に話しかけ、上司には笑顔を作れと怒られました。
そんなにあたしの顔、怖い?
幸い、海外観光客は案内人の顔なんて見ておらず、そちらの仕事ができたからクビにはならず済みました。
帰国後すぐに来る夏休みに関しては、高校の時から入っているサークルの釣り会、幾人かの釣り友達との釣行、先生や導師との約束も取り付けられて、単独釣行も含めれば予定はかなり埋まっていました。
ああ、師匠こと伯父は、少しだけスケジュールを空けておけば大丈夫。「空いているか? 空いているんだな。よし」と突然出頭命令。気がついたら沖磯の上で「底取りが甘い」「本イシを引き寄せる工夫が足りない」「どうしてお前はそんなに合わせが遅いんだ」とお馴染みの指導をされるだけです。
例えば、早朝に電話がかかってきて呼び出されます。三重県の端っこまで7時間かけて運転したのに。わざわざ名古屋で拾ったのに。早朝から5時間近く運転して、到着したら玄関先で待っていたから、お茶の一杯もなし。そのまま紀東へ直行。昼から日没の19時まで釣り、帰りも伯父宅まであたしが運転。さすがに晩御飯は奢ってもらいましたけれど。名古屋市の別の区にある祖母の所で泊めてもらいました。
中学や高校の頃は伯父の家に泊まって、伯父の運転で紀東や南紀へ連れて行ってもらえたのに。優しい伯母や従兄のお兄ちゃんたちにも構ってもらえて、居心地が良かった。それが、高校を卒業したとたん「仁美も、もう大人だな」と釣り以外でも師匠と弟子になり、たまに運転手にされています。
師匠というのは理不尽なものです。
ちなみに昨年の選考解禁は6月。広報解禁は3月。でも、インターンやらガイダンスと称した説明会やらで、実質一昨年の12月には就職戦線は動いていました。経団連が採用選考に関する指針を出して、たった1年でこうなっていました。
今の会社は動くのが早かった口です。3月には始まっていましたから。他にも説明会は10社行きました。今の会社の内々定が出た頃も、平行して1社二次面接、2社が一次面接、1社が筆記試験申し込み段階でした。ちなみに、選考解禁の6月1日が本来のエントリー受付日。会社説明会ならともかく、最終選考まで終わったのは今の会社が一番でした。
地元近くには有名な楽器製造企業が幾つもあるのですけれど、音楽に興味のない人間は行ってはいけません。説明会の段階で、来るところを間違えた気分にさせられます。
今の会社は本気で挑んでいた企業の中では、通勤としては一番辛いとわかっていました。1時間半というのは少々遠い。まあでも、高速を使えば1時間を切るから問題ないと思っていたのです。
実は祖父が経営する会社なら、通勤という意味では余裕で通えるのです。「一度は外でもまれなさい」と祖父から命じられ、就職活動をしました。
卒論を提出した梅雨明けからは、料理にもかなり没頭しました。手のかかる料理を作りまくり、アレンジの研究も数多く。
祖母の生家である江戸料亭の定番本膳料理を自分の最高の味で幾通りか作り、自分のアレンジ料理を加えた新たな膳を編み出す。
京都の料理屋で修行した際に盗んだ味をもっと本物に近づけたり、江戸風の味付けに寄せたり、フランス料理風にしたり。
江戸前天ぷら屋修行で編み出した変わり天ぷらの新作を試みて、二種類は売り込んできたり。
Los Angelesの・・・、LAのドイツ料理屋で食べたザクセン流のシュトレン(菓子パン)、何種かのクーヘン(ケーキ)の再現もしました。美味しくて感激したから、日本人好みには変更していません。
料理に関しては以前から、兄弟やダチ、釣り友、彼女たちの好きな料理を振る舞って、夢破れた心を慰めていました。
これでも一度挫折しているのです。
高校2年で破れた夢は、世界で五本の指に数えられる料理人になりたいというものでした。日本中、いいえ、世界中からあたしの料理を食べに来てくれるような板前になりたかった。
どうして夢破れたかというと、あたしには自分だけの料理を産み出す力がなかったんです。できるのは精々アレンジまで。
高校1年のある日、ある料理評論家へ腕を振るうチャンスをもらえました。
日本各地、世界各国の料理や技法を江戸料理に落とし込む工夫をして、そこらの板前には負けないと信じていました。その自信満々で出した料理の数々が散々な評価を受けたんです。
「がね(さつま芋入りかき揚げ)の変化球か。はなから油物とは」
「これは・・・、ミカンと人参と海老のなますか。変わり種なら良いというものではない」
「グジの水菜作り。カルパッチョの安易な和風化だな。今ならイトヨリのほうが旨いはずだ」
「熟成させたアコウと茗荷の煮付け。元にした『百花』さんのブリ煮から抜け出せていない」
「子羊の煮凝り。プロバンス風のラム煮込みのままのほうが旨い」
「ハマグリの味噌汁。俺には塩辛いな。ハマグリの身は別に仕上げたか。貝、昆布、・・・鮎干しか。出汁の配合はまあまあか」
「ふむ。米はひとめぼれ。ぼちぼちだな」
「香の物は、大根と生姜の味噌漬け。濃い、な」
「水羊羹のフルーツソース掛け。これもまあまあだ」
ケチョンケチョンでした。祖父がわざわざ批評家を呼んでくれたのに。
「40点。組み合わせは悪くないが、感動はない。どこかで見たような品ばかりだ。10年以上修業してこれでは、一流になるのは諦めたほうが良い」
祖父が取引先やお世話になっている先生方をお呼びしての宴席だったから、本膳料理ではなく会席料理にしましたけれど、自信はありました。手に入れられた最高の素材を最高の料理に仕上げた。誰もが美味しいと言ってはくれなくとも、気に入った料理が一つ二つはあるはずだと。
祖父とは長い付き合いの人たちは、「十二分に満足したよ」「ご馳走をいただきました」「美味しかったよ」と慰めてくれました。まあ、半分お世辞でしょう。
断言されても諦められるわけはありません。それから1年弱、釣れた魚は何でも試し、図書館で各地各国の料理の本を読み、数十の新作を編み出しました。今までの料理に加えて厳選し、13通りの本膳、5つの会席膳、34の定食を組み上げたんです。
試食は折笠の家族と母方の親戚に試してもらいました。自信作です。批判は出てきません。でも身内の判断です。
小学生の時に少しの間お世話になった京懐石のお店に頼み込み、試食会の時間をとっていただきました。その日の市場で手に入った食材と仕込みを合わせた全身全霊を込めた本膳。懐石料理と会席料理のお店に、あえて本膳料理で挑みました。しかも、一汁三菜ではなく二汁五菜で。品数を増やせば、粗があれば出やすくなります。
味に厳しい板長や社長にすら大好評でした。幾つかの料理にいたっては、本職から教えて欲しいと頼まれるほどに。安堵のあまり立ち上がれなくなったことを覚えています。
嬉しくて嬉しくて、宿に戻ってレシピ帳を読み返し、やっと気づきました。自分が産み出した料理が1つもない。全部、アレンジだと。
もし、生イワシに胡椒をふっただけの料理があるとして、それが人類初ならオリジナル料理です。でも、あたしの料理は、教わった料理と盗んだ味と真似した技法に過ぎません。先人が苦労の末に産み出し、後継者たちが歳月をかけて完成した料理を盗んでいるだけなんだと思い知りました。
家に帰って全部の料理ノートを読み返し、釣りノートのあちこちに書き散らしたアイデアも全部拾いました。結論として、あたしのオリジナル料理は、やっぱり一つもなかったのです。
あれの出汁をあごに変えれば面白い味になるかな。昼に食べた豚野菜炒めの味をもっと突き詰めれば一流の皿になるかも。大トロも銀ワサも包丁の入れ方を変えれば口に当たらない刺身になるだろうか。おばあさんとの食事で出たコンソメスープ、油や調味料、お酒も香辛料も変えれば、佛跳墻(福建料理のスープ)になる。
釣りノートの書き込みは思い付きだけです。待ちの釣りをする間、思い付いたことをメモしているだけ。だからこそ丸わかり。
教わった味の改変。改善と言う名の盗作。小手先の技術。ある国の一流の料理を別の国の一流の技法で作り替え。そんなアレンジのアイデアが書き散らしてあった。
けれど、万人受けする腸料理の一つもない。子供受けする生肉料理の一つもない。マトンをラムと同様に食べさせる料理はアレンジ。磯臭い魚を上手く料理する術は諦めている。ウナギを川魚嫌いに食べさせる料理は、別料理の技法の丸パクリ。
そうか。あたしは、評判の板前にはなれるかもしれない。でも、目指してきた超一流にはなれないんだ。
高校2年に進級できて早々、板前の道は諦めました。
絶望? したようなしていないような。
高校1年の終わりに日本がひっくり返った出来事があって出掛けることが増え、あまり沈み込む余裕がなくなったので何とか乗り切った、というのが本当のところです。
ものすごくよく言えば、頑張ればプロにはなれても、一生かけようがノーベル文学賞はとれない作家。工夫を重ねてプロ選手にはなれるかもしれないけれど、MLBで殿堂入りするほどには成功しない野球選手。努力の結果、70㎝を超えるイシダイは釣れるかもしれないけれど、日本最高記録を残すほどの大物を釣る運を持っていない底物師。そんなものかもしれません。
夢は諦めました。それでも、まだ自分だけの料理は諦められていません。何十と思い付きを手帳やスマホやコピー用紙に書きなぐり、見直して良さそうなものを試作し、旨い料理に昇華できそうな品を幾度も幾度も作り直し、ようやく完成させることは今も続けています。料理が好きなことに変わりはありません。あたしの料理を食べて「美味しい」「うまい」と言ってもらえた時の喜びは味わいたいのです。
ところが調べると、最近7年間に編み出した料理も全てオリジナルではなく、テレビで見たか、どこかで食べたかの模倣やアレンジに過ぎず、こっそりと落ち込んでいます。まあ、美味しいから消したりはしないのだけれど。
完成したレシピは料理ノートに記しています。一番昔の料理ノートは、読めないひらがなと下手くそな絵で書かれています。最初のページは味噌だれの混ぜ方です。祖母が作る様子を横から見て書いていたのだと思います。さすがに4歳児の時の記憶は残っていない。使ったのはクレヨンかクレパスか。まあ、落書き帳と大して変わりません。料理ノートというより、最初のほうは料理全般覚え書きです。
4歳で始めて20年近く。中三に上がるくらいに、一部を破かれたり濡らされたり焼かれたりしていたので、過去分から兄に電子化して保存してもらうようになりました。
どれに書いたとか忘れちゃうから。そんな言い訳したら、検索機能付きの便利なソフトを作ってくれたという。大学生って暇なんだな。その頃はその程度の理解しかなく、いつものお礼を言っただけだったと思います。
お兄ちゃん、ありがとう。大好き。
数日前に久々の新料理レシピを記したノートの表紙番号は307。結構な数になりました。永久保存ではなく、新しく見付けた塩を試したら更に美味しくなって、レシピの一部を線で消して書き込み直す。そんなこともしょっちゅうしています。
書き込む度に、書き直す度に、差し替えてもらっていますけれど、これも本当なら自分でしなければいけないこと。高いパソコン買おうかな。と、思い続けて十年以上。
あるのは机の上のパソコンと、長時間移動や大学の中で使っていた小さいノートパソコンだけ。いまだに論文にグラフや図を作って貼り付けるくらいしか出来ません。
どうしても釣りや料理、バイクにお金を使ってしまいます。ちなみにボートに乗るのは釣りのためだから、あたしの中ではボートも気象学も無線技能も釣りの中に入っています。
自分だけの一品を産み出す能力がないとは認めたくない。何百回思いしっても、すぐに忘れる頭は便利なのか救いがないのか。
ふー。兄の関係の話でしたね。
・・・違うかな? かんけい、かんけい。艦型? 絶対違う。これか。奸計、わるだくみ。
兄の奸計にはまった話です。
あれは、久々に兄の好物である塩釜ローストビーフを振る舞った日でした。平日お昼からローストビーフは贅沢だと思うかもしれませんけれど、自作なので関係なし。
兄が何日かあたしの家に泊まりに来てくれていました。
「長いこと出張していたから、代休を消化しないとサービスになってしまうからね」
笑っていましたけれど、出張中に休みなしって、割とブラックな会社です。
毎食毎食、ずっと全力全開で腕を振るいました。
ブラコン? そうですよ。
「大きい買い物がしたいから車を出してくらないか」
兄の車には載らないとのことでした。去年から兄は、ドイツP社の世界一有名なリアエンジンスポーツカーに乗り換えています。買い替えではなく、兄の親族の遺品です。1世代前の「997モデルのGT2○S」とかいう上級グレード。997とか言われてもあたしにはわかりませんけれど。
兄いわく「なんにも積めない」車だそうです。運転席も助手席もリクライニングすらできない丸まったような椅子で、その後ろ部分はパイプの補強が入っています。まあ、前の車も椅子や補強は同じでしたけれど、エンジンが真ん中なので後ろに小さなトランクはついていました。新しい車はエンジンが後ろにあるらしいから、たぶんトランクはないのでしょう。車載工具とかどうしているんだろう?
だから、午後はお兄ちゃんとお出掛けと喜び、何の疑いもなく自分の車を出しました。
昨年秋まで乗っていた車も大きなSUVです。
あたしは未舗装路でも動けるSUVを好みます。大学に受かって最初に買った車もSUV。20年以上前の傷だらけのアメリカ製の中古車。J社、じゃないC社のJブランド、アメリカ先住民族の部族名がついた車。1993年式、つまり、あたしより1つ上。
前オーナーが車検を通したばかりだったから、お得だと思います。人気のない左ハンドルな上、派手に谷に落っこちたそうで外板がボコボコに歪んでいたのがマイナス点。でも、割れた窓ガラスや灯火類のカバーは取り替えてあったし、エンジン、ブレーキも問題なし。ちゃんとまっすぐ走りました。
でも、大学2年になった春、東京に来ていた母を乗せていた時、同じ学部の内部進学生と出会い、「ボロボロの貧乏人の車だ」と言われてしまいました。元々が「外車」の中ではお得価格の車種だったと聞いています。
あたし自身は車検は通っているから問題ないという感じでした。それに学生だし、高級車に乗れるほどお金を稼いでいるわけでもなく、むしろ納得していたのだけれど、母が怒ってしまいました。母は名古屋のお金持ちの娘として生まれ育ち、自分でもいくつもお店を経営している社長さんですから、プライドが傷つけられたみたいです。
で、母に命じられて、あるディーラーを調べさせられて直行。展示されていた馬鹿デカいSUVを発注されてしまいました。
無理だ。ローンが通るわけない。
あたしの主張は無視されて、母は自分のカードで買ってしまったのです。
「気にするんじゃありません。ちょっと夜に遊ぶ回数を減らせば、このくらい」
また無駄遣い・・・。
お母さん、まさかこの上京、ホストクラブで豪遊するためじゃないだろうな? 先月、栄で馬鹿やり過ぎて、おばあさんに怒られたばっかりじゃん。
「うるさい。わたくし、独身よ。少々遊んだくらいで怒る母が狭量なの。なんなら、キミハルちゃんも来る? 二十歳なんだから飲めるでしょう」
全力でお断りしましたともさ。
「ピンドンをアイスペールに注いで一気飲みですか。陽子、あなたはまだあの時代のままなの?」
母方の祖母の怒り方は、すごく静かです。ただ、母はもちろん、2人の伯父も叔母も叔父も、祖母が怒ると黙り込みます。前は、小桜グループの100周年記念のパーティーで料理の発注数が間違っていた時に遭遇しました。
それはともかく、母は、あたしの父親と結婚する前に「ばぶるではっちゃけていた」女子大生だったのだそうです。
ピンドンって何でしょう?
大きなSUVは白と黒くらいしか輸入していない車なのに、特注で赤くしろと言った上、無茶苦茶な納期を強要。まさか、母方の上の伯父を使ってまでディーラーに話を飲ませるとか、あたまおかしい。
付き合いがあるディーラーの同系列だったからって、妹のわがままを聞いてあげる伯父も、あたまおか・・・。それでも世界的メーカーのトップか。
二番目の伯父も、弟子である姪を突然拉致して沖磯へ連行するなんて、あたまお・・・。師匠、部品メーカー大手のCEOですよね?
本当に無理と思われた短期で納車されたから、展示車を塗り替えたんじゃないかと疑ったくらいです。
あたしが馬鹿なのは、母方の血だと思っています。
あの車は、デカいだけあって積載能力は大したものでした。処分前、友達に魚臭いとは言われていましたけれど。少々の買い物なら問題ない荷室がありました。
だから、兄に騙された話なんです、なぜ、あの母の話に・・・。
兄が行きたいと言ったのは渋谷。留学中に兄に様子を見てもらっていた車だから兄も運転できますけれど、今日はあたしが運転手。とりあえず車を出して、ちょろっと走って首都高1号線に上がります。
どの辺?
兄が言ったのは映画館も入っている商業ビル。お馴染みの渋谷のショップ近く。
1号羽田線から中央環状線C1へ入り、○カリエへ行くならと2号目黒線へ移るために左車線を走っていて、気付く。
ああ、またやられた。
流れで馴染みの釣具店へ連れて行かれる自分が見えました。
流石に20何年妹をやっていますから、こういうこともお馴染みです。
え? ええ。前に幾度も・・・。
何か?
最初から気付け?
無理。
2号目黒線には入らず通りすぎ、3号渋谷線へ入って、超渋滞箇所の手前で降ります。
「あれ? 気が付いたのかい?」
そりゃ気付きますとも。
「お願いだよ、キミ。僕の我が儘に付き合っておくれ」
また騙したな。
「キミ、向こうで釣竿や糸巻きを盗まれたんだって?」
・・・わかった。
「でも、ヒ○リエの駐車場に入れてもらいたいから、この道だと」
ヒカ○エも東口○ルも、これだと無理。
「うん?」
これ大きいの。クロスタ○ーの地下じゃないと入れられない。
「ああ、気が付かなかった。エス○レードだと機械式では大き過ぎるね。仕方ない、ヒカ○エのレストランはキャンセルしよう」
兄は駐車場代のサービスを利用できる人なのに。どうして妹へのプレゼントという無駄遣いがやめられないのか。
ええ。もちろん、プレゼントされました。石鯛竿でも石鯛リールでもなく、ルアーロッドとリールを。3つずつ。
兄は知っていました。日本から持っていったロッドとリールを留学先で盗まれていたことを。弟にしか話してなかったのだけど、聞き出しましたね? でも正直、Californiaの治安なら盗難被害も想定範囲内でした。一緒に釣りをした仲間のも合わせると、リールとロッド十数組の被害でも。
兄にも誰にも話していませんけれど、日本でだって盗まれたことがあります。大学2年の時です。ちょい投げでカレイを狙っていたら、堤防に少しの時間の放置していただけで、ゴソッと3セット盗まれた事件が。被害届を出したけれど、捕まったという話は聞きません。
留学先に持っていった竿やリールは、自分で買った道具が中心でした。どうしても必要になったら向こうで買うつもりで最初は制限しました。悪い言い方をすれば盗まれてもさほど心が痛まない道具でしたから。
でも、盗まれるとやっぱり悔しかった。ついつい昔のあたしが顔を出してしまい、一緒にいた人たちに怯え・・・、驚かれてしまいました。
留学先で盗まれたキャスティングロッドとジギングロッドは、4本とも自分で買った竿で、内3本は中古でした。船用のキャスティングロッドは日本ではほとんど使う機会がありません。ジギングロッドも、そもそもあたしはジギングを滅多にやらないから、釣り友との付き合いで買ったと言っても良い品。ルアー釣行はヒラメとマゴチとスズキ、あとは大きな青物がほとんどなのです。まあ、パラオや沖縄で大物を釣った竿ですけれど、思い出はそれくらいです。だから、ロッドはギリギリ諦めがつきました。
ただリールが。
先程話した浪人時代に兄に見せたリールがまず2つ。小学生の時に買った姉の瞳に似た紫のリール。苦労してニコイチで復活させた高級リール。思い出の詰まったリールです。
残り2つのリールは、浪人時代に兄からプレゼントされた品。Dブランドの汎用リールとS社の軽いリール。
一時帰国した際、故障した品の代わりにと持っていってしまったことが悔やまれます。大事に使っていたのに。
竿頭となり、ハーバーの計量所で記念写真を撮っている間に盗まれたのです。ボートのロッドホルダーに差しっぱなしだったタックルが全部。ボートに乗っていた全員分と船長の私物の計17セット。留守番に残した人がほんの数分、用足しに行った隙にでした。
高いタックルだけを選ばず、ありったけ盗んだのだから、目利きの犯行ではないらしい。運悪く、隣に入港したクルーザーの影で、監視カメラには犯人の姿は全く映っていませんでした。
留学中に起きた中では、最悪の出来事です。拉致現場にかち合い、犯人どもの手首を斬って警察に連行された時よりも落ち込みました。
経験上、兄や姉に話すとろくなことにならないから、盗まれたことは弟や幾人かの友人にだけ話していたのに。
「3カ月遅れの誕生日プレゼントだよ」
兄は身内に優しい人です。
気持ちは嬉しかったから、受け入れました。知識がないことを十分承知の上で選択も任せました。兄は即断即決の人なので、何かセットを選んでくれるでしょう。
あたしも釣り友と出掛ける予定があったから、店内を見て回り始めます。新しい道具に合わせて釣りものを決めるのも面白いです。
「キミ、これに決めたよ。一応見てくれるかな」
さすが即断即決の人。あたしが棚を軽く見ていた数分で決めてしまったようです。
・・・何で?
盗まれたスピニングリールは4つとも中型の4000番です。だから4000番があるのはわかります。でも、どうみても4000番には見えない巨大な2つに首をひねりました。
少し心配げな兄の隣で、なぜか店長が少し得意気でした。あなたですか、兄に勧めたのは。
小さいこれは盗まれた軽いS社の4000番と同じ機種でしょうか? 「征服する」がモデルチェンジしたとは知りませんでした。Sマノさんは、数年ごとにモデルチェンジをするから、愛用のリールが旧式になってしまったと寂しい気持ちになるので、新製品ニュースはあまり気にしないようにしています。それにしても、スプールを金色にするのはやめてほしい。
ところで、他の大きな2つはどうしろと。
最高級モデル「星」の18000番。前に30000番をもらった時に意味を調べました。あの時も兄に怒ったと思うのですけれど。30000番があるのに18000番。本マグロの代わりにキハダマグロでも釣れってか。前に沖縄で30000番を使ってキハダの割と大物を釣りましたよ。パラオでもGTとかイソマグロとか。イソマグロは日本だと大騒ぎするくらいのサイズでした。30000番ではちょっと役不足でしたが。
更にニコイチの「双子力」4000番が、新品の14000番に変わったのもどうすれば。
18000番と一緒に14000番。店長、あなたはあたしに何を釣らせたいの?
竿はオフショア(船)の時にアンダーでも投げられる8フィートのシーバスロッド。持っているシーバスロッドが両軸リール用だから新鮮。
6フィート強のジギングロッド。あまりジギングはやらないのだけれど、よりによってこんな20㎏級相手のロッドを。
まあ、ギリギリここまでは良い。
でも、7フィートのキャスティングロッドが別格。名前からして本マグロ用なんですけれど。
「これならどんな魚でも釣れるそうだよ。気に入ってくれたかな?」
近年の兄は、昔のように理詰めで説得してこず、不意打ちの上で情に訴えるようになりました。さすがは一流の営業マン。ではなく、理詰めだとこちらが理解しきれないことを見抜いたのでしょう。
大型のリール2つは汎用性がないと言いたくなりました。でも、兄の表情を見ると言葉になりません。
お馬鹿な妹が天才兄に勝てるはずもない。
受けとるって言っちゃったから受けとります。
それでもまあ良かった。盗まれたのは4セット。それが3セットで済みました。盗まれた数は言っていなかったから、さすがの兄にもわかるはずがありません。あたしの勝ちです。
価格? 考えません。調べません。有名なモデルが多くて大体わかるからこそ、具体的には知りたくありません。兄は現金買いだから、会計の際にレジを遠く離れて投げ竿を必死に見ていました。
あたしの勝ちですよね? なぜ涙が。
もらってすぐに使い始めました。釣らないわけにはいきません。
大学4年だけれど、就活は終わっています。卒論も出しています。留学中に取った単位で全て相殺されるわけではありませんから受けないと不味い講義はありますけれども、そう多くはありません。
就職したら釣りに行きにくくなるだろうという思いもありました。伊豆くらいならともかく、三浦とか東京湾は縁遠くなるだろうとも。外房や茨城は遠征みたいなものと。
まずは梅雨の終わり、外房。荒れそうだったから、底物釣りからヒラスズキへ変更。そこそこのサイズも釣れましたけれど、ランカーには届きませんでした。正直な話、磯のルアーは好きになれません。根掛かりが多発するし、イシダイのほうがやっぱり嬉しい。
あと、東京湾でスズキ狙い。2日目まではマダカ級。どうにかスズキと呼べるサイズが三日目に出て、一安心。
夏。地元でボートジギング2回。ブリとヒラマサ、カンパチ。3種ともどうにかそこそこのサイズ。重量級なロッドと14000番の組み合わせは疲れます。
残暑。またシーバスロッド。こんどはボートから。80㎝のお化けマゴチが釣れたのは、早めのヒラメを狙った際の偶然です。まあ、マゴチも狙いの内ですけれど、肝心のヒラメは1枚も釣れず、あまり喜べません。
初秋。相模湾でキャスティング。18000番でキハダマグロ釣り。本命はボウズ。でも、アカシュモクザメが釣れて驚きました。ナブラにサメがいるなとは思ったのですが、まさかアカシュモクザメだったとは。シュモクザメはジギングで食いつくイメージがあったものですから。
晩秋~冬、座布団ヒラメ数枚。あたしってルアーアングラーだったっけ? そんな錯覚をするほどジギングロッドを振りました。ヒラメやマゴチに使うには固いジギングロッド、スロージャークに向いてないとわかっていて、何とか操る。
秋の底物シーズンに突入しても、底物釣りの当日に一泊し、次の日には船に乗ってルアーを投げる。あるいはその逆のパターンも。
お兄ちゃんがくれた道具で釣れたよ。とメールすれば兄が喜んでくれます。でも、正式な内定祝いだ、お年玉だ、卒業祝いだ、就職祝いだ、誕生日だとプレゼントしようとするのはもう止めて。あたし、今年で24です。
兄は4歳上の平のサラリーマンです。
平サラリーマンが妹にこんな高い物をプレゼントするか?
・・・これがするのです。兄はシスコンでブラコンだから。
自分にはお金を使わなくても、2つ下の妹たち(姉とパートナーさん)、4つ下のあたし、6つ下の弟、この4人には財布を逆さまにひっくり返すようなお金の使い方をします。プレゼントでなくとも、妹弟の力になるためには金に糸目をつけない。
兄は副業で稼ぐ額が異常なのです。
大体、あたし達妹弟は、子供の頃は兄から毎月のお小遣いをもらっていました。何をどうやったら小学生が妹にお小遣いを渡すという発想が出てくるのか? という疑問は置いておいて下さい。なお、本来の保護者だったはずの父親には、子供に小遣いをやるという発想が存在しない。その頃でさえ滅多に顔を見なかったし。
あの祖父が諦めた存在。それがあたし達、全員母親が違う四兄弟の父親です。
ちなみに、父方の祖父母はお年玉や祭り前など、みんなにお金をくれました。加えてあたしには生母、母方の祖母と、子供の頃は兄の他にもお小遣いをくれる当てがありました。だから、自力でない収入は兄弟であたしが一番だったと思います。
今はあたしも兄の真似をして、おごる機会があると弟や従妹達にはお金を出させません。
高価なプレゼントをしてもらっている女が言っても説得力がない? それはまあそうですけれど。
兄からのプレゼントである「石竿3号」も「石竿5号」も今回は自宅警備員。
・・・前回はこのエース2本で本命ボウズだったからです。「石竿3号」よ、「石竿5号」よ、大きくても外道は外道だ。マダイは美味しかったけれども。
盛大に脱線しました。すみません。
今日は本イシを2尾、いや、1尾だけでも上げたい。今日こそは釣る。・・・釣れると良いな。
ゴツいおニイさんを見ると、リールは両方、全部が金色だった。S社石鯛リールの代表選手、開墾、いや悔恨、ではなくウミのタマシイだろう。3000かな? 4000かな? 番手まではわからない。
ウミのタマシイは周りでの評判が良い。陳列台に両方あったから「石05」を買うとき迷ったのよね。結局は真っ金金に怖じ気づいて手を伸ばせませんでした。おじさん達は、どうして金色が好きなんでしょう?
イシダイ。漢字で書くと石鯛。イシダイ科イシダイ属イシダイ。
サザエやトコブシの様な硬い貝、カニ、エビ、ウニなどをバリバリ殻ごと噛み砕く。あの頑丈な歯が愛らしい肉食魚。
日本記録は82.5㎝。ナナマル(70㎝)超えが底物師の一つの夢。60㎝を超えたら誇って良い。50㎝でも嬉しい。40㎝のシマダイでひと安心。始めたばかりなら、40㎝未満、いや手のひらサイズのサンバソウでさえ喜ばしい獲物となる。
黒い横縞がくっきりした魚です。横縞というのは頭を上にした時の横向きになる縞です。縦縞で有名なカツオを思い浮かべれば横と縦の違いはおわかりになりますよね?
サンバソウやチビイシのような縞がクッキリきれいで小さいものは水族館で見ることもあるでしょう。いや、海鮮料理店の水槽のほうが多いかな? 一般家庭でも飼っている人がいると聞いたことがあります。大きくなると水槽では無理だと思うけれど。
このイシダイの老成した物、つまり大きく成長した魚には異名があります。
有名なものとしては「クチグロ(口黒)」。老成したオスは口吻の回りが黒くなることからです。
「銀ワサ」。オスが成長すると身体の縞が消え、美しい銀や藤色になる。まあ、上げた瞬間から全体的に黒っぽい場合もありますけれど。
「ギンカゲ」。「銀ワサ」と同じ理由です。「ギンカゲ」か「銀ワサ」か、呼ぶ地方が決まっているわけではありません。
「本ワサ」。メスは成長しても身体の縞があまり消えないから「銀ワサ」に対してこう呼ぶのだと思います。
メスの老成魚も銀と黒に輝く場合があるから、未来では「ギンシマ」とか呼ばれるようになるかもしれません。
若い内は縞がくっきりとしていて「シマダイ(縞鯛)」とも呼ばれます。釣りでの呼称だと、小さいのは「サンバソウ(三番叟)」。若魚というより幼魚の扱いです。あたしは師匠の影響で「チビイシ」、「チビワサ」と呼びます。
師匠との釣行だと小さいサイズ、40㎝以下は海に帰さないといけない。40㎝くらいが一番美味しいと思うのだけれど。老成すると筋が固く、刺身では口触りが気になるので、あたしたち料理人は包丁の入れ方に気を使っています。
師匠、母方の二番目の伯父は、口だけ底物師ではなく、腕も名人です。70㎝以上を何回も釣り上げている根っからの底物師。
ちなみにあたしの自分記録は上位でも70㎝に届かず。1尾を除いて全部「本ワサ」。縞がシマダイのようにクッキリ残っている物から、うっすら残っているだけの物もあります。「クチグロ」、「銀ワサ」、「ギンカゲ」、つまりオスの老成魚を釣り上げたことは少ないです。
イシダイには「本イシ」という呼び方もあります。
イシダイの近似種にイシガキダイという魚がいて、この2種を合わせて「イシモノ(石物)」という呼び方がされます。同じイシダイ科イシダイ属の魚でもあるし、自然界でも混血するくらい、ごく近い種。だから、底物師はイシダイを「本イシ」と呼ぶ。
イシガキダイは漢字で書くと石垣鯛。幼魚から若魚は斑点模様が石垣に見えるということでこの名があります。イシダイより大きくなり、90㎝近い個体も釣り上げられている程。
オスの老成魚は斑点がなくなり、吻部から顔の前部まで白くなって「クチジロ(口白)」という異名で有名です。
メスの老成したイシガキダイの異名は知りません。オスだったらクチジロかな? という大きさは何度か釣りましたが、メスは斑点が残るためか、口吻の白さが小さいためか「クチジロ」とは呼ばないみたいです。すぐ海へ帰すし、さほど詳しくありません。
とにかく、今日こそはイシダイ、「本イシ」を釣りたいから、餌は高級品のサザエとヤドカリを用意しました。まだ一応は乗っ込み期だから冷凍の赤貝もあります。
まっすぐ来るなら新東名から伊豆縦貫道への連絡のほうが早いのに、わざわざ東名を使って沼津で降りてと、結構遠回りしてまでサザエは活き餌を仕入れた。
冷凍ヤドカリがあったので一緒に購入。貝殻のついた活きヤドカリは最近見なくなってきました。
赤貝冷凍は以前大量購入して家に置いてあったもの。剥き身だけどあたしの釣り方は貝殻の撒き餌で寄せる訳ではないのでこれで十分。乗っ込み期は柔らかい餌のほうが向いています。
クーラーボックスには中蓋のようにトレーが入れてある。冷凍赤貝の袋が載っているので、トレーごと取り出しました。クーラー内に見えたペットボトルは今は要りません。
外したトレーは網籠状の1枚目と深皿状の2枚目がセットになっているから、分離させて網籠を地面に、深皿をクーラーの上に置いた。
溶けきっていない半解凍状態の赤貝。袋をハサミで切り開き、深皿に中身をぶちまけ、空き袋は腰に下げたレジ袋(ゴミ袋)に放り込みます。
ロッドケースのサイドポケットから、折りたたんだ水汲みバッカン(バケツ)を引きずり出します。特殊な布で作られたこのバッカンはコンパクトに畳めて容量が大きいから重宝してます。
広げた水汲みバッカンの取っ手から伸びるロープをハーケンに固定。水汲みバッカンを海面へと放り込みました。上部に付いたバラストの重さで水汲みバッカンが横倒しになり、水を汲みやすくなる。
たっぷり目に海水を汲み、引き上げた。バッカンの容量が20リットルを超えるので、多少こぼれても20㎏弱。少なくとも15㎏はあるでしょう。可愛い女の子なら「重ーい」とか言うのかな? あたしは無言で手繰り寄せるだけですけれど。
深皿トレーに海水をかけ、赤貝の更なる解凍を促す。地面が安定せず土台のクーラーボックス自体が斜めになっているから十分な水量とは言えないけれど、とりあえずはこれで良いのです。
餌バッカンのふたを開け、サザエに乗せられた半解凍状態のヤドカリ入りビニール袋を取り出し、中身をサザエの上にぶちまけました。
餌バッカンの水を手洗いにも使いたいから、縁ギリギリに来るまで水汲みバッカンの海水を注ぎ足します。かき回すように、まだ互いに少しくっついているヤドカリを剥がす。
サザエとヤドカリの下準備はこれで完了。
次は投げ込む準備。
師匠である伯父から教え込まれた釣法。離れたポイントへ投げ込むのがあたしのスタイルです。小学校から両軸リールで遠投カゴ釣りをしていたから、この方法は受け入れやすかったのを覚えています。
竿置きのぐらつき防止のハーケンに、竿から延びる尻手ロープの端を留めておく。
ハーケンといえば、磯に行くと、たまにピトンやハーケンが打ち込まれたまま岩に放置されている時があります。登山家じゃないんだからちゃんと回収して欲しい。特にクエ釣りに来た人間が、打ち込んだアンカーを抜けないから仕方がないと放置して帰るのには呆れるより他はない。機械で穴開けるなら機械で外して帰れ。
もっと酷い置き去りもある。
糸の絡まったリールが結構捨てられている。
折れたり壊れたりした竿の放棄。
家に持ち帰って、自分の責任でゴミとして出しなさいよ。
よれた仕掛けが、釣り針がしっかりついたままで散乱しているのは、どこの釣り場でも見かけます。これがステンレス針だと錆びもしない。猫や鳥に刺さっているニュースを見た人は少なくないと思う。
持ち帰らない木っ端(幼魚や小魚)や外道(目的以外の魚)が、釣り座周りに放り捨てられる。ウツボなんて、仕掛けが絡まったまま干からびていたりします。
掃除した魚の頭や内臓を捨てていく。海にではない。磯や防波堤、砂浜、消波ブロック、それらの満ち潮でも波が被らない場所にです。カモメの餌にでもしているつもりでしょうか?
防波堤で、置き去り生ゴミにフナムシではなくゴキブリがたかっていて友人が悲鳴を上げて逃げ出し、あたしは平然とバケツに水を汲んで洗い流したら、釣りサークルの年上の女性に「ヒトミちゃん、男前~」とけなされました。
これ、ほめられてないですよね?
余ったコマセ(撒き餌)と共に残った刺し餌(例えば青イソメ)が岩の上にぶちまけられ、残飯入りの弁当がら、空き缶に飲み残したビールが、炎天下に吐きそうな異臭を放つ。
ああ、排泄物にハエやアブがたかっている光景もたまに見ます。するなとは言わない。あたしだって、釣り場で大きいほうをすることはあるから。あたしは持ち帰ってトイレに流すけど、直接海にする人もいます。
だから、せめて流せ。
トイレを出て手を洗わない人が言っていた。
「あーしのだから汚くない」
汚いです。他人のそれは汚いんです。あんたのアレは汚いんです。
誰だろう? 日本人はマナーが良いと言っていたのは。
・・・なぜマナーの話に?
さて、釣り座の脇に、四隅を石で押さえて新聞紙を敷く。これがビニールシートだと、飛ばされて海に落ちたら永遠にビニールのまま残るから駄目。新聞紙なら良いとは言いませんが、まだましだと思います。
ヤドカリを餌バッカンから1匹出す。足をハサミで新聞紙に切り落とし、ウニ通しという長い針を口から尻尾まで突き通した。
お尻から出たウニ通しの先にハリスを引っ掻けると、ウニ通しを抜いた時に糸が内部を通り抜けるのです。お尻側に残った針先は身体に埋め込みます。
使い慣れた「石竿2号」。こちらの天秤仕掛けにヤドカリを通したハリスを取り付けて、釣り座正面から右斜め前方に60メートルほど投げる。
この高根側の仕掛けは、速い流れに対抗してオモリが大きい。下手な竿で投げたら折れかねない重さです。竿を立てて3メートルほど手前に寄せ、根肩付近に沿わせます。
イメージとして、壁に餌が張り付いている感じです。干潮まではヤドカリの匂いが潮が流れてくる西側には行きませんが、東には流れます。それにイシダイは視覚に優れた魚だから問題なし。
次はサザエ餌の準備。バッカンから活きているサザエを1匹拾う。残った殻を捨てやすいよう敷いた新聞紙の上に置き、ハンマーを降り下ろした。
殻をはらい落とし、中身を取り出します。魚の食い気がわからないから、サザエの蓋部分は切り落とさずにその脇から針を刺し通した。大きい身でないため、虫餌を付ける時と同じ要領で。
本日デビューの新人竿、「石竿6号」を振りかぶり、釣り座から見て正面のやや右方向80メートル先。目標のシモリに向かって投げ込んだ。
2メートルほど手前に引きずってオモリの天秤をシモリの頂上へ移動させる。
こちらはシモリで流れが阻害されるので、岩の上から垂れている感じになります。
ヤドカリの足やサザエの殻は眼下の海に落とす。これらの一部は魚が食らい、残りもいずれ分解される。タバコの吸い殻やビールの空き缶とは違います。根掛かりで針や糸やオモリを海中に残してしまう釣り人が言っても説得力がありませんかね?
でも、よれた仕掛けや曲がった針を海に捨てる阿呆の仲間入りはしたくないから、自分に言い聞かせます。海が分解できないものは捨てるなと。
やっぱり、この「岩」には後続の客は来ないみたいです。準備中に1隻見覚えのある船が近寄ってきて、平たい岩のほうへ引き返して行きました。あの渡船もよく利用します。
途中で見た大きな岩はあちこち合わせて10人くらいはいたけれど、ここからだと遠すぎて他の岩の釣り人が見えません。途中で見かけた人達は、みんながみんなフカセ釣りっぽかったからメジナ釣りだと思う。
偶然だろうけどルアー釣り、フカセ釣り、底物釣りで渡る岩を分けた感じになった。先程の船が向かった平たい岩では遠投カゴ釣りか根魚ぶっ込み釣りをしていたりして。
今はシーズン中なのに底物は2人。
底物釣りは流行らないです。まあ、道具は高いし、色々と必要品は多いし、餌も高いし、あまり大物は釣れないし、ボウズも多いし。
・・・ボウズも多いし。
費用のかかる釣りだから、底物師は中年から老境の男性が多い。釣り師全般にいえることだけれど、大前提として家族に文句を言われないだけの経済的余裕が必要。そして、家族へのお土産を持って帰る程度の配慮は必須。そうでないと、釣りという趣味は続けられない。特に底物師なんて、クーラーが空という日もあるのだから。
これは、あくまで釣果を食べる前提の話です。
catch&releaseさんがどうなのかは知りません。
交通費や休暇取得も大変です。一般に土日の釣り場は混みますから、できれば外したい。でも、中年以降だと管理職や事業主であることも多いから、無茶な休暇は取れない。休暇は取れても、仕事でゴルフへ行くのとは違うから、家族への気遣いが必要。
あたしの師匠は母方の伯父。会社の経営者で、計画的に休暇がとれる立場です。でも、妻も子も息子の嫁も最愛の孫もいるお祖父ちゃんでもあります。休みには孫の面倒を見て、息子夫婦に2人の時間を作ってあげるくらいはして良い。
けれども、ずっとずっと釣り師だったから、伯母はすでに諦めています。上の従兄は子供の頃、釣りでしか遊んでくれない父親が嫌いだったそうです。長男の嫁は姑を労れない舅と思っているようですし。孫はまだ小さいからどうなるかな? 次男とはあまり話さないから分かりません。というか、結構長いこと会っていないし。
ボウズが多い底物釣りも、南の島への遠征とかだと高い確率で釣れます。
伯父やその釣り仲間の遠征に連れていかれた時は、高い確率が外れて本命1尾に終わった。あたしだけ。
チビイシやイシガキダイは逃がしたし、外道なら大きいサイズを釣ったけど記録に入れてくれなかった。つまり釣果扱いになっていない。でも、戻って釣った外道を料理したら皆さん旨い旨いと食べていたけれど。
確率は確率。
おっと、おニイさんに釣果。初っぱなから本命のイシダイです。良いな。
ちょっと見せてもらいに行く。縞がきれいに残っている。本ワサ(メスの成魚)ではなくシマダイ(若い内はオスも縞が出て40㎝くらいから少しずつ消える)だ。大物じゃないけれど羨ましくて悔しい。
何となく偏光グラスの向こうの目が笑っていた気がします。濃いグラスだから見えませんけれど。
普通に妬ましい。
こちらもサザエをつけた方の竿「石竿6号」、新人君に当たり。
これは違うな。食われたから合わせるけど、当たりも引きも全然違う。強い引きではあるのだけれど。
やっぱりか。真っ青なアオブダイ。40㎝を超える程度。まだ頭のコブも小さく角ばった感じもしない。
ブダイ(舞鯛)のオスを青っぽいからアオブダイという人がいたけれど、比べると違う。
アオブダイはブダイ科アオブダイ属。ブダイはブダイ科ブダイ属。似た種だけど違う魚。
ただ、アオブダイ属は沢山種類がいて青っぽいものが多く、釣れたものが本当のアオブダイという魚なのかわからない。前から釣れても詳しくは観察もしていないし。
小指くらいなら食い千切りそうなクチバシ状の歯が可愛らしいけど、毒魚。刺すのではなく、トラフグのように食べられないほうの毒魚。
フィッシュグリップ(魚の口を挟む道具)とプライヤーを使って針を外した。フィッシュグリップで掴んだまま海へ放り、お帰り願う。
アオブダイが持つ毒は「パリトキシン様毒」。厚生労働省によれば2017年までの記録で、食中毒患者129人中、8人死亡。怖い毒です。毒を持つ藻類をスナギンチャクが食べて蓄積し、更にアオブダイらの魚が食べて蓄積するようです。
ブダイでもこの毒による食中毒の報告があるそうだけど、アオブダイがブダイに混じって売っていたとかなのだろうか? あたしも冬場のブダイならば海藻を食べて磯臭さが減るから食べる。伊豆大島とか室戸だと干物で売っているものね。
catch&releaseではなくcatch&eatを心がけているけれども、毒のあるアオブダイを無理して食べることはしない。たまに受け狙いか食べる人もいるようだけど、あたしの知人には周知徹底している。
トラフグを素人がさばいて食うか? アオブダイも一緒です。
クーラーボックスに載せた深皿トレーの赤貝がだいぶ解けたようなので、網籠トレーに移し換えることにしました。
余計な汁(?)を切り、深皿に戻す。その上から水汲みバッカンの残った水を入れ直した。グルグル回して洗い、完全に分離したら、また網籠で水気を切った。
これですぐ使えるようになりました。網籠を深皿に重ねてクーラーボックスに戻します。氷に直接触れなければ再度凍ることはない。人によってこういう剥き身餌は、匂いを重視して汁を切らなかったり、固くするため塩で締めたり、集魚剤を混ぜたりします。あたしはしません。
黙々と動いていると、ヤドカリ餌のベテラン竿「石竿2号」にいきなりの当たり。
・・・これも違う。引きは良い。でもブダイ。赤っぽいからメスだと思う。
関東だとアカブダイというらしいです。水族館で見た種類としてのアカブダイは真っ赤な魚だったけれど。あれもアオブダイ属だった。まあ、地方名と正式な和名が違う魚ばかりだから、一々目くじらを立てても仕方ありません。
あたしだって、基本は釣り用語は東海方言。しかも、関西や関東の呼び方が混ざってしまって、自分でも正式な和名がよくわからなくなっています。
このブダイも海に帰した。この時期のブダイは食べません。海藻ばかりを食べる冬にならないと磯臭い。
今日は釣れるのだけれど外道が続く。
80メートル先に仕掛けを落とした新人竿。穂先がクンクン引っ張られている。
サザエをつついている。食うかな食うかな。今度はしっかり竿先が伸びた。竿を取って、思いきり背を反らす。
これが遠投における合わせ方です。口の軟らかい魚だと千切れて失敗しますので、魚種によって合わせ方は変えます。
良い引きだ。
新しく買ったこの竿、掛かった時の手応えが良いな。当たりも分かりやすかったし。
大物だけどイシダイではないかな?
一直線に底に突っ込もうとするだけみたいな。イシガキダイかカンダイか。
真っ逆さまに海底に突っ込んでいく相手に、そうはさせまいと腰を落とし気味にそらす。ドラグが唸りを上げて道糸が引きずり出される。ドラグの締めが緩すぎたかな? ちょっと絞め直し。
引く、巻く、耐える。
巻く。耐える。巻く。
諦めないな、こいつ。
巻く。
終わってみればあっという間のやり取りの末、寄せた魚を玉の柄を伸ばしてすくいました。狭い崖だから、前かがみになりすぎると落ちそうですね。
割りと良型のイシガキダイが釣れました。
大きさの割りに斑点がきれいに残っているからメスです。産卵前なのか? 5月終わりなのに太い。伊豆で釣れるイシガキダイとしては、かなり大きいと思う。流れてきてこの場所に居付いてしまった個体なのかもしれない。
イシガキダイの大きいものはプランクトン由来の「シガテラ毒」があるかも知れず、この毒は熱しても分解されない。
沖縄などにいるバラフエダイの仲間に多い毒ですが、厚労省によるとイシガキダイでも本州での食中毒報告例があります。シガテラの中毒にかかったら数年間も後遺症が続くらしいです。大きい重いは毒を警戒と教わっています。
「旨い。あ、身体がおかしい」
これは馬鹿だと思う。
そして、伯父のような頑固な底物師は、毒のあるなしに関わらずイシガキダイを単なる外道として扱っています。本イシ(イシダイ)以外はいらないと。
あたしとしては、底物釣り、イシモノ(石物)狙いにはイシガキダイも入ると思いたいです。確かに、クロマグロ狙いでキハダマグロが釣れたら、チヌ釣りでキビレが釣れたらガッカリするかもしれません。でも、カレイ釣りでウシノシタ(シタビラメ)が釣れても、ヒラメ釣りでオヒョウが釣れても、それはそれで嬉しいじゃないですか。
それはさておき、今はあくまで外道とクールな底物師を気取らないといけないのでした。
喜んだら師匠に叱られてしまいます。あまり喜ぶと思い出に強く残り、伯父と会った時に口からこぼれて追求されるのです(経験談)。
釣れた。ロクマルの本イシとイシガ・・・、キが・・・。
口ごもるあたしへの師匠の視線がきつかったぁ。
「本イシとなんだって?」
もう「底物師の心意気」は聞きあきたよ。「石鯛釣りの心得」も暗唱できるよ、伯父さん。・・・師匠。
でも本当は結構嬉しい。まあ一応。とか独り言を言いながら長さを計測。
おお、自分記録の67㎝。実測では最大です。伯父と一緒だと計測すら許してくれません。手返し素早く海に帰さないと不機嫌になります。写真の1枚くらい良いじゃん。
そして、伯父と一緒の時に限って大物が釣れるのです。
外道は。
目測で70㎝超えのイシガキダイを苦労の末に上げたのあたしに伯父の目は冷たかった。
「何だ、紛い物か」
冷たく玉の柄を渡された際の言葉の衝撃。いまだに覚えています。
岩の上に魚体を置いて、防水ケース入りのiPh○neをライフジャケットのポケットから出して写真を撮る。
ゴツいおニイさんが釣果を覗きに来た。底物師だったら何か言われるかも。
「おめでとうございます」
ありがとうございます。イシではありませんが久しぶりの良型です。
うわあ、あたし、嫌な女だよ。「イシではありません」ってイシガキダイを否定しちゃった。礼を返したところまでは良いけれど、思わず伯父の顔を思い出して変なことを口走ってしまいました。
え? スマホを? おニイさん撮ってくれるのですか?
ありがとう。
お礼だけは何とか声に出してIPh○neを渡しました。社会人になってもこの人見知りと口下手。治らないな。困ってしまう。
魚体を両手で捧げ持ってポーズ。フィッシュグリップでぶら下げてポーズ。
釣り座に戻っていくおニイさんの後ろ姿に再度のお辞儀。いい人です。
これは食べない。食べないのだけれどリリースしない。ストリンガーで海へ。食べないけれど。本州産が当たる確率は低いはず。そう、あたしはチャレンジャーじゃないけれど、先日見たイシガキダイの料理のブログが・・・。
波が激しいとストリンガーがもみくちゃにされるのだけど、今日はそうでもありません。真っ赤なウキが平和に浮いています。
おっと、おニイさんも釣り上げたみたいです。
おニイさんもアオブダイだ。フィッシュグリップでぶら下げて。重さをはかり、写真を1枚撮って、・・・嬉しそうじゃありませんね。
あ、そんな良い型のアオブダイでも一応みたいな写真だけでリリースしちゃうのですか。
まあ、パリトキシン様毒を知っていれば、喜ぶ対象ではありませんね。アオブダイは内臓、特に肝臓に毒があると書いてある本が少なくありません。ところが腸を全て取っても毒が残る可能性があるのです。3年前だったかな? アオブダイの食中毒で亡くなった方のニュースを見たことがあります。
でも、せめてもっと写真を撮れば良いのに。若いのに底物師なんだな。
あたしの師匠である伯父を含め、本気で底物師を名乗る連中は、80㎝の真鯛が上がっても、「くそ、赤いじゃないか」、「残念、外道でしたね」という会話を平然と行うのですよ。
読んでくださった貴方に感謝を。
暇潰しになったなら幸せです。