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こんなに釣れません  作者: 咲多紅衣(さきたこうい)
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20180528_南伊豆01

初投稿です。読んでもらえたら幸せです。

 2018年5月28日 月曜日


 今日も一人で釣りに来た。

 静岡県の東の端に伊豆半島という場所があります。そこの南端、南伊豆は下田の沖にある岩礁(がんしょう)。この岩の上で竿を出しています。

 こういう岩礁を「沖磯(おきいそ)」と言います。小島と呼べるような大きい物から、(なぎ)の日の干潮の前後の数時間だけ、やっと人一人が立てるくらいに頭を出すだけの小さな物まで色々です。

 磯は西だと「ハエ」や「バエ」、東だと「()」と呼ぶことも多いでしょうか? あたしは勝手に磯を分類しています。

 単純に、地続きのものを「地磯(じいそ)」、沖にある岩礁を「岩」、海保が規定した6852個の島が「島」です。基本的に周囲0.1㎞以上の大きさが島になります。

 ちなみに、実際の名前で言えば、小さな「岩」に島という名が付いていたり、周囲100m以上なのに岩と呼ばれていたりと様々です。

 沖磯や沖堤防に渡す船を渡船(とせん)と言います。渡し船ですね。

 地続きだけど渡船で渡る「地磯」もあります。大袈裟に言うと、道なき道を切り開き、山を登り、谷を越え、登山家でも二の足を踏むようなオーバーハングを懸垂降下すれば、どうにか釣りが出来る場所にたどり着けるような「地磯」です。

 逆に干潮時ならパンツの裾も濡らさずに歩いて渡れる「岩」もあります。

 行けそうだからと、ウエーダー(胴長靴)やウエットスーツを着て渡るのはとても危険です。滝の横の崖をよじ登ったり、靴の幅もない尾根を登り降りする渓流釣り並みに危険です。

 人によって沖磯の定義は変わります。あたしが「地磯」や「島」と呼ぶ磯も「沖磯」と呼ぶ人は多いのです。

 ちなみにプロが渡せないとしている「沖磯」に乗る無謀なアホもいます。無茶と無理の区別がつかず、事故を起こして釣り人の評判を落とすだけのアホが。

 で、ここは「岩」です。船長から聞いた名前は「ト○根」。海上に1つだけポツンとあるけれど、小さな岩礁に過ぎません。

 南伊豆下田沖では結構有名な「沖磯」なのだけれども、ここと同じ名前で呼ばれる「地磯」が東伊豆にあるので、間違える人もいるそうです。

 鵜のクソとか突拍子もない名前が付いている「岩」や「地磯」も多いのですけれども、遠く離れた地の磯でも同じ名前は結構あります。特に大中小や番号、方角に関しては被るのです。

 どこにでもあるのが「大根」。あたしが釣行した「島」や「地磯」や「岩」だけで何カ所もあります。同じ磯なのに人によって呼び名が異なることもあったり。

 今いる岩「ト○根」も、読んだ本だとト○タの「ヨ」ではなくダ○ワの「イ」と書いて「○イ根」と記されていたのです。

 だから、何県何市の「~バエ」、「~岩」、「~根」、「~瀬」、「~島」、「~鼻」という風に言わないと、他地方の人には通じません。

 ちなみに海図に載る島でさえ「男島」や「女島」みたいに、全国各地に存在したりします。そうですね、釣り人に有名な所だと長崎県五島市男女群島の「男島」「女島」は外せないでしょう。

 それはさておき。

 この「岩」の上にはもう一人います。連れではなく、偶然同じ渡船に乗って来た人です。

 もう、2時間くらい互いに西のほうを向いて、そしてそっぽを向いたまま無言で釣りを続けています。前後とも崖になったごく狭い岩の上で並んだまま。

 この2時間、本命のイシダイ(石鯛)は影も形も見えない。掛かる魚は外道(狙いとは別の魚)ばかり。

 イスズミ、ブダイ、オジサン(ウミヒゴイの仲間)、そしてまたイスズミ。上層を釣っているわけでもないのに上物ばかり。しかも、沖の深いポイントのシモリ(沈み根)も高根の浅いポイントも。

 イスズミの癖にサザエや赤貝に食いを入れるんじゃない。

 イスズミやハコフグが針に掛かる度、いつもそう思います。外道に対して冷たくなるのは悪い癖だと思ってはいるのですけれど。釣り人の性と言うか何と言うか。

 高根、沈み根の「()」とは、沖磯や地磯の名を指すこともありますが、ざっくりと言えば海中の岩になります。浅根(あさね)高根(たかね)(しず)()(かく)()など呼び方は色々です。沈船(ちんせん)消波(しょうは)ブロック、人工漁礁(ぎょしょう)も根と呼ばれることが多いから、わかりにくと思います。この根の周りに居着く魚や根に寄って来る魚が多いのです。つまり、釣りのポイントになります。

 干潮へと向かう流れ、下がり潮が押し寄せて来るのは変わらないけれど、引き潮だから当然水面が段々と下がっている。つまり水深が浅くなっています。水深が変われば魚が寄ってくる場所も当然変わるので、投げ込む方向は変えずとも、ピンポイントでは少しずつ狙いを変えています。

 海面下の段差、根肩(ねかた)と言いますが、そこからの魚への餌の見え方が変わるように。

 海面下の岩礁(がんしょう)、シモリと言いますが、こちらでも落とす位置をずらして魚の動きに対応。

 まあ、魚の動きは経験と想像の産物なのですけれども、大外れということはないと思います。

 大体、満潮干潮の時間は釣れなくなるけれど、まだ大丈夫。潮は動いています。

 でも、イシモノ(石物)の反応がない。

 ため息が出ます。

 釣れないことにではないのです。

 先程起こした自分の失敗にです。

 なぜ、突風があるかもしれないことを頭に入れていなかったのか。なぜ、岩に尻餅を突いたくらいで大声を上げてしまったのか。なぜ、見ないで欲しいの一言が出てこなかったのか。なぜ、手入れをしていなかったのか。なぜ、あちらに背を向けてしまったのか。

 ひどく間抜けに見えたでしょう。

 アホに見えたでしょう。

 こんなのは見たくもなかったでしょう。

 魚を締める手際を称賛の目で見てくれた人なのに。

 同い年くらいの底物師(そこものし)に出会えたのに。

 釣り友達になってくれたかもしれないのに。

 ああ、馬鹿な頭では、怒れば良いのか謝れば良いのか冗談で笑い飛ばせば良いのかもわからない。

 んん?

 真っ正面、80メートルくらい先に投げ込んでいる竿の穂先が沈みました。

 微妙な当たりです。沈み揺れるだけで穂先が突き刺さりはしません。餌に食いついてはいるけれど、大口を開けて飲み込む様子がない。経験上、揺らす力の弱い期待外れの大きさだと気付きます。本格的に食ってきても合わせを入れるつもりはありません。少したったら餌を替えねば。

 とは思ったのですが、勝手に針掛かりしてしまいました。竿の穂先が暴れています。スレ掛かりかもしれませんが、放置してもどうにもならないので巻き上げます。

 ほぼ抵抗はなく、両軸リールの巻き上げはスムーズです。

 ちょっと底へ潜ろうと抗ってきました。でも、竿の向きをわずかにずらすだけで簡単にいなせました。

 少しだけ緩めてあるドラグが負けることもありません。竿に伝わる重さもこの2時間で掛かったブダイやイスズミより遥かに軽い。オジサンより弱いくらいなので、大したことのない根魚かも。

 おや?

 またも底に行こうと抵抗しています。けれど、潜られて仕掛けを切られてはこちらの丸損なので、軽く肘を曲げて進行方向を変更、というか誘導。

 ああ、引きが弱い。柔らかい調子の石鯛竿(いしだいざお)なのですが、期待のようには曲がってくれません。1号くらいの柔らかい磯竿で細い糸を使っていたなら楽しめる程度の引きです。

 外道だったとしても、せめて手応えを味わうくらいはさせて欲しい。

 三度目の抵抗はリールの巻きを速くするだけで済みました。

 魚が足元までたどり着き、浮いてきます。

 水面に顔を出したのはシマシマの魚。

 上がってきたのは底物釣りの本命、イシダイ(石鯛)でした。

 綺麗にシマが出ている魚体。ただし、その大きさは30㎝を超える程度。

 木っ端(こっぱ)かよ。思わず魚を睨み付けてしまいました。

 タモ網は必要ありません。高さも7メートル。竿の反発力だけでぶっこ抜きました。

 ただし、勢いよく岩の上に落としては魚が傷ついてしまいます。柔らかく、そっと地面に置くように載せました。

 おめえ、そこで大人しくしとけよ。ああっ!?

 などと心の中で荒ぶっては中学に上がった頃の姉になってしまいます。

 どうして姉は、あんな田舎の中学校で、謎のテロリスト集団の襲撃を期待していたのでしょうか? まあ、昔の話をすると本気で姉が荒ぶるので言いませんけれども。

 少し糸を緩めて余裕を持たせ、石鯛竿を竿置きに戻します。

 さて魚は、どういうわけか観念したように大人しく岩の上で横たわるだけでした。

 今日の針のサイズではくわえることも難しいと思うのですが、しっかりと(かんぬき)((あご)の噛み合わせ部分)を針が突き通しています。更に、この小ささでもサザエの(ふた)を噛み砕いて食いついている。

 さすがはイシダイ。磯の王者。でも、倍くらい大きくなってから釣り上げられて欲しかった。

 プライヤーで針を外し、そっとチビイシを海へ落として帰しました。

 弱気がわいてきた。

 ここには大きなイシダイがいないかもしれない。


 あたしは折笠仁美。

 釣り女です。釣りガールと呼ばれるのは辛くなってきた24歳です。

 名字は「おりかさ」。名前は「ひとみ」じゃなくて「きみはる」と読みます。「きみはる」でも女です。

 明治維新以後に成り上がったご先祖様が改名する時、為晴と言う名だったのを下の「晴」の字を「美」に変えて読みはそのままにしたのが始まりです。以来、直系は全員「~美」で「~はる」と名付けられるようになったそうです。男も女も。

 4人兄弟で、兄と姉と弟がいるのですけれども、兄と弟は漢字の字面で女の様だと、姉とあたしは読み方で男の様だと言われます。

 世の中には名門な折笠さんもいるかもしれませんけれど、あたしの家系の折笠家は全然由緒正しくありません。初代からして妻子を置いて脱藩し、維新志士としてそこそこ成り上がっただけ。薩摩派のお世話になったけれど、薩摩長州土佐の出身ではないから()()()()なのです。

 剣術と砲術の腕がそれなりで、一応、政府海軍の隊長級にまでは出世したという記録が残っています。けれど、箱館戦争から帰ってきて2年たたずに海軍を退(しりぞ)き、軍や政府とは関係のない貿易商人になってしまいました。

 しかも、元々は折笠さんですらありません。折笠は、茨城だか福島だかの初代さんの実家だそうです。初代さんは、いわゆる外でできた子供、庶子だったせいで、公には名乗れなかったらしい。母親が亡くなって一旦父親に引き取られたけれど、若い内に他藩に婿養子に出されたらしい。脱藩した後も婿入り先の姓を名乗っていたけれど、会社を作る時に今の姓に直したそうです。婿養子先が初代さんの息子に継がされず、信頼して預けた妻子が親類宅で肩身の狭い思いをしていたらしいです。

 「らしい」、「そうです」ばかりなのは、真偽不明だから。こういう昔話は、二代目さんの口伝を三代目が記しただけで、初代さん自身の覚え書きには記されていない。本当かどうかは、もうわからない。

 初代さんの覚え書きの中に、結婚して実家を出られて嬉しかったこと、七つ上の奥さんが可愛いこと、藩の水運の仕事をしていたこと、水戸天狗党過激派に命を狙われたこと、脱藩したこと、薩摩派に(かくま)われて行動を共にしたこと、都(京都)はすごいこと、人を斬ったこと、撃ったこと、鳥羽伏見の戦いでは斬られたこと、甲鉄艦に乗れたこと、五稜郭に大砲をぶっ放したこと、くらいがちらほら見られるだけです。

 たぶん、茨城だか福島だかのどこかには、その折笠のご先祖様の墓があるのでしょう。

 だから、家では初代というと、元維新志士さんのことを指します。その初代さん夫婦から弟のお母さんまでが入っている累代のお墓が元本拠の横浜にあり、法事の時が大変なんです。実家は三ヶ日、静岡県の西端にある浜松市の更に西の外れだから、菩提寺までは日帰り旅行みたいなことになります。

 初代さん、折笠為美の子孫は戦前まで栄えました。大正時代に関東大震災で横浜が壊滅的打撃をこうむった際も比較的軽傷で終わっています。

 ところが、貿易の取り扱いが英仏米の機械輸入だった上に、横浜大空襲で本社も倉庫も屋敷も焼けて、第二次大戦でとことん没落したそうです。曾祖父の時代ですね。

 実家が没落せずに明治の初めから続いているなら、多少は由緒もあると言えるのでしょう。しかし、今の財産は祖父が一代で築いたから、折笠は思いきり成金です。いや、成金と言うほどお金持ちでもないか。小金持ちです。

 由緒正しくもないのに、もうすぐ平成が終わるという時代、一族で通字を続けていることは珍しいのではないでしょうか? 男はともかく、女にも同じ通字ですから。

 小さい頃は「きみはる」という名前が嫌でした。小学校に入った初日、先生に名前を呼ばれて返事をすると、女みたいとからかわれてしまいました。男みたいな名前だとからかわれたんじゃなくて、語感からあたしを男だと思って、髪をまとめる紐だとか、服の色だとかをからかってきたのです。

 あたしにも悪いところがあるとすれば、釣りの時に足にまとわりつくからスカートが苦手で、入学式からずっとパンツを履いていたことでしょうか。しかも、いわゆる半ズボン。キュロットスカートではなく、ハーフパンツでもなく、半ズボン。今履くとホットパンツと言われそうな半ズボン。祖母が用意してくれた昭和ファッションの半ズボン。

 もちろん、からかわれたのは最初だけのことで、本当に女子だとわかると後は平気でした。でも、クラス替えして名前を呼ばれ、あたしを知らない子に変な顔されるのは3年生まで続きました。まあ田舎の小学校だから、3年間もいれば学年全員に顔を知られますから、4年では大丈夫。

 何故か外では男の子と間違われることが多かった。

 男顔だと言われたことはありませんよ。兄とそっくりだとは言われますが。ちなみに姉とも弟とも割りと似ています。兄弟の誰かと一緒の時、他人と思われたことはありません。

 ・・・本当に男顔ではありませんからね。

 胸を見て男だと思われた? 今言った奴、ちょっとツラ貸しな。

 これでも、集落で着物を着ていると、「すごい、女だ」「釣りの姉ちゃん、女子に見える」「お尻も負けずになだらかだと似合うわね」と絶賛の嵐なのです。

 絶賛? ・・・あれ?

 

 ・・・あたしは父方と母方の両方の祖母の影響で、現代日本人にしては着物を身に付ける機会が多いのです。格の高い席にはお下がりの振袖(ふりそで)色留袖(いろとめそで)も着るし、格好付けの場合は訪問着や付け下げ、茶会にもそれなりの色無地や小紋(こもん)をまとう。祖母のお供の買い物でも(つむぎ)だとか上布(じょうふ)だとか。

 母方の祖母は、孫とお揃いの着物を仕立てるのが大好きなのです。いや、お揃いっぽいと言うほうが正確か。織りが同じで絵付けが連作みたいな代物。同じ格子の色違いとか、帯や帯締めを揃える何てこともあります。

 母方の祖母からは、お古の着物ももらいます。お古だからレトロな若向けという不思議な品ですけれど。

 祖母の遺品の着物も大半はあたしが受け継いでいます。叔母たちが着物を嫌がったからです。姉も着ませんし、従妹たちはまだ小さかった。

「着物もスカートも同じようなもんじゃないか」

 スカートを履きたがらないのに着物が好きなのは変だと言われたことがあります。

 スカートはヒラヒラしてまとわり付いて、あたしの行動を邪魔するから苦手なのです。着物の裾捌きとスカートの歩き方は、随分違うと思います。身体の動かし方そのものが違うというか。

 いや、着物ではなく、パンツの話でしたね。昔から小学校でも、釣りでも、友達と遊ぶのでも、下はパンツばかりでした。

 違う違う。パンツの話じゃなくて、男と間違われる話でした。

 中学からは制服がセーラー服でスカートでしたから、学校では間違われなくなりました。髪も長かったし、さすがに男だとは思われなかったです。ああ、それでも、別の小学校出身の子には男みたいな名前だと言われたなあ。

 釣り場で出会った先生に「坊主、何年生だ?」と聞かれた時もショックでした。折笠の妹ですと返したら、「ああ、弟もいるって話だったか」と。

 まて、あたしは今、妹だって言ったよな。

 失礼な先生です。大体、平日の午前中に釣り師姿で猪鼻湖のほとりにいるからって、声をかけてこなくても良いと思います。

 だって先生、今、カレイが絶好調なんだよ。もう3枚も釣れているんだよ。

 もちろん、学校まで連行されました。

 あの先生、校長とぶつかって転任させられたけれど、お元気だろうか?

 高校でもセーラー服。でも、入学式で知り合った友人に「ヒトミ」と誤読され、そのままあだ名として定着しました。だから、制服じゃなくても男と思われることが少なくなったのだろうと思います。

 学校で「ヒトミ」だから、高校の釣り友に紹介された釣りサークルでも「ヒトミ」で通っています。サークルだとあたしの本名を知らない人がたくさんいます。もしかすると高校の後輩でも「きみはる」という本名を知らない野郎がいるかもしれません。さすがに男と勘違いした後輩はいません。

 初対面で「男だろ? 名前もそうだし、オッパ」と言い掛けた奴とは、廃ビルの裏でたっぷりお話ししました。お気に入りの安全靴が壊れた上に、制服のスカーフに赤黒いシミをつけられた丸損な思い出です。

 馬鹿な上に短気で、周りに迷惑を掛けた頃もありました。

 そんなあたしの趣味は、釣り、料理、バイク。特に釣りは、キチとかバカとかが付く類いです。

 物心付いた頃には、すでに釣りを趣味としていました。祖父も釣り好きで、その影響が大きかったのでしょう。

 今日は1人で釣行だけど、釣り友達はいます。年長年少の仲間がいます。底物の師匠がいます。ヒラメ釣りや沖釣りで先生と呼んでいる人がいます。ルアー釣りを教えてくれた友達を導師(メンター)と呼ぶと怒られます。

 釣り友達のことだけれど、小学校の幼馴染みとか、中学の時に知り合った他校の釣り仲間とか、高校のダチとか、釣りサークルの人とか、留学中に仲良くなった子とか、何人もいます。3月に卒業した大学の中にはいないけれど、東京に越してからも、釣り場で一緒になって友達になった女性とかが数人います。

 だけど、釣り友達に底物釣りをする人がいないので、今日のような釣りに気軽に誘える当てはないのです。師匠に関してはこっちが呼び出されるほうですから。

 底物に限らず単独釣行(ちょうこう)は少なくありません。昔から若い女が1人での釣行は危ないとは言われています。あたしは背が高い上に仏頂面なので、釣りをしていてナンパとか絡まれたことなんて・・・、実は昔はしょっちゅうでした。

 正直、何をしに来ているんだ手前は、と言いたくなります。

 釣り施設で手当たり次第に釣りガールに声掛けするくらいなら、まだましな部類。磯で「イシダイよ、食え」と息を詰めて食い込みをじっと待っている時、浜でカレイのポイントを狙って投げ竿を振りかぶる途中、遠投カゴ釣りで掛かったマダイとまさに戦っている最中、苦手な乗合船でのカワハギ釣りでタモ網へと導いている脇から、声を掛けてくるトンマがいるのです。あと、ヒラメを狙ってロッド片手にサーフをrun&gun(ランガン)している横からずっと話しかけてくるアホもいました。

 邪魔でしかありません。

 ナンパが鬱陶しくて髪を短くし、釣りでもバイクでも身体のラインがはっきりしない服を着るようにしたら、元々ない色気が更になくなり、年に2~3回くらいしか男が近寄らなくなっていたから忘れていました。

 なお、こういう服装は、決して胸のラインをはっきりさせたくないから着ているのではない。「天使の○ラ」を床に叩きつけたことなんてない。

 AAカップだと釣れないってのか、あ゛あ゛?

 ・・・今日の釣りは南伊豆の沖磯でのイシダイ狙い。底物(そこもの)釣りです。ずいぶんと久し振りですが、あたしが一番する釣りになります。使う時間にすると釣り全体の6~7割かな。これでも底物師(そこものし)の端くれであると自負しています。

 前回の底物釣りでは本命が釣れなかった。外道(目的以外の魚)しか釣れなかったんです。クサフグ、アカメフグ、アオブダイ、ネコザメなどなど。持ち帰った外道はマダイ2尾、ブダイ、クチブト(本メジナ)。2月の真冬でオフシーズンだったとはいえ、掠りもしなかったことはこたえました。

 だから今日。イシダイシーズン真っ只中の5月の終わり。今日はリベンジ戦です。

 本来は土日休みの仕事なのだけれど、今日の月曜と明日火曜は、23日から25日のパシ○ィコ横浜イベント出展の準備および後始末の代休で連休になっています。

 昨日の日曜の夕方には仕事が片付いたので、一度帰宅して入浴を済ませ、弁当作りを兼ねての晩御飯を終えて一休み。夜になってから愛車ベ○トレー・ベ○テイガに釣り道具を乗せて、東京の住まいを出ました。

 夜の東名高速を流れに乗って走り、沼津で降りて寄り道し、活き餌を購入。今度は伊豆縦貫道の山道を抜けて一般道へ。大体全部で4時間半くらい運転して真夜中に目的地の港に到着。

 それから、シートを倒して仮眠を取りました。

 

 250のオフロードバイクで猪鼻湖のほとりを走る。セーラー服のスカートを(ひるがえ)しながら。メットなしだから風が気持ち良かった。

 ああ、夢だなと気付きます。もちろんセーラー服を着ていたのは遥かな昔。そして、現在乗っているY社の250ccオフロードバイクは東京に出てから買ったもので、高校生の頃はS社の400ccのオフロードバイクに乗っていました。

 いつの間にか、走っている場所が猪鼻湖ではなく、東京湾岸に変わっていることに気づきました。

 またがるバイクも250ではなく大型の1170ccあるアドベンチャーバイクです。服装はなぜか、更にさかのぼって中学時代のセーラー服に変わっています。

 誰かが後ろから近づいてくる。音がバイクじゃない。ミラーには写らず、肩越しに振り返ると。

 目に写るは愛車の天井。リクライニングさせた運転席に寝そべっていました。

 少し明るくなった空の色に気付き、手首を目の前に持ってくると腕時計が示すのは午前4時。

 静かな港にエンジン音が近付いてくる。

 夏と違い虫除けに窓を閉じていないから車内にも音が届く。といっても爆音ではありません、排気量の小さなエンジンの音です。

 ちょうど眠りが浅くなっていたのか、寝ぼけることなく上半身が自然に起きました。

 目を車外に向けると、ライトを光らせながら車が近付いてくるところでした。

 あたしの車を通り越してから、2台分向こうに頭から突っ込みます。小型車、赤ですね。黄色ナンバーだから軽。四角いクロスカントリータイプのSUV。S社の○ムニーだ。S社は静岡の代表的企業。浜松市内に工場があることもあって、故郷の集落でも乗っている人は何人かいます。まあ、一番多いのはS社はS社でも、軽トラだけど。

 エンジン音が止んだ。赤い車は小さくても目立つ。赤い上に5メートル以上あるSUVに乗っているあたしが言うことではないですけれど。

 軽とはいえ車が小さく見えるくらい体格の良いおニイさんが降りてきた。車の向こうに熊出現という感じです。

 何か鼻唄を繰り返している。いくら静かな朝でもよく聞こえない。気まぐれに耳をすませてみた。

「銀ワサ、本ワサ、イッシガキダイ」

 うん。間違いなく釣り客だ。あたしと同じ底物狙いの。この位置に停めたからには同じ船になるのかな?

 渡船(とせん)の出港までもう眠れないか。軽く伸びをして車の電源を入れる。座席のリクライニングを戻すと自分も車を降りた。おニイさんはブラブラと歩いて行ってしまいました。

 まずはショートな髪をオールバックにして、ヘアピンで留めます。

 荷室に回り、靴を磯シューズに履き替える。このスパイクのカチャカチャいう音を聞くと磯釣りに来たと気分が高揚します。フェルトのキュッという音でも良し。

 ライフジャケット(フローティングベスト)を着込む。乗船にはまだ時間がありますけれど、股紐(またひも)を通して簡単には脱げないようにしておきます。あることを済ませたら、この上から更にヒップガードを装着するのです。

 ツバに日除けのネックガードが仕込まれたハットをかぶり、偏光グラスを胸ポケットに差せば磯装備の完成です。

 出掛ける前に荷物は確認してあるから、特に何かを加えることもなく下ろすだけで良い。餌を入れた活かしバッカン(バッグ)からのコポコポと空気が漏れる音を聞きながら、テールゲートを閉めました。

 夜明けが近付き、船に明かりが点ります。

 乗船手続きを終え、トイレで膀胱と大腸を空にしておきます。事前トイレは結構重要です。

 この渡船で沖磯に渡るのは10回目。天候が悪くないのに月曜日のせいか、この渡船の民宿に泊まった3人グループとあの熊みたいなおニイさん、あたしの5人のみが客でした。渡船が出るにはギリギリの人数かもしれません。

 予約は入れてあるし、昨晩出港の確認もしているのですが、不安は消えません。

 3年近く前の話ですけれど、初めて利用しようとした渡船で、あたしと友人だけになったからと船を出してくれなかったことがありまして。横暴な船長で、抗議しても面倒くさいで押し通しました。その船も、行こうと思った沖磯も、結局使うことはありませんでしたが、トラウマになっています。

 親切なこの船とは大違いです。

 友人を泣かせてしまうし、危うく傷害事件を起こすところでしたよ。まあ、出船してくれないから泣いたのではなくて、あたしが怖いと泣いたのですけれど。その友人とは高校を出た後に関東で知り合ったから、つい昔のあたしが出て驚かせてしまったみたいです。

 結局、天候が少し悪かった場合のセカンドプランを採用。車で1時間ほど戻って地磯釣り。ルアー釣りの友人は小物から結構なサイズまで、ヒラスズキを3回仕留めてどんどん上機嫌に。

 カゴ釣りのあたしは、まずヒガンフグ(毒あり)。別のポイントに投げてアカメフグ(ヒガンフグの近似種、毒あり)。気を取り直して、今日は投げサビキかなと変えたらキタマクラ(粘液にも毒)が入れ食い。やっぱり遠投カゴ釣りじゃんねと最後に大遠投したら、陸っぱりなのに大きなトラフグ(もちろん毒あり)。踏んだり蹴ったりでした。

 まあ、全部含めてトラウマなのです。無論、大きいフグは持ち帰ってフグ免許持ちの板前さんに身欠きしてもらいましたけれどね。

 3人グループはルアーフィッシングで、自分と大柄なおニイさんがイシダイ狙いの底物釣り。船長さんの今日のお薦めと言うことでゴツいおニイさんと同じ岩になる。

 このおニイさん、身長はあたしよりも5㎝は高い。もう少しあるかな?

 あたしは女としてはかなり高いほうです。まあ、折笠の家系はみな背が高く、あたしの174㎝は4人兄弟で一番低いのだけれど。

 この大柄なおニイさんは、キャップを脱いで180超えというところかな? シャツとズボンがゆったりしたデザインだから太って見えるけれど、お腹は出ていない。それに肉付きに柔らかい感じがしないから肥満には見えなかった。

 ライフジャケットは赤く、あたしのと色かぶり。向こうは枕なしだし、肩部分も細いから見間違えられることはないでしょう。身幅の広い七分袖シャツから突き出る前腕がすごく太い。いわゆる肉体労働者の腕。荷物を持つその拳は、あたしより二回りは大きかった。

 太目のフィッシングパンツの丈が短い。何だっけ? クロップド? アンクル? 何かそんな名前のパンツ。厚手だからか、ヒップガードを着けないみたいです。こういう短いパンツだと、裾と靴の隙間を岩で切りそう。いや、問題ないですね。靴が長靴、ではなくブーツタイプでした。

 お祖父ちゃんお祖母ちゃん子でして、言い方が昭和だとよく言われます。

 彫りが深いな。外国人? いや、姉と同じ白人系の混血だろうか? 顔立ちが整って・・・、いるのかなあ? 昔から顔の美醜(びしゅう)がよく分からないのです。

 モデルさんを見てもアイドルを見ても、どの人が美形なのかわかりません。人どころか、他の美醜のセンスも少しおかしいと言われます。

 幼い頃、動物園で見た咆哮(ほうこう)する虎を可愛いと言い張って、兄にずっと頭を撫でられていた思い出があります。

 可愛いのに。

 少し前もアムール虎を見に「多摩動物○園」へバイクで出掛けました。

 まあ、釣りに顔は関係ない。

 底物釣りをメインにやる人なら、いいえ、メインでなくとも頻繁に行く人なら、メール程度でも交流できないかな。異性だと釣り友達は難しいのかもしれません。でも、伊豆で、いえ、県内で同世代の底物師に初めて会ったのです。

 性格が悪い人でないことを祈りたくなりました。釣りの神様に。

 釣りの神様?



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