そのブドウを捨てるな!
本当に極々当たり前の話です。
愚痴と言えば愚痴。
こんにちは。
しがない物書き緋水晶です。
タイトルは先日私が友人から貰ったブドウを「これもう日数経ってるから捨てるね」と止める間もなく旦那にごみ箱に捨てられた時に私が叫びたかった言葉からで、これから書き進める話もそんな感じのものです。
このエッセイをご覧くださる方の、誰か一人にでも思いが届けばいいなと思っております。
さて、私は6年ほどカトリック系の学校に通っており、先生の中にはシスターもいらっしゃいました。
そして彼女たちは授業の合間に色々な話をしてくれたのですが、その中に1人、社会人を経てからシスターになった方がおり、その方のお話しのいくつかは私の胸に強く残りました。
『化粧は1日1回だけやればいい』
『ブランド物は金額と同等の価値を持っている人だけが持つことのできるものである』
『目の前で人が倒れた時は絶対に避けず、何よりもその人の頭部を守れ』
私が特に覚え、今なお心にあるこれらの言葉。
全てが彼女の体験談であり、社会に出て絶対に役に立つと言われ常に意識してきました。
その結果、新宿駅で目の前で倒れた女性を無事に受け止めることができましたね。
めっちゃブリッジしたけど、私は頑張りました。
でも今回お伝えしたいのはこれらの話ではありません。
彼女から言われたもう1つの教え。
それは『食べ物を捨ててはいけない』という言葉です。
普通この言葉を言われたら『世界には食べ物を得ることができない人もいるのだから、残すなんてその人達に申し訳ないでしょう』とか『誰かが一生懸命育てた食物で作られているのだから、感謝の念を持ちなさい』とか、そういう理由から言われたのだろうと思いますよね。
でもこのシスターは違いました。
「ある生徒がジュースを流しに捨てていました。理由を訊ねると『お腹がいっぱいだから』と言いました」
ある日の授業中、唐突に彼女はそう語り始めました。
彼女の目には誰かの机の横に置かれた缶ジュースが見えていたようです。
「私は彼女に言いました。『そのジュースはいくらでしたか?』と。彼女は120円だったと言いました」
校内の自動販売機で売っているジュースの値段なので当たり前ですが、シスターはわざわざ彼女に訊ねたんだそうです。
「捨てた量から考えて、恐らく半分近く捨てていたと思われました。だから私は言いました。『貴女が今捨てたのは、貴女のご両親が一生懸命働いて得た60円のお金ですよ』と」
きっとシスターは60円という金額を明確にわからせるために彼女に値段を言わせたのでしょう。
言われた後、彼女がどういう反応をしたのかはわかりません。
ただ無言で缶をごみ箱に捨てて帰って行ったそうです。
「60円と言えば子供のお小遣いとしても少ない金額でしょうね。でも高校生がアルバイトをする場合、時給は800円程度でしょう。ならばその人の分給は13円ほど。60円稼ぐためには5分働く必要がありますね。つまり彼女は5分間労働した分と同じ金額のものを流しに捨てたということになります」
シスターは私たちを見回して言いました。
「食べ物を捨てるということは、それを買った人のお金を、延いては労働の汗を捨てるということです。将来会社で給料を貰った時、皆さんは初めて労働の対価として給料という金銭を得ることの意味を知るでしょう。その時、あなた達はそのお金をどう使うのでしょうか。できれば無駄にせず、家族や友人や自分のために使ってほしいと思います」
そう言って笑った後、シスターは何事もなかったかのように授業に戻りました。
私は旦那がブドウを捨てた瞬間、このことを思い出しました。
「今お前が捨てたそれは、私の友人が働いたお金で買ってきてくれたブドウなんだぞ。それを『種を取り出すのが面倒だから』という理由で2日放置して、挙句まだ食べられるのに捨てたと?ふざけんな!!」
その時にこう言えればよかったと今でも後悔しています。
苛立ちが勝って言葉が出てこなかった自分が恨めしい…。
食べ物(だけとは限りませんが)を残す時、捨てる時、私達は言い訳をしがちです。
『お腹がいっぱい』
『悪くなってきてる』
『美味しくない』
それを食べずに済ませるための理由なんていくらでも浮かんできます。
でも、自分が捨てようとしているものの価値を考えた時、その手を止めることはできないでしょうか。
第一お金を使ってごみを増やすなんて意味のないことです。
『自分が稼いだ金なんだからどう使おうと勝手』
『有り余ってるんだから少し捨てたところで別になんとも』
『無駄なもの買ってまで経済を回してやってんだろ』
こんな風に思われる方が多いなら、それはそれで仕方ありません。
でもできればお金は大切にしてほしいなぁと思うのです。
だって諺にもあるじゃないですか。
『いつまでもあると思うな親と金』って。
読了ありがとうございました。