外伝 アリシア①
初めて見た時、私ことアリシアは曽祖父が決めた婚約者であるレイドのことを……見下していた。
「え、えっと……はじめましてぇ……」
舌足らずな言葉で頭を下げるレイド、庶民と言うこともあるのか全体的にみすぼらしく冴えない風貌をしていた。
まだ幼い私は婚約者という存在は物語で知った程度だったからむしろ幻想を抱いていたのだが、こんな情けない男がそうだと思うとただひたすらに嫌気がした。
(私はこの子と将来結婚するのか……しなきゃいけないんだ……嫌だなぁ……)
だけどご先祖様の名誉だとか、家族が気にしているのも分かっていたからそんなことを口にするわけにはいかなかった。
だから感情を抑えて、私はレイドに向かって出来る限り優雅に頭を下げながら内心で顔も知らない曽祖父を少し怨んでしまった。
*****
「アリシアっ!! 今日はお外でお祭りがあるんだっ!! 一緒に行こうよっ!!」
少しだけ成長して、だけどまだまだ子供だった私は毎日のように尋ねてくるレイドに誘われるまま後ろをついて歩いた。
何故か正面からではなくて、部屋に隣接する木に登って話しかけてくるレイドをはしたなく思うけれどあえて指摘しようとは思わなかった。
どうせ言っても無駄だろうと思っていたし……実はほんの少しだけ嬉しかったから。
私を無邪気に誘ってくれるレイドは、一緒に歩いていると本当に嬉しそうに笑ってくれる。
そして何かあるたびに私を褒めたたえて、大好きだとはっきり告げてくれるのだ。
色々思うこともあるけれど、やはり素直に好意を現してくれる相手と一緒に居るのは楽しかった。
「ねぇレイド……あなたは私の何がそんなに好きなのかしら?」
「うぅん、いっぱいあり過ぎて迷うなぁ……初めて会った時はすっごく綺麗だったから好きだって思ったけど……」
そんなある日、ふと私が訪ねたことにレイドは正直に見た目だと答えた。
(顔かぁ……うぅん、悪い気はしないけれど……やっぱりちょっと……嫌な気がするわ)
まだまだ幼く恋愛というものに憧れがあった私は、見た目が好きだと言われてもあまり喜べなかった。
むしろ外見に惚れたと言われて、少し失望してしまったところもあった。
(確かに私は外見にも気を付けているけれど……生まれながらの見た目で人を判断しないでほしいわ……やっぱり性格とか仕草とか……私個人の特徴を……中身を見て好きだって言って欲しかったわ……)
「だけどお話したら言葉遣いも凄く大人っぽくて、素敵だなぁって……だけどやっぱり一番は笑顔かなぁ」
「え、笑顔?」
「うんっ!! 出会ったばっかりの頃はめったに見れなかったけど最近は良く笑ってるでしょ……僕アリシアの笑顔見てるとすっごく胸が温かくなって……たまに見惚れちゃうんだぁ」
「も、もう……レイドったら……恥ずかしいこと言わないでくれるかしら……」
だからこそ続く言葉に私は気恥ずかしさを覚えながらも、嬉しいと思ってしまった。
確かに出会ったばかりの頃はレイドに悪印象ばかり抱いていて、そうそう笑顔にはなれなかった。
なのにレイドはそれを見逃さないでいてくれたのだろう……ちゃんと私の事を見てくれているような気がして胸が温かくなった。
(でもあれ? そうだわ、私レイドの事初対面で……みすぼらしくて冴えない風貌だって……見た目で判断して嫌ってたじゃない……その癖何偉そうに中身を見てほしいなんて考えていたのかしらっ!?)
しかしそこで遅れて気が付いた、嫌だと思っていたことを自分もしていたことに。
「ごめんごめん、もちろん他にもアリシアには良い所いっぱいあるから……困ってる人を見かけたら物おじせず話しかけて手助けしてあげるぐらい優しいし、毎日稽古とか頑張ってて大変そうなのに弱音一つ言わないぐらい頑張り屋さんだし、お話してても相手が喋りやすいように言葉を選べるぐらい頭も良いし……本当にアリシアは凄いと思うよ」
「あ……き、気づいていたの?」
「当たり前だよっ!! アリシアが頑張ってるのは僕が一番よく分かってるよっ!! だって大好きだもんっ!!」
私の頑張りをちゃんと見ていてくれて、その全てを好きだと言ってくれるレイド。
それに対して私はどうだろうか……レイドのことを何かわかっているだろうか。
(私の事を毎日遊びに誘ってくれるぐらい好きで……私の事をちゃんと見てくれていて、その上で好きでいてくれて……ああ駄目だわ……私全然レイドのことを知らない……全く見てなかったんだわっ!?)
初めて私は自分のことを愚か者だと思った……今までは大抵のことは常人以上にこなせるからそんな風に考えたことはなかった。
だけど気づかされた、自分がどれだけ浅ましい人間だったのか……そんな私の良いところを見てくれて好きだと言ってくれるレイドがどれだけ素晴らしい婚約者であったのかを。
(わ、私もちゃんとレイドを見て行かないと……だ、だって婚約者なんですものね……っ)
改めてレイドのことをまっすぐ見た、いやこれが初めてかもしれない。
相変わらず平民だからかやっぱりどこか全体的にみすぼらしいけれど、私と目が合うと物凄く素敵な笑顔を浮かべている。
胸が妙に高鳴る……だけどどこか心地よい。
(ああ……レイドは私の笑顔を見て、こんな気持ちになってくれていたんだ……これが……す、好きってことなのかしら?)
この日から私は出来る限りレイドの傍に居て、笑顔を見せようと思うようになった。
*****
「アリシア……もしも暇なら少しお出かけしないか?」
また少しだけ成長した私たちは、別々の学校へ通うようになった。
この頃から私たちは立場の違いがはっきりしてきて、レイドと私の間には大きな差が出来つつあった。
それでもレイドの態度は出会った頃と変わることはなく、私の事を毎日のように遊びに誘い出来る限り傍に居てくれようとした。
それが本当に……嬉しかった。
何せ私には公爵家の名前が付いて回る、誰もかれもがその立場を通したうえで私を評価する。
だけどレイドは違う、私個人を見てくれているのだ。
「今日はどこへ行くつもりなのだ?」
「うぅん、アリシアが行きたいところならどこでも……一緒に居られたらそれだけで十分だからね」
「またそれか……全く、たまには自分が行きたいところを言えばよいものを……」
口ではこんなことを言ってしまうけれど、本当は私も同じ気持ちだった。
レイドと一緒に居られればどこでもいい……傍でこの笑顔を見ていられれば十分だ。
(もっと一緒に居る時間を増やしたいものだが……家業がどんどん忙しくなるからなぁ……学校も身分の差で別れてしまったし……)
色々と才能が有り過ぎる私は、今の時点から様々な仕事を任されつつあった。
面倒だったが仕事を断ればレイドとこうして遊ぶことも許されなくなる。
また将来のことを思えば……貴族としての勉強ができていないレイドのためにも私が代わりに仕事を覚えておきたかったのだ。
「ごめんねアリシア、本当は一緒の学校に通いたかったんだろ?」
「……勝手に人の心を読むな、馬鹿め……そう言う貴様こそそんなに悔しそうな顔をするな」
考えていたことを読まれて恥ずかしくなった私だが、すぐに言い返してやる。
何せずっと一緒に居て相手のことを観察してきたのだ……もう顔を見ればお互いに何を考えているかなど手に取るようにわかる。
「あらら、わかっちゃうのか……やっぱり同じ学校に行きたかったよね」
「ああ、貴様が怠けないよう常に監視してやりたかったからな……しかしちゃんと毎日鍛えているようだな」
「うん、少しでもアリシアに近づきたいから毎日頑張ってるよ……だけどなんでわかったの?」
「当たり前だ……身体つきがだんだんしっかりしてきているからな……足の運びも良いし、顔つ……とにかくしっかりしてきているからな」
顔つきも引き締まってきて見た目もそこそこ整ってきていると……たまに見惚れそうになるなどとは恥ずかしくて言えなかった。
「やっぱりアリシアにはバレちゃうかぁ……だけどまだ全然君には届かないんだ……魔法も使おうとしたら物凄く時間かかっちゃうし……」
「別に無理する必要もあるまい……それよりも健康を害さぬようにだけ気をつけろ……倒れたら元も子もないぞ」
レイドは頑張り屋だ、才能の差が明白だというのに私に追いつこうと日々努力を重ねている。
座学から武術、さらには魔法まで習得しようとしている……私は全て即日で出来るようになってしまったからその苦労は分からないが、余り無理はしてほしくない。
(実戦形式で鍛えてたりしていたのか、一時期などまるで喧嘩のような傷跡が絶えなかったからなぁ……あれは物凄く心配だった……今は大丈夫のようだが……あまり無茶はしないでほしい……)
ただ隣に居て、笑っていてくれるだけでいいのだ……それだけで私は幸せなのだから。
「だけどさ、僕……いや俺は将来軍学校に入ろうと思ってるんだ……あそこならアリシアと一緒に通えるから」
「何? 初耳だぞそれは……?」
成人を迎え義務教育を終えた後に入る学校について言及するレイドに、少し驚いてしまう。
何せまだ六年以上先の話だ……それに私は女だし公爵家の人間としての職務があるから軍学校への進学など認められるとは思えない。
「あ……ごめん勝手に先走って決めちゃって……アリシアと一緒の学校通いたいなぁって思って調べたらそこなら可能性があるってわかって……だけどそうだよね、アリシアは忙しいから……」
私の顔を見て、大体のことを察した様子のレイドが申し訳なさそうに頭を下げた。
(そうだ、無理だ……無理に決まっている……だけど……)
レイドと一緒の学校生活を想うと、それだけで胸が高鳴った。
公爵家の名前が重荷になりつつある今、普通のカップルのような生活に憧れがある。
ましてレイドとそんなことをできるともなれば、想像するだけで頬が緩んでしまいそうだ。
「……いや、いいアイディアだ……軍学校で学んで力を付ければ領土内にある未開拓地帯から魔物を一掃することもできよう……ふむ、確かに国への貢献を想っても悪くない進路だな」
「……あはは、流石アリシア……凄く真面目だなぁ……俺はただ一緒に学校に通いたいだけだったのに……」
「ふふ、全く不真面目な男だ……だがその気持ちは嫌いではないぞ」
笑い返す私だけれど、はっきり言って今あげた名目などただの言い訳だ。
私もレイドと共に居たい、それだけで決めた進路だった。
*****
「忙しいのに尋ねてごめん……だけどアリシア、どうしても君に会いたくて……」
更に成長したレイドだが、最近異様に疲れているように見える。
恐らくは無茶な鍛錬でも積んでいるのだろうけれど、それにしては学校の成績も落ちている。
だから私は物凄く不安だった……いつ倒れてもおかしくないぐらいくたびれて見えたから。
それなのにレイドは毎日律儀に私の元へ顔を出し、遊びに誘おうとしてくる。
正直に言えば一緒に居たいし応えてあげたい……だけどそれ以上に休んでほしかった。
レイドが苦しむところなんか見たくなかったし、それこそ健康を害しでもしたら私は正気ではいられない。
(恐らく学校の成績が落ちているのも体調不良のせいだろうな……こうして顔を見せてくれるのは嬉しいけれど、私と遊んでいる暇があったら休んでほしい……)
そんな私の想いも通じないのか、レイドは日々どんどん疲弊して行っているように見えた。
そして笑顔も減ってきた……私も心配で前のように笑いかけてあげることができない。
まるですれ違い始めたカップルのようだ、それもまた私の心を不安にさせる。
(ずっと傍に居られれば健康も管理してあげられるのだけれど……ああもう、いっその事こんな家飛び出してやろうか……)
軍学校への進学は両親に強く反対された……それでも何とか説得したが代わりに家業も完璧にこなすことを求められてしまった。
おかげで私も忙しく、それこそこうしてレイドが顔を出さなければ殆ど関われないほどだ。
代わりとばかりに私の家名やら見た目の美貌に惹かれたくだらない男と過ごさなければいけない時間ばかり増えていく。
この間など第二王子とやらが執拗に絡んできて閉口してしまったほどだ……しかし将来レイドと一緒になった時のことを思えばそう言う家の付き合いを私が疎かにするわけにはいかない。
(レイドが私を連れ出してくれたら喜んで駆け落ちするのだけれど……尤も優しすぎるレイドがそんな周りに迷惑をかけるような真似できるはずがないのだが……)
とにかく今だけ何とか堪えようと思う。
軍学校に進学しレイドと一緒に通えるようになれば、きっとまた元通りの仲に戻れるはずだ
何よりそうなれば私もずっとレイドを傍で見ていられる……無茶して身体を壊さないよう気遣ってあげられるようになる。
だからこそ絶対に軍学校にだけは受からないといけない……レイドもそれは分かっていてくれると思う。
*****
「わかってるよアリシア……君に恥をかかせたりはしないよう頑張るから……」
ようやく軍学校の試験の日がやってきたが、私は内心ドキドキしながら結果を待っていた。
尤もそのドキドキは不安ではなく、私たちが過ごす青春の日々を想ってのものだった。
(当たり前だ……受からないはずがない……あれだけ、色々と手回ししたのだから……)
既に領内の治安維持に一定の成果を出していた私は、あっさりと推薦入学を決めることができた。
後はレイドだけだったが、私は彼が受かるため考えつく限りの手段を取ることにした。
まず実技試験で受かれるように、我が家に代々伝わる聖剣を秘密裏にレイドへと手渡した。
かつて魔物が蔓延っていたファリス王国領内に平穏をもたらした曽祖父が使っていたもので、万物を切り裂ける切れ味と使い手の魔力を強化する伝説級の一品だった。
それを日々努力しているはずのレイドが使えば、軍学校程度の実技試験なら落ちるほうが難しいだろう。
(努力していれば……しているよなレイド……私は信じているぞ……)
最近の私の耳に入るのは、レイドが夜遊びに精を出し修行も何もしないでサボっているという話ばかりだ。
そんなもの全く信じていないが、うちの両親から同じ学校に通う生徒……そしてレイドの両親までもが似たようなことを口にする。
『うちの息子がすみません……アリシア様には全く釣り合いがとれなくて……修行? いえいえ、あんなの遊び同然ですよっ!!』
『本当に申し訳ないわ、今も外に出ていて……勉強? いやいやアリシア様の婚約者としてあの程度で学んでるだなんて恥ずかしくてとてもとてもっ!!』
(そんなわけがない……レイドが……だけど御両親までもがあんな言葉を……それに私は最近忙しすぎて一度もレイドが努力しているところを見れていない……いや、私がレイドを信じなくてどうするのだっ!? だが……)
全て戯言だと思う、あのレイドが私を放って夜遊びなどするはずがないと信じている。
だけどレイドは最近私に笑顔を見せてくれない……顔を見せても悲痛な目で見つめるばかりだ。
おかげで前は何でも分かったのに、今では何を考えているか全く読み取れなくなってしまった。
(いや、ただ頑張り過ぎて体調不良なだけだ……そうに決まってる……だけど試験日も不調なままだったら……っ)
信じているはずなのに、考えれば考えるほど心細くなってくる。
こんなことでレイドと距離を置かれたくない……ずっと傍に居たいのに離れたくない。
だから……私は……不正を行う覚悟を決めた。
(どうかお許しください……今回だけ……生涯領民に尽くしますから……今回だけお許しください……)
許されないことだと思う、これでレイドの代わりに落ちる人間が出たらその人の人生を狂わせてしまうことになるのだから。
だけどどうしても私はレイドと一緒に学校へ通いたかった……傍に居たかった。
だから生まれて初めて、私は権力を利用しての悪事に手を染めてしまった。
公爵家への用事で我が家を訪ねてきた軍学校の試験官を呼び止めて私は圧力をかけることにしたのだ。
「わかっているな……この度私の婚約者が受験するが、あの者が受からないことがあれば我々の関係がどうなることか……」
「……なるほど、つまりあの男が試験でどんな成績を残そうと関係なく……そう言うことですね」
「うむ……もちろんこのことは内密でな……」
「わかっておりますよ……アリシア様が我々領民の為に身を削って活動しておられるのは皆知っておりますし、その恩恵を受けている身としてどうして断れましょうか」
「済まないな……頼む」
今までこんなことをした経験がなかったからどうすればいいかよくわからなかったが、何とか話が通ったようで安堵した……しかし罪悪感がすさまじかった。
婚約者であるレイドの名を汚さないよう、私はずっと清廉潔白を心がけて生きてきた。
だから初めて行うこのような不正に胸が痛み、吐き気すら感じた。
それでも全く後悔はしなかった、むしろその日から毎日のようにレイドと共に学校生活を送る夢を見た。
一緒に登下校を行い授業中も隣に座り勉強を教え合い放課後はデートにいそしむ、そんな他愛もないけれど素敵な夢だった。
更にはレイドがファーストキスをしてくれて、そのまま押し倒され抵抗をしようとも思わず受け入れるような夢も見た……余りのはしたなさに目が覚めたら顔が熱くなりベッドを叩いてしまうほどだ。
そんな素敵な日々が始まるのだ、そう思ってワクワクしていた私の元へレイドは……死人のような顔で現れた。
「……ごめんアリシア」
そう言って不許可とだけ書かれた紙を見せてきたレイド……あり得ない事態に私の頭は真っ白になった。
聖剣を持っていて、まして根回しまでしてあるのになぜ不合格になるのか。
下駄を履かせようもないほどに壊滅的でなければあり得ない、それこそ元々合格する気がなく試験を放棄するぐらいでなければ。
何より不合格ならば相応の理由が説明されるはずだ……なのにどうしてこんな不許可という紙しか見せてくれないのか。
(…………嘘だ)
レイドが私を見限るわけがない。
レイドが私を嫌うわけがない。
きっと何か理由があるに違いない、そう思ってレイドを見るけれど……何を考えているか分からない。
代わりに、うちの両親や周囲の人間……そしてレイドの家族が口にしていた言葉が蘇る。
(夜遊び……他の女と……私は邪魔……いやでも……レイド……)
レイドは何も言ってくれない。
ただ申し訳なさそうに首を垂れて、私の言葉を待っている。
その顔に笑顔はなくて、私を好きだと語っていた口は全く動かなかった。
「……もういい、お前を信じた私が愚かだった」
気が付いたら私の口から言葉が漏れていた。
(ずっと信じてた……レイドが一緒に学校に通いたいって言ってくれたからそこに入るために今日まで努力してきた……どんな辛いスケジュールでも耐えてきた……なのに……)
「真面目にやれば受からないはずがなかったのだ……どうせ遊び惚けていたのだろう……そんなことでよく今まで私の婚約者などと戯言を口にしたものだな」
涙が零れないよう私はレイドを睨みつけながら、声が震えないよう感情を込めずに呟く。
否定してほしかった……そんなことはないと一言言って欲しかった。
「……わかったよアリシア、今までごめん」
レイドは、私の言葉を一切否定しようとしなかった。
足元が崩れ落ちるような感覚に襲われながらも、私は必死で言葉を紡いだ。
「謝罪などいらん、行動で示せ」
ここでもしレイドが私に愛を囁いてくれれば……キスしてくれれば……何でもいいからしてくれれば私は多分その胸に泣きつけたと思う。
「ああ、そうだね……その通りだ……」
だけどレイドは弱々しく、だけどどこか納得したように呟くと……儚く笑ってその場を立ち去って行った。
その背中を見送ったところで、私は耐えられなくなり……心がぽきりと折れた。
(……嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つきっ!!)
もう私は何も考えられないほど辛くて苦しくて、その日は部屋を封鎖して一人で泣き続けた。
何度も恨み言を呟き、レイドを憎もうとした……だけど無理だった。
やっぱり私はレイドが好きだ、何より私の事を好きだと言ってくれたあの笑顔を覚えている。
(もう一度……もう一度だけチャンスを……明日また顔を出した時に、ちゃんと話し合おう……)
そう思いながら私は目を閉じた。
こんな真っ赤に充血した瞳を見せたくなかったし、何より今日は感情が高ぶっている。
だから明日またレイドがきたときに冷静に話し合えるよう、その日はゆっくり休むことにしたのだ。
「アリシアっ!! ファリス王家がお呼びですっ!! すぐ支度をなさいっ!!」
しかし次の日は家の中が妙に騒がしくて、私はすぐに出かける支度を申し付けられた。
一日中部屋に籠っていた私には理由が全く分からなかったが、まさか王族からの呼び出しを断るわけにはいかない。
ここで下手に王家から目をつけられたりしたら公爵家が……ひいては将来的に私と結婚するレイドが苦労することになるのだから。
(王都まで馬車で二日はかかる……私の足ならば半日で着くけれど、そんなはしたない真似は許されないだろうな……)
げんなりしながらも将来のためだと言い聞かせ、両親と共に自宅にある馬車へと乗り込みまっすぐ王都を目指す。
その際に通過した街中が妙にお祭り騒ぎのように盛り上がっていたのは不思議だったが、それよりも私はレイドと会えないことだけが気にかかっていた。
(あいつのことだ、きっと律儀に私の部屋を訪ねて……落ち込んで帰るに違いない……まさか私が居ないからと大手を振って夜遊びに精を出したりは……はぁ……私の何がいけなかったのだろうか?)
馬車内にある鏡へと視線を投げかけ、自らの外見を再確認する。
謁見の為にまとめられた長い金髪も、豪華な服装の上からでもわかる胸……均整の取れた身体つきもどこも魅力的だと思う。
尤も身長が高すぎるのは嫌がれる点かもしれないが、レイドは僅かに私より背が高かったはずだ。
(これ以上に魅力的な女性などそうそういないと思うのだが……それとも可愛げのなさに呆れられたのか……だがレイドはこういう私も……凛々しく胸を張って歩く私も好きだと言ってくれたではないか……なのに……嘘つき……)
信じたいのにどうしても疑いが先に出てしまう……こんなことでは駄目だとは思うけれど先日の不合格は余りにも私の心に響いている。
「はぁ……」
「ため息など止めなさいアリシア、はしたないですわよ」
「そうだぞアリシア、こんなお目出度い記念すべき日にそんな顔をするものではないよ」
「そう言われましても……そもそも今日は普通の日だったと記憶していますが、何かあったのですか?」
会話の流れで適当に興味もないのに尋ねた私に、両親は呆れたように呟いた。
「なんだ、あの男から聞いていなかったのか……全くどこまでも愚図な男だったな」
「だけど安心なさいアリシア、もう二度とあなたはあんな男とは関わらなくていいのですからね」
「……何を言っているのだ? それにあの男とは誰だ?」
訳が分からなくて困惑する私に二人は、とても嬉しそうに笑いながら……ソレを告げてきた。
「あのレイドとか言う男だ……全く己の立場も弁えんでいつまでも婚約者の座に縋りつきおって……」
「っ!?」
「ご先祖様のお約束とは言えつらかったでしょうアリシア……だけどもう大丈夫よ、あの男との婚約は解消されたわ」
「全く大変だったが、向こうから言い出してきた以上もう問題もあるまい」
「そうなのですよアリシア……そして貴方の婚約にしてももっと相応しい第二王子様のガルフ様が婿養子になってでもと名乗り出て下さり……本当にありがたいお話です」
何か言っている両親の言葉が全く耳に入ってこない。
それほどの衝撃を受けながらも、私は必死で内容を飲み込もうと頭の中で何度も繰り返した。
(レイド……婚約解消……向こうから……レイドが……え? 何でそんな……っ!?)
「もちろんその話を受けようとこうして王都へ……あ、アリシアっ!?」
「ま、待ちなさいアリシアっ!? どこへ行くつもりですかっ!?」
「……ヘイストっ!!」
理解すると同時に私は馬車を飛び降りて、両親の制止も振り切り全速力でレイドの元へと向かった。
魔法を発動した上で全速力で、一秒でも早く辿り着こうと馬車道すら踏み越えて未開拓地帯を最短距離で進んでいく。
(レイド……レイドレイドレイドレイドっ!!)
もう他に何も考えられなかった、ただ愛しのあの人の顔が見たかった。
「グ……っ!?」
「ォ……っ!?」
「邪魔だっ!!」
進行方向に邪魔な魔物が四匹も群れているのが見えた、確か炎噴熊だったと思うけれどどうでも良かった。
だから向こうが振り返る隙も与えず接敵すると同時に、剣を抜く時間も惜しみ手刀で左右の二匹の首を同時に切り落とした。
更にそのまま相手の身体を握り締め、握力でもって骨の一部を圧縮した塊を作りそれを残る二匹の頭部に思いっきりぶつけて風穴を開けてやる。
一秒と掛からずあっけなく倒れた雑魚に振り返ることもなく、私はさらに脚を進めていく。
「キ……っ!?」
「ピ……っ!?」
「うるさいっ!!」
不意に足元から地面を割って這い出てきた岩食蟻を避けるまでもなくそのまま踏みつぶしていき、頭上から風をまとって突進してくる暴風鳥を逆に身体ごとぶつかり一方的に粉砕してやる。
こんなことで足を止めている暇はない、私は身体が汚れるのも構わずにひたすらにレイドの元へと急ぐのだった。
(嘘だ……レイドが婚約を解消するなんて……私を嫌っているなんて……何かの間違いに決まってる……きっと会えばすぐにでも誤解は解ける……だからレイド待ってて……お願いだから……っ)
この作品を読んでいただきありがとうございます。
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