外伝 聖女マリアの憂鬱
エルフというこの大陸でも屈指の長寿を誇る私たちの一族をして、教会の起源について覚えている者はいない。
それほど古くからあり、世界中の人々を癒す役目を一手に担っている大切な仕事だからこそ私はそのトップの座に相応しい存在にならなければと常に努力し続けてきた。
(ああ、ですが……こんなのはあんまりでございますわぁっ!!)
私は心中に湧き上がる感情を何とか押さえつけながら、にこやかに笑顔を維持し続けた。
「いたいのなおったぁ~っ!! ありがとーまりあさまぁっ!!」
「っ!! ふ、ふぅっ!! そ、それは何よりでございました……はぁはぁっ!!」
治療してあげた幼い子供が舌足らずな声で私に感謝を告げる様子を見て、今すぐにでも抱きしめてお持ち帰りしてベッドに寝かせつけたい衝動に駆られてしまう。
しかしそれはどの国でも犯罪なのだ……エルフの里ならば合法どころか、逆に誘惑罪で逮捕して連れ帰っても許されるはずだというのに全く理解が出来ない。
(ど、どうしてこんな可愛い子供を赤ちゃんみたいに可愛がっちゃ駄目なんでございますかぁっ!! ああっ!! ペロペロもチュッチュも……それどころか授乳すら許されないだなんてっ!! やっぱり他国の法律は理不尽ですわぁああっ!!)
生まれて数年で見た目上は成長しきってしまうエルフに対して、人間の子供は十年近くも無邪気で可愛らしく可憐で魅力的な幼い姿で周りの人達を魅了し続ける。
ましてドワーフに至っては生涯において幼い見た目を保ち続けるのだという……こんなの保護してくれと言っているようなものなのに、エルフの里とは違い身内でもない存在が下手にお世話をしたら犯罪になってしまうのだ。
(これでは私は何のために教会に所属したのかわかりませんわぁっ!! 私はただ可愛い子供たちと合法的にイチャついてお世話してあげたかっただけですのにぃいいいっ!!)
初めて里を出る決意をしたのは何百年前だっただろうか……人間やドワーフという、まさに愛でるために存在するような種族を知って欲情……彼らを甘やかしたい守りたいという慈母の心で衝動的に飛び出したのだ。
そして目に付いた子供を攫……保護しようとして、すぐに公的機関のお世話になったことは昨日のことのように思い出せる懐かしい記憶だった。
(あれで初めて他の種族は小さい子供を過度に甘やかしたりしないと知ったのですよねぇ……それどころか子供を集落に属する大人全員で可愛がる風習も無いようでございましたしぃ……挙句の果てに目の前を無邪気に走り回る子供を視姦……観察しているだけで息が荒いとか目が怖いとか不埒な衣装で誘惑しているとか言いがかりをつけてきて……本当に暮らしずらい世界ですわぁっ!!)
それでも何とかそんな理不尽な社会にも適応しようと必死に衣装を工夫して、秘密基地と称した住まいを作り公園で運動するふりして子供を誘き出……子供と交流してお家に遊びに来てもらうようにしたのは三百年程前のことだっただろうか。
大人には内緒だと約束した上で沢山甘やかし可愛がってあげて、子供達も私もどちらも幸せな時間を過ごすことができるようになったはずだった。
(今考えてみてもあれは本当に満ち足りた日々でございましたわぁ……なのにたった十年程で崩壊して……一体何がいけなかったんでございましょうか……うぅ……)
内緒のはずの秘密基地が何故か親にバレてしまい、またしても公的機関に踏み込まれて、あの楽園は簡単に崩壊してしまった。
そして子供と交流できなくなったことに檻の中で悲しみ嘆く私の元へ、心の病気ではないかとの疑いを持った教会の人間がやってきたのだ。
当時はエルフが活躍できる魔術師協会も発足したばかりで、まだまだ他の社会に出てくるエルフが少なくその風習や生態が知られていなかったからだ。
(思いっきり頭を抱えていらっしゃいましたわねぇ……当時の人間は他に知っているエルフがデウス様しかいないようでございましたし……しかしデウス様はどうしてあんなにも理知的なのでございましょうかねぇ?)
その教会の人の仲介で私は初めてエルフ族の中でも生きる伝説であるデウスと出会ったのだ。
同じエルフとは思えないほど落ち着きのある聡明なお方で、後に出会った際には天使のように可愛らしいハーフエルフの部下と共に居たが一切取り乱すことなく平静を保っているほどあり得ない理性の持ち主だった。
(私など即座に飛びつきたくなったのですが……まあ色々恩義がありましたから、あの方の顔を立てて涎を垂らすだけで我慢いたしましたが……本当にデウス様がいらしてくれなければ私はどうなっていたことか……)
デウスは本当に頭が良く、種族の垣根を越えて世界全体の行く末を憂いているようなお人だった。
だからというわけでもないのだろうけれど、あの方は私のように子供を求めて里から出てさまよい歩き他種族に迷惑をかける少数派の野良エルフ問題の解決にもいそしんでいた。
そしてエルフの教育と監視を兼ねて所属できる場所として……またその魔力の才能にも目を付けて魔法という技術を万人に使えるよう研究して広めることを目的とした魔術師協会を作ったのだという。
当初こそはそれこそ回復魔法を独占する教会と諍いもあったようだが、その辺りのことは流石に詳しくは知らない。
(デウス様が私を魔術師協会に誘ってくださって……そこで回復魔法の才能を見出し伸ばしてくださった挙句に教会へ所属できるよう仲介までしてくださって……本当にありがたい話でございました……ええ、本当にありがたかったのでございますけど……)
魔術師協会に属してからもやっぱり子供への想いを捨てきれなかった私を見て、ため息をつきながらデウスは教会への所属を進めてくれた。
そして教会に所属して人々を癒す立場に成れば子供にも慕われるし、いずれは孤児院などの経営も任されるはずだと……そうなれば犯罪にならない程度なら子供を甘やかしても問題にはならないと教えてくださったのだ。
一も二も無く頷いた私は即座に教会に入り、すぐにでも孤児院を任される立場に成ろうと必死に努力を積み重ねていった。
(色々やりましたわねぇ……何度も捕まってるから精神力だとか耐久力の訓練だとかで子供にだけかかる流行り病が蔓延している国に派遣されて様子を見られたり……ああ、でもあれも幸せでございましたわぁ……最後にはいかないでって泣きついてくれて……あれが二百年ほど前の話でございましたかねぇ……)
そうやって頑張って努力し続けて、ようやく教会にも認められるようになった……だけどまさか認められ過ぎて教会のトップである聖女に指名されるとまでは思わなかった。
その頃には魔術師協会もかなりの権力を持ってきていたから、或いはデウスとの関係性も評価されての……いや先代の聖王の清廉潔白さを考えればやはり単純に私の力を評価してくださっただけだと思う。
(それ自体は嬉しかった……聖王様は思いっきり私の趣味から外れているお方でしたが、そのようなことに関係なく尊敬できる素晴らしいお方でしたから……あの人に認めてもらえたこと自体は嬉しかったんでございますわ……だから指名された際は思わず感激の涙すら流して頷いてしまったんでしたわぁ……うぅ……私の馬鹿ぁ……)
教会のトップになった私は、もはや一カ所に留まっていられる状態ではなくなった。
先代の聖王が住居も持たずに世界中の困っている人を助けるため駆けずりまわっていたように、私も孤児院の経営よりも先にやらなければならないことが山済みになってしまったのだ。
(わ、私はただ可愛い子供達を甘やかしながら共に暮らせる居場所を作りたかっただけでございましたのにぃいいいっ!!)
いろんな国に出向いて魔物よけの祝福を改良したり、人々の生活の不安などを聞いてどこの教会に人員を配置するか把握したり汚職に手を染める職員を調べ上げ対処したり……その合間にこうして怪我や病気にかかった子供を癒してあげる時間だけが唯一の癒しだ。
しかしそれにしても協会のトップである聖女としての立場があるために、一切の欲望を押し殺して無理やり微笑みを浮かべ続けなければならないのだ。
(あぁっ!! どうしてこうなりましたのぉおおっ!! 私はただ可愛い赤ちゃんたちに囲まれてお世話をしてあげながら日々を過ごしたいだけでございましたのにぃいいっ!!)
何度も辞めたいとは思ったし、欲望に負けそうになったことも数知れない。
しかし先代の聖王のことを思えば下手な輩にこの地位を譲るわけにはいかない……何より何百年も務めて来てこの仕事に愛着がわいていることもあって、教会が長年にわたって築き上げてきたイメージをぶち壊すことだけはしたくなかったのだ。
(ですけど本当に辛いですわぁ……いい加減に誰か真っ当な人が育って下さると良いのでございますが……どうして誰もかれも欲望に弱いのでございましょうかねぇ……まあ私が言えた話ではないのでございますが……)
教会に次ぐ歴史を誇る冒険者ギルドや魔術師協会、それに最近できた錬金術師連盟という組織もだが何やら不正やら汚職が蔓延っている。
魔法という技術を広めたがために生まれた格差だとか、或いは才能の差に対する不平不満から不貞腐れてそう言う行為に手を染める輩が増えているのだとか何とか……本当かどうかは分からないけれど確かに魔術師協会が魔法を広めてからそう言うのは増えてきている。
だからこそ一部の魔法を資格制にしようとしたり、デウスも色々と対処はしているようだが中々上手く行っていないようだ。
そしてそれは教会も同じであり、そんな土壌も関係しているのかどうしても後を任せるにふさわしい人材が育ってこないのだ。
(はぁ……やはり私はエメラちゃんが羨ましいでございますわぁ……いや、もうエメラ様と呼ばなければなりませんね……)
同じ里に生まれて今では外の社会で白馬新聞社の記者として働いているエメラという子を思い出す。
魔力の才能が無くて里で居場所を見失いかけていたあの子は、時折里を通りがかった際に少しだけ寄るとすぐに私の元へと駆け寄ってきた。
そして私の愚痴なんかををとても嬉しそうに聞いてくれて、外の世界に興味を持って飛び出してきたのだ。
(可愛い妹のように思っていたのでございますが……エルフとしての魔法の才能に頼らず自力であれほどの地位について居場所を確立して……しかも己の欲望を隠すこともなくある程度受け入れてもらえていて……本当に私の方が羨ましいですわぁ……)
未だに私なんかを尊敬していると言ってくれるが、こちらからすればエメラの方がずっと凄くて羨ましいとすら思っている。
そんな後輩が立派に育ちながらも私へ敬意を示してくれている状況には喜びも感じるが、それもまた私が聖女を辞められない理由の一つだったりする。
(もし私が適当な相手に教会のトップの座を押し付けて立ち去ったりしたら……欲望のままに振る舞ったりしたらあの子に失望されてしまう……それに私の記事を書いて、その中で物凄く持ち上げてくれたあの子の顔も潰してしまいますわぁ……だからもっと聖女らしく振る舞わなければ……あぁ……頑張らないと……うぅ……)
尤ももう既にエメラは一流の記者として幾つもの取材を成し遂げて、かなりの成果を上げているから私が何かしでかしたところであの子の立場が危うくなるとは思わない。
既に色んな有力者とも顔合わせしているようだし、それこそ今間違いなくこの大陸で一番強いであろうファリス王国のアリシアとも顔見知りなのだから。
(しかしまさかあの方の子孫にアリシア様のような本物の強者が産まれようとは……それこそアリシア様ならば剣聖の二つ名に恥じないでございましょうに……皮肉と言いましょうか何と言いますか……)
百年ほど前にファリス王国の王家に連なる血筋に生まれながらも、王位継承権が望めぬ立場であった男がその領土に存在する魔物を片っ端から駆逐して人々の生活圏を広めた功績を称えられて剣聖という二つ名と共に公爵の称号を頂いたことは有名な話である。
しかし新しく作られた集落へ魔物よけの祝福を施しに出かけた私は実際に彼の腕を見る機会があったが、はっきり言ってそこまで飛びぬけて優れているわけではなかった。
(あの身のこなしからして冒険者ギルドで言えばCランクか、あるいはギリギリでBランクに成れるかどうか……本当はあの剣が全てでございましたのでしょうねぇ……)
公爵家に伝わる剣、その凄まじい切れ味こそが彼の能力に見合わない剣聖と言う称号にふさわしい活躍をもたらしたのだ。
そう考えれば彼の子孫であるアリシアがその名前に似合った実力の持ち主であることは、私には何とも不思議な縁に思われた。
それでもあえて言うのならば、あの美貌だけは彼譲りだろう……彼は下手な女性より、それこそ私よりも遥かに美しい見た目をしていてまるで芸術品のようですらあったのだから。
(趣味ではないのに私ですらあの方の笑顔を見たら何か複雑な心境になってしまいましたからねぇ……それこそ同性であるはずの男性も見惚れている方がちらほらと……ですがあの剣を作ったお方は、まるで従者のように彼と行動を共にしておりましたが平然としておりましたけれど……)
あの剣を作ったお方は平民の出自だからだろうか、剣聖の伝承にもほとんど話が残っていない。
私も殆ど話す機会もなかったけれど、どうもその先祖はどこかの国に伝わる伝説の鎧を作り上げたこともあるらしいと聞いている。
(あの方は新しい物を作りだす才能に長けておりましたねぇ……或いは魔力があれば新しい魔法なども作り上げていたのかもしれませんが……子孫の方にもその才能が伝わっていれば是非ともスカウトしたいところなのですが……)
剣聖とたたえられた男はその地位にふさわしい妻を娶った時期を前後して公爵家としての活動にいそしむようになった。
果たしてそれが理由なのか、あれほど共に居た剣の作り手とはそれきり疎遠になったようだ。
そして剣の作り手は平民だったこともあり、もはや行方も知れなくなってしまった。
おかげでどうにも勧誘も何も出来ないでいたのだが、最近になってアリシアには剣聖である先祖が約束した婚約者がいるという話を耳にした。
(もしそのお方がかつてのあの剣の作り手であるお方の子孫であるのならば……そして魔法の才能があるのならば是非とも魔術師協会に所属して魔法の研究をしていただきたいものです……或いは錬金術師連盟で武具の制作を学んでも間違いなく大成するでしょう……その上で教会に所属して私の後を継いでくだされば理想的なのですが……なにせあのお堅いアリシア様が自分には過ぎた人間だと断言しているぐらいですから人格者でもあるのでございましょうし……尤もそのアリシア様が名前を教えて下さらないから困ったものでございます……)
顔を合わせるたびに二言目には婚約者の話題を持ち出すアリシアだが、何度聞いても名前を教えて下さらないのだ。
その際に自分より大きい私の胸部を睨みつけているように見えるのは間違いではないだろう……全く嫉妬深いお方だ。
(いっその事、私の好みが子供だと主張すれば……そんな真似できるわけないのでございますが……はぁ……)
尤もあの惚れっぷりからすると、いずれ間違いなく婚約者であるその男は公爵家に婿入りする形で表舞台に出てくるだろう。
ならばそれまで待ってから判断しても遅くはないだろう。
(もう既に百年近くこの立場で我慢しておりますもの……あと数年ぐらい大した差では……うぅ……早く一介の職員になって孤児院を経営して子供たちに囲まれる日々を過ごしたいものでございますわぁ……うぅ……)
そして私は今日もまた心の中で涙を流しながら、日が暮れるまで聖女らしい態度を取り続け教会のトップとしての仕事に勤しむのであった。
「あ、あの……お、お姉さん……お、お姉さんがせ、聖女……様……?」
「っ!?」
そこへ私の元へとやってきたのは、見るからに疲れ果てくたびれた格好をした……難民にしか見えない幼子だった。
一瞬で心を奪われた私は即座にその子の傍へと駆け寄り、回復魔法を掛けまくりながら優しく声をかけた。
「ど、どういたしましたかっ!? その恰好はっ!? 誰か食事をお持ちくださいませっ!!」
「せ、聖女様っ!? そのようなお仕事は我々が……それにこの者は一体どこから?」
「そのような些細な疑問は後回しでございますわっ!! 今はこの子の保護を優先して……っ!?」
保護者も居ない状態で職員の手引きも無く突然教会の中に現れた少女に訝しむ声を上げる教会の人間の言葉を無視して、私は可愛らしい幼子の身体を癒しながら全身を観察する。
(こ、こ、こんな可愛い子供が苦しんでるのに放置なんかできませんわぁあああっ!! ああっ!! この折れそうな腕と言い服の隙間から見えている脇腹に浮かぶ骨と言い……今すぐ保護してキレイキレイしてチュッチュしてあげなければぁああっ!! はっ!? だ、駄目ですわ後半は我慢ですわ……うぐぐ……っ!!)
必死で欲望と戦いながら回復魔法をかけ続ける私に、少女はギュっと服を握り締めながら涙を湛えた上目づかいで尋ねてくる。
「た、助けてくれるの? な、ならあっちに私の友達が沢山……お、お願い……」
「も、もちろんでございますわっ!! 今すぐ向かいましょうっ!!」
「せ、聖女様っ!? ど、どちらへっ!?」
一瞬でハートを撃ち抜かれた私は、即座に頷くと魅惑的な少女を抱きかかえて彼女の指し示す方向へ向かって全力で走り出すのだった。
「あ、ありがとう……ふふ、流石聖女様ぁ……お人好し……偽善者め……っ」
「はぁはぁはぁっ!! い、今何かっ!? ああ、そ、それよりもそちらに居るお友達は貴方と同じぐらいの年齢でございますかぁっ!?」
「えっ!? い、いやそ、そんなの関係無……」
「関係無くても私には関係ありまくりでございますわぁああああっ!! 子供を守るのは私の指名でございますからぁあああっ!! はっ!? そ、それが大人であり聖女である私の役目なのでございますわぁっ!!」
「あ……そ、そう……え、えっと……お、同い年……かなぁ……?」
「ひゃぁあああああっ!! それは一大事でございますわぁあああっ!! 待っててねぇっ!! 今私が助けて差し上げますわぁあああっ!! はぁはぁはぁっ!!」