ファリス王国領内にて④
「ひゃぁああああっ!! そこの人逃げてぇえええええっ!!」
「?」
ようやく国境近くまで来たところで、向こう側から涙目の少女が叫び声を上げながら駆け寄ってきている。
「シャァアアアアっ!!」
「……竜頭蛇?」
その後ろからは手足がない細長い身体に翼をはやした凶悪な形相をした魔物が追いかけてきている。
確かドラゴンの亜種だかなりそこないだとかで、口から吐く毒液が強力なこれまた有名な魔物だった。
本物のドラゴンよりは弱いけれど、それよりは小さい身体を活かしていろんな場所に住み着いては通りがかる旅人やら軍隊やらに壊滅的な被害を与えるらしい。
(襲われてるのかな? 助けたほうが良いのかな?)
「……あの」
「何してるのぉおおおっ!! 早く逃げなきゃ駄目でしょぉおおおっ!!」
「うおぉっ!?」
少女に声をかけようとしたところで、すれ違いざまに腕を取られてそのまま引っ張られてしまう。
無理やり踏ん張っても良かったけれど、そんなことをしたらこの少女が転んでしまいそうだ。
仕方なく少女の速度に合わせて後ろに飛び退ることにする。
「え、ええと……これは何がどうなって……」
「見ればわかるでしょぉおおおおっ!! ああもぉっ!! この魔物どこまでついてくるのぉっ!? 早くあっち行ってよぉおおおっ!!」
「シャァアアアっ!!」
訳も分からないまま、しかも片腕を取られているから身体の向きを変えることもできず魔物と向かいながら必死に少女に付いて行こうと後ろに飛び続ける。
(け、結構きついぞこれっ!? しかも竜頭蛇がさっきから毒を吹きかけようと口を開いて……ま、不味いっ!?)
その前に駆け寄って切り捨ててやりたいが、この状態では剣を抜くことができない。
アリシアから貰った剣の切れ味なしでこの強敵と言われている魔物に勝てる気はしなかった。
「あ、あの……手を離していただけ……」
「駄目駄目駄目ぇええっ!! こんな状況で格好つけないのぉおおっ!! あんな魔物に勝てるわけないんだからとにかく逃げるのぉおっ!!」
「シャァアアアアっ!!」
走り続けながらもぶんぶんと首を横に振る少女、初対面だが彼女の目からしても俺は頼りないようだ。
尤もそれは事実だ、これまでの人生の大半の時間を使ってなおろくに成果を出せなかった男なのだから。
仕方なく彼女の動きに合わせて後ろに飛び退りながら、せめてもの抵抗として魔法の詠唱を始める。
「我が魔力よ、風の防壁となりて敵の攻撃を防ぎたまえ……バリアウインド」
「シャァアアアアっ!!」
「ひゃぁああ……えぇっ!?」
俺たちの身体を風の防壁が包み込むのと、竜頭蛇が口から毒霧のブレスを吐き出すのはほぼ同時だった。
おかげでギリギリのところで、毒霧はこちらに届く前に四方へと散らされていく。
振り返りながらその光景を見ていた少女は、悲鳴を止めて驚いたような表情になる。
「ふぅ……大丈夫でしたか?」
「う、うん……というか君魔法使えるのっ!?」
「ええ、まあ一通りは……」
少しでもアリシアに並び立ちたかったから、図書館で確認できた魔法は全て習得済みだ。
尤もその威力はアリシアには到底及ばないものだったが……そんなことを知る由もない少女は俺の言葉を聞いて顔を輝かせた。
「じゃああいつの動きを遅くするやつも使えるっ!? もしくは僕たちの動きを早くするのとかっ!?」
「は、はい……どちらも使えますが……」
「じゃあやってっ!! 今すぐやってっ!! 早く早く早く早くぅうううううっ!!」
「シャァアアアっ!!」
毒霧を蹴散らされたことでムキになったのか、飛翔している魔物の速度が上がりこちらへと肉薄してくる。
恐らくは直接噛みついて毒を流し込むつもりなのだろう。
「わ、わかりました……我が魔力よ、自然の風の性質を変じさせ敵の身を拘束せよ……スロウ」
「シャァァァ……っ!?」
手の平から流れ出した魔力が大気に触れると同時にその性質を変じさせ、敵の身体に粘着質の糸のごとく絡みついていく。
そのためはっきりと敵の動きが鈍り、だんだんと距離が開いていく。
(同じ魔法でもアリシアなら無詠唱で完全に敵の動きを封じれるんだよなぁ……はぁ……情けない……)
「我が魔力よ、我らの身を包む風となりて進行の助けとなれ……ヘイスト」
「おおぉ……おぉおおおおおおおっ!?」
更にこちらへと身が軽くなり一歩ごとの進みが加速する魔法をかけると、少女は何やら感動したような声を洩らした。
当然その間も走る速度を緩めようともしないため、魔物はどんどん置いて行かれて遠くに離れていく。
「す、すっごぉおおおいっ!! なにこの速さっ!? 君ってひょっとして凄い魔法使いさんなのっ!?」
「……はは、大げさですよ」
少女の大げさすぎる言葉に、思わず自嘲気味に笑ってしまう俺。
(命の危機を救われたからって喜びすぎだよ……こんな程度の魔法で……実技試験を途中で打ち切られる程度の呪文なのに……)
「大げさなんかじゃないよぉっ!! ほら見てよ、僕たち助かったんだよっ!? あんなおっかない魔物から逃げきれたんだよっ!! それだけで十分凄いよっ!!」
魔物の姿が完全に見えなくなり、ようやく安全だと判断した少女は脚を止めるとこちらに向き直り何度も大げさに褒めたたえてくれる
「……あれぐらいなら魔法を使える方なら多分誰でもできますよ、それにアリ……俺の知っている人なら同じ魔法でももっと凄く……」
「もぉそんなのかんけーないよぉっ!! とにかくありがとうっ!! 助かっちゃったよっ!!」
俺の言葉を遮り、少女は笑顔でこちらの手を取るとぶんぶんと上下に思いっきり振るってくる。
その反応に少し困惑してしまう……他人から笑顔を向けられるなどいつ以来だろうか。
(変な人だ……ひょっとして俺のことを知らないのかな?)
「はぁぁ……あ、自己紹介が遅れちゃったね……僕はアイダ……これでも一部ではゆーめいなぼーけんしゃなんだぞっ!!」
「冒険者……ですか?」
自慢げに叫んだ少女の発言に思わず尋ね返してしまう。
(冒険者……確か未開の危険な地帯の探索・開拓を進める者に与えられる称号だか職業名だったよな……だけどこんな少女が?)
目の前にいる少女は黒い髪を動きやすいように短く切りそろえてあるけれど、俺の胸元ぐらいまでしか身長がない上に身体つきも華奢で胸も薄……全体的に幼い印象が強い。
下手したら十六歳未満の未成年なのではないだろうかとすら思ってしまうほどで、こんな子がそんな危険な職業をこなせるとはとても思えない。
「そうだよっ!! びっくりしたっ!? ほらこれがしょーこだよっ!!」
そう言って少女は着込んでいる何かの魔物の皮でできた鎧の隙間から、一枚のカードを取り出して見せた。
確認してみるとそこには確かに冒険者ギルト認定という印鑑と、アイダという少女の名前と似顔絵が刻み込まれている。
「……このカードが証明なのですか?」
「えっ!? 君知らないのっ!? こんなところ歩いてるからてっきり冒険者だと思ったのにぃ……というかじゃあ何でこんな危険なところにいたの?」
「ええまあ……色々ありまして……」
「色々って……まさか街を追い出されちゃったとか……?」
「っ!?」
少女が恐らく適当に口にした言葉が余りにもピンポイント過ぎて、思わず動揺してしまう。
そんな俺を見て、アイダは何やら呆れたような顔をしてため息をついた。
「あっちゃぁ……まさか図星だなんて……何かやらかしちゃったんでしょ君……ええと、名前は?」
「……レイド、です」
次いで尋ねられた言葉に少し置いてから、素直に答える。
途端に少女の顔に侮蔑が浮か……ばない。
「へぇ、レイドかぁ……それでレイドは何しちゃったの?」
「……俺のこと知らないんですか?」
「うん……あれあれぇ、レイドってそんなすごい事しでかしちゃったの?」
「…………」
何と返事をしていいかわからず、俺は無言でアイダという少女を見つめる。
(俺のことを知らない……顔はともかく名前はこの王国領内に知れ渡っているはずなのに……まさかこの子、違う国から来たのか?)
「おーい、レイドぉ? どしたの? まさかこれも図星なのぉ?」
「……それよりも、アイダさんはひょっとしてこの国の人間じゃないんですか?」
「うん、僕は隣のルルク王国にあるぼーけんしゃギルドに所属してるからね……」
こちらの言葉を肯定したアイダを見て、ようやく俺はこの少女の態度が腑に落ちた気がした。
(流石に隣の王国までは俺の悪名は広がってなかったのか……道理で俺なんかに笑いかけてくれるわけだよ……こんな無能に……)
「それよりレイドだよ、こんなすごい魔法使えるゆーしゅぅな人材なのに一体何をしたら街を追い出されちゃうのさぁ?」
「……この程度大したことはありませんよ……追放されたのも俺があんまりにも恥知らずな無能だからですよ……」
「えぇ……何それぇ……わけわかんないよ……」
まさか正直に好きな女の子に嫌われて居場所を無くしましたなどとは言えず、ぼかして伝えたつもりだったがアイダは納得してくれなかった。
「いえ、事実ですよ……それよりもアイダさんこそどうしてこんな危険な場所に?」
「それはクエスト……ええと依頼って言ったほうが分かりやすいかな? とにかくお仕事でちょっと探し物をしてたらさっきの奴に見つかって……必死に逃げ回ってたらレイドに出会ったんだよ」
「そうだったんですか……冒険者ギルドというのはお仕事も斡旋してくださるんですか?」
「まあね……ぼーけんしゃとは言っても実情は何でも屋みたいなもんだし……それに他所から流れてきた人みたいな信頼とか信用置けない人を管理するような場所でもあるわけだし……そうだっ!! レイドも行くところないんならうちの冒険者ギルドに入らないっ!?」
「え?」
急にアイダは良い事を思いついたとばかりに手を打つと、笑顔で俺の手を引っ張り始めた。
「街から追い出されてこんなところにいるってことは行くところないんでしょ? ぼーけんしゃギルドに登録すればさいてーげんの身分保障はされるし危険で安いけどお仕事だってできるよっ!! どうレイドっ!?」
「……しかし俺は……俺なんかに何かできることってありますか?」
地元では無能で役立たずと呼ばれていた俺に、今更何かできることがあるとは思えない。
だけどそんな俺に、アイダはやっぱり笑顔を向けてくれるのだ。
「出来るよっ!! だってレイドは魔法使えちゃうんでしょっ!! それに僕だって助けてくれたじゃんっ!! ならきっと大丈夫だよっ!!」
「…………」
「それにレイドが付いて来てくれたら僕もすっごく心強いし……帰り道にまた魔物に会ってもレイドが居れば逃げられるもんっ!! ねぇいいでしょレイドぉっ!!」
少女の言葉に少しだけ何と返事をするべきか悩む。
(確かにどうせ他に行くところなんかない……それどころか生きる目的だって……なら、こうして俺の手を引いてくれる人に……今だけでも俺なんかを必要としてくれる人に付いて行ってもいいんじゃないか?)
改めて目の前の少女を見た……俺なんかに笑顔を向けてくれる子。
「……わかりました、喜んで同行させていただきます」
「ほ、本当っ!? やったぁっ!! よろしくねレイドっ!!」
俺の手を取って、本当に嬉しそうに飛び跳ねるアイダ……その子供っぽい仕草を見ていたら何やら可笑しくなって俺は久しぶりに少しだけ笑ってしまうのだった。
「ふふ……道中よろしく願いします」
「うん、こっちこそよろしくねっ!! また魔物が出たらあのびゅぅって魔法でさっさと逃げきろうねっ!!」
「……何でしたら倒しても良いのですが」
「またそんな大口叩くぅ……あのねぇ、ぼーけんしゃの先輩として言わせてもらうけど長生きしたかったら無理も背伸びも厳禁なんだからねっ!!」