レイドと世界に迫る危機④
部屋に入るとベッドの上で上体を起こしていたアリシアがすぐに俺に気付いた。
質素な布の服に身を包んだアリシアは、顔を真っ赤に火照らせながらもまっすぐ俺を見つめてくる。
(あ、アリシアがこんな格好をするなんて……豪華な衣装を着てたときは威厳を感じたのに、弱々しさと合わせて本当に別人見たいだ……それにあんなに顔を赤くして……服が薄っぺらいから身体の線が良く分か……っ!?)
アリシアの姿が余りにも新鮮でついつい上から下まで眺めて……薄い衣服のせいで妙に強調されて見えるスタイルに思わず先ほどの光景を思いだしそうになり慌てて頭を振って思考を紛らわせた。
「……っ」
『レイド大丈夫?』
「あ、ああ……大丈夫だ……そ、それとさっきはノックもしないで入って悪い……じゃ、じゃなくてすみません」
そんな俺の内心に気付くことなく心配そうにこちらを窺うアリシアに、とりあえず頭を下げる。
散歩して少しは頭が冷えていることと……皮肉にもアリシアの着替えを覗いてしまい気勢を削がれたせいで何とか普通に対応できそうだった。
『急だったから驚いただけ 気にしないで それにレイドになら見られても嫌じゃないから』
「っ!?」
だけどアリシアの返事を見たら、今度は違う意味で落ち着きがなくなってくる。
(な、なにを言って……いや書いてるのか……じゃ、じゃなくてそれってどういう……ああ、落ち着け俺っ!! こんなことで取り乱してどうするっ!?)
アリシアから視線を逸らし、何度か深呼吸して気持ちを落ち着かせることに専念する。
「……?」
『レイド?』
「な、何でもない大丈夫だ……ふぅ……」
不思議そうに小首をかしげるアリシアに、何とか返事をしながら息を整えると改めて彼女と向き合って椅子に座る。
「……」
「……」
しかし途端に何を行って良いか分からなくなる。
アリシアも同じなようで、お互いに相手の顔を見ては手元に視線を落とすことを繰り返す。
(何してんだ俺……これじゃあ何も変わらないだろ……アイダ先輩が言ってたじゃないか、ちゃんと話し合えって……見栄を張るのも何もなしに素の自分を曝け出して……言いたいことを言って……思った事……アリシアに感じていたこと……何でもいい、取り繕う必要もない……支離滅裂でもいいからとにかく話そう……)
「……なあアリシア」
『レイ……なあに?』
そう思って顔を上げて口を開いたところ、ちょうどアリシアも何か書き始めていたところだった。
それでも俺の言葉を聞くと、ササっと文字を消してこちらを見つめながら尋ねてくる。
「い、いやアリシアからでいいよ……俺はまだその考えがまとまってないから……」
『私は大したことじゃないから レイドの話 聞きたい』
「そ、そうか……じゃあ、聞くけど……アリシアは俺を追いかけてきた、のか?」
まずそこをはっきりさせようと尋ねると、アリシアはゆっくりと頭を縦に振って見せた。
『そう レイドに謝りたかったから ごめんなさいレイド』
「あ、謝るって……だからアリシアは何を謝りたいんだ?」
『全て 私が馬鹿だったから レイドを沢山苦しめた 全部謝りたい ごめんなさい』
「っ!?」
再びアリシアの顔が悲しみに染まり瞳に涙を貯めながら見せてきた返事に動揺を隠せない俺。
そんな俺の前でアリシアはさらに文字を書き進めていく。
『レイドは頑張ってたのに あんなにまっすぐ好きだって言ってくれて私の努力を見て褒めてくれていたのに 忙しい仲でも時間を作って会いに来てくれてたのに 私はそんなレイドに甘えるばかりで、一度も素直に好意を現すこともなく それどころか自分が不安だからって試験に落ちて落ち込んでるレイドにあんな酷い言葉をかけて ごめんなさいレイド 私本当に馬鹿な女でした』
後半は涙を零して紙を濡らしながら、それで最後まで書ききったアリシア。
アイダの言う通り、その姿は嘘をついているようにはまるで見えなかった。
何よりもそんな痛々しいアリシアの姿を見ていたら、胸の奥から訳の分からない感情が込み上げてくるのを感じた。
「……何で急に……そんなこと……」
『貴方が婚約解消したって聞いて信じられなくて 探しているうちにレイドがどれだけ私の為に頑張ってたか分かったの だから謝らないとって思って 本当に今更だけどごめんなさいレイド 信じてもらえないと思うけど私は貴方こと 愛してるの』
「っ!?」
アリシアの書いた言葉から逃げるように、思わず目元を手で抑え込んでしまう。
(なんだよそれ……もしそれが本当なら俺は……俺は何をしてたんだ……?)
アリシアに対して抱いていた不満や苛立ち、その原因への謝罪を受けてまた欲しかった愛の言葉を文字の上でだがかけて貰えて正直嬉しいと思ってしまう気持ちもある。
だけどそれ以上に、今更何でという戸惑いと……そんな彼女の想いを踏みにじる様に婚約を解消して逃げ出した自分への怒りが込み上げてくる。
「……第二王子との婚約って話は……」
『勝手に両親が進めてたみたい だからレイドが居なくなった日に王宮へ呼び出されたけど抜け出してここに来たの だから多分破談になってる なってなくてもはっきり断るから』
「そうか……」
ぼそっと呟いた俺の質問にも丁寧に答えるアリシアに、余計に何と言っていいか分からなくなる。
(やっぱり誤解だったのか……いや俺が勝手にそう思い込んでただけか……そうしてアリシアを怨んで喚き散らして……本当に情けないな俺……)
『そう だけどレイドが戻らないなら私もずっとここにいるから 貴方の傍に居たいの 居させてほしいの お願いレイド こんなにも愚かで貴方を傷つけた私だから今更婚約者面するつもりはないの だけどせめて貴方の傍に居させてください』
「な、何言って……アリシアは公爵家の人間としてお前を慕うファリス王国の領民を守る義務と責任が……」
『もうどうでもいい レイドを傷つけるような人たちのために働く気になれないから』
「っ!?」
アリシアの主張にもう何度目になるか分からない衝撃を受けるが、今回のは特に強く胸に響いた。
俺の知っている高潔なアリシアならばこんなことは言わなかっただろう。
領民の為に尽くしたいと力強い眼差しで語っていたアリシア……そんな立派な彼女だからこそ誇らしくて尊敬出来て、憧れていた。
だからこそ俺もそんなアリシアに相応しい存在になりたくて……少しでも負担にならないよう、力に成ろうと思って必死に努力してきたのだ。
(あのアリシアが……俺のせいで変わって……俺が逃げたから……あぁっ!?)
かつて愛していた女性が別人のような変貌を遂げていたかと思えば、その全てが自分に原因があると分かり凄まじい絶望感を覚える。
綺麗な金髪が今では白髪と化して、強く先を見据えていた眼差しは今では俺を縋るように見つめるばかり。
そして俺の為に魔物の群れを追い払いながらも、俺の傍に居たいと声すら失いながらも健気に告げるか弱い少女のようなアリシア。
何もかもが痛々しくて、だけどそれが全て自分のせいなのだと思うと眩暈がして身体がふらつく。
「っ!?」
「……アリ……シア……」
椅子から崩れ落ちかけた俺にアリシアは手を伸ばし、必死に抱き留めてくれる。
だけど俺には彼女の腕に抱かれる資格も無いと思う……だから何とか振り解こうとしたけれどアリシアはそれ以上の力で抑え込んでくる。
「……離れて、アリシア」
「っ!?」
俺の言葉に全力で首を横に振るアリシア……そしてもう二度と離さないとばかりにより力強く俺を抱きしめるのだった。
結局この夜は、それ以上話が進むことはなかった。
*****
「ほほぅ、言語障害ねぇ……」
「な、何とかならない?」
「……精神的な問題は流石に無理……多分教会でも同じ……」
朝になり、宿の一階に皆が集まってきたところで早速アリシアの症状をマキナとマナに見てもらうがやはり結果は思わしくなかった。
「けどそれはヤバくねぇか? 言葉が喋れないってことは魔法も使えないんだろ?」
「使えないことはない……だけどかなり慎重にしないと暴発して大変なことになる……まあアリシアなら大丈夫だと思う……」
「ぼ、暴発って何なのぉ?」
「魔法が完全に発動する前に何かしらの原因で止められると、使うために練り上げた魔力が体内で暴走してダメージを受けるんですよ……だからアイダ先輩も気を付けてくださいね」
アイダに軽く説明しながらもアリシアから距離を取ろうとする俺。
しかしアイダが俺とアリシアの服を握っているため、そうそう離れることが出来ない。
「そ、そぉなんだぁ……うぅ……おっかないなぁ……」
「大丈夫……アイダの魔力は弱いから暴発しても大したことない……チクッとする程度……」
「へぇ……じゃあ逆にあんたらの魔法は暴発したらヤバいってことか?」
「使う魔法の種類にもよるけど……攻撃魔法が暴発したら大変……だからこそ魔法は魔術師協会が厳重に管理する必要が……」
「今はそんな宣伝している場合ではないだろう……それに今大事なのは魔法の云々ではなくアリシア殿が声を出せないことと、ドーガ帝国への調査団をどうするかだと思うのだがねぇ」
マキナの言葉に皆が神妙な顔をする中で、アリシアだけがどこか居心地悪そうに俺を見つめていた。
そんな彼女の視線に耐えかねてそっと顔を背ける俺に対して、アイダが進んで話しかける。
「そ、そうだよねアリシアさんは知らないよね……実はね魔獣に関してだけどね……」
「……」
アイダの説明を受けたアリシアは、大体の事情を呑み込んだところで紙に文字を走らせる。
『大体理解した レイドが狙われているのは確実 放っておけない 私が一人で行くのが一番安全だと思う』
「ふむ、まあ実際に何十匹もの魔獣と魔物を単独で討ち果たしているアリシア殿だ……戦闘面のみを考えれば正しい判断だろうねぇ……だけれども私たちの推測が正しければ、この事件には人類が絡んでいる可能性が高いのだ……罠が張られているかもしれないし、そもそも調査には聞き込みなども必要になる……その為には声を出せないアリシア殿を一人で行かせるわけにはいかないのだよ」
「そ、そうですよねマキナ先生っ!! 今回の目的は魔獣退治じゃなくて魔獣暴走事件の情報を集めるのが目的ですもんねっ!!」
「その通りだフローラ殿……そして先生は止めてくれないかな」
助手として働き出したフローラの言葉に、少し恥ずかしそうにしながら首を振るマキナ。
「むぅ……レイド……アイダ……トルテにミーア……私のことは先生って呼んでいいから……」
「貼り合おうとしないでくださいよマナさん……それよりも調査ですけど、じゃあやっぱり俺と……アリシアで……その……」
「できればそうしてもらいたいが、心情的に厳しいのならばマナ殿がレイド殿の代わりに行っても良いと思う……何が起こるか分からないのだから不安要素は排除しておきたいからね」
「いえ……別に嫌とかではないのですが……」
チラッとアリシアの方を見ると、彼女は俺に申し訳なさそうな眼差しを向けている。
アリシアがそんな顔をしていることにやっぱり慣れなくて、居たたまれなさを感じた俺は顔を背けてしまう。
(本当に情けないなぁ俺は……全然向き合えてない……すぐ逃げて……駄目すぎる……そりゃあアリシアに釣り合わないって言われるわけだよ……)
アリシアの本心を聞いて、あの時の誤解が解けた今なお俺は彼女とどう接していいか分からないでいる。
嫌悪感こそなくなって苛立つことは少なくなったし、多分話そうと思えば普通に話すことも出来ると思う。
だけどまだまだ胸のつかえは完全に取れていない……何よりかつてとまるで違う彼女の姿を見ているとやっぱり胸が痛んで仕方がない。
(やっぱりショックだよなぁ……俺の好きだったアリシアがこんなにも弱々しくなって……何よりもあの顔を見せて……あの顔ってなんだっけ?)
『レイド無理しないで 私一人で何とかするから 貴方の役に立ちたいの 任せて』
「……いや、俺も行きますよ……うん……こんな事態なんですから、全力で立ち向かいましょう」
アリシアの書いた言葉にあえて首を振って見せる。
実際に世界中が魔獣の脅威に襲われていて、また俺を受け入れてくれた町が狙われている現状に変わりはないのだ。
ならば俺が個人的な思惑から我儘を言って調査を遅らせたり、滞ることがあってはならない。
「……本当に大丈夫かい? ちゃんと話し合い相談し合って行動しないと大変だぞ?」
「ええ……わかってますから……何とかしますよ……」
「うぅん……心配だなぁ……ねぇアリシアさんは物凄く強いんだよね?」
心配そうに呟いたアイダだが、不意に何かを思いついたようにアリシアへと問いかけた。
『質問の意図が分からないけれど 魔獣の強さに変わりがないなら敵ではない』
「じゃあその……あ、足手まといというか重りを……というか僕を背負ってても平気……だよね?」
『それは 問題ないと思うけれど アイダさん?』
「えっ!? あ、アイダ先輩っ!?」
アイダの言葉に皆が注目する中で、彼女はどこか恥ずかしそうにしながらも俺とアリシアを交互に見ながらはっきりと宣言するのだった。
「うん、僕もついていくよっ!! それでアリシアさんの代わりに声掛けするからさっ!! いいでしょレイドっ!! アリシアっ!!」