昇格試験と世界に忍び寄る黒い影⑨
「……ド? レイドぉ……しっかりしてよぉ……」
「あれぇ……アイダしぇんぱぁい? ここどこですかぁ……?」
「宿屋のレイドの部屋ぁ……もぉ、こんなに記憶が飛ぶまで酔っぱらっちゃうなんてぇ……幾らミーアとフローラにあんな風に接待されたからって飲み過ぎだよぉ」
(あんな風……何だろう、全く思い出せない……うぅ……あ、頭が痛い……)
ろくに頭が回らない俺を見てアイダはため息をつきながら、そっと俺をベッドへと横たえてくれた。
何やらフワフワとした浮遊感にも似た感覚に全身が包まれていて、頭痛と吐き気さえなければ夢見心地のような気分に成れただろう。
「しゅ、すみましぇぇん……連れてきてもらったみたいで……ウェェ……」
「ああ、ほらほら背中摩ってあげるから……何なら少し戻しちゃう?」
「うぷっ……い、いいえぇ……らいじょーぶですよぉ……」
「そぉ? ならいーけど……」
そう言ってアイダはベッドに腰を掛けるとうつ伏せでベッドに倒れている俺の背中を優しく撫でてくれる。
酔っぱらった身体にそれは妙に気持ちよく感じて、このまま目を閉じたらぐっすり眠れそうな気がした。
「……ありがとうね、レイド……さっきの言葉……凄く嬉しかったよ」
「うぅぅ……ふぇぇ? お、おれなにかいーましたっけぇ?」
「うん、言ってくれたよ……居なくならないって……傍に居てくれるって……本当に嬉しかった……」
俺の背中を撫で続けながらアイダは儚く微笑んでから言葉を続ける。
「僕、もう家族も故郷も何にも残ってないから……皆、僕を置いて……逝っちゃったから……」
「あ、アイダ先輩……?」
「一人ですっごく寂しくて……いっその事みんなの後を追いたいって思ったりしちゃったぐらいで……だからもう置いて行かれるの嫌なんだぁ……」
「……そう、でしたか」
お酒のせいで頭が回らないせいで……いやそうでなくとも何と言っていいか分からなかっただろう。
だから俺は相槌を打つことしかできなかった。
「うん、そうなの……それでレイドが魔物に挑もうとしても過剰に心配して引き留めちゃって……レイドは強かったのに……ごめんね僕の我儘で振り回しちゃって……」
「……いえ、気にしてませんよ」
「そっか……だけど初めて出会った時、びっくりしちゃったよ……あんなところを虚ろな表情でフラフラ歩いてて……魔物を見ても反応鈍いし……まるで……何もかも失ったばっかりの自分を見てるみたいだった……だから放っておけなくてギルドまで連れて来ちゃって……嫌じゃなかった?」
「いいえ、むしろ……本当に助かりました……あのままだったら俺は……こんな素敵な場所に連れてきてもらえなかったら……今頃……」
そこまで言ったところで言葉に詰まってしまう……もしもあの時間に出会えなかったら俺はあのまま行く当てもなくくたばるまで未開拓地帯をウロウロと徘徊していただろう。
「……ふふ、あんなオンボロなぼーけんしゃギルドを素敵だっていうのはレイドぐらいだよ」
「いえ、本当に……あんな風に優しく受け入れてもらえたの初めてでしたから……物凄く、救われました……」
「なら良かったけど……ねぇレイド……レイドはどうして街を追い出されちゃったの?」
「…………」
アイダの言葉に何と返事をするべきか迷う。
自分の事情を聞かせてくれたアイダには、素直に応えるべきなのかもしれない。
だけど生まれ故郷と家族を失って流れてきた間に対して、俺はたかが失恋であんな風に落ち込んでいたのだというのは何か恥ずかしいと思ってしまう。
そんな俺の迷いを見て取ったのか、アイダはやはり微笑みながら今度は頭を撫でてくれる。
「よしよし……言いたくなかったら言わなくても良いけど……ちゃんと吐き出したほうがすっきりするよ?」
「…………」
「それに僕も、ほら酔っぱらってるから……今何を聞いても多分明日には忘れてるからさ……だから……」
気遣うように呟くアイダ、それを聞いてようやく俺はアイダが俺を酔わせようとしていた理由を悟ったような気がする。
(そうか、お酒で酔ってるからって言い訳で……苦しい思いを吐き出していいって言ってくれてるの……かな?)
もしもくだらない理由だったり、言いずらい内容だったりしたときに酔っていて覚えてないという名目で心に仕舞っておいてくれるのだろう。
何より俺自身もお酒で酔っていて思考が余り定まらない……アリシアへの想いが溢れて仕方がなかった。
だから、俺はゆっくりと……思っていることを口にし始めた。
「アリシア……アリシアに振られたんです」
「え?」
「愛していたんですよ、アリシアを……俺は本当に愛して……あの子に嫌われたくなくて……一度だけでいいから好きだって言ってもらいたくて俺は……ずっと努力して……だけど……」
「レイド……」
何か言いたげなアイダだったけれど、結局は何も言わずに黙って聞いていてくれた。
そんな彼女の前で、俺は情けなくも涙を流しながら頭の中に思い浮かんだ内容を口にし続けた。
「アリシアは美しくて男の俺よりずっと強くて格好良くて……アリシアは気高く誇り高くて常に精進し続けていて……俺はそんな彼女が誇らしくて……憧れてて……傍に近づきたくて……だけど駄目だったんだ……俺は彼女の、枷にしかなっていなかった……」
「……そっか」
「本当に好きだったんだ……アリシア、君を愛していた……今も愛してる……だけど彼女は俺を見てはいなかった……多分、嫌われていたんだ……」
出会ったばかりの頃を思い出す、あの頃のアリシアは固い笑顔ばかり浮かべていた。
それでも俺がしつこく誘ううちに、だんだんと素敵な笑顔を見せてくれるようになった。
だから余計に俺はアリシアを愛してしまい、もっともっと彼女を誘うようになった。
だけどあれさえも迷惑だったのだろうか……今思えば婚約者への義理立てで、アリシアは無理して笑っていたような気がする。
「一時は心が通じ合ってると思った……目と目が合うだけで、何でも分かり合えてると思ってた……だけど……彼女は……いつまでたっても何の成果も出せなかった俺を……み、見下して……」
『……もういい、お前を信じた私が愚かだった』
何より別れ際に放たれた最後の言葉は、未だに俺の胸に突き刺さっている。
あの時の冷たい目を思い出すと、心臓が凍り付いてしまいそうになる。
「お、俺はまだアリシアを愛してた……だ、だけど俺があの街に居たらアリシアに迷惑が……そ、それにもう俺は……あ、あんな目で見られるのに耐えられなくて……だ、だからあの街から逃げ出して……あぁ……アリシアぁ……うぅ……っ」
言葉に出すと一層胸を突く痛みが増して、目の前が滲んできてしまう。
だけど同時に俺は理解してしまう……最近アリシアのことを全く思い出さなかった理由について。
(そうだ、俺はアリシアの存在が……あの時のことがトラウマに……だから無意識のうちに考えないようにして……いやそれだけじゃない、あの時はアリシアだけが全てだった……だけど今は……)
「……」
情けなくも涙が零れてきた俺を見ても、アイダは何も言わず黙って優しく頭を撫で続けてくれる。
俺なんかの傍に居て微笑んでくれる少女……彼女だけじゃない、ギルドにも信頼できる仲間がいる。
(こんな居心地のいい場所に居たら……あんな苦しい日々を忘れたくなっても無理ないよな……アリシアのことも……)
アイダの手付きは本当に気持ちよく感じて、俺は涙を零しながら自然と瞳を閉じて眠りに落ちていくのだった。
(まだまだ吹っ切れないけど、もうアリシアのことを考えるのは止めよう……どうせ二度と会えないんだから……考えて辛くなるより、前を向いて笑っていたほうがいいに決まってる……アイダ先輩や他のみんなを見習って……過去を乗り越えないと……ああ、いい気持……ち……)