昇格試験と世界に忍び寄る黒い影⑥
「なあ、ひょっとしたらレイドならそのバケモンに勝てるんじゃねぇか?」
「ミーアさん、そんな過剰に持ち上げないでくださいよ……正規兵の方々が敵わなかった相手に剣の性能に頼りきりの俺が勝てるわけないじゃないですか……」
「そんなに凄いのかその剣……ただのロングソードにしか見えねぇけど……」
「……ええ、本当に凄いんですよ」
トルテの指摘通り、俺の持っている剣は柄尻に小さな紋章が刻まれている以外は何の変哲もないロングソードにしか見えない。
だから俺もアリシアに貰った時は特別な何かだとは思わなかったけれど、実際に使ってみると恐ろしいまでの切れ味を誇っていて驚いたものだ。
(アリシアは何を考えてこの剣を俺に渡してくれたんだろう……あれ? そう言えば俺、アリシアのこと考えたのいつ以来だろう?)
アリシアに出会ってから彼女のことを考えなかった日は無かったと言っていいぐらい、俺は彼女に夢中だった。
当然婚約を解消してからも同じだった……しかしここの所は彼女の名前を思い返すことすらなかった。
尤も今こうしてアリシアの名前と姿を思い出せば、胸はかつてと同様に騒めいて収まりがつかない。
(……今考えることじゃないな、集中力を切らしたらお終いだ)
それでも強引に頭を振って彼女のことを追い出す……今大事なのは目の前にいる仲間たちなのだから。
「そのような名剣を一体どこで手に入れたのですか?」
「……まあ色々ありましてね」
正規兵の方の質問を適当にはぐらかした俺に、アイダが近づいてそっと囁いてくる。
「もしかしてレイドが追い出されたのって……その剣をどこかから盗み出したからとか?」
「アイダ先輩……俺がそう言うことする人間に見えますか?」
「あはは、冗談冗談……レイドがそー言うことできる人間じゃないのはよくわかってるからね……それよりも先輩って呼ぶの止めてよぉ……レイドみたいな人に先輩風吹かしてた自分が恥ずかしくて仕方ないんだからぁ……」
「いえ、俺は本当にアイダ先輩を尊敬してますからこう呼ばせていただきます……何せ恩人ですからね」
「はぅぅ……れ、レイドの意地悪ぅ……」
まっすぐ顔を見つめて真剣に伝えたにもかかわらず、アイダは顔を真っ赤にして背けてしまう。
「だけどお前、魔法も使えて剣も強ぇなんてなぁ……羨ましいわ」
「色々努力しましたから……だけど結局この程度ですよ……軍学校の試験にすら合格できませんでしたからね」
「えぇっ!? いやそれだけできれば間違いなく合格のはずですよっ!? うちの試験官は何を見てるのかっ!?」
「あぁ、レイドはお隣のファリス王国の人だから……だけどレイドを落とすなんて見る目無いねぇその人たち……」
「いえ、ですから俺が全然駄目駄目だというだけでして……」
何やら盛大に俺を持ち上げる皆の言葉に、少し恥ずかしくなってくる。
しかしそれ以上に少しだけ不安を感じていた。
(皆なんか気が緩んでないか? 危機的状況は全く変わってないのに……)
俺のことで盛り上がる皆だが、その口調はどこか安穏としている。
「それよりも皆さん、もう少しで町に付きますけどそれまで気を抜かないようにしましょうね」
「わかってるよぉ……だけどレイドが居れば安心だよね?」
「いいえ、俺なんかを信頼されても困りますよ……」
「んなことねーだろ、レイドお前は少しは自分に自信を持てよ」
「そうそう、お前マジで強いからな……頼りにしてるぜ」
わざわざ注意したというのに、皆俺を見つめて頷きかけるばかりだった。
(困ったなぁ……俺みたいな無能を信じられても、本当にいざって時守り抜ける自信ないのに……ああ、駄目だ駄目だっ!! 皆が信じてくれてるのに俺がそれを疑ってどうするんだよっ!!)
そう自分に言い聞かせるけれど、やっぱり不安は収まらない。
だからもう一度、皆に注意しようと口を開こうとしたところで……何かが猛烈な勢いで空気を裂きながら接近してくる音が聞こえてきた。
「っ!?」
即座に剣を抜いて振り向きざまに振るった俺が見たのは、超高速で飛来する六つの拳サイズの土塊だった。
それが俺たち六人を正確に狙って迫ってくる…………咄嗟に剣の腹に自らの片手を添えて盾代わりにして自分に当たる土塊の直撃を防ぐ。
「ぐぐっ!? はぁっ!!」
土塊の余りの勢いに完璧に受け止めたにも関わらず身体が僅かに浮き上がるが、それでも何とか抑え込み打ち砕くことに成功した。
「がはぁっ!?」
「がぁぁっ!?」
「げほぉっ!?」
「ぐふぅっ!?」
「ぐぼぉっ!?」
しかし他の五人は振り返ることすら敵わずに固められた土塊が直撃し、身体を貫通して大穴が空き血しぶきをまき散らしながら崩れ落ちていく。
(ま、不味いっ!! 間に合ってくれっ!!)
「我が魔力よ大地を伝わりて我が同族に癒しの祝福をもたらしたまえ……エリアヒールっ!!」
彼らが地面に倒れ伏す前に必死で回復呪文を紡いで放つ。
途端に周囲を淡い光が包み込み、五人の身体を確かに癒し始めた。
(よ、よかったっ!! 誰も死んでないっ!! だけど何だ今のはっ!?)
「ぶひゃひゃひゃひゃっ!! なんだぁ君強いねぇええっ!!」
「っ!?」
そこへ不気味な笑い声をあげながら、巨体が少し離れたところに着地して俺を見据えてきた。
オークに似た顔と身体つき、しかし背中からはまるで翼のように細く長い不気味な腕が何本も生えている。
その腕の先に付いた手のひらには何かの魔物の唇と思しき割れ目が付いていて、それに対して本来の両腕は異様に肥大化しており前足のように地面にくっついて身体を支えていた。
恐らくはあの両手と両足に思いっきり力を込めて跳び上がることで、ここまで一気に跳躍してきたのだろう。
(この特徴っ!? くそっ!! こいつが正規兵を全滅させた魔物かっ!?)
「だけどごめんねぇえええっ!! もう僕の方がずっと強いんだぁああああっ!! だからだから今度は僕がお前らを……ぶひゃひゃひゃっ!!」
「っ!?」
虚ろな瞳に狂気を宿している魔物は、訳の分からないことを叫びながらこちらに向かって突進してくる。
チラリと後ろを振り返れば、未だに傷が塞がっていない五人が意識を失って倒れている。
(このままこの位置で攻撃を受けるわけには……かといって後ろの皆が狙われたら……前に出るしかないっ!!)
片手で剣を構えながら、こちらも正面から魔物に向かって駆け出しつつ相手の挙動を見逃さないよう見つめながら呪文を紡ぐ。
「我が魔力よ、自然の風の性質を変じさせ敵の身を拘束せよ……スロウっ!!」
「ぶひゃぁあああっ!? なぁにこれぇええええっ!!」
手の平から流れ出した魔力が大気に触れると同時にその性質を変じさせ、敵の身体に粘着質の糸のごとく絡みついていく。
そして相手の動きを鈍らせる……ことも敵わずあっさりと振り払われる。
(駄目かっ!? いや振り払うために身体を捩った……この隙に……手のひらの口が開いて……っ!?)
「ぶひゃひゃひゃひゃぁあああっ!! まあいいや燃え尽きちゃえぇええっ!!」
「我が魔力よ、この手に集いて炎と化し我が敵を焼き払え……ファイアーボールっ!!」
反射的に呪文を紡ぎ放つのと、こちらに向いた手のひらから火炎が噴出してくるのは同時だった。
まるで炎噴熊が放つような猛烈な勢いの火炎に俺の魔法が飛び込み内部で爆ぜる。
しかしそれでもほとんど押し止めることも敵わず、僅かに火炎を散らすのが精いっぱいだった。
(だけど隙間は開いたっ!! ここに身体を滑り込ませれば懐に潜り込めるっ!!)
一か八か、全力で火炎が散らされて僅かに生まれた空間に飛び込み何とか掻い潜ることに成功する。
僅かに後ろを振り返れば、俺が通り過ぎた場所を遅れて通過した火炎が大地を溶かしていくのが見えた。
もしも僅かに遅れてあの火炎が当たっていたら、それで俺は即死だっただろう。
それだけの博打を成功させた恩恵として、俺は剣の届く距離に魔物の身体を捕らえた。
(ここだっ!! これで仕留めないと多分もう二度と近づけないっ!!)
もう二度とあんな真似は成功しないだろう……これが最初で最後のチャンスだった。
だから俺は剣に両手を添えて、全力で下から魔物の身体を切り上げにかかる。
それに対して魔物は回避行動は愚か防御すらしようとせずに、持ち上がっている拳の幾つかを俺に叩き込もうとした。
「はぁあああっ!!」
「そんな脆い剣なん……ぎゃぁああああっ!? い、いたぁああああいいいいっ!!」
魔物の馬鹿にするような声を他所に、俺の剣はあっさりと魔物の足を切り裂きながらそのまま胴体まで駆け上がっていく。
しかし完全に切り裂き終える前に、魔物は持ち上げていた手で大地を叩くことで無理やり後方へと跳躍して距離を取ってしまう。
(だけど強引に跳んだからか飛距離はそれほどじゃない……こっちも飛び掛かって切りかかれば殺れ……っ!?)
この隙を逃すまいと追撃をかけようとした俺は、寸前で仲間のことを思い出した。
エリアヒールの効果でギリギリ回復して命を長らえている彼ら……もしも俺が飛び掛かったことで効果範囲から洩れてしまったらお終いだ。
だから俺はこの絶好の機会を、唇を噛み締めて見送ることしかできなかった。
(畜生っ!! 逃げられたっ!!)
「な、なんだなんだなんでぇええええっ!! おかしいよズルいよあり得ないよっ!! どうしてこの身体が負けるのどうしてここまでしたのに傷付くのおかしいよズルいよあり得ないよぉおおおっ!!」
離れたところに着地した魔物は子供のように泣きわめきながら、切り裂かれた身体に一つの手を当てた。
すると途端にその手のひらから癒しの光が広がり、あっという間に傷を治し切ってしまう。
(嘘だろ……そんなこともできるのか……こんなの勝ち目がないじゃないか……)
唯一のチャンスで付けた傷すら塞がれて、万全の態勢で改めてこちらを睨みつけてくる魔物の姿に俺は勝ち目を見出すどころか絶望することしかできない。
しかし逃げだそうにも後ろには未だに意識の戻らない五人……彼らを見捨てることだけはできない。
(しっかりしろっ!! 俺が苦しいとき助けてくれた皆を今俺が助けなくてどうするんだよっ!! 考えろっ!! あいつを倒す方法でも皆で逃げ切る方法でも何でもいい……諦めずに考え抜くんだっ!!)
俺は剣を強く握りしめながら、自分を叱咤して目の前の魔物をまっすぐ睨み返すのだった。