サナトリウム(2)
我が家のロボットがウィルスにやられたのは、一月のことだった。完全に動作が停止し、内部のメモリも相当破壊された。
母が私の幼い頃に亡くなった我が家では、家事をこなせるのは、このロボットだけだったので、それは非常に困った事になった。
ロボット担当のCEは、一旦全てを消去して最初から教育をした方が復旧が早いだろうと言ったが、それは単に動作するというだけのことで、我が家の色々な作業や家族の情報を覚える迄には,数年を歳月を要するということは、担当CEの頭の中にはまったく無かったようだ。当然担当は私と親父からしぶとくそれじゃあ意味がないから、なんとか復旧してくれと、懇願されたり罵声を浴びせらたりした。
メモリの中の多くの情報は、クラウド上に退避された過去情報(定期的な全退避はケチっていたので、差分の退避のみしかない)から復元は可能であるが、それでも長期の時間を要する。(何十年にも及ぶ圧縮された差分退避使ってそれを解凍、マージするという気の遠くなるような作業らしい)また、その修理費用もはっきりいって馬鹿にできるものではない。それでも、修理することになったのは、家族同然と暮らしてきた愛着感からだろう。何より現状と同じ動作をしてくれないと、生活に困るのだ。もとより、私も親父も家事はからっきしである。
ロボットは、修理工場に送られて行った。そして、何の因果が知らないが、私は心を煩ってしまい、療養のために空気の綺麗なその工場の近くにある病院に、預けられることになった。
私の父親は、どっちが早くもどってくるのかねと、立て続けに我が家におこったこの有様にあきれてしまうだけだけだった。(お祓いでもした方がいいかなと私を病院に送り出した時に、独り言を言っていたが、後で本当に神主さんを呼んだとのことだ)
また、当面の独り暮らしでも楽しもうかなと、つまらない一言も加えた。ただ、暗い気持ちに覆われてしまった私の心は、そんな一言さえ自分に対するあてつけの様に聞こえたものだった。
入院後、私の病気は、ゆっくりではあるが次第に回復しつつあった。風は清らかに吹き、吸い込んだ空気は心の中の蟠りを連れて口から吐き出されるようであり、花鳥風月が移り変わる中で、多くの自然が落ち込んでいた私の心も癒すようだった。
それとは裏腹に我が家のロボットのメモリの修復は機械とは思えぬほどに遅々として進まなかった。
やっと、自分の生活やら生き方なりが、ゆっくりと動き出し、社会に復帰をするためのリハビリも兼ねて町にも独りで出られるようになった。
その次いでに、ロボットの様子を観にいくと、我が家のロボットには多くの配線がつながれた状態で冷たい床に置かれていた。それでも、私の姿をみると指を微かに動かした。それがなんとも嬉しかったものだった。どうやらロボットは私のこと覚えているのであった。
それにしてもどうして、こうも長く時間がかかるのだろうとCEに訊いた。それは脳に障害が発生し、植物化してしまった人間の長い長い闘病生活にも似ていると、担当のCEは言った。ただ、残っている正しい情報とパリティから修復はできるから、時間がかかるだけで修復は可能だよとCEは答えた。だから安心していいと・・ただ、やはり人と同じように声をかけたりして、記憶の修復に役立つような刺激は与え続けてくださいともつけ加えた。
我が家のロボットに面会にゆくと、その修理工場の前にある海を臨む断崖の縁に行っては、よく海原を眺めた。沖から入ってくるうねりはその断崖に激しく当たり、その返し波と混ざって毎日引っかき回されたかの様に荒れる。
そして何時も風が髪を乱す程に強く吹く。何故か理由は分からないが、私はそこに居て、風に当たりながら海を見ているのが好きだった。
ロボットが機能を回復を始めたのは、やっと秋の風が吹き始めた頃だった。その頃になると、私は一時的に帰宅することも許されるようになっており、会社の産業医の指示の下で、完全な社会復帰に向けたリハビリのスケジュールを組む作業も始まった。
尤も、父一人の家の中の荒廃ぶりを、想像するだけでも怖いので、ロボットの居る修理工場に泊まらせて貰ったりする事も多々あった。
ロボットを見舞いに行くたび毎に機能が日進月歩で回復しているのがよく分かった。
歩き回れるようになれば、修理も終わりだとCEは言った。こんな大変な修理は滅多にないだけに良い経験をさせてもらったとも付け加えた。
ある日、ロボットは庭を歩き回るようになっていた。私はその横を歩きつつ、よかったよかったと回復を喜んだ。
尤も、ロボットは暫く動かしていなかった関節とかの動作に不具合があったので、庭のベンチにぎこちない動作で腰掛けては、私を隣に座らせえて暫く休んだ。
ロボットは私の背中をさすって大丈夫か?何時もあんな危ない断崖に行って落ちないのか心配だったと言った。そのさする手の動きに何か懐かしいものを感じた。
よくあの崖に行っていることを知っているなというと、自分の両目を指さして、貴方のことだけは何処にいても良く見えるのですと答えた。
そのとき、ロボットはいきなり地面に這いつくばり何かを吐き出した。細かい金属の破片が固まったようなものだった。
私は急いでCEを呼びにいった。CEは、ロボットの吐き出したものを見て、ああ、正常に動作しているからですと言った。彼によれば、これはロボットの内部に存在する多くのナノマシーンの不要になったものの塊であ、り修復が必要な場所はこの微小機器によって自動修復されるのだという、そしてナノマシーンは必要に応じてロボットの内部で自動生成され、不要になれば普段は気付かない内に自動排出されると言った。
きっと、何か負荷がかかったのでしょうね・・とCEは付け加えた。普通は、少しづつ排出されるのだが、どういうはずみでか塊になったらしい。あとで、調べてみますね。とCEは排出されたことよりも、塊になったことが気になるようだった。
あるいは、私が崖に行くたびに、必要以上の心配をしていたロボットの、その心配の塊だったのかもしれない。
私は、ロボットより一足先に家にもどった。十分に完治したし、ロボットが来る前にひとつだけ確かめたいことがあったからだった。累積されてゆく沢山の作業の情報に隠れてしまったロボットの本能のようなもの、それが今回の出来事で顕れてきたように感じた
からだった。
そして私の記憶の中にもそのしぐさが残っていたのだった。
「あのロボットに、お母さんの記憶を移植したの?」私は、出前のラーメンを食べる前に父に訊いた。父は何も答えないまま、大きな音を立ててラーメンを啜った。私は敢えて問いただしはしなかった。いずれにしろ、暫くすれば、またまともな手料理を味合うことができるのが私達ににとっては、小さくても大事な幸せだからだ。