056 神獣
「まさかこんなところがあるとはな」
フローゼによって案内されたのは朝と同じ湖の畔。
この辺りで神獣の気配を感じたのだがすぐに見失ったと言っていたので周囲の捜索に当たっていた。
実際には見失ってはいないのだが、そういう風を装っている。
そして何食わぬ顔で予定通り滝の裏側を覗いたら小さな洞窟を見つけたのだった。
念のためという理由で洞窟を探すことにしたのだが、ここにやつがいることは確実。
しかし、予定外のことが起きた。
「(ちっ、マリアのやつも付いて来たのか。さてどうする……)」
自分一人で洞窟の捜索に当たるつもりだったのだが、マリアは暗い洞窟で先程のような魔獣が現れでもしたら危険だと言う。
どうにかしてマリアに他を探してもらおうとしたのだが、尤もな意見を覆す事ができなかったので結局三人で入ることになってしまった。
「なぁ、マリア?」
「なんですか?」
「やっぱり手分けした方が効率いいんじゃないのか?」
「それはそうですが、効率を優先し過ぎて危機管理を疎かにするわけにはいけませんよ」
「……そうだな」
至極真っ当な意見。
単独で未知の洞窟の捜索をするなどということは基本的にありえない。
「なぁ、フローゼ」
「なぁに?」
「何か良い方法はないか?」
「なんとかなるんじゃないかなぁ? そもそもカインくんがややこしくしたんじゃないの?」
「……そうだよなぁ」
洞窟の中に神獣がいないか探りながら歩くのだが、良い解決方法が見つからない。
「やっぱり正直に言うか」
諦めて正直に話そうと決める。
どうせ言うなら早い方がいい。
「あのさ、マリア――」
「――待ってください!」
「ん?」
突然身構えるマリア。
一体どうしたのかと不思議に思う。
「……前から、何か来ます!」
「は?」
ここに神獣が入り込んだ話していたのはフローゼ。
「(ちょっと待て!まさか神獣のあいつか!?)」
ここで、こんな暗闇の中で、いきなりヤツが姿を見せたら話をするどころではなくなる。
下手をすればマリアに速攻でやられてしまう。
それに死体を偽装したのだから余計に話が拗れてしまうではないかと考えながらも、同時に別個体で押し通せるかとも考える。
「(おい!ちょっと待てって!)」
頭の中で神獣に向けて必死に話し掛けるのだが、全く返事がない。
もう足音が近くまで来ていることはカインにも感じ取れた。
「マリア! ちょっと待ってくれ!」
「えっ?何がですか?」
「あのな!」
『ニィちゃーン!たすかったヨォッ!』
急いでマリアに伝えようとしたが、もう遅い。
「――あれ? これって」
しかし、マリアは攻撃を加えようとする気配を一切見せずに、その小さな塊を視界に捉えて見送った。
「うぐっ」
そしてカインは腹部に衝撃を受ける。
小さな何かがカインの胸元に飛び込んで来た。
その衝撃を受け止めたことで思わず尻もちをつく。
「……はぁ?」
『ニィちゃんのおかげでたすかったヨ! この子をなんとか説得してくれたんだよナ!?』
「いや……」
まだ何も説明していない。これからするところ。
それよりも、むしろこっちがこの状況の説明して欲しい。
「誰だお前?」
「やぁぁぁぁっ! なんですかこの可愛い生き物は!」
マリアが黄色い声を上げてカインの胸の上から小さな生き物を抱きかかえる。
「まぁ、イヌ、だねぇ」
「そうだな。イヌだな」
どう見てもさっきの巨狼ではなかった。
その見た目は白い小さな子犬にしか見えない。
『イヌじゃねぇ! 天使風情がオレをバカにするナ! それにニィちゃんもダ! ニィちゃんには助けてもらって感謝してるけど、バカにすると許さねぇからナッ!』
小さな身体がワンワンと吠える様子を見る限りはイヌにしか見えない。
「(イヌじゃないのか?)」
「イヌじゃないのぉ?」
『フンッ! オレは由緒正しい神獣フェンリル様だゾ! この乳でか天使ガッ!』
「乳でかっ!?それはちょっとショックだなぁフェンリルちゃん」
「は? フェンリル? こいつフェンリルなのか?」
「えっ? この子が神獣なのですか? それもフェンリルって――」
巨狼だと思っていた魔獣もとい神獣は、目の前で小さな身体のイヌに見紛う姿形をしている。
しかし、イヌどころかやはりオオカミであって、オオカミどころか伝説上の生物フェンリルだと自称したのだった。
それからは話が全然出来ていないのだが、目的の神獣と会えたことですぐに洞窟を出ることになる。
「あらっ? よく見るとこの子怪我しているわね」
外の光で明るくなったところでマリアが気付いた。
フェンリルの身体には小さな切り傷がいくつもあった。
『ダレのせいだッ!ダレのッ!』
ワンワンと吠えるのだが、マリアには全く通じていない。
「我、神の施しをもって汝に癒しを与えん」
『ハァッ? オレに治癒魔法は効かな――』
フェンリルの身体は瞬く間に輝く。
途端に傷が塞がり、消えていった。
『ナッ!?』
「あら? さすが神獣ですかね? 私の能力以上の治癒速度でした」
「そうなのか? まぁ神獣なんだからマリアの治癒と相性がいいのかもな」
「当然ですよ!聖女と神獣!これ以上の相性の良さはないでしょう!それにしても可愛いだけじゃなくモフモフで触り心地も抜群です! さすが神獣!」
マリアはフェンリルを離すことない。満面の笑みでずっと抱きしめ続けている。
『オ、オイッ!ちょっとマテ! そこの天使ならまだしも、どうしてニンゲン風情の治癒魔法がオレに効果あるんダ!?』
「(そこの天使ならって、どういうことだそれは?)」
『オレはその辺のニンゲンの魔法など通じない身体なんだヨッ。ただまぁ天使のような神力を扱えるようなやつなら話が別だってんダッ』
「(そうか、なるほどな。なら答えは簡単だ。まぁマリアがその辺の人間じゃないってだけだな)」
フェンリルの言っていることの詳細はわからないまでも、それだけでなんとなく理解できた。
通常の魔力量や治癒魔法の類だとフェンリルの体皮には影響を及ぼさないのだろうということを。
『ン?ソレはどういうことダッ?』
「(まぁ落ち着け。こっちも色々と聞きたいことがあるんだ)」
『ナンダ?』
「(お前、変身って言ったらいいのか、さっきのと今とどっちが本当の姿だ?)」
『そんなものこっちが本当の姿に決まっているだロ!あれは神力を使った一時的な姿だナ』
「(なるほどな)」
納得するのは、つまり今目の前にいる神獣はフェンリルの幼体ということなのだと理解する。
「ねぇカイン?」
「ん?」
話し掛けて来たマリアの表情が暗いのだが、一体どうしたのだろうかと疑問に思う。
「この子、連れていったらダメですかね? カインの胸に飛び込んできましたし。ほらっ、こんなところで一人きりだと可哀想だし、心細かったのじゃないのでしょうか……。さっきのも私達を頼ってくれたのだってことなのじゃ…………」
「…………いや、ま、まぁ、いいんじゃないか? そいつもマリアに懐いているみたいだしさ」
その目は憂いと憐れみを帯びていた。
同時に、小さいワンコを抱きかかえる姿が可愛らしくて仕方がない。
「やったぁ! ありがとうございます! 良かったねぇ、これから一緒にいけるよ!」
『ふざけんナッ!』
「ど、どうしたの?急に騒いで……」
フェンリルはワンワンと叫ぶ。
「(いいからしばらく黙って付いて来い。でないとお前がさっきの魔獣だとマリアにばらすぞ)」
『ぐっ、ニィちゃんソレは卑怯だゾ!』
「(まぁとりあえず話をしてから考えてくれればいい)」
ばらすつもりは今のところないのだが、こうなってしまっては後に引けない。
『クッ、まぁ良い、今は仕方なイ……』
「…………あっ、静かになった」
「マリアに抱かれてるのが嬉しいんじゃないか?それかマリアの提案を喜んでたかのどっちかかもな」
「そっかぁー。そうだと嬉しいなー」
ギュウっと抱きしめるのだが、カインの目から見ればどう見てもフェンリルは嫌がっているようにしか見えなかった。
むしろ先程までの会話から嫌がっているのは明白。ジト目で見られている気もする。
それからは山を越えるために歩き続け、マリアに抱きかかえられるフェンリルの姿は変わらずそこにあった。
「(――ほぅ、なるほど。じゃあお前は人間を殺していたわけではないんだな?)」
『当然だロッ。不要な殺生はしなイ。ただ邪魔だったんだヨ』
道中、念話でフェンリルの話を聞く限り、どうやら山に踏み込んで来る人間が煩わしかっただけらしい。
静かに暮らしていたのだが、姿を見られるとやれ魔獣だ、やれ討伐だと躍起になって襲ってくる。
そのためああして脅し、恐怖心を植え付けて人間を遠ざけることで静かな環境を作っていたのだと。
『おかげで静かに暮らしていたんだけどナァー。オマエらが来たせいでこんなことになっちまっタヨ』
「(いや、むしろお前と話せる俺達で良かったんじゃないか?)」
『どうしてダ?』
「(もうしばらくして、もし討伐依頼が正式に出されたとするぞ? それで仮に上級の冒険者が来ればお前やられてたかもしれないんだぞ?)」
『オイオイ、舐めんなよニィちゃン。ニンゲンなんかに後れをとるかヨッ』
「(よく言うぜ、マリア一人に殺されかけてたくせに)」
助けを乞うて来たのはどこの誰だったか。
『――グッ! だが、オレが成長したあとはゼッタイにニンゲンなんかに負けはしなイ!』
「(ん?お前は成長するのか?)」
『アア、もちろんダ。大人になればもっと強くなれル。そうなればこのネェちゃんにも負けねぇヨ!』
「(ふぅん、そうか)」
『それで、オレはいつこっから解放されるんダ?』
「(そうだなぁ…………)」
どうしようかと考え、悩む。
フェンリルと会話をしながら悩むのは、マリアがフェンリルのモフモフを堪能していてずっと笑顔で満足そうにしていたのだから。
「(あのさ、もし良かったら俺達と一緒に来ないか?)」
マリアとフェンリルを横目に見ながら提案する。
マリアがこれだけ嬉しそうにしているのだから、フェンリルを旅の同行に誘ってみることにした。




