055 死角からの一撃
「……えっとさ、確認するけど……これ、あいつが言ってるのか?」
「そうだよぉ? ちゃんと聞こえたでしょ?」
「んー、まぁ一応、な」
目の前で繰り広げられているマリアと巨狼との激闘はどう見ても生死をわける戦いだ。
しかし、聞こえてくる声がどう見ても見逃してもらうように嘆願、必死に訴えているようにしか見えなかった。
『ちょ――、どうなってんだコイツッ!ものすんごいツヨイじゃないカ!?た、たすけてくレ!』
カインの目が曇っていなければ、マリアは迫り来る脅威に対処しているだけ。
巨狼も生き残るためにマリアを倒そうとしているようにしか見えない。
『ちょ、ちょっとだけビビらせたら逃げるだろうと思っていたのに、オレに向かって来るやつがいるなんテ! そ、それどころか、オレが逃げられなイ! 背中を見せたら確実に……や、ヤられる!』
激闘に見える巨狼の声、こうして聴いてみると――――。
「こいつ――」
冷静になってみると色々と思うところはある。
「なぁ、もしかしてこいつ逃げたいんじゃないか?」
「そうみたいだねぇ。マリアたん容赦ないからねぇ」
戦局はマリアの方が押し始めていた。
「……だよな」
その悲痛な訴えがマリアに聞き届けられているようには到底思えない。
どうしたものか。
巨狼の方は防戦一方であり、回避に専念していて戦局はもうかなりマリアの方に傾いている。
「あのさ、フローゼ?」
「なぁに?」
疑問符を浮かべるフローゼ。
「ちょっと頼みたいことがあるんだ。俺がなんとかしてマリアの動きを止めてあいつが逃げられるようにするからフローゼはあいつの行き先を確認してくれないか?」
「行き先? 別にいいけど……うん、わかった!」
カインの意図を説明することなくフローゼは快諾した。
逃がす分にはいいが、せっかく見つけた神獣なのだから逃げた先の確認もしておきたい。そして同時に考える。
「それと、マリアはあいつを魔獣だと勘違いしてるようだから、死んだように見せかけることできないか?」
一応、念のための予防線も張っておくことにした。
「まぁ今のあたしならできると思うよ? けどなんで?」
「……いや、念の為だ」
必要ないのかもしれない。だが、もしかしたら役立つかもしれない。
フローゼに頼みごとをすると、フローゼは翼を動かして上空に上がっていった。
『――ダメだダメだダメだ!もうダメだ! コ、コロされるッ!』
恐らくマリアにはこの声が獰猛な獣の声にしか聞こえていないのだろう。
「なぁマリア?」
「なんですか!? 今話しかけないでください! あともう少しですので!」
後ろからマリアに声を掛けた。
マリアは巨狼から視線を外すことなく後頭部が返事をする。
「(はぁ。仕方ない)」
目的の神獣を見つけたのだ。殺すわけにはいかないだろう。
「グルウウウウ!」
「かなり怒っているようですね」
「(……だよなぁ。やっぱマリアには聞こえてないよなぁ…………。 さて、どうするか)」
現状マリアは聞く耳を持たない。
「(おい、俺の声が聞こえるか?)」
とりあえず神に話し掛ける要領で巨狼に話し掛けてみることにする。
『だ、ダレだッ!?』
「えっ? 急に動きが――チャンス!」
声が聞こえたのか、巨狼は少しだけ動きを鈍らせる。
『――アブなッ!』
マリアはその隙を逃さずに一気に攻勢に出たのだが、巨狼はギリギリのところで必死に身をよじり回避した。
「(あのさ、お前を助けてやろうか?)」
『ナ、ナンでもイイ! ダレだか知らんが、と、とにかくたすけてくレッ! このままじゃコロされちまウッ!』
せっかく会話ができる神獣と巡り合ったのだから無条件で助けるのも勿体ない。
「(じゃあ俺の言うことを聞くか?)」
『ナンだソレハ!?条件をつけるって言うのカ!?』
巨狼は明らかに不服そうに答えた。
「(ならいい。嫌ならそのまま死ね)」
答えはわかっている。
『ワ、ワカッた!たすけてくれたらナンでもいうこと聞くかラ!』
この焦り具合なら相当に必死なのだからそう答えるしかないだろう。こっちもそれなりに覚悟をもってマリアを止めるのだから。
「(よしっ、わかった。必ず守れよ? こっちも命懸けで助けるんだからな)」
『アア!やくそくは必ずマモル! けど、お前こいつをどうやってトめるんだヨッ!? お前もこいつぐらいツヨイのカ?』
「(んなわけないだろ)」
見当違いの問いに呆れて小さく息を吐く。
『ナ、ナらどうやっテ!?』
「(言ったろ? こっちも命懸けだって、な。 あと、お前に頼みがある)」
コレをするにはまだ足りないことがあった。
『マ、マダあるのカ!? いいから早く言エ!』
「(なら、もう一度死に物狂いでその女に攻撃を加えろ。それが逃げる最大のチャンスだ)」
コレしかない。
『バ、バカなッ!?そんなことをすればどうなるカ!』
「(どちらにしろこのままじゃ死ぬんだ。お前には俺を信じるしかないんだ)」
『グッ――くぅぅぅ。死んだらお前のところに化けて出てやるからナッ!』
「(わかったわかった。いいから早くやれ)」
そもそも化けるってどうやって化けて出るんだ?と、疑問には思う。
強い恨みを持って死んだら死霊になると聞いたこともあるが、神獣がそんなことになることもあるのだろうか。
試してみたい気がしなくもないが、もし本当に化けて出られても困る。
まぁなんにしろ、とりあえずこいつは一度逃がしてやろうということに決めた。
カインは隙を狙うために、気配を消して、ゆっくりとマリアの背後に近付いて行く。
「あとすこしッ!」
マリアはもう少しで巨狼にトドメをさせるのを実感していた。
そこでマリアが突然足を止める。
「――むっ、とうとう諦めたわねっ!」
巨狼と対峙していた気配がこれまでとは明らかに変わった。
「来なさい。これで終わりよっ!」
巨狼はカインに指示された通り、マリアに向かって一直線に向かって行く。
マリアは斧をグッと力強く握り、待ち構えて巨狼の攻撃に専念していた。
巨狼が眼前、目の前に来た瞬間――――。
「ここだあッ!」
マリアの背後からカインの大声と共に両脇を通って腕が伸びてくる。
「――えっ?」
伸びて来た手はそのままマリアの胸の前で止まった。
「やぁっ」
グッと手はマリアの胸を一揉みする。
マリア即座に背後を振り返り、瞬時に持っていた斧を棍棒に変形させ……。
「な、なにすんのよっ!このバカイン!」
「うげぇっ」
棍棒をカイン目掛けて目一杯振り切り、鈍い音を立てた。
殴り飛ばされたカインはドン!ドサッ!と地面を何度も跳ねて転がる。
「――ッ! しまったっ!」
マリアは慌てて前を向き、巨狼の攻撃がもう迫っているだろうと両腕を前に構えて防御の姿勢を取り思わず目を瞑る。
「…………って、あれ?」
もう既に巨狼の攻撃が振り切られてもおかしくないのだが、全く痛みがない。
『助かったゼ、ニィちゃン!』
「(あ、ああ……)」
マリアはどうしたのかと目を開けると、巨狼は遠くの方に駆けて行っていた。
「くっ、しまった、逃げられたわ! どうしてくれるのですか、このバカイン! いいえ、それよりもまず私の胸を触ったことについてゆっくりと話しをしましょうか」
「(や、やばいっ!今度はこっちが死んでしまう!)」
確実に気を逸らすためにはアレしか思いつかなかったとはいえ、笑顔で歩いてくるマリアが拳を合わせている姿が恐ろしくて仕方ない。
「(……せめてスカートをめくるぐらいにすれば良かったか?)」
いや、どちらにしても怒られるのならば利益が大きい方が良い方を選ぶ。
絶対に。
それが冒険者の矜持だ。
――――。
――――――。
――――――――。
「――ふぅ。とりあえずこれぐらいで許してあげます」
「あ、ああ…………」
顔面が痛い。
ジンジンする。ヒリヒリする。ビリビリする。
癒して欲しい。
だが今は我慢をするしかない。
「で? どうしてあんなことをしたのですか? おかげであの魔獣を逃がす羽目になったのですからきちんと説明をして頂きますよ?」
「いや、フローゼがな――」
「あっ、そういえばフローゼの姿が見えませんね。どこに行ったのですか?」
説明をしようとしたのだが、マリアは周囲をキョロキョロと見渡す。
しかしどこにもフローゼの姿がなかった。
どう説明しようか悩むのは、正直に言うべきか言わないべきか。
「…………フローゼがさ、神獣の気配を感じ取って、近くにいるらしいからって探しにいっちまったんだ。ほらっ、あいつ迷子になれば後々めんどくさいじゃないか。それをマリアに言おうとしたんだが…………」
「なるほど、でもそれはあの魔獣を倒してからでも良かったのでは?」
「まぁそれは確かにそうなんだが――」
もしかしたら正直にあの魔獣が神獣だったということを話した方が良かったのだろうか。
いや、だがしかし、きっと神獣と対話できるのが自分とフローゼだけだと知ったらまた不貞腐れるのは目に見えている。
同時に考えるのは、フローゼは巨狼を見失うことなく上手くやっただろうか。
「おーい!」
途端に上空から声が聞こえる。
「あらっ? フローゼ帰ってきましたけど?」
見上げると、天使の翼を使ったフローゼが空から手を振っていた。
「神獣は見つかりましたか?」
マリアの問いに対してフローゼはカインをチラッと見る。
カインが小さく頷くとマリアに向き直った。
「ううん、それがね、途中で気配を見失っちゃったんだよねぇ。でも大体の場所はわかるよ」
「そうですか。魔獣も逃してしまいましたし、どうしましょう? どちらを優先的に探しますか?」
「どっちにしろ探すのには変わりはないんだな」
「当然でしょう。近くに居るのなら探すのは当然です!」
行きがけにいるのならば捜索をするというのは当初から決めていたこと。
本当ならこのまま魔獣のことは知らないで通したかったのだが、マリアは気が済まないようだった。
「あっ、さっきの魔獣なら谷底に落ちて死んでたよ?」
「えっ?」
突然のフローゼの発言にマリアは驚き目を丸くさせる。
「あの魔獣が?」
「うん。よっぽど慌ててたのか、結構深いところにね」
「……そう……ですか」
それからマリアは自分の目で確認したかったのか、フローゼにその谷へ案内をさせた。
「暗くてよく見えないですが、どうやらそうみたいですね」
谷底を覗き込むとうっすらと白い物体が見える。
巨狼の死体に見えなくもない。
「わかりました。ではこれで魔獣討伐は完了にしましょう。残念ながら正式に報告はできないでしょうが、これで今後ここを通る人がいても襲われる心配がないので問題ないですしね」
うんうんと頷いているマリアを横目にフローゼに小さく話し掛ける。
「で? あれはどうやったんだ?」
「え? 木を落として幻覚で死体に見せているだけだよ?」
「マリアは気付かないのか?」
「神力がある今のあたしならたぶん大丈夫だと思うけどぉ?」
「そうか、ならいい」
とりあえずこれで一つ目の目的を果たした。
マリアに魔獣は死んだと思わせる目的を。
そしてもう一つの目的を確認する。
「で、あいつが逃げ込んだ場所は確認できたんだな?」
「うん、それも大丈夫」
「よしっ、じゃあ行くか」
そうして神獣が逃げ込んだ場所に向かうことにした。




