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035 意識の底で

 


 ――――。


 ――――――。



 温かく、それでいてどこか落ち着ける中にいるという実感があった。


 何故か優しく包まれているようで、まるで覚えがないはずの幼い頃の母の温もりに触れているような感覚を覚える。



『――まったく、ちょっと見ておらん間に無茶しおってからに』


 どこか遠くから声が聞こえてきた。


 聞いたことがある声のような気がしなくもないが、今はそんなことはどうでも良い。今はこの穏やかで安らかな時間を満喫していたい。



『カインが無事で良かったです』

『お主はそうかものぉ。まぁ儂としてもこんなところでこやつに死なれては困るのでな』


 なんとなくだが懐かしい声も聞こえた。

 声に耳を傾けたい気もするのだが、何故かそういった事に気持ちを向けられない。


『ふふっ、でもカインらしかったなぁ。全然変わってないや』

『昔からこんな無茶をするやつなのか?』

『そうですね。ボクと一緒の時はだいたいいつもこんな感じでしたね』

『……ボクと一緒の時、のぉ。とは言っても今は以前より強い絆があるじゃろ?』


 聞こえて来る声に意識を向けようとしてみるのだが、とても叶わずにこの心地良いこの気分に身を任せてしまう。


『――ええ。これがカインの力になることができれば良いのですが……』

『それはこやつ次第じゃの。とにかく、もうお主はこやつの行く末を見守るしかできないぞ?』

『……はい、わかっています。それだけでも叶うのならボクは満足です』


 そう思っていると、次第に声が遠くなっていく気配を感じ取った。

 まだ行かないで欲しいと思うのだが、それがどういう感情なのか理解も認識もできない。


 どこか納得の出来ないまま浮遊感を漂う感覚にさらされるのだが、同時に満たされる感覚を得る。


 そうしてこの気持ち良さに浸っていた。

 この妙な感覚に様々な感情が満たされていく。




 ――――。


 ――――――。



「……うっ――」


 意識を取り戻していくのと同時に、ぼんやりと薄目を開けた。


 ぼやけた視界が広がる中、同時に頬に微かな痒みを覚える。


 痒みを取り払う為に頬を掻きたいのだが、腕が上がらない。

 指先の感覚はあるのだが、まるで自分の身体ではないかのように自由に動かせなかった。



「……カイン? 大丈夫ですか? どこかまだ痛みはありますか?」


 徐々にぼやけた視界がはっきりし始めると、痒みの正体が判明する。


 眼前、目鼻立ちがはっきりとわかるくらい近くに見えるその端正な顔立ちをしている美少女、マリアの顔が目の前にあった。


 マリアは目を開けたカインの顔を覗き込んでおり、重力に逆らうことなくカインの頬にその長い髪を垂らしている。

 痒みの正体はマリアの髪が頬を擦っていたのだと理解した。


「……マリア、か」


 ぼーっとした状態でなんとなくマリアに話し掛ける。


「なんですか?」


 疑問符を浮かべながら小首を傾げるマリアは優しい笑みを浮かべた。


「マリアってやっぱり可愛いんだな。どこぞの天使よりよっぽど天使らしいな」


 ぼんやりした意識のまま、思ったままのことを口にする。


「――なっ!?」


 瞬間、腹部に強烈な衝撃を受けた。


「な、何をいきなり! 目を覚ますなりバカなことを言わないで下さい! えいっ! このっ、このっ!」


「ちょ、や、やめっ――」


 何度も何度も腹部に猛烈な衝撃を得る。


 というのも、マリアは拳を握って顔を赤らめながらカインの腹部に向かって拳を振り下ろしていた。


 しかし、身じろぎ一つできずにその衝撃をただただ受け入れることした出来ない。


 それから少しして、冷静になったマリアは自分が何をしているのか理解して慌てて手を止めた。


「ご、ごめんなさい、カイン! カインがあんまりにもバカなことを言うからつい…………」


 何度も謝罪の言葉を口にするマリアはカインの腹部を優しく擦っていた。


「い、いや、大丈夫だ」

「で、でも怪我人をあんなに殴ってしまうのはさすがにいけないですよ」


 申し訳なさそうにするマリアを見て口を開く。


「あのさ」

「はい」

「状況的にはうろ覚えなんだが、マリアが助けてくれたんだよな?」


「え?ええ、そうですよ? ですがカインもアレン君もかなり危なかったです。ぎりぎり間に合って良かったですよ」


「……そうか――」


 ホッと息を吐くマリアを見て考えた。


 今こうなってしまっている理由を覚えていないわけではないが、最後の方は全く記憶にない。

 それだけの事態になってよく助かったものだと。


 そして同時に思い出そうとするのは先程まで得ていた妙な感覚。


「(ダメだ。全く思い出せない…………。なんか夢を見ていたような見ていないような…………)」


 夢のようだと思えるその出来事の詳細を思い出せない。

 そこで心配そうにカインを見るマリアと目が合った。


「それより、カインはまだどこか痛いのですか?」

「いや、まだ身体は動かせないが、痛みはないな」


 いつの間にか、指先から手首の感覚まで戻って来ている。

 グッ、パッ、と小さくだが指を動かしながら確認する様に答えた。


「そうですか。それなら良いのですが…………」

「どうしたんだ?」


 訝しげにしているマリアの様子が気になったので問いかけると、マリアの表情はどこか不安そうな様子を見せる。


「いえ。カインが目を覚ます直前、涙を流していましたので……どこかまだ痛いのかと…………」


「……俺が? 涙を?」


「ええ?自覚はないのですか?」


 そういえば頬に痒みを覚えた時に、もう一つ頬の辺りを伝う感触があったことを微かに思いだした。


「(涙……? 俺が? あれから泣いたことなんてなかったけどな…………)」


 涙を流していたとしたらどうして今泣いていたのか。


 考えを深めるようにすると、何か思い出せそうになるのだが、どこかに引っ掛かりを覚える様な感覚を得ながらもまるで思い出せない。

 辛うじて思い出せたのは、穏やかであり、何故か懐かしい気持ちに包まれたということだけはなんとなくだが理解した。


「……覚えてないな」


 小さく言葉にする。


「まぁ痛みがないなら安心しました。とにかく今はゆっくりとしていてください」


 悩むカインの顔を見ながら、マリアは慈しむような笑顔でカインに微笑みかけた。



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