033 守るべきもの
「いよいよマズいな……」
左腕に重傷を負った上にアレンを守りながら活路を見出さなければならない。
「だ、大丈夫なのか兄ちゃん!?すっげえ血が出てるぞ!?」
アレンはカインの腕の傷を見て青ざめてしまっている。
「あぁ、大丈夫だ。だが今はそんなことを気にしてる場合じゃない。それよりもそんなことよりお前は自分の心配をしてろ」
「心配って…………?」
そこまで聞いてアレンはマンティコアを見てハッとなった。
「えっ!?に、兄ちゃん、あ、あいつ、もしかして……俺のこと狙ってるのか……?」
カインの腕の中で、震える声をなんとか絞り出すようにして確認して来たアレンの目は今にも泣きだしそうになっている。
「そうだ。さっきのを見たろ?あれは俺よりアレンの方が弱いと判断しての行動なんだろうな」
「そんなっ!?」
ここで嘘をついても仕方がない。実際、事実そうなのだから。
「や、やっぱり俺が足手まといだから……」
「心配するな」
「?」
突然投げ掛けられた言葉に対して疑問符を浮かべるアレン。
今この状況で心配するなと言われてもどういうことなのか理解できない。
「アレンが足手まといだろうが結果は変わらないさ。どうせ俺一人でもあいつをどうこうすることなんてたぶんできないからな」
「…………へ?」
キョトンとするアレン。思わず耳を疑った。
「そ、それじゃあどうするんだ!?」
アレンに問い掛けられたカインは必死に痛みを覚える左腕を見ないようにして、マンティコアだけを見る。
「(それにどうせこの腕じゃろくに戦えないしな)」
見なくても痛みだけで自分が負わされた傷の深さをはっきりと自覚していた。
「いいから俺に任せろ。しっかりと言うことを聞けよな」
そう言いながらカインは地面を踏み抜いてマンティコアに向かって一直線に走り出す。
「ガルゥ――」
マンティコアはカインの突然のダッシュを見るなり低い唸り声を上げながら身構えるようにして身体を低くした。
「――これならどうだ!ファイアボール!」
チンと小さな音を立てて剣を鞘に納め、小さな火魔法を放つ。
カインに出来る数少ない魔法でその威力は微々たるもの。目の前を飛んでいく魔法に対して我ながら情けないとは思うが、今ここでこの魔法を使ってマンティコアを倒し切ろうなんて考えてはいない。
――――マンティコアの気を逸らす事ができたらそれで良かったのだから。
突然目の前に小さいながらも火球が現れたことにマンティコアは驚き目を見開いてその場から横に飛び退いた。
「よしっ!アレン!」
マンティコアの動作を確認しながら痛みを抱える左腕に抱きかかえていたアレンに向かって声を掛ける。
「お前を向こう側に放り投げるからすぐに森の中に走り出せ!」
「はぁっ!?」
突然何を言い出すのかと思うのだが、アレンに拒否権はない。
「ぐっ、おぉぉぉぉおおおおッ!」
カインは有無を言わせず両腕に抱え直すと振りかぶるようにアレンを力一杯マンティコアの向こう側に放り投げた。
「おあぁぁぁぁぁっ――――」
マンティコアの斜め上を小さな体が飛び越えていく。
「よしっ!」
カインの視界の先にはドサッと音を立てて地面に落ちながらも「いててっ」と身体を起こしたアレンの姿があった。
「いきなり何すんだよ!」
「いいから走れっ!」
「えっ!?け、けどっ――」
「早く行け!俺のことは気にするなっ! それと、絶対に振り返るなよ!」
「う、うん!」
アレンはどうしようかと迷う仕草を見せるのだが、カインに声を掛けられたことですぐに振り返り、森の中に向かおうとする。
マンティコアもアレンが取る行動に気付いて振り向いて駆け出そうとした。
「行かせるかよッ!」
カインもすぐさまマンティコアに向かって走り出して、腰から剣を抜くと同時に大きく剣を振りかぶる。
カインの気配を察知したマンティコアはアレンに到達しようというところで横に飛び退き、カインの剣を躱した。
「――ぐっ!」
そして即座に重量感のあるその体躯でカインに体当たりをする。
ドンっと鈍い音が夜の闇の中に響き渡り、カインの身体は数メートル吹っ飛ばされた。
「あがっ!」
仰向けに倒れて想定以上の衝撃に眩暈を起こす。
ぼやける視界を覚えながらもなんとか起き上がろうとするのだが、同時に腹部に猛烈な痛みを覚えた。
マンティコアの前足で踏みつけられたのだ。
「ぐああああああ!」
内臓を踏みつぶされたかのような感覚に襲われながら、喉元を込み上げてくる液体、胃液と血反吐を豪快に吐き出した。
「……ぐっ、くぅうう。ちくしょ、しくじったな」
ぼやける視界の先にはグルルと唸り声をあげるマンティコアがいる。
カインはアレンを逃がして自分に気を引きつけた所でなんとか隙を作って自身もその場を離れるつもりだったのだが、マンティコアの素早さが予想の遥か上をいってしまっていたのだった。
「――はぁ、はぁ…………いよいよここまでだな」
もうどうにもできない。
息が荒くなり、内臓と共にあばら骨が何本か折れてしまっているだろうということは容易に想像ができる。
踏みつけられる胸の辺りで猛烈な痛みに襲われながら、起き上がる事も困難なこの状況だ。いくらなんでもここから起死回生の攻撃を与えられるのなど考えられない。
「――ぐぅっ! ――がっ! ――あぐっ!」
ドスンという音と共にカインの呻き声が上がる。
マンティコアは念入りに何度も何度もカインの身体を踏みつけた。
動いていた腕も骨が折れて筋肉が切れているのか、どれもまともに動かせなくなる。
そのカインを見て、マンティコアはゆっくりとその場を離れた。
カインの周りをノロノロと歩き、観察する様にカインの全身をじっくりと眺める。
そこでピタッと歩みを止め、もうカインがまともに動けないであろうということを確認すると、鋭く凶暴な牙を見せるその大きな口を開けた。
「くっ――クソッ!」
カインは失いそうな意識をギリギリで保ちながら、自らの最期の場面をはっきりと見届けようとする。
「(こ、こんなところで終わっちまうんだな……。すまんなマール。俺も今度こそお前のところに逝くことになったよ。結局、あの時お前がなんて言おうとしていたのかわからないままだったな…………)」
そうして眼前、とろっとしたマンティコアの涎が顔にかかるのを薄れる意識の中で感じ取りながら死を受け入れた。
「(でも、アレンだけでも助けられたことは褒められるよな?あんな思いもうしなくて済む。それに、死んであの世でマールに会えたらあの時何を言おうとしていたのか教えてもらえるかもな……)」
子どもが目の前で死ぬことには耐えられない、と。
せめてこんな自分でも救えた命があったのだと。
「(じゃあな、マリア、フローゼ。中途半端なところですまんな。マリアのやつ、無事に国に帰ることができるかな?)」
フローゼと一緒だと大変だろうがもう何もしてやれない。
それに、別れの言葉も言えないままになることに少しばかりの心残りと罪悪感を覚えながら、ゆっくりと瞼を閉じようとする。
――――。
薄れゆく意識の中で、瞼を閉じた。
カインの瞼の裏に映る懐かしい笑顔、背の低い赤髪の子を思い出し、マリアとフローゼの今後を少し心配する。
もう自分には何かをしてやることができない。
――だが。
小さくコツンという音が聞こえたかと思えば、もう耳元に聞こえているマンティコアの唸り声が少しばかり遠く離れたように感じた。
どうしたのかと閉じた瞼をゆっくりと開けると、眼前のマンティコアは首だけ振り返り背後を見ている。
「(な、なんだ!?)」
なんとか意識を保ち、マンティコアの視界の先を追うと、そこにはここにいないはずの人物の姿があった。
「カ、カインから離れろ!この、ば、化け物!」
アレンが震える体を必死に抑えながら、震える声を振り絞ってマンティコアに言い放つ。
その手には拳程度の石がいくつも握られていた。




